第50話 あなたが欲しいと言うけれど

「ほんとーっに、ごめん!」

 ティルがトビウオでザッフェルバル総督府に戻り、執務室に入るやいなや、ヤチが両手を合わせて頭を下げていた。

 確かに移動中、ミツバから折り入って相談がしたいと連絡はあったが、

「……えっと、あの?」

 そもそも何に謝られているのか、事態が飲み込めないティルは首をかしげるばかり。

 それを見て、同行してきたミツバはすぐにヤチの頭をはたきながら、

「詳しい事情はこれから話します。閣下。まずは面倒なことになった、ということだけ頭に入れていただければと」

「は、はぁ……」

 どういう話だろう。普段、官吏や法官の関係で揉めたときはもっと上の人たちと相談しているのだけれど……と疑問は解けないまま。

 ティルはひとまず応接用の椅子に腰掛け、ヤチ、ミツバに座るように促した。

 もちろん、レファには温かい飲み物をお願いすることも忘れずに。



「つまり」

 ミツバの話をごくざっくり要約するならば、

「ヤチさんが、警衛隊の法官に求婚されてしまったと……」 

「うん……」

 そういうことらしい。

 祝勝会の折、ヤチと決闘の約束をしたザッフェルバル警衛隊の法官の男が、その後も決闘を求めてヤチにしつこくつきまとってきていたんだとか。

 さらに悪いことに、つきまとううちに相手方の気持ちが一方的に盛り上がってしまったようで、

『イデアの女戦士に決闘を申し込む。勝利のあかつきには、彼女を妻として迎えたい』

 と、警衛隊内部で宣言してしまったらしい。

 その宣言に、男の一世一代の大舞台であればと、警衛隊内部が一気に盛り上がり、話は警衛長までとんとん拍子に駆け上がり――。

 今まさに、警衛長直筆の直訴状が、ティルの目の前に置かれていた。

「なんというか、まあ……」

 さすがに、ティルも引きつった笑みしか浮かばない。

「申し訳ありません。決闘用装備の準備に手間取っているうちに、変に話がこじれてしまって……」

 ミツバも申し訳なさそうに言う。はじめは親善試合のような、和やかな模擬戦程度の認識で受けたのですが、と。

 陸戦隊や外交部が当初想定していた、法官と機人歩兵“夜叉改”との対決、という想定は、しかし警衛隊側から一蹴されてしまったとか。

 なんでも『戦士同士が交わした決闘の約束で、代理を立てるなど断じてあり得ない』と。

 ならば約束をしてしまったヤチ本人が戦うしかなくなったわけだが、法儀も使えず筋力もさっぱりのヤチでは勝負にならない。

という事で、急遽補助用の機械――パワードスーツと言うらしい――を用意することになったのだが、その開発と調整が思いのほか難航し……という状況らしい。

「決闘は2週間後。これ以上の先延ばしはできません。相手側も納得できるような勝ち方ができるようにしますが、それ故にさじ加減を誤れば負けもあり得ます」

「そんなに、難しいのですか?」

 I.D.E.A.の技術をもってすれば、一対一の勝負で負けはないだろうとティルは思ったのだが、意外にもミツバは首を横に振る。

「細かいところまでは聞いていないので、今はなんとも。ただ、急造の開発チームはてこずっているようです」

「うん。あれはなんと言うか……ヤバイね」

 ニホン語のなかでも古くから伝わるらしい強調語を使ってヤチも真顔で言う。

「……ヤバいのですか」

「うん。超ヤバい。正直、五分五分ぐらい。あの装備をあのまま使うとなると、ちょっと自信ないな……戦ってるうちにハンバーグになりそうで」

「?……??」

 “装備を使っているうちに挽き肉料理になる”とは、いったいどんな戦いになるのか。

 ヤチと話しているとたまに翻訳法儀が対応できない言い回しが出てくるので、ティルとしては地味に頭を使う。あとでまたカズキに聞いてみよう。

「そういうことですので、閣下には、万が一敗北したときにヤチがうまく逃げ切れるよう、手回しをお願いしたい。……不躾ではありますが、そういうお願いとなります」

「承知しました。こちらもできる限りのことはします」

 ティルとしても、ヤチが結婚を望まないのであれば友人として庇ってあげたいと思う。それ以上に、天の御遣いに求婚することそのものが不敬ではないか、とのティル自身の思いもある。

