宇宙おきらく所沢

さわだ

宇宙おきらく所沢(上)



地球に生きている人間は常に将来に不安を抱いている。

不安とは人類に与えられた業らしい。


「明日、ご飯を食べられなくなったらどうしよう?」


「明日、巨大な地震が起きたらどうしよう?」


「明日、地球に巨大な隕石がぶつかって地球が崩壊したらどうしよう」


とか。


「明日、自分たちより優れた文明を持つ宇宙人に攻められたらどうしよう?」


などと有りもしない明日の事を考える動物は地球上で人間だけだ。

明日の不安に対抗する為に、人類は今日生きるのに必要以上の事をする。

狩猟生活のように今日のご飯だけを獲るのではなく、農耕によって必要以上に作られた食料は蓄積されて多くの人を安定的に養う事に繋がり、人類は地球上のどこにでも生息する最大の勢力になった。

この様に不安は人類最大の力であり友であり敵なのだ。

人類はいつも不安から逃れる為に生きて、不安に怯えながら死んでいった。

古い木造のアパートの一室、そんな不安とは一見無関係そうな青年、杜若実篤(かきつばたさねあつ)は平日の昼間、難しい顔をしながら畳の上で仰向けになりながら寝ていた。

座椅子前の机の上には参考書とノートがそのままになっていて、実篤は座椅子の背もたれを倒してそのまま寝ているのだが、たまにうなり声を上げながら寝返りを打っている。

夢の中で彼、実篤が見ている景色はいつもの自分が住んでいる街、埼玉県にある所沢の景色だった。

典型的とも言える都内近郊のベッドタウン、もちろん細かい特徴、たとえば私鉄による開発が盛んで日本に十二球団しかないプロ野球チームがあるとか、昔初めて日本で飛行機が飛んだ場所という事になっていたりとか(本当は所沢で飛ぶ前に、輸入した飛行機が飛ぶか横浜でテストしている)。細かい話だったら幾らでもあるが、鉄道の沿線に従って街が広がっていく日本のどこにでもある街だ。

実篤はそんな所沢で生まれて育った。

だからこの所沢という街の事については大体知っているつもりだった。

しかし夢の中の街はいつもと様子が違っていた。


「ここはどこだ?」


目の前にはいつも買い物に来る古いスーパーがある。手前には商店街の入り口で、古い銀行の建物と数年前に出来たビル丸ごと借りている新古書店が見えて、小さな商店街の入り口の前に実篤は立っていた。

駅に続く商店街の入り口は、それなりにいつも人混みがあって、それなりに賑やかなのだが、実篤が立っている周りには誰ひとりとして居なかった。

商店街の手前にある入り口が狭い古い建物の時計屋も、今時に亀の子タワシ打っている雑貨屋も普段から人気は少ないが、今は微塵も感じられない。

実篤は自分がなぜここに立っているかの実感も湧いていないが、それよりも車も通らない、動いている物が何も無い街の風景にただ見とれていた。


「所沢だよな?」


自分の生まれ育った街、地元の名前を呟きながら、誰もいない街を歩く。

真夜中や早朝に同じ場所を歩いても誰か一人くらいはコンビニに人は居たり、深夜配達のトラックが止まっていたりする。

多分日本の都内近郊のベッドタウンだったら太陽が出ているのに誰も居ない時間なんて殆ど無い筈だ。

人影なく誰もいない街は不気味を通り越して現実感が無かった。

実篤は頭に感想を思いつく前に一歩踏み出した。とりあえずこの目の前に広がる景色を少しでも把握しようと歩き始めた。

そして、一歩踏み込むと同時に足は地面に着かなかった。


「なんだ?」


そのまま実篤はバランスを崩して前のめりになって地面に転げ落ちる。そう普通の地球上の物理常識だったらそのまま顔や膝を地面にぶつける筈が、実篤の体は腰辺りを回転軸に宙に浮いたまま回転し始める。


「なんだよ、どういう事だよ!」


実篤はゆっくりと縦に回り始める。その姿は溺れているのか器用に踊っているのかよくわからなかった。

そして実篤は何度か縦に体が回転して、頭が地面を擦るスレスレのところで何度もすれ違う。


「ちきしょう!?」


不思議な動きを止めようと逆さまになりながら手を伸ばすと、その時にはもうアスファルトには手が届かなかった。


「おいっ、ちょっと待て」


逆さまになった実篤の視点は徐々に高くなっていた。いやこの場合は逆さまになっているので、地面から離れていったというべきなのだろう。

気がつけば実篤は周囲の建物よりも高いところで、道路の真ん中で逆さまになって宙に浮いていた。


「何だよコレ……」


何も掴む事が無くただ逆さまに宙に浮きながら、実篤は手足を動かす。

しかし体は手足を動かす程、訳の分からない方向に回転運動を始める。


「あーもうなんだよこの夢は!」


夢以外にこんな非現実的な感覚を得られる場所があるのか分からず、実篤は大きく叫んだ。

でも、宙に浮きながらもやけに現実的な景色、いつも暮らしている街の風景、五階、六階建ての小さなビルや大きなスーパー、商店街へ続く道が頭上に広がっていた。

黒いアスファルトが実篤の頭上にある。

首をいっぱいに伸ばして、実篤は頭上のアスファルトを見ていた。


「なんだこの夢は?」


グルグルと回る景色の中、実篤は考えても出てこない答えを探していた。


「いてえ」


実篤の頭に何かあたった。

何だと頭を抑えながら、空の方に視点をやるとゆっくりと小さなアスファルトの欠片が空へと吸い込まれていった。


「アブねえ!」


空に吸い込まれる様に遠くに消えたアスファルトを見ながら、実篤は今更怖くなった。


「イテッ」


今度は後頭部に重いモノがゆっくりぶつかってきた。

丸い大きな鉄の塊、道路にあった筈のマンホールだ。


「こんなモノも浮いてるのか?」


マンホールは机の上に放ったコインの様に回転しながら実篤の目の前を通り過ぎて空へと吸い込まれていった。

実篤が周りを見渡すと、もう周りのビルの高さを超えて、道路の上にあるモノは殆どが浮いていた。

自転車や道路標識、そして乗用車やトラックまで。

ゆっくりと浮かび上がったモノ達がゆっくりとだが確実に小さい物から加速度をつけて空へと吸い込まれていく。

何が起こっているのか実篤には全く分からない。

ただ目の前で行われている事を端的に表す言葉を頭の中で探していた。

テレビで見た大震災の映像みたいに目の前で起こっている事象は、テレビの中の出来事のようだった。

でも徐々に道路や建物にヒビが入り、地鳴りの様な音と共に崩壊し始めた街は誰にも止められない終局へと向かっていた。

自分に向かって上昇してくるありとあらゆるもの、アスファルトやコンクリートの塊、自動車やビルの一部、そんな瓦礫に囲まれながら実篤は上昇を続けた。

周りを見渡すと、大きな緑と茶色の塊が遠くに浮かんでいた、多分近くにある航空公園の残骸だろう。

大きな鉄塔が団子状に重なり合っているのは所沢にある航空管制施設のレーダーの鉄塔が集まったものだろうか?

自分の街を構成してた全てが自分と一緒に空に浮かんでいた、バラバラになりながらも、時には縺れ合って塊になっている。

昔やった大きなゴミを固めて塊を作るゲームみたいに、街の残骸はどんどんと大きくなっていた。

気がつくと実篤は街が米粒の様に見える高さまで来ていた。中学校にあがるまで毎年あった家族旅行で、乗った飛行機から見た景色より確実に高かった。

そのまま簡単に実篤の意識は急速に地球から離れて行った。

唯一意識を保てていたのは、とっくに宇宙に出ているのに妙に冷静だった事。

本当に宇宙に飛び出したのなら空気の無いこの空間で無防備で生きていられるわけが無いからだ。

あり得ない高さから地球を見ていた。

いや、もう高さという概念はおかしい、地球から何百万メートルも離れたところに、実篤の意識はあった。

近くには月が大きく見える、もう月の方が近いのかもしれない。


「あっ」


真空で声が聞こえない筈なのに、実篤の口からは言葉が漏れて虚空の宇宙に響いたようだった。

実篤の目の前で地球はもう粉々の塵の塊になって原型を留めていなかった。

自分が住んでいた所沢が粉々になった様に、地球もありとあらゆる場所で大地が削られて、その丸みを帯びた形状から、雲の様な外見のはっきりしないあやふやな物体に成り下がった。

