第22話 この人は、いつだって論外なのよ

 人好きのしそうな柔らかさで微笑む彼を前にして、私は軽く膝を折り、礼をとった。

「ご挨拶に伺えておらず申し訳ありません。ロウリエの妻、カザリア・フォル・アナシス・ケルシュタイードと申します。今宵は、お招きいただきましたこと、お礼申しあげます」

「いえ、こちらこそ。何かと忙しく今夜は、会場を出たり入ったりしていたものですから、見かけなかったのも道理でしょう。こちらこそ、うまくお伺いできず失礼いたしました。父からいらっしゃっていることは伺っていたのですが」

 言いながら彼は、差し出していた手をさりげなく引いてくれ、背後にまわした。すぐに応じなかった私を慮ってくれての動作だろう。

 想像していたよりもずっと物腰が丁寧で好青年のように思えた。王家に目をつけられている今の状況でなかったのなら、ころっと恋に落ちる令嬢も多かったかもしれない。チュエイル家の当主から感じたようなあからさまな敵意は、彼からは今のところまるで感じられない。

 ただ、確かに今夜このチュエイル家内でも毒が手渡されたのはロウリィの反応を見る限り疑いようがなく、エンピティロに着いてからこれまで幾度となく現れた刺客の多さは、数え出すときりがない。加え、馬車でロウリィとルカリオの言いようからも、素直に信用するにはいくらも足りないのが、残念ながら事実だった。

「楽しんでいただけていますか?」

 ベルナーレは、なおも、こちらを気遣うように聞いてくる。

「どうやら押しきられたみたいですね」と、苦笑した彼の視線の先では、ちょうどロウリィとティアンナが互いに向きあい辞儀をして、躍りをはじめるところだった。 

「大方、“兄にはすでに相手がいて、父では恥ずかしいと娘に言われた”とかなんとか言って言いくるめたのでしょう。いつも調子がよいから、あの人たちは」

 ただ少し意外でしたね、と彼は続ける。

「今まで何度か招待しましたが、ご領主がどなたかと踊っていらっしゃるのを拝見したことはありませんでしたので、単にお嫌いなのかと思っていました」

 いいえ、と私はうち笑う。

「お恥ずかしながら苦手なのは私のほうなのです。今夜もそのため遠慮させていただいておりました」

「そうでしたか」

 さも意外そうに頷いたベルナーレは、橙の瞳で探るように私を見つめる。

「ですが、あなたに苦手と感じさせる、これまでの相手方のリードが悪かったのでは?」

「ええ、そうかもしれませんね」

「試してみます?」

 にっこりと涼やかに笑って、ベルナーレは、再び手を差し出した。

 はめられた、と気づいたものの、時すでに遅し、だ。主催である彼の申し出を、領主の妻として、二度も断るわけにはいかない。

「私、あなたの足を踏んでしまうかもしれませんわ?」

「構いませんよ」

 はっきりとしたあからさまな抵抗は、やはりあっさりと交わされてしまう。

 観念して手を重ねると、彼は軽く私の指先に口づけ礼をとった。

 ちょうど前の一曲が終わるのを見計らい、連れだって広間に入る。入れ替わりに、広間を後にしたロウリィとティアンナが、少し驚いた表情でこちらを見たのが目の端に見えた。

 音楽の開始と共に、互いに辞儀をする。いくつか手順に則ったステップを踏んだ後に、導かれるままにベルナーレに手をとられ、寄り添いながら踊る。自分で言うだけあり、彼のリードは一切の無駄がなく、うまかった。