 どうにか理屈を組み立て、庇わなくては。詳細は国法典をと解釈書漁りつつ、後日カズキやミツバと詰めていこう。

 もちろん、ヤチが勝てば万事丸く収まるので、

「ヤチさんも……その――が、頑張って勝ってくださいねっ!」

「ううう……頑張るよ……」

 珍しく弱気なヤチを、ティルは心の底から応援する。どうか、ややこしい話になりませんように、と。



「うちのうっかり先輩がたいへんなご迷惑を……」

 次の日、それらの顛末をカズキに話すと、深々と頭を下げられた。

 事情はカズキもすでに把握していたらしい。

 しおらしいカズキの姿に、ティルは慌てて補足する。

「いえ、むしろこちらの不信心者が軽挙妄動に走ったのがいけないのでっ!」

 真面目に帝国法を学び、実践する身であるティルとしてはその辺が大変いただけない。

 どれだけいただけないかというと、ほんのり頬を膨らませながら国法典と解釈書のにらめっこをし、夜通し理論武装と根回しの手順を組み立てていた程度にはご立腹である。

「自分も先輩が決闘の約束をしてしまった現場に立ち会っていたので……うまく立ち回れず申し訳ないです」

「そ、そうだったんですね……」

 それはそれでカズキの申し訳なさもわかる気がして、ティルも苦笑を返すしかない。

 総督代行になって以降、ティル自身のことではない事件やうっかりで振り回されることが格段に増えたが、こういう時はカズキも同様であることが少しおかしくて、なんともいえない笑いが浮かんでしまう。

 だが、まあそちらはそちらでどうにかするしかない。

 ……そういえば。

 昨日、カズキに相談しようとしたのだが、ヤチの話が飛び込んできてそちらの対応に終始してしまったので、すっかり忘れていた案件のことを思い出した。

「カズキさん。もうひとつ、別件のご相談をよろしいでしょうか」

「あ、はい。何でしょう?」

 口にしてから少しだけ伝え方に迷ったが、結局そのものそのまま伝えることにした。

「どうも、私にも縁談が来ているみた――」

「ゲホッゴホッグエホッ」

 言い終わる前に、カズキが思いきりむせた。



 予想だにしなかった言葉に、和貴は思わず咳き込んでいた。

「だ、大丈夫ですか!?」

「えっいやっゲホッ大丈夫でゲフンゴフン」

 必死に取り繕ってみたものの、ティルの表情は明らかに心配げで、大丈夫と言い切るには苦しい状況だろう。

 和貴はひとまず口周りをハンカチで拭きながら、動揺を抑えつつティルの言葉を受け止める。

 ……縁談、か。

 和貴たち外交部も全く想定していなかったわけではないが、思ったよりもはるかに帝国内での動きが早かったようだ。

 ティルの年齢は地球人換算で十六~十七歳程度。

 帝国ではすでに成人とされ、平均的な貴族の子女ならば、親が決めた婚約者と結婚の準備にとりかかったり、結婚相手を探し始める年齢であるが、これまでのティルは巫女という立場から、そのような俗習から切り離されていた。

 天の御遣いへ捧げられる存在は純潔でなくてはならず、万が一にも軽挙妄動に走るような輩とは厳重に隔離され育てられていたからだ。

 そんな宗教的象徴の少女が、突然ザッフェルバル総督代行に任じられ、彼らと同じ“法官”の立場に降りた事件は、法官たちにとって驚きをもって迎えられたはずだ。それから一年も経たないうちに、求婚に走る輩が現れるとは。

 外交部の中では、もうしばらく様子見が続くかと読んでいたのだが、どうやらアテが外れたらしい。

 ……避けては通れない道、とは考えていたけれど。

 来てしまったものは仕方がない。ならば選択肢は一つだ。

「すべて断りましょう」

「そんなあっさり!? い、一応お会いしてからでも……?」

「会わずともわかります。はじめはニコニコと人当たりがいい好男子や紳士を装っておきながらいざ結婚すればティル様を飾り立てるだけ飾り立て檻に閉じ込めて満足する下衆どもに違いありません。まったく度し難い」