意識だけの存在になった実篤には、そんな崩壊していく地球の姿がなんだか現実感のない光景に見えた。

テレビで遠い国の戦争、飢饉や台風や洪水の被害を見ている様な気分だった。

壊れていく世界。

あの細かい埃の集まりの様な塵の塊の中に自分が住んでいた街があるなんて信じられなかった。

宇宙の真空、虚空の空で実篤は足下に広がる地球が壊れていく姿を見ていた。

地球の最後はこんなにも呆気ないものなのかとボンヤリとみていると急に瞼が重くなって来た。

地球の丸みが崩壊し、塵の塊になってくると、周りの星々が輝き始めたような気がした。

これは実篤と地球の距離では地球自身が太陽の明かりの反射で輝くため周りの星が見えづらくなっていたのが、今では地球が粉々に砕けて輝かなくなっていたからだ。

全視界を満点の星々が囲んでいるのを眺めていると、なんだか実篤は眠くなって来た。

実篤が眠ろうした時、崩壊した地球の中心で何かが光り始めた。

何万キロも先の話で、普通だったら何も見えない筈だが。

実篤は急に視界が狭くなっていくのを感じた、それはあり得ないスピードで地球の中心、粉々に砕かれた地球の中心へと自分自身が吸い込まれているのだった。

濁流の様に地球を構成していたものがその一点に集まっていく、まるで流し台の洗面抜きのように辺りにあるもの全てその一点に集まっていく。

星の欠片、地球の残骸は一点に集まっていた。

その中心、大きなガスや塵の渦の中心に、実篤はこの現象の中で初めて自分以外の人影を見た。

自ら発光しているのか、光に包まれた姿が眩しい。星々のカーテンの中心にガスと塵の煌びやかなドレスを纏った少女が立っていた。

手を広げて少女はガスや塵を、粉々になった地球の残骸を集めているようだった。

残骸は不思議な力に導かれているのか、少女を中心としてその周囲に急速に集まっている。

実篤はその光景を見ながら何だか息苦しさを感じていた。

ガスや塵が集まり、一点に、少女の手の中に集まっている。その集まったガスの中心からは太陽よりも明るい光が溢れている。

そのとき少女が笑った様な気がした。

一瞬だけ実篤と目が合った。

そして少女の手元にあった光は収縮から反転して、膨張を始めた。

リンゴ程の小さな光の球は直ぐに人の大きさ程になり、その姿は教科書で見た太陽の様な姿だった。


「何を始めるんだ?」


声に出たのか実篤には分からなかった。いや、多分音にはなっていないだろう、真空の宇宙では音は伝わらないし、そもそも実篤はもう実体のない意識の様な存在だった。

それでも少女は時々実篤の方を見て笑っているようだった。

光の球体はやがて少女を飲み込んだ。

そして実篤も飲み込んで世界は真っ白になった。




「なんだったんだ?」


実篤が目を開けると、目の前には見慣れた自分の部屋の屋根があった。

ものすごく壮大なスケールの夢を見た。

実篤は狭い自分の部屋の天井を見て酷く落ち着いた気がした。

体が浮いて自分の街が粉々になって、宇宙まで浮いていった夢。

何を意識したらこういう夢を見るのか実篤には思い当たるところなんてなかった。


「どうだった?」


「どうって?」


実篤は声を掛けられて、顔に手を当てながら夢の記憶を思い出そうとした。


「何か見えた?」


「なんか宇宙が……」


そこまで言って実篤は手を退けて前を見る。目の前には自分の事を覗き込んでる女の子が居た。

実篤は飛び上がろうとしたが、顔が近かった為に躊躇した。


「誰?」


「誰?」


実篤の質問に女の子はそのまま復唱した。

覗き込んでいるので少し顔は暗くてよくわからない、ボリュームのある髪も邪魔して影を作っていた。

床に寝ていた実篤はそのまま体を起こして振り向く。

目の前には先ほど声を掛けて来た、見知らぬ女の子が浮いていた。


「なんだそりゃ?」


女の子は髪は淡いピンクの桜色に染まっていて、服はなんだかアイドルのステージ衣装みたいなフリルが沢山着いたスカートに、アクセサリーが着いたジャケットの様なものを着ていた。

だが、そんなステージの上でスポットライトを浴びれば映えそうな奇抜な衣装よりも、実篤には正座したまま自分の目線の高さに浮いている方が意味が分からなかった。


「なにが?」


女の子が首を振ると微妙に傾く。


「なんで浮いてるの?」


実篤の目の前に立つ女の子は畳敷きの部屋から膝上くらいの高さで少し斜めに浮いていた。

その姿はテレビでたまに見る無重力状態にある宇宙ステーション内部からの映像とかだったら分るが、実篤の部屋は地球上の日本国埼玉県所沢市にある古い木造アパートだ。

部屋の中が無重力な筈がなかった。


「この方が楽だから」


実篤には何が楽だかさっぱり分からなかった。


「お前何?」


「見たでしょ?」


「何が?」


「私がこの星を作り直す未来を」


「未来?」


実篤は未来を見たなんて変な事を聞くと思った。


「お前は夢の中の……」


「あれはまあ実篤達の言う所の夢みたいなものだけど、これから起こりえる時空の未来視覚だよ」


「ちょっとまて、お前なに言ってんだかまったく分からないぞ?」


「そのうち分かるって~」


女の子はクスクスと笑いながらゆっくりと空中で回転し始めた。

桜色の髪はまるで綿菓子の様に軽く宙に浮かんで、スカートの裾はヒラヒラと開いたままで、姿格好もデタラメなら、存在自体がデタラメだった。


「なんなんだよお前は?」


「だから私は……」


逆さまになって女の子は実篤と見つめ合う。


「なんだろう?」


実篤は態とらしく頭を下げた。


「説明しても良いけど多分実篤には分からないよ?」


「どういうことだよ?」


「だって頭悪いんでしょ?」


確かに頭が良いとは言い切れなかったので、実篤は無言のまま腕を組んだ。

大学受験も現役合格出来なかった負い目もあって、実篤は下を向く。


「良くはねえけど、全部が全部分からない馬鹿でも……ない……たぶん」

実篤の煮え切らない回答も織り込み済みなのか、女の子は笑いながらもう半回転して、床に横になる様に顔に手を当てながらクスクスと笑う。


「私の存在がこの実篤がいる世界で理解されるにはまだまだ時間が掛かるから、今はまあ〝宇宙開闢(かいびゃく)の奇跡に等しい確率で開いた多次元宇宙の相似性的実在認識空間の超対称性次元〟とでも思ってもらえれば……」


「全くわからねえぞ!」


「じゃあアレ、概念的にアレ」


女の子は指を銃の形に似せて実篤を指す。


「宇宙人」


語尾に星のマークが着く様な派手なウインク付きで女の子は自分のことを宇宙人だと言った。


「はぁ?」


「どうしたの?」


「俺はもう駄目だ、妄想が見えるどころか話し込んじゃってるヤバいぞこれ」


「ははヤバい~」


女の子は何も分かってなさそうに笑う。


「いくら大学受験に失敗して落ち込んでるからって、こんな子供染みた妄

想見る様になるなんてマジでヤバいぞ俺……終ってる」


実篤は声に出して自分の状況を説明したのは、自分に言い聞かせる為だった。


「終ってる、終ってる」


同意して頷く女の子。


「じゃあさ、終わらしちゃう?」


少しトーンの落ちた声。

顔を上げると女の子は居なかった。

実篤が左を見ても右を見ても女の子は居なかった。


「実篤は見たでしょ、この星が壊れるところ?」


実篤の首に細い指が添えられる。指はとても冷たくて、人の手というよりは造作の奇麗さも合わさって、何だか人形の手のようだった。

実篤が上を向くと、直ぐに女の子の顔があった。

女の子は空中に浮かびながら、実篤の首に手を回していた。

整った顔はなんだか精巧過ぎて、作り物に見えた。

奇麗な睫毛と柔らかそうな唇が目の前に迫って来ていて、咄嗟に実篤は顔を背けた。


「あれは夢じゃなかったのかよ?」


「だから未来視だっていってるじゃない?」


「なんだよ未来視って」


「もう一つの世界を観測する事。実篤が見たのはちょっと私の脚色が入ってるのは観測者の私の主観が入っているから」


ゆっくりと女の子は降りて来て、実篤に顔を近づける。

ピンク色と派手なユルフワな服装で無ければ死神に吸い付かれた様を想像するところだったが、この女の子はさっきから深刻な顔一つしない。


「やっぱりあの夢を見たのはお前のせいなのか?」


「半分正しくて半分正しくな~い~」


もう上半身だけ実篤におんぶして貰っている様な格好だが、実篤は重さを全く感じなかった。宇宙人は空中に浮いてくっ付いてるようだった。


「アレは可能性の一つだよ。私と繋がった実篤の認識を使った。多元世界の相対的な存在である私が行えるこの時空の未来の一つ」

現実から目を反らしている実篤には見えなかったが、何だか女の子は嬉しそうだった。


「だからね、実篤はどういう世界を望むの?」


「なんだよ意味がわかんねえよ!」


「今の星が嫌なんでしょ?」


「別にこの地球が嫌いなわけじゃない」


「本当に?」


「多分……」


「そうなの?」


地球が嫌いかと聞かれて嫌いなんて即答出来る人間はどれくらい捻くれてるのだろうか?

