第2章 最後の夏休み

リュウジぐだぐだ。理事長覚悟を決す

 聖痕十文字学園に到着した一同は、バスから降りて校庭へと歩き出した。

 校庭には、リュウジ達のように避難してきた生徒やその家族が何百人も、着の身着のままで集まっていた。

 皆一様に、不安と混乱で疲れ切った顔をしている。


  #


 街中を、恐竜達が闊歩していた。

 パルスライフルで武装した100体の白銀の骸骨軍団が彼らと戦っていた。

 各所で火の手が上がっていた。消防隊や警察も手が回らないのだ。


  #


「お母さん、来てないね……」

 雨は不安げに茉莉歌を見上げる。


「そのうち迎えに来てくれるから。それまで待っていよう……」

 茉莉歌は雨の手をひいた。


「お集まりの皆さん!」

 朝礼台に立った理事長が、避難してきた人々を呼び集めると、マイクを取ってこう言った。


「皆さんの不安はよくわかります。ですがここにいれば安全です。落ち着いて行動してください。災害時の備えは十分にあります、事態が収束して救助が来るのをわが校で待つのです!」

 力強く皆に呼びかける理事長に、


「でも、『やつら』がここまでやって来たらどうするんです? 警察も手一杯みたいだし。自衛隊はゴシ"ラと戦ってますよ!」

 前列に立つ、生協の黒石さんが不安そうな顔で彼に質問した。


「安心なさい黒石さん。不肖炎浄院大牙えんじょういんだいが、我が身かわいさに、恥ずかしい願いごとをしてしまいましてな……」

 理事長が自嘲的に言う。

 と、その時だ。


「ギャオース!」

 校庭の上空を飛んでいた一羽の鳥が、マイクの声を聞きつけたのか、理事長めがけて急降下してきた。

 

「いや……鳥じゃない!」

 見上げたリュウジは息を飲んだ。

 距離感を見誤っていたのだ。降りて来る鳥の姿がみるみるうちに大きくなってゆく。

 ペリカンのような長い嘴、強大なとさか、その翼長はおよそ10メートル、その体躯は人間の数倍だった。

 だが、己に襲いくる影に気づいていないのか、理事長に動じる様子はない。

 彼は演説を続ける。


「もし、わが校に、皆さんの安全を脅かす不逞の輩がやってきたならば……! くまがや・・・・!!!」

 おもむろに理事長が空を仰ぎ、空中から襲いくる影に己が掌底を向けた。


 ピカッ


 空中に、緑の閃光が迸った。

 空から理事長を食べんしてと襲いかかってきた白亜紀後期の翼竜『プテラノドン』が、一瞬にして消え去った!


「おおーーー!」

 どよめく一同。驚嘆の声。パラパラと湧き起こる拍手。


「これ、この通り! この私が片端から、人外魔境じんがいまきょう地底獣国ちていじゅうこくに島流しにしてやりましょう。そんなことより……」

 理事長は続けた。


「皆さんの中で、既に『願い』を果たされてしまった方がいたら、教えていただきたい」

 しばしのどよめきが収まった後……

 ポツポツと、手が上がり始めた。

 数十人といったところか。

 それが本当ならば……リョウジは思った。

 残りの人は、まだ何も『願い事』をしていないということだ。


「……分かりました。それでは皆さん、私からたってのお願いがあります」

 理事長が皆に呼びかける。


「まだ願いを果たされていない方は、本当に必要な時が来るまで、絶対に『それ』を使わないでいただきたい。そして、願いを果たされた方は、差し支えなければその内容を教えていただきたい」

 理事長はみんなの顔を見渡して、切々とした顔で言った。


「みなさん、例の『声』が聞こえてから一日がたちました。一部の不埒な輩の不用意な『願い』が、世の中を大きな混乱に陥れています」

 周囲の人々の表情は依然として暗かったが、理事長は力強い声で続けた。


「ですが、絶望することはありません、我々が、各々の願い事を理性的に行使して、災禍の根を摘み取っていけばいいのです。狂ってしまった世界を、我々が立て直して行くのです!」

 理事長は拳を振り上げ、使命感と確信に満ちた表情で、高らかにそう言ったのだ。


 理事長にそんな思惑があったとは……!