「カズキさんの言葉から謎の悪意を感じるのは気のせいでしょうか……?」

「気のせいです」

 しらを切ったものの、若干何かがにじみ出てしまった。その点は密かに内省しつつ、現実的な対処を考えるべく和貴はティルに問う。

「そもそも、その縁談とやらはどこから来た話ですか?」

「皇帝陛下から、いくつかの家から縁談の申し出があって、と……」

 ティルは生まれの家を、家族を持たない。

 真偽は不明だがその出生は、数十年に一度、帝都の地下深くにある“聖域の祭壇より授かる聖なる子”とされているからだ。

 それゆえ今のティルは帝国皇帝が身元引受人となっている。

 帝位継承権を与えぬために正式な養子の扱いではないが、帝室の人間とほぼ同格の扱いとすることで、若くして総督代行という地位に説得力を持たせているのだ。

 ……そんな存在に縁談を申し出る根性のある家が、どれほどあるのか。

「参考までに、どのような家から?」

「エルフェヴ家のお孫様、ゲーヴェル家の次期当主様、ディベロズ家の長男……」

 続々と上がる名は、いずれも帝都近隣の領国を預かる枢機卿や名家。皇帝の信頼が厚いとされている家名ばかり。

 露骨とさえ感じられる人選に、和貴はすぐに合点がいった。

 ……皇帝が“集めた”というところか。

 それならば、この早すぎる縁談も理解できる。

 異形の軍団I.D.E.A.とのつながりを持ち、先日まで神聖不可侵とされていた少女に縁談を持ちかける物好きが、こうも早期にぞろぞろと現れるはずがない。

 ……大人しくしていろ、と。皇帝からのメッセージか。

 縁談に乗るならよし。断る場合も、これは遠回しな嫌み、あるいは警告であることを理解しておけ、と。

 ティルを自由に動き回らせ、ひいては、ティルを通じてI.D.E.A.が好き放題にしている状態を、いつまでも放置しておくつもりはない、と。

 これに対して、I.D.E.A.から返すべきメッセージは――。

「……やはり、どなたかを選ばなくてはなりませんか?」

 対処について和貴が真剣に考え込んでいると、ティルが恐る恐る尋ねてきた。

 思いのほか重要な話であったことを察したのだろう。先ほどよりも硬い表情だ。和貴も、少しばかり言葉を選ぶ。

「帝国では、婚姻が政治的な駆け引きの一部、と我々は聞き及んでおります。ティル様はご存じですか?」

「書物や侍女のたちの話で、それとなく」

「これは、まさに“それ”です」

 和貴の言葉に、ティルは小さく息をのみ、手を握り小さく俯く。

「では、私が選ぶべき相手は――」

「この中にはいません。少なくとも、政治的には」

 どの男も現役の当主はおらず跡継ぎばかり。領国を預かっている家でも、代替わりまで何十年かかるか知れない子や孫との縁談だ。

 一方、ティルが座るザッフェルバル総督の地位は特例で与えられた仮のもの。正式にティルが婚姻関係を結ぶとなれば、ザッフェルバルの指導権を持ったままとはいかないはずだ。

 つまり、結婚が決まった時点で、向こう二十数年はただの貴族の妻としてティルの自由は封じられることとなる。皇帝もそれが狙いだろう。

 今回の縁談に、ティルやI.D.E.A.側の政治的なうまみは、ない。

 唯一、そこが覆るとすれば、本人の意思だ。

「ティル様の意思は、どうなのですか? 政治を抜きに、この中の男性の中で、結婚を考えてみたい方はおられますか」

 ティル本人の希望で、政治的駆け引き抜きに好いた相手と結ばれたいというのならば、それはそれでありだと考えていた。

 I.D.E.A.としては当座の貴重な協力者を失うだろうが、和貴個人の考えではあるが、彼女ならばいずれ別の形で力を貸してくれるだろうと信じている。

 なにより、未だに結婚と政治が密接に絡み合う社会に生まれてしまった彼女が、自由に相手を選べるのならば、それが一番だと思うから、彼女自身の希望ならば、上を説得するために力を割いてやりたいと、和貴は考えていた。