人間が暮らせる場所は地球しか無いのに、それを粉々に砕いていい理屈なんかある訳がなかった。


「お前本当に一体なんなんだよ?」


「だから偶々チャンネルが開いちゃっただけだよ、私は別世界の意思がたまたまこの実篤が住んでるこの世界の表層に実篤を通して実体化している別宇宙の集合意識だって」


「わかった、もうわかった」


勿論実篤には女の子が何を言っているのかさっぱり分からなかった。


「とりあえず、外に出てくれよ」


「なんで?」


「ちょっと一人になって考える」


「わかった」


やけに物分りよく、女の子は部屋の外に出て行こうとする。

古いアパートのくたびれた畳の上をブーツで歩きながら、台所の横のドアに立つ。


「外歩いているから、なんかあったら呼びに来てね?」


桜井の目立つ髪と、ヒラヒラとした派手な色合いの服、女の子は初めて地面に着地した姿は背が高くて、スカートから延びる美脚は同じ人類とは思えないくらい細くてしなやかだった。


「わかった……」


女の子は実篤の下を向きながらの返答でも満足したのか、笑いながらドアを閉める。

実篤はドアが閉まる音を聞いて、すぐさま立ち上がり鍵を閉めた。


「ヤバいな……俺……」


頭を抱えながら倒れ込む様に実篤は畳に転がる。

初めての浪人生活で自堕落な日々を送っていたが、そこまで悪い生活をしていたわけじゃない。

確かに毎日学校行ったり、会社やアルバイトに行くなどの定常的な予定が無く、ただ毎日参考書やパソコンと睨めっこしてる日々は体に良く無い気はするが、健康を害する程勉強やゲームに興じてるわけではない。

ただ実篤は何だか重い体を持て余して、ここ数週間は起きてる時間より寝ている時間の方が長い。

それが不健康と言われればそれまでだが、脳に障害、不思議な空に浮かぶ女の子の幻視が見えるくらいまでに体に悪い事だとは思わない。

それにさっき女の子の手は冷たい感じがしたが、確実に感触があった。決して幻ではない。

でも空に浮かんでいたのは物理的におかしい。

人をロープで屋根につったら、天井が抜けそうなこの古いアパートでどんなギミックを使えばあんな空を浮かんでいるような演出が出来るのか、どう考えても本当に浮いているとしか思えない。

それでも普通はもっと目の前の陳腐な現象、女の子が宙に浮いている事実を否定する事に躍起になると思うが、実篤自身が驚くくらい冷静に受け止められているのは、多分女の子が現れる前に見ていた夢が余りにもリアルだったからだろうか。

何もかもが空に浮かんで自分の住んでる町が、地球が壊れる夢。

やっぱり今この部屋で起こった事も夢なのではないだろうか?


「あーもうなんなんだよ!」


畳に仰向けになって実篤は暴れ回りたい気持ちを抑えながらも暴れることは出来ないので、強くプロレスのレフリーの様に畳を叩く。


「うん?」


実篤は畳を叩く時に微妙な変化を感じた。

音はいつも通りだが、何だか叩いた感触が軽かった。

そのとき机の上に出しっ放しの筆記用具、消しゴムやシャーペンが動いた様な気がした。

実篤は机に近づいて試しに消しゴムを拾い上げる。

そして直ぐにさっきからの違和感の正体に気がついた。


「軽い」


百円で買った消しゴムが軽いのは当たり前だが、持った感触は軽いを通り越してほぼ重さを感じなかった。

実篤は軽く消しゴムを畳に向かって投げてみる。

実篤の手から離れた消しゴムはカーブを描いて地面に落ちずに、何か水の中に居る様なゆっくりとしたスピードで畳に向かって落下していった。


「マジかよ!?」


実篤の頭の中には咄嗟に夢の光景が、地球のモノが全て浮かぶ姿が脳裏を過った。

あの時も小さな変化から大きな崩壊に繋がっていった。

実篤は慌てて起き上がって、部屋の外の庭に繋がる窓からアパートを飛び出た。

外に出て改めて自分のアパートを見ると何だかいつもと感じが違う、もういつ取り壊されてもおかしくない古いアパートはいつも傾いている様にも見えたが、今日は確実に傾き始めていた。


「あいつ!」


実篤は直ぐにベランダから庭伝いにアパートのブロック塀に囲まれた敷地から外に出る。

住宅街の道路に人は殆ど歩いていなかった。

だから遠目に派手な服を着た女の子が立って居るのはすぐにわかった。

女の子は部屋に居たときと変わらず笑顔でアパートから少し離れた所にある一軒家の前に居た。

女の子と実篤の間は距離にして三十メートル以上だろうか?

実篤のアパートの近くの家々は、マンションや建替えた新しい家が多いので、建物が傾いているのかどうかは分からなかった。


「どうしたの実篤?」


「どうしたのじゃない!」


実篤が女の子に詰め寄るって走ると、アパートの方からミシっという軋む様な音がした。

何かが噛み合った様な音、浮いていたアパートが実篤と女の子が近づく事で、元に戻ったみたいだ。


「なんだ?」


「実篤の部屋の方だね」


「今うちのアパートが傾いてたよな?」


「そう?」


「なんか消しゴムとか小さいものがお前さっきのお前みたいに浮いてたぞ」


「ふーん、やっぱり実篤の周りから重力場変動が起こるのね?」


「重力?」


女の子は嬉しそうにそうそうそれそれと、背中に手を回して喜ぶ。


「やっぱり夢みたいな事が起こるのか?」


「もう起きないよ?」


「なんでだよ?」


「私と実篤がこうやって目に見える距離に近づいて、お互いを認識しているから」


そういうと女の子は実篤に手を伸ばす。


「言ったでしょ?」


実篤の手を取って女の子は笑う。

そう、この子には笑ってる顔しか無いのかと思うくらいこの女の子は笑っていて、それが作り笑いに見えない自然な万人に好感を与える笑顔だった。


「どういうことだよ?」


「私と実篤はこの世界の特異点なの、違う宇宙と宇宙を繋ぐ唯一の門だから私と実篤が一緒に居る限り世界は安定するの。でも、私と実篤が離れると本来別の次元にある筈の宇宙と宇宙が一つの場所に重なってある特殊な状態に陥るから、徐々に重力崩壊を起こし始めるの」


「だから消しゴムがゆっくり落ちるのか?」


「多分特異点があのへんの中心くらいに現れたんじゃない?」


女の子は実篤のアパートを指差す。


「若干浮いてたね」


「あのまま俺が追いかけなかったらどうなってたんだ?」


「重力崩壊が徐々に広がっていって、この星にあるもの全て全部バラバラになるよ」


女の子は簡単にバラバラになると言ったが、結果は夢で見た地球の姿だろうか?


「なあ、これは現実なのか?」


実篤は今日何度目かわからない質問をする。


「現在進行中の時空だよ」


自分より背の高い女の子は気軽に答えた。


「なあ、なんでお前は俺んところに来たの?」


「うーん、なんとなく呼ばれたから」


「誰に?」


「実篤に」


もちろん実篤には宇宙人を呼んだ覚えは無い。


「俺はただのどこにでも居る浪人生だぜ?」


「うーんよくわからないけど、実篤は特別だよ」


「俺が?」


「うん、だってこの宇宙に実篤は一人しかいない」


実篤はさっきからこの女の子と話が合わない意味がやっと分かった。目の前の女の子は話にすぐ宇宙とか世界とかスケールが大きい単語が並び過ぎる。


「そんなの皆そうだろう……」


「でも目の前に居る実篤は一人で私とこうやって繋がってる。これって凄い奇跡だよ?」


「はぁ?」


幾分興奮して来たのか、それともこっちが興奮してるからなのだろうか?

