第3部 翼なき刃

第48話 炎の中の笑み

 男は走っていた。故郷であったはずの、火の海の中を。

「はぁっはぁっ」

 いつかこうなるかもしれない。そう伝え聞いてはいた。

 遠い先祖たちが拓いた大切な畑。しかし、同時に魔境に最も近い、危険な土地。

 だからこそ土地神さまへの祈りは欠かさなかった。毎朝、毎夜に祈りを捧げ、不器用ながら、村の老法官の語る良き行いを尽くして生きてきたつもりだった。

 なのに。

「うああああああ……!」

 男は叫んでいた。息を切らせ、泣きじゃくりながら。

 思い出すのは最愛の妻と、生まれたばかりの娘の姿。

 悲鳴を聞きつけ、畑仕事から戻ったときには既に彼女たちは毛むくじゃらのヒトモドキに食い散らかされていた。

 けれど、仇を取るには農夫の性根はあまりに臆病に過ぎた。

 だから、逃げた。

 ……神よ、神よ、神よ……!

 祈りながら走る。死にたくない。死にたくない。ただそれだけを思いながら。

 生きるために。死にたくない。喰われたくない。理不尽から逃れたい、ただその一心で、祈り、走った。


「あなたが最後ね」


 不意に、声がした。

 彼の正面。逃げ道を塞ぐように人が立っていた。見たところ十五ほどの少女。

 血と炎の海となった村の惨状を意にも介さない表情で、男を見つめる彼女は、確か隣家の老夫婦の娘だったろうか。

 昔から知っているはずのその少女が、どこか異形めいて見えて。

「おめ……は」

「ロルフとメーリーの娘。あなたの隣の家に住んでいたウィリアよ。“そうでしょう”?」

 少女が片手で斧を構える。その手つきはあまりに軽やかで、どこか空々しいほど鮮やかな弧を描く。

 少女が男の前へ軽やかに踏み出し、その手の刃は滑るように男の眼前に。

 死の恐怖と確信を得た最期の一瞬に、

「誰だ――?」

 男は、



「さて、と」

 男の亡骸を猿奴ベルグーラスどもに放り投げ、ウィリアは一つ伸びをした。

「逃げないと、さすがに怪しまれるものね」

 叩き砕いた男の頭蓋を、猿奴どもが原型も残らず噛み砕いたのを見届けると、ウィリアは血塗れの斧を燃えさかる納屋の中へ放り投げる。

 これで証拠は残らない。後は、逃げるだけ。

「行くわよ」

 村の法官の屋敷から拝借したゲフォンにまたがり、走り出す。訓練以来久しく馬は扱っていなかったが、叩き込まれた勘はすぐに戻ってきた。

 村を囲む土壁を抜けて半刻もしないうち、耳慣れぬ轟音とともに彼女の足下に影が走った。

 巨大な物体が頭上を抜けた。その直感とともに振り仰ぐと、村へ向かう人型の影が空に在った。

「あれが……!」

 この土地ザッフェルバルの随所に根城を構え、何かがあれば飛び出してくる用心棒。

 あれこそが、ウィリアが待ち望んだ、救助者てきだった。



「あー……やだもうスプラッタ……」

 偵察無人機が先行して送ってきた映像を見て、八智は思わず眉をしかめた。

 三十数人の暮らす、ザッフェルバル領内の小さな村。そこが、魔獣たちの人肉パーティ会場と化していた。

 それぞれの住居には意味もなく火が放たれ、さらに村の中央広場では木製の家具や干し草に火を付けて、ひときわ大きな火が焚かれていた。

 そこでは村人のうち、原型の残っていた数人が串刺しにされ、炙られ、猿どもはその周りで調子よく踊っていたのである。

「やってくれやがったな猿モドキ……!」

 谷町が露骨に怒りをあらわにする。熊野は眉をひそめながらも、手元の端末で資料を閲覧しながら、

「最近出てきた、類人猿型の魔獣……だよね。たしか捕獲は――」

 熊野が記述を引き当てる前に、三宅が正解を続ける。

「画像判定待ちだが、ほぼ類人猿一型で間違いないだろう。意思疎通もできず、サンプルの捕獲ノルマもない。楽な仕事だ」

 あう……と熊野がちょうど該当の記述を前に肩を落とす。

 三宅の言うとおり、指定害獣“類人猿一型(仮称)”に対し、I.D.E.A.降下軍はこれまで五度の直接対処を行っている。

 彼らは主に山脈近くの村を中心に出現し、徒党を組んで人間の集落を襲うことがある。特に先日の境界防衛戦――“光の盾”作戦以降、散発的に出現するようになり、一度目と二度目の折にサンプルの捕獲が行われた。現在は環境科学研究所が詳しい生態を調査中だ。

