第45話 すり抜けるもの

 三つの戦線のうちで最も南方。領国トルディンゲンへ迫る竜人たちは、かげつ級三番艦せいげつが迎え撃った。

 初の実戦となる第三大隊。しかし彼らはこれまでの戦訓と、それに基づく訓練をもって、どうにかその役割を果たした。

 ティルのジャミングによる支援や、あけぼしの大火力がなかったものの、同時に交渉任務がなかった分、戦況の推移はむしろかげつよりもスムーズ進んだと言える。

 隘路を密集移動中の軍勢にガトリング砲を抱えた第二〇三飛行隊サンダーズの迅雷による強襲をかけ、続けて砲兵隊による集中砲火を叩き込む。

 不意討ちと砲撃に混乱した敵へすかさず戦車隊と二脚無人機、機人歩兵を送り込み挟撃。航空支援も途切れさせることなく、第三揚陸機動大隊はほとんど完全に敵を地獄の釜に閉じ込めた。

 阿鼻叫喚の釜の中で、数多の竜人たちとともに“三人目”の男もまた、人知れず流れ弾で肉片に変わっていた。

 ――そして、ここに大勢は決した。

 三領国の防衛を担当したかげつ、あけぼし、おおとり、せいげつ。

 反応弾を逃れた敵軍一万五千の大半を鉄火に投げ込み、そうして全ての戦線が掃討戦へ移行していた頃。

“四人目”の女性が人知れず境界線を越え、領国ミルトダースへ足を踏み入れた。


* 


“彼女”は誇り高きウェウス翼家門の、第三席次たるルダ家の次女として生まれた。だが、彼女に両親から名が与えられることは、ついになかった。

 彼女の背には翼がなかったのだ。

 正確には、生まれたときから驚くほど小さかった翼は、まともに成長することなく、羽の一枚も生えることがなかった。

 まるで人間にせんとするようなおぞましい見た目。翼人の間では『羽なし子』と忌み嫌われる奇形だ。そのようにして生まれてきた子は、生まれてすぐに殺されるか、家から追放されるのが習わしだった。

“彼女”は生まれてすぐに乳母に預けられ、その翼に成長の余地が見られないことを確認されたのち、名無しのままルダ家を追放となった。

“彼女”に残された道は二つ。人間に交じって牧場に入るか、専門の訓練を受けて人間世界に潜む密偵となるか。

 両親から、あるいは家からの最後の慈悲だったのか、あるいはただの偶然か、彼女は牧場行きは免れ、密偵としての訓練を受ける道へ進むことになった。

 そこで彼女は帝国語で『ウィリア』と発音される識別名称を与えられ、不格好な翼もどきは根元から切除され、翼人ではなく人間として生まれ変わることになる。

 各地から集められた人間の訓練生たちとともに生活し、念話ではなく常に喉から声を出して帝国語で話し、訓練の中で密偵の技術と知識を徹底的に叩き込まれた。

 ――そして彼女はここまできた。



 ベファン山脈の帝国側の麓に小さく空いた洞穴。地下水が川となり、岩を削って山裾から這い出てできた、名もなき洞窟だ。その底には今も新鮮な地下水が洞窟の奥から湧きだし、洞窟の中から川となって流れ出している。

 その洞窟をから抜け出したウィリアは、ようやく久々の空を仰ぐことができた。

「空……。やっと抜けたってことね」

 彼女が通ってきたのは、バカみたいに長いトンネルだった。

 はじめは魔力晶石を採掘するために掘られた坑道を進んでいたが、そこからさらに細く狭いトンネルが掘られていた。

 なんでも小部族が人間の密猟(半ば公に黙認されてはいたが)を行う際に、人間軍の目を逃れるために掘ったものとのことだった。

 このトンネルの中は、未だ採掘されていない魔力晶石の原石が大量に埋まっており、地下の精霊の魔力がトンネル内に満ちていた。同じく魔力探知の力を持つ人間軍たちの目をかいくぐるのに都合がいいそうだ。