女の子が握った手が何だか温かかった。


「あっお前浮いてないか?」


「あっ」


女の子のピンク色の髪が少し風も吹いてないのに揺れた。


「こんな人通りのある所で浮くなよ!?」


「なんで?」


「なんか騒ぎになったら面倒だろう?」


「他の人が見ても気にしないんじゃない?」


「なんでそう思うんだよ?」


「だってこの星の上じゃ重力から解放されてるのは私だけなんだから、意

味が分からなくて逆に納得しちゃうんじゃない?」


実篤は目の前の女の子が、自分は非常識な存在だと自覚があって良かったと思いつつ、だからと言ってこれ以上面倒に巻き込まれるのはごめんだと思った。


「あぁぁ!!」

実篤と宇宙から来た女の子を指差して、声の主は固まっていた。

家から出る所だったのか運動靴にハーフパンツの動きやすい服装、短いショートカットの手足の細い女の子は信じられないものを見ているようだった。


「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」


直ぐに家の中に戻って、もう一人の女の子を連れて来た。


「なによきらら、五月蝿いわね……」


少しショートカットの女の子よりも背が低い、きれいなストレートの長い黒髪の女の子が出て来た。

目元がハッキリとしていて、少し吊り上った目は大人びても見えて、ハーフパンツの女の子よりは年上に見える。

パーカータイプの部屋着に細いパンツは線の細さを感じさせていた。


「アレ、アレ、ほら見てよアレ!」


「うん?」


同じ様な背丈の女の子達が、玄関越しに実篤と宇宙から来た女の子を覗き込む。

実篤は女の子と手を繋ぎながらどう言い訳をすれば良いのかを考え始めた。

しかも、よりによって実篤が住むアパートの大家の娘、森本あかりと森本きららの二人に見つかるのは何かと面倒そうに思えた。

この二人は実篤が隣に引っ越す前からの知り合いで、女子高生の森本あかりは実篤の妹とずっと同じ学校に通っていて、今年高校一年生になったばかりだ。

両親が地元の友達同士で、二人とはよく妹と一緒になって小さいころは遊んでいたので、兄弟のようにお互い気心知れた仲、実篤が隣に引っ越してからは、なにかと理由をつけては実篤の部屋に来てゲームをしていったり、漫画を読みに来たりしていた。


「実篤あんたその人って……」


黒い長髪の女の子が上目使いで実篤を睨みつける。


「いや、コイツはその……」


実篤が必死で言い訳を考えたが、こういう時に機転が利く事を言える人間ではない。


「スゴイ美人!」


背が低い姉のあかりは、妹のきららと同じ様に驚きながら、宇宙人を指差して大きく口を開けて驚いた。


「ねっ凄いでしょ!」


「スゴイ背が高い!」


「顔なんかもめっちゃ小さいよ!」


姉妹は二人で盛り上がって、まるでアイドルでも見る様に宇宙人を見る。


「なんで、どうして、実篤みたいなヒキコモリがそんな美人と一緒に居るの?」


「なんか悪い事したの?」


姉妹の疑問に、実篤は無言のまま宇宙人の女の子の手を引いて部屋に戻る事にした。


「あっ手握ってる、実篤のくせに!」


「五月蝿い!」


「ねえ誰なのその人?」


「関係ないだろ、いいから家に戻れ!」


姉妹の質問を無視して、宇宙人の女の子は文句も言わずに実篤に手を引かれて着いてくる。


「あの子たち……」


「大家の娘だよ」


「実篤はあの子達の事好きなの?」


「あぁ?」


二人はアパートの門の前で立ち止まる。


「どういう意味だよ?」


「実篤が本当に好きな子って誰?」


「今、それが何の関係あるんだよ?」


「あっサネちゃん居た!」


実篤の住むアパートからジャージを着た女性が出てきた。

古いジャージで凹凸のハッキリしたボディーラインが出てる。

そんな見かけと対照的に、寝ていたのか顔は寝癖もあってぼんやりとしており、まだ目がしっかりと開いていない感じだった。


「希美さんまたジャージでコンビニ行くんですか?」


「違う違う、ねえねえなんかさっき地震あったの、なんか部屋のモノがたくさん倒れてたんだけど?」


渋澤希美は実篤の隣の部屋に住む都内の会社に通う会社員だ。

日曜日の昼間からずっと寝たり起きたりを繰り返して居たがさっきの騒ぎで起きて来たようだった。


「アレ、あなた……」


口に手を当てながら希美は宇宙人の女の子を指差す。


「凄い美人!」


もういいと実篤は思ったが、とりあえず反論もせずに自室に帰ろうとした。


「ねえねえ、誰、誰なのその子。サネちゃん?」


「何でも無いよ!」


「何も無かったらそんな奇麗なピカピカの女の子とサネちゃんが手を繋げる訳ないじゃない」


そうかも知れないが、それは言わなくても良い様な気がしたが、実篤はとにかく部屋に戻ろうとする。

ふと宇宙人の女の子は立ち止まる。

どういう理屈か知らないが、実篤が幾ら本気で引っ張っても地中に埋められた鉄柱の様に少しも動かなかった。


「本当に貴方背も高くて奇麗ね。高校生?」


「違います宇宙です」


宇宙人の女の子は希美のことを真っすぐに見る。

見つめられてる希美も真っすぐに宇宙人を見返す。


「貴方は実篤の事好きですか?」


「えっ?」


「実篤はこの人が好きなの?」


ピンクの髪の女の子が希美を指さす。


「いや、その……」


「なんか面白そうね、そうだお茶でも飲みながらお話しましょう」

しどろもどろになっている実篤を無視して、希美は宇宙人の女の子の背中を押して、アパートの部屋へと庭を通って案内する。


「ちょっと待って」


「別に取ったりしないわよ?」


置いてかれた実篤は慌てて二人の後を追う。

その女の子と離れると地球が粉々になるんだよとは勿論言えずに実篤は後を着いていった。




■■■2




「でっ、なんで俺の部屋でお茶飲むんですか?」


「だって起きがけ女性の部屋に男の子入れるわけには行かないでしょ?」


渋澤希美はそう言って実篤の部屋に上がって来たが、実篤は普段から片付けていない、独身三十歳女性の酷い部屋の有様を知っているので何も言わなかった。

実篤の部屋は畳が四畳半とダイニングキッチンと言えば聞こえが良いが、古いあちこちが傷だらけのステンレスのキッチンと古い木製テーブルが備えられた実篤の部屋の畳敷きに女の子が四人と男の子が一人座ると流石に狭く感じる。


「しかもなんで森本姉妹まで俺の部屋に来るの?」


「いいじゃない別に」


「うんうん」

森本あかりと森本きららの二人も畳に座ってジッと宇宙人の方を見ている。

自分の部屋に上がり込んで来た三人の目的はこの外見が派手過ぎる、アイドルみたいな宇宙人だ。

実篤は自分で考えながら、馬鹿らしくなって来た。


(どうしたんですか?)


「何がって……」


声は聞こえなかったが、なんだか宇宙人から話しかけられた様な気がした。

実篤が宇宙人の方を振り向くとニコニコと笑っている。

(私と貴方は繋がっているので、空気を振動させて聴覚器官に音を届けなくても、メッセージを届ける事が出来るんです)


宇宙人の口は動いていない。

でも実篤は頭の中に静かに声が聞こえてくるのを感じた。

隣に座る宇宙人は唇一つも動かさないで、またニコニコと笑っている。


(あっでも実篤は私にメッセージの飛ばし方わからないから一方通行のやり取りだね)


「あまり意味が無いな」


「何よさっきから?」


実篤の独り言にあかりが突っ込む。

少し怒っているのか、腕を組みながら実篤を睨みつける。


「何でもない」


小さなテーブルの前で皆が顔を合わせるが、視線はみんな派手な服とピンクの髪の色の女の子、宇宙人に視線が集まる。


「ねえお名前なんて言うの?」


希美が先ずは口火を切って質問する。


「私ですか?」


態とらしく宇宙人は時間を稼ぐ。


(どうします私の名前?)


「なんか無いのか?」


既に頭がいっぱいいっぱいの実篤は投げやりに質問を返した。


「何よさっきから一人でブツブツと、キモイ」


あかりの口のきき方は妹そっくりで、どうして女子高生はこういう語尾に感想をつけなければ気が済まないんだろうと実篤は思った。

それにしても宇宙人のダイレクトに脳に響くメッセージに声を出して反応してしまう実篤の声は危ない独り言にしか聞こえないので確かに危ないと実篤は思った。


「あっさっき“宇宙”とかなんとか言ってなかった?」


希美の私的に、宇宙人はニッコリとほほ笑む。


「こっちではそれが私を指す単語みたいです」


(ですよね実篤?)


