第11話 昨日のは、ただのホームシック
さんさんと降り注ぐ陽光。爽快なほどに晴れ渡った青空。風が吹けば確かに冷たさを感じはするけれど、背に浴びる日差しはぽかぽかとして気持ちがいい。
本当に、なんて草取り日和なのかしら、ねっ!
「――ちっ」
「ひっ!」
背後から聞こえた悲鳴に思わず半眼で振り向くと、さっきから手持無沙汰に突っ立っていたスタンが顔を引きつらせていた。
「ちょっとスタン。さっきから私が雑草を抜く度に悲鳴あげるのやめなさいよ」
「それなら、奥様。さっきから雑草を抜く度に舌打ちするのやめてくださいよ。怖いんですって」
「だって、この根っこしつこいのよ!」
「わかりました。わかりましたから!」
「むーかーつーくー!」
引っこ抜いたばかりの雑草を、力任せに雑草だらけの小じんまりとした山へ投げつける。冬だからか、庭が広いと言えど生えている雑草は少ない。
日頃からルーベンが丹念に世話してくれているせいもあって、さらに数が少ない上に背丈も低い。
それでも、表面上は頼りなくちょびっとばかりしか芽が出ていない雑草も、存外根が地中深くまで伸びてしまっているらしい。
「今朝方まで熱も出てたのですから、暴れないでくださいよ」
「熱は引いたからもういいのよ。大体暴れてないでしょう? 草取りをしてるだけで」
反論して、またぶちりと草を引っこ抜く。
そうなのよ。結局、私はあれから熱を出して寝込んでいた。だから、そうなのよ。そうにちがいない。間違いない。
「昨日のは、ただのホームシック」
「はい?」
聞き取れなかったのだろう。「何か仰いました?」と尋ねてきたスタンに「何でもない」と首を振る。
だって、そうなのよ。これしか思いつかないもの。
お義母様と話したせいで、私の中に変な流れができちゃったんだわ。そう、そうしなきゃいけない雰囲気のような、空気のような! それに、王都からこっちに来て二カ月半だもの。お義母様の口から両親の話が出たから無意識のうちに寂しくなってたのよ。
あとは、あれよ。あれ。毒を食べちゃって私すごく不安になっていたんだわ。その上、あの毒が催涙効果付きだったから、意味なく流れる涙の分、なんだか悲しくなっちゃったんだわ。人恋しくなってただけなんだわ。
だって、私、別にロウリィが好きではないもの。
いえ、人として好き嫌いのどうとかではなく。恋愛ありきの結婚ではないものということで、好きなはずがないと言うか、うん、やっぱり好きなわけではないわね。
そうだ。つまり、昨日思わずとってしまった行動は、ホームシックだったからなのだ。
「――にしても、むかつくことには変わりないわね」
仮にもだ。そこに何の感情も入っていないからと言って、妻からの誠意を全力で拒否する夫がどこにいるんだ。
自分で言うのも何なのだけど、一般的には美人に入る部類だと思うのよ、私。と言うよりは、自分でもそうなのかと納得するくらいには、周りから褒められてきたのよ、一応。
なのに、何の不服があるんだこんちくしょう。貰えるものは、ありがたく受け取っておきなさいよね。
「ちっ。ロウリィなんか、ただのぽやぽやのくせに……!」
「あっははー。昨日は、ロウリエのことで災難でしたねーえ? 奥様。せっかく奥様が、あんなに頑張っていらしたのに」
いつの間にやって来たのだろう。スタンまでびっくりしているということは、気配がなかったのは間違いない。昨日も思ったけど、ルカウトもとことん胡散臭いわね。何者なのかしらって、ロウリィの侍従であることは間違いないのだけれど。
「というのは置いておくとしても、昨日覗いていたってことよね?」
あいかわらず表情筋を動かす気がないらしいルカウトは、是とも否とも答えず小首だけ傾げてみせた。
「あんな娯楽を見逃す手はありませんねぇ」
「――っ、と言うことはスタンも?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、奥様。中で何があったのかは知りませんが俺は無実です! 無実! 領主様が奥様から叩きだされたところは目撃しちゃいましたけど。覗こうにもルカウトさんがぴったり扉の隙間に直立不動で張り付いていましたし、ルカウトさん背が高すぎて肩越しにだって見えませんでしたよ」
つまり覗く気はあったってことか。とりあえず普段のバノに倣って、スタンの頭をはたいちゃだめかしら。
ああ、でも。
「なんかもう本当にどうでもいいわ」
「ちょ、ちょっと奥様、どうしたんですか! 膝抱えてうずくまるなんて、らしくないですよ!」