 けれど、

「……今はまだ、そういうことは考えられません」

 ティルの答えは、やはりまだカズキの予想通りのもの。

 ならば、政治的に価値はなく、ティル自身も望まない相手との縁談を進める価値はない。

「では、その前提で進めます。陛下からの直々のご提案ですから、相手方と会食程度はする必要はあるかと思いますが……ひとまず、対処は外交部で慎重に検討します」

「ありがとうございます。……すみません。私のことで、ご負担をおかけして」

「気にしないでください。」

「でも、カズキさんは気にされていたようなので……」

「気にしていません」

「でも」

「気にしていませんので」

「…………」

 ティルの表情はあきらかに納得していないが、自白するよりはいくらかマシだ。

「大丈夫ですよ。この件はI.D.E.A.の利害も関わる話です。そういうときは、上も動きが早いですから」

 笑顔でそう言い切り、和貴は強引に次の話題へ話を進める。

 目下重要なのは、八智先輩がらみのドタバタだから、と自分に言い聞かせながら。



 ウィリアは、ザッフェルバル総督府で下女の職を得ていた。

 救助された後、天涯孤独の身で行き場もないと必死に訴え、農村の出ながら最低限の文字が読め、簡単な計算ができる、との設定で自身を売り込み、強引にもぎ取った職だった。

 実際は術式の習得のために高度な論理・数理を学んでいるが、怪しまれぬよう、“村の法官の教えを得た村人”相応の能力を演じている。

 ザッフェルバル総督府は、同様の身分の男女を雇い入れているようで、人手は足りているらしい。

 その割に仕事は楽ではない。というのも、増えた分だけ上がサボるだけだからだ。豚のように太った中年男女に顎でコキ使われながら、それでも数日過ごした農家の娘よりはるかにマシな生活をしながら、

 総督代行の姿は見えないが、イデアと称する連中の姿は至るところで見る。帝国とは比較にならない高度な縫製技術、鮮やかな染料を惜しげもなく使った服装。であるにもかかわらず、彼ら自身や彼らの道具からほとんど魔力を感じない。

 一人一人を殺すことはいつでもできるように思えたが、どの人間にどの程度の価値があるのかもわからない中、そんな不気味な連中にうかつに手を出す気にはとてもなれなかった。

 だからこそ、とっておきの一回に備えるべく、情報を集めねばならない。

 朝から掃除・洗濯・食事の用意・給仕とこき使われながらも、法官や官吏たちの会話には常に聞き耳を立て、下女たちの雑談には積極的に参加している。そんな立ち回りもあり、

「ねえねえウィリア。あの話決まったって!」

 仕事の合間や、今のような昼食時などには、こうしてよく同僚が話しかけてくれるようになっていた。

 彼女はウィリアの少し前に総督府に入った同僚で、噂とおしゃべりが好きな女性だ。ウィリアにとって重要な情報源の一人である。

「あの話……ですか?」

「決闘だよ! 警衛隊のクロウザル様の」

 クロウザル。カッサンドルフ教導官の長男で、イデアとの協同戦の折りには三人の竜人を狩った経験もあるという、警衛隊の中でも一目おかれている若手法官だ。

「ああ! やっと決まったんですね。相手は嫁候補でしたっけ」

「そうそう。イデアのなんとかさんっていう、女戦士さん。私も見たことはないんだけど、すごいよね! 女の人なのに、戦士だなんて」

「そうですね。本当に」

 実際のウィリアは、ある意味戦士に該当する技術を身につけているが、白々しくも同意しておく。今ここのウィリアは、あくまで農民出の少女だ。

「日付はいつになったんですか?」

「えっとねぇ。七日後だって。当日はかなり忙しいかもね」

 おそらく決闘場を使用することになれば、観客として訪れる市民や貴族たちの世話は総督府の使用人一同が担うこととなる。イデアからの助力もあるとのことだが、これまでのウィリアの経験から推測すれば、総督府側は上や中間が無能のため、当日はまず間違いなく混乱するだろう。

 そもそも、その手の情報は上から事前に開示されるべきだろうが、当たり前のように当日いきなり告げられて対応を求められることもしばしば。なので、本業とは別に、普段の下女としての職務においてもこうした情報収集は欠かせない。

「ありがとうございます先輩。いつも助かります」

「なんのなんの。ウィリアちゃんにはこっちもいろいろ助けてもらってるからね。お昼からもよろしく!」

「ええ。よろしくお願いします」

 彼女との連帯感はひょっとして、総督府の使用人の中でも、お互いまだ仕事ができる方であるというところもあるのだろうな、とウィリアはひとり呆れたような笑みを浮かべるのだった。

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