スケールが大きいモノも感じ二文字で済む、背が高いとはいえ地球に比べれば砂粒より小さい体の女の子が別の世界の宇宙と同じって言うのが信じられない。

三人の歳が離れた女性はみポカーンっという語感が聞こえそうな感じの顔をした。


「つまり名前は宇宙さんなの?」


三人の中で一番結論を急ぐあかりが宇宙を名前と決めつけた。


「宇宙さんって凄い名前ね」


三人の中で一番物事に動じない希美が決めつけた事を受け入れた。


「良く言われるよなー」


天井を見ながら実篤は適当に同意する。気持ちとしては成るようになれだった。

勝手に聞いてきたあかりと希美が納得しかけてるのでそれでいいと思った。


(私の名前は宇宙で決定ですか?)


「この子は星宇宙さんで俺の友達……だよ」


実篤は我ながら適当な名前を付けたと思った。


(星宇宙ってなんか逆な感じがしますね)


「そうかよ」


「なに?」


「何でも無い」


「ちょっとさっきから一人でブツブツとなんなのよ実篤!」


高校生のあかりはハッキリ喋らない実篤の態度に苛ついていて、指をさして文句を言った。

「そうよ、結局なんだかハッキリしないじゃない?」

希美はそういいながら出されたお茶を飲む。

飲み終わって一つため息をつく姿が堂に入っていた。


「でっサネちゃんと宇宙さんとはどういう関係なの?」


「どうって?」


「さっきも仲良く手なんか繋いじゃってさ、もしかして付き合ってんの?」


「違う!」


「じゃあどういう関係なの?」


「それは……あのー」


今日起きたら部屋にいたと言えばいいのか、夢に出てきたと言えばいいのか、どれも言ったところで納得できないだろうし、実篤自身も納得したくなかった。


「ほら煮え切らない。怪しいわよねあかりちゃん?」


「私は別に二人が付き合ってようが関係ないし……」


希美の指摘にあかりは顔を背ける。


「ふーん、そうかそうよねー」


あかりはすこし怒っているように見えるが、少し赤くなった頬が希美には抱き着きたくなるような可愛さだった。


「何よ?」


「なんでもなーい」


希美は一人だけ楽しそうだった。


「きららちゃんはどう思う?」


あかりの隣に座るきららに希美は話を振った。


「宇宙って名前どう思うんですか?」


話とは関係なく、真面目な顔でいきなりきららは宇宙に質問した。


「適当な名前だなって思う」


宇宙は素直に先ほど付けられた名前についての感想を言った。


「そうですよね、名前って一生付いてくるものなんだから、親にもっとちゃんと考えて付けてもらいたいですよね!」


きららは急に興奮して宇宙に飛びついた。


「私も「きらら」って名前付けられてもう、毎回その名前で呼ばれるたびに辛くて……」


涙ながらにきららは自分の擬音のような名前が嫌かを語る。


「えーきららちゃんて可愛いじゃない?」


希美の指摘にきららは首を何回も横に振った。


「私、所小で一番背が高いんですよ?」


所沢小学校(通称:所小)はきららが通う近くの小学校だ。


「男子に事あるごとにデカいきららちゃーんって馬鹿にされて」


きららは今にも泣きそうだった。


「巨神兵きららが来るぞーって……」


「巨神兵って、そこまで大きくないじゃない?」


「きららはまだ小学生ですよ希美さん?」


「まあ、男子の場合はやっかみも入ってるからね」


「なんか宇宙さんって聞いて親近感感じて……名字が星だから宇宙って酷い」


(名字も適当に付けたって言った方が良いんですか?)


「言わなくていい」


「そうだね、名前の事あんまり言っちゃ駄目だよね」


きららは実篤の独り言に妙に納得した。


「きららは名前の事を気にしすぎよ」


「お姉ちゃんは普通の名前だからそう言ってられるもん。新しい先生が私の名前見てなんて読むの?って聞かれるたびにクラスのみんなから笑われてみなよ!」


きららの名前は“輝々”と書いて“きらら”と読む。


「だからお婆ちゃんの仏前にちゃんとお礼言ってるわよ」


「酷いよ!」


あかりはお婆ちゃんが亡くなった後、本当はきららは自分の名前になる所だったが、お婆ちゃんに猛反対を受けた為に泣く泣く「あかり」と言う名前にしたと聞かされた。

小さい頃に亡くなったのであまり顔もちゃんと覚えてないけど、恩は一生忘れないと思った。


「それで、それでさ結局二人は付き合ってるの?」


希美が逸れた話を強引に戻す。


「そういうんじゃないけど、まあ、なんつーか離れられない関係というか」


「何それ?」


「とにかくこいつ、宇宙は俺と一緒に居る事があるからあんま気にするな!」


じゃあ別世界の宇宙から来たとんでもないヤツに目を付けられて、離れたら地球が粉々になっちゃうんで一緒に居ることになりました。

とか言えばいいのか?

実篤の前に座る希美もあかりときららの誰も納得いってない顔を見ながら実篤は頭を抱えた。

かといって宇宙に浮いてみせろと言って、この場で浮いたらこの変な話を信じてもらえるのだろうか?

別の世界の宇宙が女の子になって自分の隣に現れて、離れると地球が壊れちゃう事になりました。

考えながら改めて今日のこの状況を他人に説明するのはなんだか全てバカバカしく思う。


「それにしても最近また引きこもってばっかりだと思ったら、いつの間にこんな可愛い子と知り合いになったの?」


「色々あったの」


「だからその色々を聞いてるんじゃない?」


「話せば長い」


「今日はお休みだからみんな時間あるわよ?」


「なんで俺が希美さんやあかりときららにコイツの事を話さなきゃいけないんですか?」


「お隣さんとして気を使うじゃない? ほらこのアパート壁薄いし。サネちゃんが来る前のカップルが入居してたときはそりゃもう盛りのついた猫の様に……」


「希美さん、きらら居るからストップ」


あかりはいつの間にかきららの耳を塞いでいた。


「あっごめんなさい」


(今のはどういう意味ですか?)


「静かにしてろって事だよ……」


「わかりました。ここに居る間、私は静かにしてる」


「えっここに居る間って、まさか同棲するの?」


「えっ?」


「あっ」


あかりと実篤が同時に宇宙の方を向く。


「はい私と実篤は離れられないので、これからずっと一緒に居ます」


「なに、もう付き合ってるどころじゃなかったの? 超えちゃった。超えちゃったの?」


嬉しそうに希美が体を乗り出してくる。あかりは若干引いているようだった。


「なによサネちゃんもうこんな奇麗な子と同棲生活なんて浪人生の風上にも置けないわね!」


「しょうがないんだよ!」


「信じられない。無職なのに女の子と同棲だなんて」


「えっサネ兄ちゃんこの人と結婚するの?」


「違うわきららちゃん。結婚を前提としたお付き合いからよ」


希美は真剣な顔をして、きららにを諭す。


「余計な事言うなよ」


「でも離れられないのは事実でしょ?」


今度は宇宙が話に割り込んで来た。


「そうだけどな!」


「じゃあ、やっぱり壊しちゃう?」


宇宙は微笑みながら、地球が壊れる事なんかまったく躊躇してない感じだった。


「お前は壊したいのか?」


「私は実篤が望む通りを望むだけだよ?」


実篤は目の前の人形の様に精巧に出来ている美人を睨みながら、納得がいかなかった。

奇麗な赤っぽい大きな瞳が実篤を飲み込みそうに此方を見ている。

実篤はその瞳を見ていると今朝見た宇宙を、粉々に崩壊した地球を取り巻く無数の星々の姿を思い出した。

宇宙の空間に漂っていた実篤の意識は、宇宙は光り輝く世界なのに、自分の周りに対象物が無いからなのか、賑やかで寂しい場所だと思った。

宇宙の瞳はなんだかその時の全天に輝く星々の世界を実篤に思い出せて、ついつい宇宙の瞳を覗き込んでしまった。


「なになに修羅場なの?」


「これが修羅場なんだー」


見詰め合う実篤と宇宙を見て、再び嬉しそうな希美と興味が出て来たきららの二人に対して、あかりは静かに怒っているようだった。

そしてついにあかりは爆発した。


「そんな事してて良いの実篤!」


「なんだよあかり?」


「大学落ちちゃって、勉強しなくちゃ行けないのにそんな風に女の子と遊んでて良いの?」


「そりゃよくないけど……」


「多香子ちゃんが呆れるわよ?」


多香子は四つ年下の実篤の妹だ。

頭が良く今度都内の難関付属女子校を受験する。

あかりとも知り合いで、たまにメールのやり取りなんかしているらしい。


「なんで多香子が出てくるんだよ」


「多香子ちゃんに迷惑かけない様にウチのアパートに越して来たんでしょ?」


「別に俺に関係なくアイツだったら上手くやるよ」


「そうだけど、中学生の女の子がお兄ちゃんが受験生なのに遊び回ってる、って知ったら悲しいでしょ!」


「別に遊んでるわけじゃない……」

実篤は机の上の勉強道具の方を見る。ノートも参考書も奇麗に片付けられている。


「じゃあなんで急に彼女なんか作るのよ?」


実篤は夢から覚めたら彼女が出て来ていたんだよと言いたかったがもうめんどくさかった。


「あー宇宙はその……な」


実篤は宇宙の方を見る。


「宇宙、ちょっと外出ててくれ」


「いいの?」


「庭に出て、そっからは動くなよ?」


(なにするんですか?)