 また、ザッフェルバルの法官たちの協力を得て確認した限りでは、少なくとも言語、非言語、霊的コンタクトのいずれも不調に終わっているという。

 ……ということは。

 そこまで八智も思い出し、そして少しだけ気が軽くなる。

 相手は、意思疎通ができない指定害獣。サンプルの捕獲も不要。

 対して、村人の生存は絶望的。であれば。

「やるべきことは一つですね。――では皆さん」

 第二歩兵中隊、中隊長の浜崎が、メガネの位置を直しながら穏やかに――しかし確たる意志をうかがわせる声で言う。

 暗黙の了解を、改めて明白に示すために。

「命令が下り次第、速やかに害獣を駆除しましょう」



 第一大隊司令部は、まもなく画像確認にて、村を襲撃した存在が指定害獣第一種――食人型魔獣に該当する“類人猿一型(仮称)”と断定。

 速やかに害獣の駆除作戦を開始した。

 投入される戦力は機人歩兵三個小隊。運搬するのはトビウオではなく、対地攻撃能力を持つ人型航空機“迅雷”三機。

 食人種は取り逃がした場合の二次被害の確度が高く、今回の襲撃は特に群れの規模が大きい。大隊司令部が特に危険度の高い案件と判断した結果だ。

 速やかに展開した三機の迅雷が手にしたコンテナを村の外周、南北と西側に投下。コンテナに収納されていた八智、谷町、熊野の機人歩兵小隊が直ちに展開する。

 村を囲むように、各小隊の狙撃銃機スナイパー機関銃機マシンガナーが身を伏せ、待機する。

 レーザーとレールガンが混在した小口径の突撃銃を備えた部隊は、素早く装備を調えると、村の入り口に集合させる。土壁に身を隠し、いつでも突入できる体勢で待機させる。

第二小隊イクスレイ・ベータ、展開完了っ!」

第三小隊チャーリー展開!」

第四小隊デルタ、展開完了、です!」

 そうして、各三十六機編成の三小隊、完全装備の機人歩兵“夜叉改”が土壁に囲まれた村の南北と西側の三方の出入口を抑える。

 八智たちの展開と同時に、偵察中隊はさらに無人偵察子機を追加で投入。未だ激しく炎上する建物も多いため信頼度は落ちるものの、村内の敵の情報が八智たちの手元に上がってくる。

 管制卓や正面グラフィックパネルの戦域図にアイコンで表示された害獣の数は、二十五匹。

 ……よし!

