Answer11
■結果説明■
【《問01》作品の舞台は、現実世界・現代に即していない】だけは、明確に作品内容からの読み取りです。
小説にはあらゆる分類が存在します。しかし書くのに一番簡単な小説はなんでしょう?
そう問われた場合、あらゆる回答があると思いますが、多くの作者さんはご自分の得意ジャンルを挙げるのではないかと思います。
自分の場合ですと、私小説と返答します。ノンフィクションと答えたいところですが、小説はフィクションなので。
私小説とは、作者の経験を元に書いた小説です。有名タイトルを挙げると、井上靖の『しろばんば』、川端康成の『伊豆の踊り子』、リリー・フランキーの『東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~』などです。
実体験を元にした、半ノンフィクション小説。逆に言えば、フィクションをブレンドした、人に読ませる日記・回想録です。
作家視点では現実に即した作品が、一番楽なのです。改めて世界観や設定を説明せずとも、おおよそ読者の理解を得ることができますので。
違う世界観では、説明の手間が増えるのです。 説明を省いていたら、違う世界観である意味を否定することになります。『主人公が学校に行く』の一言でも、ファンタジー世界だと識字率や教育が一般か否か、何年制でなにを教えているかを説明する必要があります。宇宙を舞台にしたSF作品だと、『地球』という星がどこに存在して、その世界においてどういう星であるか、説明が必要となります。人間が出てこない作品だと、その存在が『人間』というものをどう認識しているか、あるいはその存在同士をどういう認識をしているか、説明が必要です。
だから昔の文学作品を読むと、その時代の常識に合わせて欠かれているので、現代人では理解できないことがあります。
《問01》がYES――現実要素の少ない架空世界観ならば、どうしても作者さんの手腕が問われることになり、自己満足で終わる可能性が高くなるのです。
そして、これ単体では判断できませんが。
以下の問いでもYESが多ければ、作者さんが現実逃避をしようとしている、という風にも捉えることができてしまいます。
現実逃避の是非については語る気はありませんが、他人に巻き込むのは非と言わせてもらいます。
赤の他人の事情に巻き込まれたら、よほどのお人よしでない限り、迷惑だと思うでしょう?
【《問02》『小説の書き方は自由』『フィクションなんだからなんでもアリ』と思っている】については、作者さんの考え方にもなりますが、これは特に『自由』への考え方です。
読んだ上で作品が評価されないのは、作者さんと読者さんの考え方、オーバーに言えば『自由』の相違が原因となっています。
『自由』には大きく二種類存在します。
ひとつは束縛からの解放。人種・宗教・思想などの相違により、不当に迫害を受けた際に叫ぶ、憲法に定めらた『自由』です。マイナスからゼロにする自由と呼べるでしょうか。
もうひとつは、日常的な使い方をする『自由』です。
例えば、学校の授業や仕事がダルいから。
自分の思い通りにならないから、『自由』を求める。
ゼロ以上からプラスにしようとする。これは自己中・無法のニュアンスに近い意味です。
『小説の書き方は自由』という言葉は、真実であり、同時に間違いでもあります。
まず念頭に置く必要があるのが、『小説を書く』という行為そのものが、物語やキャラクターに束縛を与え、自由を奪う行為であることです。
世界やキャラクターに名前をつける。物理法則を定める。口調や外見設定を与える。
本当に『自由』なら、作品連載中に理由も説明もなく気分で変えてしまっても、なんの問題ないですよね?
正義のヒーローが洗脳されたわけでも脅迫されているわけでもなく、大破壊大殺戮を始めて、なんの葛藤もせず欲望のままに生きてもいいですよね?
それどころか、作家にしかわからない謎言語で書いても、問題ないですよね?
だって『小説の書き方は自由』なんですから。
しかし実際には、許されません。そんなことをしたら、読み物として全く機能しません。
だから『小説の書き方は自由』というのは、間違いなのです。
ならばなぜ『小説の書き方は自由』と言われるのか?