「お前が来た理由を説明するの」


「わかりました」


いつもの様に少し微笑んだ後、玄関に移動して自分のロングブーツを取ってから、宇宙は黙ってアパートの庭に面したベランダから外に出て行く。

宇宙は出るときちゃんと窓を閉めた。

一連の宇宙の行動、実篤はちゃんとブーツ履いて外で立っている従順な宇宙をみてなんだか馬鹿らしいと思った。

宇宙が黙って外に立ってるだけでドキドキしてしまう。

宇宙は何も気にせずに、窓ガラス越しに実篤の方を見ている。


「どうしたの?」


あかりが声を掛けた。


「いや、あいつは……宇宙はちょっと家に問題があって住む所が無いんだよ。だから人づてに俺んところに転がり込んで来たの」


「問題って?」


「あんまりそういう事は聞くなよ」


あかりが真面目に聞いて来たので、実篤はそこは考えてないから聞いてほしく無かった。


「だから身寄りが無いから俺の部屋に当面居る事になったの」


「ふーん、宇宙さん家ってどこ?」


「遠い所だ詳しくは知らない」


「なんか曖昧だね……」


希美ときららだけはもうすっかり実篤の嘘に騙されて神妙な顔になっていたが、あかりだけはまだ疑っていた。


「誰に頼まれたの」


「あれだ、俊彰(としあき)からだよ」


俊彰は実篤の高校時代のクラスメイトで、よくつるんで遊んでいた。


「俊彰の大学の友達伝いだ。どうしてもって頼まれて仕方なくな」


「ふーんまあ、俊彰さんならそういうわけのわからない交友関係多そうだけど……あの人軽いし」


俊彰は実篤と違って誰とでも打ち解ける。明るい性格の青年で、誰にでも気軽に声を掛けるので昔、実篤の家であった時にまだ女子中学生だったあかりに向かってもちょっかいを出して、実篤に怒られていた事をあかりは思い出した。


「だからまあ、変な格好だし、変った子だけどちょっとそういうことだから……おばさんには黙っておいてくれよな」


森本あかりの母親は実篤の母親と昔からの付き合いで、その伝手で安く部屋を借りている。

だから女性を連れ込んでいるなんて知られたら直ぐに実篤の母親まで話は伝わってしまう。


「まぁそういう事なら」


実篤はあかりを説得すると、渋々とあかりは納得し始めた。


「ありがとうなあかり」


「別に事情があるんだったら……」


我ながら友人を巻き込んでまで嘘を嘘で重ねていくのはなんだか申し訳ない感じがするが、

実篤はなんとか誤摩化せたかなと手応えを感じていた。


「でもあんな美人な子が同じ部屋に居るなんて緊張しちゃって勉強どころじゃないんじゃない?」


「ほんとキレイな人だよね、雑誌とかテレビに居る人みたい」


すこし興奮気味にきららが喋る。


「キラキラ光る派手な服だけど、なんか別に違和感無いというか……別にきららちゃんの事どうこうってわけじゃないのよ」


「言わなくても良いです!」


希美の振りにきららは顔を真っ赤にして反論する。


「でも、男の人の部屋に泊まる事になるって……」


「大丈夫あかりちゃん、このアパート壁が薄いから何かあっても直ぐに私が気がつくから」


希美は胸を叩いて盗聴可能を断言する。


「そういう問題じゃないでしょ?」


「そうねじゃあ避妊具をプレゼントしておこうか」


あかりが飛びついて希美を押さえる。


「きららが居るんですよ!」


「ごめんごめんきららちゃんって背が高いから高校生にだって見える時が……」


「二人とも名前連呼しないで!」


目の前の女性がもつれ合っている光景を見ながら、実篤はなんとか話を繋げられたような気がした。

それは実篤の気のせいなのだが、この時実篤は上手く行ったと思って、ふと外に追い出した宇宙のをガラス越しに見る。

宇宙は此方を向いていて、庭に立っていた。手を後ろに組んで、微動だにしなかった。

その姿は髪の毛の色と派手な服装を覗けば何処にでも居る女の子の様に思えた。

いや、姿から考えれば普通ではないのだが、なんだか昔から知っている友人に思えた。

もう呼んでも良いかと思ったとき、宇宙はふとアパートの入り口の方を指差す。


(実篤、この人は?)


「えっ?」


宇宙が指差す方向、実篤の視界には入っていないが誰かが来たようだった。

実篤は立ち上がって窓を開けて顔を覗く。

そこにはコンビニのビール袋を下げた、私服姿の黒髪の青年が立っていた。


「サネ!」


「なんだよ俊彰……」


コンビニのビニール袋を下げて実篤のアパートに来たのは、高校時代の同級生の俊彰だった。


「なんじゃこりゃ!」


俊彰は宇宙を指して大声で叫ぶ。


「俺の目の前にスゲエ美人が居るぞ!」


「五月蝿い少し黙れよ!」


「馬鹿野郎お前、めちゃくちゃこの子美人じゃねえか!」


「わかった黙れ」


「お前こんな美人を前に黙っていられるか?」


実篤が嗜めても俊彰の興奮は一向に収まらない。


「お前の家ってなんでこんな美人ホイホイみたいな構造してんの?」


「はぁ?」


「隣のお姉さんは落ち着いてて、なんだかぼんやり巨乳美人のお姉さんだし。知り合いの幼なじみの姉妹はつり目で人をゴミみたいに見る所がありつつ、ちょっとツンなところがあって、なついてくれるとすっごく可愛いあかりちゃんと背が高くてスレンダーで健康的なスポーツの汗が似合うけど名前がめちゃくちゃドキュンでかわいいきららちゃんといい、なんかお前の周りって美人が自然に集まって来てない? もげちゃえよ!」


「お前久しぶりに来てなに言ってんだよ!」


「さらに実家に帰れば同じ血が流れているとは思えないくらいクールビューティーな妹の多香子ちゃんも居るよな?」


俊彰は呆れる実篤の前で更に捲し立てた。


「お前、多香子の事そんな風に思ってたのか?」


「事実を言っています」


断言した後俊彰はすぐに宇宙の方を向く。


「初めましてサネの大親友の加山俊彰です」


俊彰は何の抵抗も無く宇宙に手を差し出す。


(大親友なんですか?)


「腐れ縁だ!」


「まあまあこんな所で立ち話もなんだから、部屋に入ってお茶でも」


「勝手に入るなよバカ!」


「良いじゃねえかよ、あっ」


部屋に無理矢理入ろうとする俊彰を押さえている実篤の後ろで、森本姉妹と希美が並んで立っている。


「確か俊彰さんの紹介で連れて来たんじゃなかったっけ?」


あかりはキツイ目を更につり上げて実篤の背中を睨みつける。


「そんな美人のお姉さんだなんて」


希美はなぜか照れていた。


「うう、やっぱり私の名前って……」


きららはまた泣きそうな顔をしていた。


「サネ、お前ここまで節操無い男だったっけ? クラス一身持ちの固い童貞プリンスとして名高いお前が部屋にこんな美人と可愛い子達を連れ込んでなにするつもりなんだよ!」


「お前ほんとぶっ殺すぞ!」


「ねえ、希美さん童貞プリンスってなに?」


「うーん、それはあかりお姉ちゃんが知ってるんじゃない?」


「こういう時だけ私に振らないでください!」


(実篤、童貞プリンスというのは一体なんですか?)