 魔術の一つでも使えたら体力の負担もだいぶん楽だったろうが、残念ながらウィリアは魔術とそれに類する能力のほとんどを封じられていた。密偵であることの露見防止のためであり、自己の判断での解除はできない。本国にいる上官からの遠隔操作か、協同する他の密偵の判断でのみ解除することができるため、単独での隠密行動中はどう足掻いても魔力の恩恵にあずかることはできないのだった。

 そうして、人一人がやっと通れるような狭い空間を時間も解らぬほど進み、幾度も現れる分岐を事前の指示通りに選んでようやく、彼女は日の光を見るに至ったのである。

 上の言葉を信じるならば、そこは人間の国、アルフ・ルドラッド帝国の行政区分ではミルトダースと呼ばれる領国の辺境。征伐軍の管理区域。マズノ村の近くのはずだった。

「確か、この下流に……」

 洞窟から流れ出した川は木々の森の中を緩やかに流れていく。その先にウィリアは合流すべき人間がいると聞かされていた。風貌は明かされていないが、二人組のはずだ。

 慎重に歩みを進めていくと、川岸から少し離れた、ひときわ大きな木の根元に二つの人影があった。土褐色のフードを目深にかぶった翼なしの姿は、間違いなく人間だ。

「やっと見つけた。あなた達が――」

 手を振って呼びかけて、ウィリアはすぐに自分の迂闊さに気付いた。

「どなたですか。俺たちは、ここに山菜取りに来ているだけです。人違いではないでしょうか」

 案の定、返ってきた言葉はこれだ。

 ……失敗した。

 本物であれ、偽物であれ、そう答えるほかないだろう。

 お互いにお互いの顔を知らない。ならば、万が一にも自分からそうだと言ってくることはない。

 ウィリアは、長い長い洞窟を抜けきった疲労と安心感ですっかり頭が鈍っていると反省。改めて、事前の取り決めをなぞっていく。

「すみません。少しだけおたずねしたいのですけれど」

「なんでしょうか」

「『地の底で魚は捕れるでしょうか』」

 その発言に、男は呆れたような、少しだけ安心したようなため息をつき、

「『みな裁きの火龍様が召し上がられましたよ』」

 上から与えられた符丁が一致したことに、ウィリアもほっと息をつく。

 だが、相手の目は少しばかり冷ややかだった。

「不用心に過ぎるぞ、まったく。素人か」

「ごめんなさい。少し、長旅で疲れてしまっていたようで」

 素直に謝罪するが、隣にいた人影――女のようだ――が、あからさまに不愉快そうな表情で、

「言い訳にもなんないね。そんな間抜けに巻き込まれて殺されちゃたまったもんじゃない」

 あからさまに嫌味ったらしく言う。だが自分の落ち度だから反論しようもない。

 ウィリアが黙っていると、男は非難を重ねるつもりはないようで、

「小言は後にしよう。移動するぞ」

 端的に言って背を向ける。

「ついてこい」



 べファン山脈の裾野の森の中。

 ウィリアは森の木々の根で巧妙に隠された洞穴に案内されていた。

「今は外が騒がしい。ここで静まるのを待つ」

 先導した男は、灯りもつけず、男は洞窟の奥で腰を下ろす。

 女もどっかりと腰を下ろしたので、少しだけ離れたところでウィリアも腰を落ち着けた。

「いつまで、ここに?」

魔犬ズズブルをいくつか出している。敵の動きは見た目も音も派手で目立つから魔犬の目と耳でも十分だ」

 確かに、外に出てから遠雷のような、地響きのような音が度々響いている。魔術によらない攻撃手段を持つと言うことだが、まさか人力で雷を起こしているわけでもないだろう。いったいその音の正体はなんなのか。