 意外と言えば、と、ベルナーレは私を見つめながら、言った。

「伺っていたよりも、ずっとあなたが美しくて驚きました」

「刺客を倒すとは思えない?」

「ええ、そうですね」

 私を導きながら、彼は器用に、愉快げに笑う。

「ご領主には、これまでもとんだ目に遭わされていましたが、あなたがこれ程なら、無理もない」

「とんだ目、ですか?」

「人の庭で花火をうちあげたりとか、あやうく煙でいぶり殺されかけたりなどでしょうか?」

「……ご冗談ですよね?」

 あの温厚で、ぽやぽやとしたロウリィと、ベルナーレが口にした何とも物騒な所業がうまく結びつかない。結びはつかないが。

「さぁ、冗談で花火を打ちあげられても。ねぇ?」

 そつない笑顔で同意を求めてくるベルナーレに、私も可とも不可とも取れない微笑みを浮かべるしかない。

 ここまで言ってくるのなら事実なのかもしれない。正直、ケルシュタイード家の過去の功績を知っている以上、の面ではとは言いきれないところがある。ロウリィ自身はとても扱えそうにないけれど。

 促されるまま、くるりとまわる。その際に、ステップを崩して、思わず相手の足を踏んでしまった。謝れば、彼は「いいえ」とささめいて、私の手をとり体勢を立て直すのを手伝ってくれた。

 宣言通りですね、とベルナーレは私の耳元でおかしそうにささめく。

「本当にお美しい。あなたに、あのご領主では釣り合いがとれないでしょう」

「あら。なら、どなたなら私に釣り合うかしらね」

 くすり、と零して、私はベルナーレを見あげた。恐らく勘違いではない。あまく、あまい響きを帯びた囁きを肯定するように、彼は私を見つめている。

 一足繰り出した先で、相手に足先があたってしまう。私の足取りを補うように腰を支えてくる彼の所作は嫌みがない。

 それで、と結局、先に口火を切ったのは、私の方だった。

「ここへご招待いただいて、こうして踊りにも誘っていただいて、何か私に用があったのでは?」

「用というよりも、単純にお会いしてみたかったのですよ、あなたに。どのような方か話してみたかった」

「それなら、目的は達成ね」

「ええ。ですが、よろしければこの後も、あなたとこのまま話ができればと思います」

「……残念だけど、私はなびかないし、夫も何とも思わないと思うわよ」

「何のことです?」

 ベルナーレは素知らぬふりをして尋ねてくる。なるほどロウリィたちが言っていたのはこのことかと理解する。

 なら、と私は口を開いた。彼が思い描く思惑にわざわざこちらが乗ってあげる義理はない。

「わかりやすく言わせていただくわ。これからとても失礼な発言をするけど、どうぞご容赦くださいね」

 にっこりと笑って私は宣言する。

「あのね。あなた程度で私に釣り合うと思っているのなら大間違いよ。私が選んだひとは、もっと小憎たらしくて、もっとかっこよかったもの。残念だけど、あなたくらいなら見慣れているの」