「知るか!」


実篤は空に向かって大きく叫んだ。




「なに、こんな可愛い子を囲む為に俺の名前使ったの? 馬鹿じゃないの、俺だったら頼む前に結婚してもらってるぜ?」


とりあえず話がややこしくなるので、希美にあかりときららには部屋を出てもらった。

実篤は俊彰が何だか嬉しそうなのがムカついていた。


「お前自宅から通ってる大学生だろ?」


俊彰は所沢から都内の大学に通っていた。


「それにしても本当にグラビアアイドルみたいに可愛いし奇麗な子だな、そりゃ希美さんもあかりちゃんもヤキモチ焼くわ」


俊彰は自分で買って来たお菓子を適当に食べながら、ジロジロと宇宙の事を見る。


「お前本当になにしに来たの?」


「なにってケイタイも出ない音信不通の友人を心配してこうやって手土産もって来てやったんだろう?」


俊彰は自分で開けたお菓子の空箱を実篤に渡す。


「自分で喰ってるだけじゃねえか」


「あっ宇宙さんもどうぞ食べてください」


「要らないです」


俊彰がまだ開けてないお菓子の箱を宇宙に差し出すが、宇宙は笑顔でキッパリと断った。


「喰わないのか?」


(食べるとかは必要ない、この体を作る時には色々と必要だったけどもう要らない)


「すんませんこんなしけたもので、なんならケーキ屋行って来て、所沢クリームでも買って来ましょうか?」


所沢クリームは近くのケーキ屋で売っている、クリームがはみ出すくらい沢山入ってるシュークリムの事だ。


「いらん事すんな」


「なんだよ、お前こんな可愛い子が部屋に居るのにお茶も出さないで……」


「俺の部屋だ」


「なっだからなんで童プリのお前の部屋にこんな奇麗な美少女が居るの?」


「なんだよその童プリって?」


「童貞プリンス、略して童プリ」


「帰れ、本当にお前帰れよ!」


「ちきしょう、浪人して暇してると思ったらこんな奇麗な女の子連れ込んでて一体どういう事だってばよ?」


実篤と俊彰が押し合いしているのを宇宙は黙って座りながら見ている。


(仲が良いんですね)


「腐れ縁だ!」


実篤は俊彰の顔に自分の掌を押し付けて邪見に扱う。


「つれにゃいなサネ、せっかくおみゃえ、俺がひゃのしい合コンの話持って来てやったのに……」


「にゃんだよ合コンって……」


お互い顔を押さえながら話してるので良く聞こえない。

お互い押し合うのが飽きたのか、手を離して一息つく。


「いや少し大学とかも落ち着いて来たから、ここらでクラスの皆と集まろうと思ってな、俺とほら女子のリーダーの須藤と話し合って出来るだけ沢山集めてやろうって事になったんだよ」


実篤の高校三年生の時のクラスは、女子は俊彰がリーダーと言った須藤を中心に、強いネットワークがあった。男子は人懐っこく誰にでも話しかけられる俊彰が体育会系、文系問わず友達が沢山居て中心だった。

その二人が声を掛けるんだから、たぶんクラスの殆どの人間が集まるのだろう。


「別に合コンじゃなくてただの同窓会じゃねえか」


「馬鹿、同窓会じゃ面白く無さそうだろう? 合コンって響きがいいんじゃねかよ!」


ちっちちと舌打ちしそうな俊彰の顔を見ながら、実篤は俊彰がハリウッド映画の説明した後やられる典型的な悪役のつもりでいやがると思った。


「そういう事で場所も決まったし、時間は来週の日曜日なんだけど……」


「行かねえよ」


「お前、自分に拒否権あると思ってるの?」


俊彰が手を叩いて笑う。


「クラス委員のお前が出てこなくてどうするんですか?」


「お前が裏工作して俺をクラス委員に仕立てたんだろうが!」


実篤が通っていた高校は一年通期でクラス委員を男女一人ずつ決める。役割はほぼ先生や生徒会のイベント事の雑用で凄く役割としては不人気だった。

だからといって真面目にやらないヤツがこの役割になるとクラスの運営が止まってしまうので、文句をいいながらもやる事はやるヤツをクラス委員にしようと俊彰が音頭をとってクラス満場一致で実篤に役割が回って来た。


「まあまあ、みんななんだかんだでお前に感謝してるしさ、浪人になって元気にサネが生きてるのかも知らないヤツも多いし、一つ顔出してくれよ」


「嫌だよ」


実篤ももちろん会ってみたい友人は何人か居るが、流石に浪人生としてなんだか出て行きづらさがある。

実篤のクラスで浪人したのは実篤とあと数人くらいしか居ない、あとは志望校かどうかの差はあるが殆どのクラスメイトは都内や県内の大学に進学した。

自分が負い目を感じているのはクラスメイトが大学に受かって新しい生活を楽しんでいる事を羨ましいと思う気持ちがあるからだろう。

もちろん恨むのはお門違いなのは百も承知なのだろうけど、と真面目な実篤は自分の気持ちを割り切れずに居た。


「いいじゃねえか皆が大学で楽しくやってる姿を見て、こんちきしょう俺も来年受かってやるーって、恨み力を溜めに行くのも悪く無いぜ?」


流石に高校三年間の付き合いが長いのか、実篤が何を考えてるのか全て俊彰はお見通しだった。

ズバリと言われて実篤は反論も出来ずに黙り込む。


「合コンってなんですか?」


「えっ宇宙さん合コン知らないんですか?」


「はい」


突然宇宙が好奇心を持って話に割り込んで来た。


「合コンっていうのは男女がお酒や食べ物を分かち合ってお互いの親睦を

深める。それはもう楽しくて楽しくて仕方がないイベントですよ」


「実篤、私も行きたい」


「バカ、行かないって言ってんだろ!」


宇宙が行きたいと行ったら、実篤について行くしかない。

というより実篤が付いて行かないで、俊彰に付いて宇宙がお店に行ってしまったら地球は粉々になってしまう。


「あーお前こんな可愛い彼女が行きたいって言ってるのに断るの?」


「彼女じゃないって言ってるだろ?」


「じゃあなおさらお前、天下万民に平等にこんな可愛い子と知り合えるチャンスを与えるべきではないのかね!? 彼氏でもないお前に宇宙さんをこの薄暗い社会の暗部を象徴する様な今時ベタな貧乏畳敷きのアパートに縛り付けておいて良いと思ってるのかね?」