だって、考えるのが面倒になってきたわ。少なくとも嫌われていない自信はあったはずなんだけど、考えたら考えた分だけ思考が暗く落ち込んでいくんだもの、柄にもない。そもそも、どうして私がこんなことで落ち込まなければならないのだ。
さっきから変わりなく背に当たる日差しは、ぽかぽかよりもじりじりとする。
「おや、どうかなさいましたか?」
しゃくりしゃくりと砂を踏む足音が近づいてきて、穏やかな声が降り注ぐ。顔をあげると、空のじょうろを片手に持ったルーベンが優しげな顔をして向こうからやって来ていた。水やりを終えたのだろう。彼の視線が、ふと脇にずれたかと思うと、「ああ、こんなにたくさん雑草を取ってくださったのですね。助かります、奥様」と、ルーベンは目を綻ばせた。
それから、ルーベンは腰をおろして膝をつくと、じょうろを地面に置いた。「もうそろそろ冷えますし、中に入りましょう」と手を差し出してくる。
ルーベンが纏っている落ち着きって、どうしてこんなにも不思議なのかしら。何もかもゆるゆると零れ落ちてしまいそうだわ。
「ルーベン」
差し伸ばされた手を取る。草取りをしていたから、庭仕事用の手袋をはめている手は土にまみれていてとても申し訳ない。
「はい」と、ルーベンはやはり静かなぬくもりのある声で応じてくれた。
「ルーベン。私、ロウリィに嫌われているのかしら」
ぽつりと零してしまった私の言葉を聞いて、ルーベンは目を丸くした。だが、彼はすぐに目元を柔和に打ち崩す。それは、まるで仕方がないですね、と苦笑しているように。背をぽんぽんと励まされてから、立つようにと手ごと引きあげられた。
「もしもそうならば、夜もつきっきりで看病するなんてことはなかったでしょうよ」
――ああ、もう、胸に広がる安堵感は、どうしたものだろう。
「申し上げておきますが、ロウリエの薬は完璧でしたからね? 奥様の熱が出たのはロウリエの過失ではなく、ただ奥様が泣きすぎただけですからね? そこのところお間違いなく」
「…………」
人が感動している時に何が言いたいんだ、何が、とルカウトを睨めば、「奥様が熱を出したせいで、ロウリエの薬の効能が微妙に疑われている気がして非常に納得がいきませんからねぇ」と、しれっと答えられた。
それは、どうも悪ぅございましたね。
「――私、ルーベンと結婚すればよかったわ!」
掴んでいたルーベンの手をぎゅっと握る。
「それはそれは、光栄なことにございますね」
ルーベンは、顔だけで打ち笑った。傍では、スタンがぎょっとしていたけれど、ぽやぽやぽややんしてるロウリィといつも温和で優しいルーベンなら、断然素敵紳士の庭師ルーベンを取るに決まっているじゃないか。当り前だ。
「ありがとう」と礼を述べたら「はい」とルーベンに返された。もうルーベンの手に支えられなくてもちゃんと立っていられる。
意識して、しゃんと背筋を伸ばし、私は「それで?」と問いかけた。ルカウトは、ちらと視線を寄こす。
「用があって来たのでしょう? 何」
「ええ、奥方様がお呼びでした」
「お義母様が?」
「はい。――っと、ですが、少しばかり待っててください?」
ルカウトが一歩踏み出したのと、私が持っていた根っこ付き雑草を投げつけたのは恐らくほぼ同時だった。
弧を描いて雑草が落ちていった茂みから、「――ぃっ!?」と声が上がる。ルカウトは、一言もしゃべらずスタスタと歩いていって、そのまま茂みの中へ消えた。
「さすが、奥様お見事ですねーえ? まさか今朝まで寝込んでいたとはとてもじゃないけど思えません」
次にルカウトが姿を現した時、彼は見知らぬ中年の男を後ろ手にねじり上げていた。根についていた土が目に入ったのだろう。捕らえられた男はしきりに目をつむって涙している。
スタンが慌ててルカウトの元へ駆け寄り、不審者の身柄をルカウトから引き取った。ルカウトは「おお、痛」と自身の右手首をぶらぶら振り、「じゃあ、それ、責任もって捨ててきてくださいねーえ?」と、スタンに言い渡す。
「お、お待ちください!」と叫んだのは、他でもない目を赤く充血させて泣きながら拘束されている男だった。
「今回は、主人からの手紙をお渡しするため、私がこちらへ寄こされたのです! それだけなのです! 正式な訪問なのです」
どこが正式な訪問だ。大体、茂みにこそこそと隠れていたことからして、どう考えてもおかしいだろう。けれど、男が訴える場所をスタンに探ってもらうと、確かに彼は封蝋のしてある正式な手紙を持っていた。蝋の押印から見て、チュエイル家の者であることだけは、間違いなかったらしいが。