 リュウジは驚いた。


「教えてください。いったいどんな願い事をしたのか……?」

 壇上から下りた理事長が、手を挙げた人たちに、次々と質問していった。


「肩こりが治りました」

「それは何よりですな。きみは?」


「円周率を、どこまでも言えます」

「パスワードとかに使えそうだね。きみは?」


「東大に合格しました!」

「いま夏なのに時空をゆがめるなよ。きみは?」


「一万円札(UN066957Y)を、好きなだけ出すことができます」

「ちり紙に困らなくなるな。きみは?」


「1日20時間眠れるようになりました」

「気持ちはわかるよ。きみは?」


「真剣白刃取りを会得してござる」

「何と戦う気だよ? きみは?」


「ラーメンを無限に食べ続けることができます」

「業の深い男だなあ。きみは?」


 etc etc……


 リュウジにも、理事長の意図はハッキリと見てとれた。

 理事長自身と同じく、災禍からの護身や救援に役立ちそうな願いを果たした人物を探しているのだ。

 まあそうはいっても、なかなか簡単には見つからないようだが。


 ……みんな、意外と他愛ない事考えてるんだな。

 リュウジは拍子抜けしたが、同時に少しホッとした。

 たいていは、こんな感じなのだ。


 だが、その時だった。


「リュウジ? リュウジじゃないか! 無事だったのか!」

 聞き覚えのある声に思わず振り返ったリュウジ。


「うおわ!」

 そしてすぐに、振り返ったことを後悔した。

 今この時、この場所で、最も出会いたくない男が立っていたのだ。


  #


 リュウジの後ろに立っていたのは、黒いTシャツを着た体重100キロは超えていそうな巨漢だった。


 リュウジの、中学時代の同級生。時城耕太ときしろコータだ。

 背中にしょっているのは、一体何が入っているのか、パンパンに膨れ上がった黄色いリュックサック。

 着ているのは、骸骨だかゾンビだかのイラストがあしらわれた、パツンパツンの黒いTシャツ。

 胸には血のついたスマイルバッジを付けている。

 リュウジの友達の中でも、一番頭が沸いて・・・いる男なのだ。


「こ、コータ。お前も無事だったか……よかったよ!」

 額の汗をぬぐいながら、コータにそう言うリュウジに、


「そんなことよかさ、新宿の『あれ』見た? ゴシ"ラだぜ。都庁壊してたぜ!」

 興奮した様子で、コータがまくしたてた。


「おいおい……ちょっとまて……」

 あわててコータにそう言おうとしたリュウジだったが、


「ちょ~~イケてんだけど! 『機龍』とか『護国聖獣』とかさ、早く出てこねーかなあ!!!」


 ピキピキピキピキッ


 リュウジは、空気の凍る音を聞いた。


 ジーーーーー……!

 ふり向けば、理事長と茉莉歌が、両の目から殺気を漲らせながら、物凄い顔でこちらを睨んでいるのだ。


「ちょおま……やめろっ! しゃべるなっ!」

 リュウジは必死でコータを制する。


「(小声)一応聞いとくが、『あれ』が起きてから、変な願い事とかしてないよな?」

 そう訊くリュウジに、


「(大声)もちろんさ! 一人一回だろ? よーく考えて決めないとな! ……ゾンビとか出てきたら、超かっけーんだけどな! そしたら俺、メタルマンのスーツ着て、やつらを皆殺しにしてやっぜ! あー、もう死んでっかゾンビだから! あははははーーーー!」


 ……だめだ! 殺されるっ!