俊彰は手の平を上に向け、何か鬼気迫った顔で実篤に詰め寄った。


「なんでそんなチャンスが必要なんだよ?」


「まったくこれだからムッツリは何喰わぬ顔していつの間にかこんな可愛い子と……」


そして俊彰は態とらしく首を振る。


「ああ折角俺が色んな手を使って三島を呼び出す事に成功したというのに……」


「三島が来るのか?」


実篤が語気を強める。

俊彰のニヤリと笑う顔を見て、実篤はしまったと思った。


「来ますよ~三島さんは来ますよ~来ちゃいますよ~」


しみじみと言葉を噛みしめながら腕を組みながら、嫌らしく俊彰は実篤に擦り寄る。

実篤は唇を噛みながら顔を背ける。


「三島さんって誰ですか?」


「ウチのクラスのクール女王」


「そんなあだ名あるのかよ?」


「今考えた」


しれっと俊彰は答える。


「あの人付き合いを全くしない三島を実篤の為に折角呼んであげたのに、まったく本人は美人の女の子と遊んでるんだもんなぁ三島が知ったらショックだろーなー」


「別に三島と俺は関係ないだろう?」


「本当に関係ないのか?」


急に俊彰は真面目な顔になる。

そこには茶化しもなく、慌てて実篤は目を背けた。


「まあとりあえず顔は出せよな、三島もそうだろうけど、お前がどうしてるか気にしてるヤツも居るしさ」


俊彰は立ち上がって靴を履きに庭の方に出る。


「別に俺の事なんかどうだって良いだろう」


「お前ねえ、そんな子供みたいな事言ってるから三島にだって愛想つかされるんだよ」


実篤は考え込んでしまう。


「ありゃ図星か」


「お前なんか知ってるのか?」


「いや、状況証拠だけだぜ?」


実篤はふて腐れたのか畳に寝転がる。


「ああ、宇宙さんには関係なくない話なんで詳しくはコイツに聞いてください」


「さっきから聞いてるんですけど、答えてくれないんです」

宇宙は先ほどから実篤の頭に直接三島とは誰かと聞いているが、実篤は全く相手にしなかった。


「ははっ照れてるんですよ」


「照れる?」


「昔好きだった女の子の事を聞かれて照れてやがるんですよ」


「俺は別に好きとかそういうのは……」


「周りから見てそれは無いぜ」


俊彰は立ち上がって部屋を出ようとする。


「まあ、とにかく三島以外にも人は来るし、お前の事気にしてるヤツも居るんだ、ともかくクラスの同窓会だ、顔だけでも出せよな」


「嫌だ」


「あっなんだったら宇宙さんだけでも来ませんか?」


「行ってみたい!」


元気よく宇宙は手を挙げる。


「是非来てください。旨いもん喰いながら話しましょう」


「行けないだろう!」


宇宙一人で出歩くだけでこの所沢が、いや地球が重力崩壊してしまう。実篤は全力で否定するので、俊彰はすこし身を引いた。


「なんだよ彼氏でもないのに、宇宙さんの行動に口を挟もうって言うのか?」


「そういう問題じゃないんだ!」


地球が壊れるぞと言いたいが、流石にそれは親友といえども言えなかった。


「まあとにかく宇宙さんも来ると面白そうだから、絶対に来いよ」


実篤は返事もせず、俊彰はそのまま帰っていった。


「ったく同窓会なんて行くかよ」


「どうしてですか?」


「行った所で何も話す事なんか……」

皆が新しい生活を満喫しているなか、自分だけが受験勉強だけ、というよりそれ以前に身の振り方を考え始めて勉強すら手がついていない状態だった。

今日はそれ以前に突然現れた宇宙についての事の方が頭が重い。

そういえば昨日までの自分はこれからどうなるんだろうという不安で押しつぶされそうだったのに、宇宙という特大の不安が隣に居る今は何か心に重苦しいものを感じなかった。

自分の将来と地球の将来の違いじゃ比べるのも馬鹿らしい事は承知してるが、実篤には地球が壊れるということは実感がわかなかった。


「実篤、合コン行きましょう」


「行かない」


「どうして?」


「行きたくない」


「それは三島さんに会いたく無いからですか?」


「別にそういうわけじゃない!」


寝返りを直して実篤が宇宙の方を向くと、宇宙の笑顔は天地がひっくり返っていた。


「私、三島さんに会ってみたいです」


また宇宙は重力を操って、天地逆さまになって頭を下にして実篤の方を向いていた。


「なんか反応する」


宇宙は小さい掌を脹よかなラインを描く自分の胸元に手を当てる。


「さっき三島さんの名前を聞いた実篤の心が私にシグナルを送ってる」


そういって宇宙は胸元を見た。何か大事なものがそこにあるように。


「意味がわかんねえ」


実篤は畳に身体を横たえた。

目を閉じて不貞寝しようとすると、何か視線を感じる。

窓の外から、誰かが此方を見ている。

起き上がってベランダの窓を開けると、渋澤希美が部屋を覗いて居た。


「何ですか希美さん?」


「えっとねぇ、醤油貸して」


実篤は立ち上がって自分の部屋の台所に行って、醤油の瓶を取って直ぐに戻って来た。


「はいどうぞ」


実篤はすぐに窓を閉めようとする。


「あっやっぱりナンプラー貸して」


「持ってないです」


「じゃあコチュジャンで」


希美は頭の片隅にある辞書から調味料のカテゴリーに書いてある項目を端から言っているだけだった。


「何ですかさっきから!」


「うーん暇だからもっとお話しようよ?」


「どうせ宇宙の事でしょ?」


「もちろん」


希美は屈託の無い笑顔をした。

実篤は大きな溜め息をついてから、窓を閉めて直ぐに遮光のカーテンを引いた。


「あー昼間からカーテン引くなんて、エロい!」


普段だったら実篤は反論しているが、流石にもうそういう体力は残ってなかった。

倒れ込む様に再び畳みに横になる。


「眠るの?」


宇宙が実篤の顔を覗き込む。

カーテンを引いたので部屋の中は薄暗い。薄暗い中で宇宙の目が光っている様に感じた。


「もう一度寝て起きたら、お前が居なくなってるとかないのか?」


「また夢に出ても良い?」


実篤は今朝の最初の夢、所沢が、地球が崩壊する夢を思い出した。

あのリアルな夢が無ければ、たぶんここまで宇宙と離れる事を怖がらなかっただろう。

ちょっと離れて物が浮かんだくらいでは、地球が壊れるなって想像出来ない。


「あれはお前が見せたのか?」


「それは半分正しくて、半分間違え」


宇宙はクスッと笑った。


「人は眠るとその、内宇宙に意識が籠るから、自分の願望とかがイメージに出てくる。それが私と実篤の近くに居るから重なってああいう未来視を見せたの」


「お前も見たのか?」


宇宙は応えなかった。

改めて薄明かりの中、隣に立つ派手な格好の女の子は誰が見ても美人でモデルの様な体系で、普段だったら訳も分からず緊張してしまうような気がする。

けど実篤は、はっきり言ってしまえば宇宙の大きな胸も、細い手足と胴体にも性的な魅力を感じなかった。

どちらかというと妹を見る様な気持ちだった。

いつも側に居る一番身近な存在。

何だか宇宙と二人で居ると酷く安心してしまった。

特大の爆弾、多分世界中の爆弾を集めたより、もっと危ない爆弾なのに、それの隣で安心なんてあり得ない筈だった。

宇宙の瞳は確実に薄暗い中で光っていた。

実篤はその光を何処かで見た事がある気がした。

宇宙の瞳の光は小さな集まりが徐々に流れになって渦を巻いている。それは地球が壊れる夢の最後に出て来た景色、全天を覆う宇宙の姿に似ていた。

本当に宇宙は宇宙なのか?


「お前って本当になんなんだよ?」


「宇宙だよ」


「なんで俺の目の前に現れたんだよ?」


「えっと、だから〝宇宙開闢(かいびゃく)の奇跡に等しい確率で開いた……」


「その長いの分からないから、もっと分かりやすく言ってくれよ!」


実篤の質問に宇宙は驚いた様に上半身を仰け反る。

そしてそのまま、足は畳を離れてぐるりと縦に廻り始めた。

畳に座り込んでいる実篤の目の前で、ブーツを脱いで素足の宇宙の指先が通り過ぎる。

透き通るような肌色の生足がゆっくりと実篤の目の前から遠ざかって行く。

すぐに宇宙は狭い実篤の部屋のなかで、まるで水槽に閉じ込められた金魚の様に、壁にぶつかりながらフワフワと浮かんでいた。


「実篤」


浮かびながら桜色の髪を靡かせて、宇宙は実篤の方を見る。


「私がここに居るのは実篤がここに居るからだよ」


宇宙の笑顔はどんな男子も女子も虜にしてしまう様な屈託のない笑顔だった。

でも実篤は逆さまに浮かびながらそんな事も言われてもと、現実から目を逸らす様にもう一度畳みに横になった。

これからどうすればいいのかを実篤は目を閉じながら考えた。

とりあえず、次の受験本番までは時間がある。

自分は明日の予定は明日になってから決める立場にいる。改めて考えると学校っていうのは色々と予定が詰まっていた。今は明日の事は明日になってみないと分からない日々。自由過ぎて実篤には何をしていいのかよくわからない。

とりあえず自分の希望としては大学に入学するという目標があるが、それまでに決まっている予定としては何一つ無い、とりあえず予定としてあるのは同窓会の話だけだった。

実篤はふと自分が通う高校の制服姿の女子生徒を思い出した。

ふわっとした黒髪、肩口まで髪を伸ばした女子生徒はキャンパスノートの束を胸に抱え込んで、少し伏し目がちに自分の前を歩いていた。

誰だろう?

そう思うのと同時にそれが誰だかは実篤は知っていた。

矛盾しているかもしれないが、意識的に女の子の名前は思い出したくなかったからか、誰だろうと他人事の様にその後ろ姿を思い出した。


「実篤?」


「うわっ」


畳に横になっている実篤の真上に宇宙が浮いていた、実篤に顔を近づけて、目は大きく見開いたままだった。


「また自分の世界に没頭してたの?」


「なんだよそれ!?」


「ふふん、実篤はすぐに自分のなかに目を向けるんだ」


実篤の目の前には宇宙の顔と薄暗い部屋でも艶やかだとわかる桜色の髪が広がる。

それが更にゆっくりと、何も抵抗無く、スローモーションンの様に近づいて来る。

実篤の目の前で形の良い唇が動く。


「実篤」


「なんだよ……」


横になっているので実篤は身動ぎ一つできない体勢で、正直起き上がって部屋の隅に逃げたかったのだが、真上に宇宙が浮いていて、身体を起こすと打つかってしまいそうだった。


「実篤と私が繋がった理由ってなんだと思う?」


「はぁ?」


「うーん、理屈としては多元世界が“奇跡よりも奇跡”の確率で繋がったって事なんだろうけど、私にはその原因は奇跡以上の確率未満の何か特別な力だと思うの」


実篤には宇宙の言ってる事が分からなかった。


「お前本当にまだ俺が見ている夢じゃないの?」


「どうしてそう思うんですか?」


「そう思いたいからだ」


「願いは現実の裏返し?」


宇宙が明るい快活な笑顔をするので、実篤は深い溜め息をついた。

俺はこれからどうなるんだろう?

そんな事をぼんやり考えながら、実篤は、今度は夢も見ない深い眠りに落ちた。






宇宙おきらく所沢(中)へ続く


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