拘束を解かれたチュエイル家じきじきの使者だと言う男は、スタンから手紙をひったくるように取り上げた。手紙の無事を確認すると、ほっと一息をつき、丹念に皺を伸ばしはじめる。
「正式な書状なら、なぜ正門からではなくこのように庭からまわってきたりなどしたのです」
無断で入って来た時点で捕らえられても文句は言えないことなど、さすがに理解しているだろう。尋ねてみると「あわよくば領主の奥様を誘拐してこいと言われましたので、機会を狙っておりました」と使者は素直に事情を述べた。正直者にも程があるだろう。何より、それは使者ではなく誘拐犯だ。
呆れてものが言えないでいると「奥様に」と、目の前に手紙が差し出された。
受け取ろうと土だらけの手袋を外し、手紙に指を伸ばす。が、なぜか横からも別の手が伸びてきた。
「何」
自分とは違う手の主に目を向けると、ルカウトは肩をすくめた。
「奥様こそ何ですか」
「だから、手紙を受け取るのよ。だって、これ、ロウリィ宛てじゃなくて完全に私宛てじゃない」
そうなのだ。封筒に書かれているのは『カザリア・フォル・アナシス・ケルシュタイード』――つまり、私の正式名が流麗な字で表記されていた。
「えぇー」と、ちっとも感情などこもっていない声で、ルカウトが不服を訴える。
「奥様、昨日の今日で不用心ですよ」
「ルカウトに封を切ってもらうくらいなら、自分で切るわよ。悪いけど、あなたは信用ならない」
「なんと。幼少の頃よりロウリエが一番信を置いている者こそが、このわたくしでありますと言うのに」
「……余計信用ならないじゃないの」
だって、あのロウリィよ。ロウリィが信用ならないと思っている訳ではないんだけれど、ロウリィのぽやっとした感覚は、ちょっと信用していいのか疑わしさ満載じゃないか。
「ロウリエがぼけっとしてるのは、自分の身の回りだけで、他は割としっかりしていると思うんですがねーえ?」
「それが一番の問題じゃないの」
とにかく、私が名指しされている以上は私が読むのだ。ルカウトに取られる前にと手袋を彼に押し付け、手紙の方はさっさと自分で受け取ってしまうと、「まぁ、わたくしはいいんですけどねーえ?」と初めて笑われた。
チュエイル家が私を指名してくるなんて、一体何の用だ。
「‟ベルナーレ・ホウジ・ティレ・チュエイル”?」
「チュエイル家のご子息ですよ。チュエイル家次期当主なおぼっちゃんです」
封筒を裏返して頭を捻っていると、ルカウトが説明してくれた。
そうなの、と納得して、封を切る。香が焚きしめてあるのだろう、開いた瞬間、淡く凛とする香りがした。
「チュエイル家では毎年新年の訪れに祝賀会を催しているのです。よろしければ、奥様にも参加していただきたく。もちろん領主様におかれましては拒否権がございませんが」
手紙に目を滑らせていると、使者が文面にある内容と同じことを口上で述べた。日時はちょうど一週間後。
「ロウリィは本当に行くのかしら?」
「さーぁ? 無視することはいくらだって可能ですけどねーえ?」
「ならば、今回はチュエイル家の不戦勝ということで」
「行かせます」
使者がほくそ笑みながら言った言葉に対し、ルカウトはきっぱりと前言を撤回した。
「ちょ、ちょっと何言ってるのよ!?」
「そうですねぇ、奥様の言葉を拝借させていただくと、今すごくむかつきました」
ははは、とルカウトは無表情のまま不気味に声だけで笑う。
あ、頭が痛い。自ら主を敵の陣地に送りこんでどうする。しかもロウリィの場合どう考えたって負ける確率ほぼ十割じゃないか。
「ま、どちらにしろ、そちらさんの言う通り断われはしないでしょう。チュエイル家ってしつこぉーいんですよ? 奥様は知らないかもしれませんがねーえ?」
そりゃあ、一日とて日も置かないうえ、日がな一日中あれだけわらわら屋敷中に湧きまくっていたら、しつこいのは充分理解せざるを得ないけど。
「なら、私も行くわ」
「奥様!」と、スタンが頓狂な声をあげた。ルーベンも心なしか眉をひそめているように思う。
だって、間違ってもロウリィ一人で行かせるわけにはいかないでしょう。
手紙を畳んで元通りに封筒にしまう。
「まだ、正式に返事はできないけれど。本当に行くのか一応ロウリィにも聞いてみなくちゃいけないから」
行かないなら行かないで、それならそれがいい。それが一番平穏ではある。
「――ということですので、今日はこれにてお引き取りください。数日中に、こちらから正式に返答させていただきます。確かに手紙は受け取りました、ということだけベルナーレ様にお伝えいただきますよう」
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