 理事長と茉莉歌が、まるでゴキブリを見るような目でこちらを見ていた。


「……くまがや……」

 理事長がボソッとそうつぶやくのが聞こえる。


「ちょままままって、待って下さい!!」

 リュウジは慌ててコータの襟首をひっつかんで、


「おわ! なんだよリュウジ!?」

 面食らうコータを、体育館裏にひっぱり込んだ。


  #


「いいかコータ! 漫画だけじゃなくて、少しは空気も読め! 周りの奴のことを見ろ!」

 体育館裏で、コータを絞り上げるリュウジ。


「姪っ子と俺はなあ、家族が新宿で行方不明なんだぞ。あんなこと言われて、どんな気分になるか考えろよ!」

 リュウジはコータを睨みつけて、彼に説教をした。


「わ、悪かったよリュウジ。そこまで考えてなくて……でもさあ、スーパーヒーローはいい考えじゃね? みんなの助けになるし!」

「…………!」

 リュウジは、恐竜に喰われて惨死した蝙蝠男ダークナイトの事を思い返していた。


「だめだ! いいか、周りが落ち着くまで、願い事のことは絶対に考えるなよ! 口にもするな! ……でないと絶交だからな!」

「そんな~……! わかったよ。な、これやるからもう怒らないでくれよ。まだ、読んでないだろ?」

 コータは泣きそうな顔でそう言って、リュックの中から『電撃ホビー』の今月号を取り出してリュウジに手渡したのだ。


「コータ……」

 リュウジも少し、すまない気持ちになった。

 趣味も同じだし、中学時代からの親友だし、決して悪い奴ではないのだが。


  #


 日が沈んだ。『あれ』が起きてから、東京は最初の夜を迎えようとしていた。

 聖痕十文字学園に避難してきた人々も、体育館や校舎の教室に身を寄せていた。


 理事長は日の名残りも消えかかった校舎の屋上に立って、多摩の市街を見下ろしていた。


「炎浄院さん……」

 理事長の後ろには、リュウジが立っている。


「コータには、しっかり言い聞かせましたから。もうアホな事は言わないと思います……」

「うむ。感心できない男だが、君が言うならいいだろう、彼は君がちゃんと面倒見ろよ」

 理事長の言葉の端には、まだ怒気が滲んでいた。


 リュウジは、街の灯を見た。

 丘陵地帯に建った学園の屋上から見下ろす多摩の夜景は、各所から不吉な火の手を上げてはいても、それでもなお宝石をまき散らしたような輝きを失っていない。


「こんなことになっても、電気やガスは無事なんですね……」

 改めて見る自分の街の意外な姿に驚嘆の声を上げるリュウジに、


「そうだ。ガス、電気、水道。どこかの誰かがインフラの維持管理を願っているのだ。特別な事ではない。常日頃からそうなのだ……」

 理事長は、感慨深げに頷きながら彼に答えた。


「見給え、如月くん。『善き願い』もまた確かに実現している! 目立たないだけなのだ!」

 理事長が毅然と、リュウジに言う。


「それにしても、炎浄院さんがあんなことを考えていたなんて……」

 リュウジは、先刻の理事長の演説を思い返していた。


 俺たちが、世界を、『直す』……!

 リュウジは、英雄的な高揚感に頭がクラクラした。


「如月くん。君も察しているかもしれないが、私はこれから、災禍の鎮圧に役立つ人物を探し出す、もしくは『造り出す』つもりだ……」

 理事長は、街の灯を見ながら言った。


「君に、それを強いるつもりはない。水無月君の世話もあるし、ご家族の事も心配だろうからね。だが頼む。誓ってくれ……自分の願いを、絶対によこしまな私心や、場当たりな浅慮から使わないことを!」

 理事長は静かに、だが切実な様子で、リュウジにそう言った。


「……わかりました。炎浄院さん」

 リュウジは理事長に一礼して、彼のもとを去った。


 リュウジが去った後もなお、理事長は屋上に立ち、夕闇に禍々しく燃え立つ火の手を、各所に上がる黒煙を見つめ続けていた。

 そして見ろ、いつからだろうか。

 理事長の頬を、滂沱の涙が伝っていた。


「すまなかった……。那美なみ……!」

 理事長は、災禍の最中に消えた妻のことを思っていた。


 病を得て、余命いくらもなかった妻の那美は、あの朝、新宿は聖痕十文字大学病院にいたのだ。

 『あれ』が起きた時、すぐにでも那美の元へ飛んで行くべきだった。


 だが、眼前にひろがった目を疑うような怪事と、自身に迫った危機に、理事長は、咄嗟に己の保身を願ってしまったのだ。

 程なくして理事長は知った。

 病院が、新宿を襲った『ゴシ"ラ』と、地下から立ち現われた『バスターアルティメス』の格闘に巻き込まれて、倒壊したことを。

 理事長は、天涯孤独となった。


「せめて、最後は静かに見送ってやりたかった……。それなのに……!」


 よりにもよって・・・・・・・『ゴシ"ラ』だと!!!


 理事長の、やり場のない悲しみと憤懣が、『ゴシ"ラとか・・好きそうなボンクラども』に向けられたのも、無理からぬ事だった。

 (『バスターアルティメス』とかは、よく知らないからだ)


 理事長はキッと夜空を仰いだ。

 『あれ』が起きてから、空には常に緑色や紫色やオレンジ色の、ボンヤリとした光点がいくつも見えるようになっていた。


 月でも、星でも、太陽でもない。

 これも、人間が願ったものなのだろうか?


「見ていろよ!」

 理事長は唸った。

 空に浮かんだ光点が、なんだか理事長を嘲笑う目のようにも思えてきた。


「神だか何だか知らないが、こんなことを仕組んだ奴はろくでなし・・・・・だ! 『ライダーとか』見てる連中と同類、考えなしの頓珍漢とんちんかんだ! 人間が、こんな怪異に惑わされない、理性の光で闇を照らす存在なのだと、お前らに知らしめてやろう!」

 天を仰ぎ、天を指し、炎浄院理事長は敢然と天に向かってそう言い放った。


 ……だが、理事長の燃え盛る闘志も情熱も、それから数日を経て無残に潰える事になる。


 さらなる苛烈な運命が、彼を襲ったのだ。

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