「この音は……?」

「さてな。ただ、魔力も音もなく、突然大地が破裂する光景を見たことがある。そういった手合いのものだろう」

「…………魔力も、音もなく?」

「ああ。軍勢の足元から突然土柱が上がり、遅れて轟音と風が来る。ちょうど、遠く離れた雷のようにな」

 思わず本当かと問いただしたくなる、吟遊詩人の語る神話のような現実離れした言葉。

 だが、現に響いているこの音は、その言葉に少なからぬ説得力を与えていた。

「あなたたちは、彼らのことをどこまで知っているの」

「お前が知っていること以上のことは知らんだろうな。報告は全て上げているが、俺たちに他の連中の情報は滅多に入ってこない」

 言われて、ウィリアは思い返す。自分が狙うべき相手の情報を。

「帝国がその危機に際して呼び出した、伝説上の存在。天の御遣い……」

 彼ら自身は“イデア”と名乗る、謎の異種族。

 身体構造は、少なくとも外見上は限りなく帝国人に近い。赤毛が多い帝国人に対し、彼らは黒髪が多いが、黄色や茶色い髪もしばしば見受けられる。

「そう。伝説上の存在と言いながら、魔術や魔力へは極めて鈍感だ。一方で、それと異なる感知能力、もしくは技術を持つ」

 男がウィリアの独り言に続け、女もそれを茶化すように付け加える。

「何をどうやってるのかさっぱりわかんない飛び道具を使うし、最近の攻撃は加護や防御魔術を破ってくる。はっきり言ってお手上げ。今回の威力偵察も、きっと全滅だね」

 男は女の「そうだな」と頷いた。

「わかっているのはそれぐらいだ。そこから先は、これからのお前と俺たちの仕事次第になる」

「ええ。わかっているわ」

「ま、せいぜい手足が吹っ飛ばない程度に頑張りなよ」

 ウィリアの答えに水を差すような女の一言。だが、その言わんとしていることはすぐに解った。

「あなた、手が……」

 余り意識はしていなかったが、よく見れば、彼女の腕は、精巧な義手のようだった。

 ほとんど生身と変わらないように見えて、しかしウィリアには解った。その動作に時折、生体義肢特有の奇矯なけいれん動作が見て取れたからだ。

 羽なしの自分に全てを教え込んだ翼人の教官が同じモノをつけていたから、ウィリアはよく覚えていた。

「そ。デニルも、あたしも。軽くイデアの連中にちょっかいかけたら、“謎の飛び道具”で大やけどってね」

 そこで男のものらしき名前が出て、ウィリアはわずかに目を見開く。名前を教えてもいいのだろうか、とウィリアが戸惑っているとデニルと呼ばれた男が先に口を開いた。

「ああ。名前を伝えていなかったか。俺はデニル。こいつはメネット。いくつか使い分けている名はあるが、今はそう呼ぶといい。あんたは」

 問われて、ウィリアは考え直す。どのみち後で伝えることになるのなら、はじめに全てを伝えてしまってもいいだろう。

「ウィリア」

 まずは識別名を告げる。自分が最もはっきりと記憶している名。

 その後に使用する偽名もまた続けて伝えておく。

「マズノ村のナーベになった後、隊商で働くエルスになり、キート村のウィリアとなる。そういうことになっているわ」

「なるほどな。そういう筋書きか」

 ウィリアの任務は、いくつかの人間を踏み台に入れ替わり、最後にはキート村の同名の少女と入れ替わること。そして、敵の兵士の末端に接触し、内情を調べることだ。

「確かに今のザッフェルバルはイデア神様もどきの手が隅々まで届きつつある。確かにここは大神将の居城が近いが、法官相手なら逆にこちらも慣れた手が使えるし、ミルトダースの連中がザルなのは言うまでもない……なるほど悪くない賭けだ。長旅の意味もあったと言うことか」

 独り言のように自己完結し、小さく笑みを浮かべるデニル。

「ではウィリア。今は休め。見張りは俺たちがやる。どのみちあとしばらくはここから動けん」

「わかったわ」

 デニルが獣の毛皮を差し出し、ウィリアは素直に頷き受け取る。どのみち越境で大きく体力を消耗していた。動くと言われたら反論していたところだ。

 下に毛皮を敷いて横になる。岩肌が体に痛いが、直接よりはましだ。

 訓練でも似たような目にあったな、とぼんやりと思い返しながら、身体の重さに引きずられるようにウィリアの意識はすぐに闇の中へ溶けていった。

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