 だからごめんなさいね、と言ってやれば、ベルナーレは橙色の双眸をわずかにすがめた。

「それは、あの領主を言っているので?」

「まさか。あれは、ぽやぽやだから論外よ。論外だからいいの」

 ふふふん、と不適に笑ってやれば、相手はますます怪訝気な顔になっていく。それが妙に小気味よかった。

 この曲もそろそろ終盤に差しかかる。やはり苦手な躍りに挑戦するものではないと思い知らされた。私の足も限界で、あと少しで退場できそうなことにほっとする。

 ベルナーレが何かを言いかけたのと、私の足が彼のかかとに勢いよく踏まれたのはほぼ同時だった。

「きゃっ」

 驚いたベルナーレが、ぱっと手を離す。とたん私の身体は嘘のように体制を崩した。慌てたベルナーレが私の腕を引きつかんで、危ういところで引き戻し支えてくれる。

 ありがとう、と礼を告げれば、私の背を支えてくれている彼は呆然と立ちつくしているところだった。

 近くで踊っていた組のいくらかが、私たちに気づいて足を止めていた。

 曲の終わりと共に、旋律が止む。

 流れを止めるわけにもいかないので、周囲の動きにあわせ、私たちも互いに形ばかりの礼をとった。

 挨拶が終わったのを見計らって、やってきたのはロウリィだった。両親のもとへティアンナを預けてきたようで、彼らも離れた場所から心配そうにこちらの様子を見守っている。

「カザリアさん、怪我は?」 

 どこか慌てた口調のロウリィに、私は頷く。

「平気よ、少しあたっただけだもの」

「よかったです。ベルナーレさんは、平気ですか?」

「問題ない。大変失礼した」

 ロウリィの問いかけに応じて、ベルナーレは私たちに対して頭をさげる。固い口調で非礼を詫びる素直さに、わずかばかり虚をつかれてしまった。

「お気になさらないでください。そもそも私が誤ったところに足を出してしまったのでしょうし。それこそ私は、何度もあなたの足を踏んでいますわ」

 ほらね私、躍りが苦手だから、と付け加える。

 それよりも移動したほうがよいと私が促せば、ベルナーレは侍従を呼び、近くの小部屋をあけるように命じた。

「どこかひねっていらっしゃるかもしれません。休んで様子を見たほうがよろしいでしょう。今日はもう、私もおとなしく失礼いたしますから。気兼ねなく」

 最後に再び謝罪をして、ベルナーレは別の侍従に私たちの案内を任せた。

 ロウリィがベルナーレに礼を述べ、私たち夫婦は案内役に続いて会場をあとにする。

 私は、ロウリィの腕に手を添えて、ね、と目配せをした。案内役には聞こえぬよう、ひそりと声をかける。

「これって罠かしら」

「さすがに罠じゃないと思いますよ。ベルナーレさん、ずいぶん驚いてましたから」

 そう、と呟けば、カザリアさん、と困ったようにたしなめられた。



 案内されたのは小さな個室だった。訪ねてきた客人を通すまでの控えの間として使われているのだろう。

 ゆったりとした布ばりの椅子に腰かける。そうするよう私に促したロウリィは、私の前に片膝をついた。

「手を」

 言われるままにロウリィに両手を差し出した。一本ずつ丁寧に腕の向きを変えて異常がないか確かめているロウリィを眺める。

 そういえば、今日みたいに髪をなでつけているなんて珍しいなと思う。結婚式以来かもしれない。つい触りたくなってしまったけど、やめておいた。そもそも両手を預けている今、勝手に手を動かすのもためらわれた。

「足は」

「問題ないと思うわ」

「少し触りますよ」

「ええ」

「痛むところはないですか」

「ないわ」

 両脚とも確認がすんで、ようやく最後にゆっくりと左脚をおろされる。足裏が床についた時、ほんの少し先日、怪我したところが痛んだ。悟られないよう、私は息をつく。

「最近よく怒るのね」

「困っているんです」

「悪かったとは思っているわ」

「……カザリアさん。やっぱりわざと踏ませました、ね?」

「……やっぱり見えていた?」

「見えはしませんけど。そりゃあ、毎日、カザリアさんが家で刺客をやっつけているのを見てたら、なんとなく、察しはつきます」

「いろいろあったから、日頃のおかえしをしたくなって、つい」

「つい、じゃないです。他人に恥をかかせるあんなやりかたは感心しません」

「はい。さすがに、やりすぎました」

「今回はどちらにも怪我がなくてよかったですけど」

 反省してください、と諭され、ロウリィに両手をとられる。

「ごめんなさい」

 謝まると、ロウリィは今度こそ溜飲を下げたようだった。

「いいですか、今度同じことをしたら……そうですねぇ、僕もベルナーレさんとか刺客の皆さんの足をひっかけにいきますからね」

「え、そんなことになったら屋敷中のみんなに私が怒られちゃうじゃないの」

「困るでしょう」

「困るわね」

「まぁ、その前にひっかける練習をしなきゃいけませんけど」

 まだ殺気も見えませんしねぇ、とロウリィはふややんと言い添える。

 笑ってしまった。本当に心から反省していたはずなのに、つい。

「まだ怒ってるんですよ、無茶するから」

「ねぇ、わかってるから。ごめんなさい」

 困ったような顔になったロウリィの肩に額を添えて、私は必死に笑いをこらえる。

 カザリアさん、とどこか呆れを含んだ声がすぐ傍で聞こえる。その声が、どうしようもなく私に穏やかさをもたらして、私は返事のかわりにロウリィの手を握りかえした。

 ほらね。比べるまでもなく、誰とも比べられなくて。この人は、いつだって論外なのよ。

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