 今の状況で可能なお膳立てが全て整ったことを確認し、八智は熊野、谷町とうなずき合う。

「……いつでも行けます!」

 八智が中隊長へ声を飛ばすと、待ち構えたように静かで鋭い声が来た。

「各隊、射撃分隊を突入」

「「「了解!!」」」

 八智たち小隊長が突入指示を送ると、現場の機人歩兵たちが一斉に動き出した。

 各小隊の第一分隊が主要道に面する建物を丁寧にクリアリングし、偵察機の情報に漏れがないか確認しながらゆっくり中央へ前進。

 第二分隊は偵察機が発見した個体を確実に仕留めながら、第一分隊と歩調を合わせ、包囲網の抜けを埋めるように細道から中央を目指す。

「H13、クリア!」

「H21、22、クリア! ……一ブロック前進!」

 激しく炎上する建物は避け、まずは確認できている敵を潰していく。警告なしで発砲。実弾とレーザーを叩き込んでいった。

「……大丈夫、効いてる!」

 五・五六ミリレールガンの点射や、対人レーザーが綺麗に突き刺る敵を見て、八智は安堵の声を上げる。

 魔獣、と分類されるものの、“類人猿一型”は、魔法による加護を持たない、らしい。

 肉体は魔力の恩恵を得ているためか、自然界の生物よりもはるかに強靱だが、あくまでその次元に留まっている。

 銃弾も、レーザーも、本来あるべき威力で人喰いの毛むくじゃらに叩き込むことができる。

「なるほど、確かに楽な仕事だ……!」

 谷町が口角を釣り上げながらつぶやく。

 八智も同意見だった。魔法を心配せずに済む上に、相手の生死や想定外の第三者のことはほとんど考えなくていい。

「敵、動きました!」

 対する猿たちも、襲撃に敏感に反応した。

 仲間の悲鳴を聞きつけたのだろう。あるタイミングで、山脈へ向けて一斉に走り出した。

 小道を抜け、あるいは屋根の上へ駆け上がり、一目散に駆け抜けていく。

「道もおかまいなしで……!」

「そりゃ猿だからな!」

 谷町の言葉にそりゃそうだと頷きながら八智も全機に追走を指示する。だがさすがに速すぎる。八智の小隊では追いつけない。

「火は避けてます! 私と谷町さんで……!」

 猿どもの退路に最も近かったのは熊野の部隊。次いで谷町だ。

 しかし、近いといっても屋根の上を高速で逃走する猿を追いながら狙い撃つなどほぼ不可能だ。狙うべきは村の外、開けた畑に飛び出した瞬間。

 そこに叩き込む火力には、熊野たち歩兵部隊よりも適任がいる。浜崎中隊長は迷いなくその選択を採った。

「ライトニング5、こちらイクスレイ・フラッグ。指定の座標へ航空支援を」

 音声通信とともに、中隊長は手元の端末から攻撃位置を指定し送信。即座に応答が来る。

《ライトニング5、了解! 出前一丁……!》

 軽口と同時に上空に待機した速水直哉中尉ライトニング5の迅雷が即応。

 二十ミリレールガン・レーザー複合ライフルを構え、ライフル下部に懸架されたレーザーで退路をなぎ払う。横一線に炎上する草木に驚き先頭集団が足を止めたところへ、二機の随伴無人機と同時にレールガンを発砲。二十ミリ弾の雨を叩き込み、瞬く間に猿をひき肉へ変える。

「足が止まった!」

「熊野、第二が追いつきます!」

 大半が土煙とともに二十ミリの餌食となったが、やはり取りこぼしはいる。そこへようやく熊野の部隊の一部が追いついた。

 第二分隊のうち、軽量なレーザー小銃機が五機。山間部ならまだ逃げようもあっただろうが、だだっ広い農地のど真ん中で、空と地上から挟み撃ちにされれば害獣に逃げ場などなかった。

「これで……ラスト!」

 最後に残った一匹を熊野の小隊機が仕留め、浜崎中隊長が一息おいて第一偵察中隊へ呼び掛ける。

「二中隊は確認済みの脅威目標を全て排除した。一偵に戦術効果判定を要請する」

「一偵了解。加島、エリア全域で戦術効果判定を」

「了解です!」

 対竜人戦で磨かれた対人、対魔戦術はこの場でも存分に発揮され、人食い猿は銃火の洗礼の前に残らず駆除された。



「あっけないな。他の連中の報告通りというわけか」

 最後の猿奴が殺され、魔力の糸が途切れたことを感知したデニルは、小さく鼻を鳴らした。

 やはり、だ。

 魔犬ズズブル数体を中継し、はるか遠方から猿奴たちを操作しけしかけたものの、結果は惨敗。

 日の出に襲撃した猿奴たちは、日が南天に届く前に実にあっけなくされた。

「一瞬だったね。さすが手際のいいことで」

 メネットも驚きすらしない。あの竜人たちが大挙して挑み、敗れた相手だ。いまさら小間使いの猿ごときがどうこうできる相手ではないことはわかっている。

 それでも、二人がこうして村を焼いた目的は二つ。

「敵の対応速度はおおよそ読めてきた。小規模な攻撃であれば、応戦まで半日かからない程度。これは一つの目安となるだろう」

 念話のごとき広域・高速感知能力を持ち、空を自在に高速に移動する。それが、他の密偵たちの調査結果もあわせ、少しずつ明らかになってきた敵の姿だ。

 それは奇しくも翼人の姿とよく重なる。異なるのは、魔力を用いない点と、彼らが人間を守護する点だが。

 ……人間を守る翼なき翼人、か。

 翼人とて人間を守る。

「まあいい。ウィリアはこれでとなった。これまでの奴らであれば、必ず懐へ抱え込むだろう」

 これが、二つめの目的。

 村を失った哀れな民を、あの天の御遣いどもは見捨てない。

「あのマヌケ、うまくやれると思う?」

「……ずいぶんな言いようだな。不安は残るが」

 訓練を終えたて故か、本人の資質か――ウィリアはやや詰めが甘い傾向にある。

 かといって、優秀な駒が用意できないからと、必要な時期に必要な人数を送り込めないでいれば、多くの機会を逸することとなる。

「現状ではアレが最善であると言うしかないだろう。こちらに、矢が飛ばぬようには気をつける必要があろうがな」

 いまは一人でも多くの人間を敵地へ送り込むことが必須。そして、現状ザッフェルバル界隈へ送り込める人員は限られている。それだけのことだ。

「アレ、“羽根つき”だよ。何を好き好んでご自慢の羽ちぎってまでこんなところに遊びに来たのかね」

 好奇心や使命感、あるいは権力闘争や借金。様々な理由はあろうが、

「余計な先入観は捨てろ。アレは詰めの甘い訓練終えたての新人だ。俺たちが巻き込まれなければ、それでいい」

 少しのわだかまりは、それだけで判断に迷いを混じらせる。

 不要な蔑視や嫌悪は、救えるはずの仲間――手駒と情報を見捨てることに繋がりかねない。

 メネットもそれを分かってかわからずか。

「へいへい」

 肩をすくめるだけで、特段の反論もしなかった。

「続報を待つしかないさ。奴が何を持ち帰るのか、我々も自分の仕事をしながら楽しみにするとしよう」

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