それは小説に書く際に大事な、発想のみに与えられるものです。
成長していろいろ経験し、常識に縛られると、思想や発想が不自由になっていきます。なので常識の殻を打ち破るために、『小説の書き方は自由』という言葉は存在します。
例えば、現実には犯罪は許されません。しかしフィクションならば、犯罪を行うことが推奨され、賛美の対象になる、弱肉強食の世界も許されるのです。
そこから先に自由は許されません。『弱肉強食』というルールが存在するため、作者の気まぐれで変えてはなりません。現代人にはごく普通の人権観を持つキャラクターは、意思を貫くために様々な困難に打ち勝つか、強者によって倒されなければなりません。異質な法治国家が存在するならば、設立と維持を設定し、読者に納得させなければなりません。
なおかつ、『作者は読者に楽しんで読んでもらえる作品を作る』という、絶対的な束縛を自ら作ることになります。読者を楽しませる義務は放棄できますが、同時にその作品を擁護する権利も捨てているわけですから、いかなる批難をされても反論は許されません。
小説で許されている自由なんて、製作過程全体では1割もありません。ですが残り9割を作るために、その1割が自由でなければならないのです。
で。問題となるのは、【《問02》『小説の書き方は自由』『フィクションなんだからなんでもアリ』と思っている】【《問03》作品を批難されると不快になる】 【《問04》作品を批難する人は、嫉妬でそういうことを言うのではないかと疑う】が、共にYESの場合です。
罵詈雑言は問題外ですが、正当評価されていて尚、作者さんが受け入れられない、捻くれた捉え方をするということは。
作者さんが常識はずれである可能性があり、さらに今後もそのままである危険もあります。
進学や就職で親元を離れて状況したことがある人は、経験があるでしょう。自分が何気なく使っていた言葉が方言であったり、トランプのルールが知らないものであったりするなど。
自分の知っている常識が、他の誰かには非常識であるかもしれないのです。
それを理解し、すり合わせる努力を知らない作者さんは、非常識さが作品内に現れやすくなります。
【《問05》主人公は作者さんご自身、あるいは好きな作品のキャラクターを元に作成】【《問06》もしも主人公が現実にいたら、多くの人々に愛される人物だと思う】【《問07》もしも次元の壁を越えることができるのならば、主人公と入れ替わりたい】は、どれほど作者さんが主人公を愛しているかの判断です。
ご自分の作品、しかも主人公を愛するのは当然です。
そしてキャラクターというのは、作者の切り売りです。どこかしら似通った部分が出てきます。どう頑張っても、全然知らないことを書けるわけないのですから。
なので同一視する作者さんが結構な割合でいます。
これは作家としては危険な徴候です。
ご自分の昔を思い出してください。
親に素直な子供でしたか? 反抗期でも反抗ひとつせず、親の言うことを素直に聞き、親の望むことをすべてあなたが叶えてきましたか?
仮にあなたの親御さんが昔、音楽家になる夢を挫折したとして、あなたをピアノやバイオリン漬けにしていたら、反抗せずにその道を歩んでいたと思いますか? いえ、納得づくで現在その道を歩んでおられるなら、それで構わないのですけど。
よくある話ですが、これは親が子供に自分自身を重ね過ぎて、自分の分身のように錯覚しているから起こることです。
しかし当たり前ですが、子供は親の分身ではありません。
同様に、作者と主人公は別人です。生きている次元が違うのですから、当然です。
■改善■
これは『改善しろ』って言ってどうにかなるものでありません。
社会人の方なら、中高生の言動を思い出して赤面することあるでしょう?
その時に周囲の人が忠告しても、ほとんど聞かなかったのではないでしょうか?
なので、これはご当人が痛い目を見て、思い知らなければ、改善なんてできません。
痛い目を見れば、自然と改善を意識しますから、現時点の忠告なんて意味を持ちません。
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