第31話 誇り高き剣の名は
「まもなく、ファドル・リフオン城塞です」
馬車の中。レファの声が聞こえ、和貴は目を開いた。少しばかり寝ていたようだ。
懐からワンドを取り出し立ち上げる。ホーム画面の時計は既に出発から半日が過ぎていた。
「ようやく……」
小さなティルの声。見れば、和貴の向かいに座った彼女は窓の外へ顔を向けていた。
午後の日差しに照らされるティルの横顔。その美しさに、和貴は意識して目をそらし、その視線の先を追った。
そこにあったのは、遠くそびえる目的地。ファドル・リフオン城塞。
征伐軍の本拠であり、大神将の居城。
谷をまるごと塞ぐ、壁のような城。地球の建物で言えば貯水・発電ダムだ、とI.D.E.A.の誰かが評したように、画像で見比べた両者の姿は奇妙なほど似通っていた。
やっとその姿が見れたことに、和貴は安堵を覚えながら心中ですこしだけ愚痴をこぼす。
……トビウオで来れたらよかったんだけれど。
今回はザッフェルバル総督府としての訪問であるので、I.D.E.A.の連絡艇トビウオや航空揚陸艦ざんげつなどで城に乗り付けるわけにもいかなかった。
そのため、和貴たちは近くまでトビウオで乗せてもらい、そこから半日ほどは現地の高級馬車の乗っての移動となった。
馬車――と言っても、正確にはゲフォンと呼ばれる馬と牛の間の子のような四足の大型哺乳類が引く木製の客車だ。
客車は総督用に仕立てられたものとはいえほぼ木製……だったので、車輪をゴム製に取り換えサスペンションを組み込むなどの改造を施した。
けれども、路面は石ころだらけで、結局はとても乗り心地がいいとは言いがたかった。
寝落ちてしまったのも、逆にそれだけ地味に体力を消耗する乗り物であったからだろう。
「カズキ様、お疲れではないですか?」
「ああ、いえすみません。少し寝てしまっていたようで」
「いえ、その。……すこし珍しいなと、思ったもので」
くすくす笑うティルには悪意は感じない。けれど、どうしてもバツの悪さは感じざるを得なかった。
「カズキ様の寝姿を見るのは初めてでしたから、なんだかとても新鮮でした。……あ! これ、お借りしてるワンドで“写真”をしてみたんですよ。上手にできたと思うのですが」
ティルに貸与されていた
……うわあ!?
なんだそれカメラ機能とかいつの間に習得したんだなんでこんな時も持ってるんだというか超恥ずかしいしやっちゃったうわぁ、と和貴は動揺のあまり、
「え、あ、その、あんまり、他人の姿とか、許可なく写すのは良くないことなので、写すときは本人の許可を取りましょう、ね……?」
うっかり説教してしまった。案の定、得意げだったティルの顔が目に見えてしぼんでいく。
「そ、そうなんですね。大変なご無礼を、申し訳ございません……」
「…………」
レファが無言で和貴を睨む。「わかっていますよね?」とでも言わんばかりの目で。
……あー、もう……。
「……その写真、残しておきたいですか?」
「あの、カズキ様が嫌だとおっしゃるなら……」
そんな悲しそうな顔で言われたら断れるわけがなかった。こんなしょうもない話でティルをしょげさせてしまうぐらいなら、潔く犠牲になろう。これは職務なのだから。
「今回だけですよ? 次回はちゃんと声をかけてくださいね?」
「は、はい!」
「あと……他に人には見せないでくださいね?」
念のため釘をさしておく。明里とかやっちー先輩の手には渡してはならない。コラ素材とか向こう半年はおもちゃにされてしまう。
「わかりました。私だけの、秘密にします」
「ええ。そうしていただけると、助かります」
「私だけの……えへへっ」
なぜだか機嫌が戻ったようで、和貴はほっと息をつく。
レファの視線も安心三割呆れ七割に変わったので、とりあえず山は越したと判断。
外を見れば、いよいよ城塞の威容が近づいてきていた。まもなくだろう。
「カズキさん」
「はい」
「うまくいきます、よね?」
「当然です」
和貴は断言があまり好きではない。世の中に絶対なんてものはないからだ。
けれども、今はためらいなく言えた。
「下準備は万全、根回しもしました。……ティル様が、いつもどおりできれば、それで大丈夫ですよ」
ティルの本番の強さは折り紙つきだ。
その上で、今回の交渉の下準備は徹底して完了している。
皇帝にも直訴を済ませ、征伐軍副将たちにも連絡将校を通じて『今回の計画』の了承は得た。
総督府からも、手間はかかったがどうにか了承を得られた。ティルの影響力が強まったおかげだろう。
I.D.E.A.側への根回しも万全に済み、関係各部との協調の上、承認も取り付けている。
外堀は全て埋めた。
あとは、最後の砦、大神将を説き伏せるだけだ。
……大丈夫。
根拠の無い自信――などではない。これまでの積み重ねに基づく確信だ。
「やりましょうティル様。大神将閣下の、度肝を抜いてさし上げましょう」
「……はい!」
*
「で、遠路はるばる、なんの話だ。ザッフェルバル総督代行」
それが会談早々にティルに投げかけられた、大神将の言葉だった。
ティルを始めとしたザッフェルバルの書記官やカズキたちI.D.E.A.の顧問たちが着座するやいなや、足を組んで実にふてぶてしい様。
大神将ガイタス・グルム・ゲッファナス。
大神将の位を与えられ、十年にわたってこの地を守り続けてきた偉大なる人物。
枢機卿に並ぶ名誉職にある彼は、以前のティルと同格、現在のティルよりも上の位階にある。
……大丈夫。私は、大丈夫。
この程度は、ティル自身も想定していた。カズキから渡された調査資料を読んでいたから、このような扱いを受けることは想像に難くない。
礼を失した大神将の言葉にも揺るがず、ティルは改めて精一杯背筋を伸ばし、持ってきた言葉をぶつける。
「先日、当領国に、魔の者どもが侵入する事件がありました。改めてこの件に抗議をさせていただくとともに、征伐軍にさらなる防衛の強化をお願いしたく参りました」
「防衛の強化? ……だとよ。エルバド筆頭副将。どう思う?」
話を振られた副将は「は」と頷く。
「我々は常に全力で最善を尽くしています。力及ばぬ点があるというのならば、それは全て兵力の不足によるものです。防衛に手を抜いたことなどありません」
筆頭副将の優等生然とした回答に、大神将は苦笑を浮かべる。
「そうだ。我々は最前を尽くしている。だが、数が全く足りない上に、優秀なやつから死んでいく。志願は減るばかりで、数合わせに送られてきたのは規則を犯して元の所属を追われたロクデナシばかり。そこにきて帝都の魔竜騒ぎだ。残り少ない優秀な教導官二十名をはじめ、主力を根こそぎ帝都へ引きぬかれ、それが全滅ときたもんだ」
そこまで言い切ってから大神将はため息を一つ。「そうだな」と続けて大神将は言う。
「ザッフェルバル総督代行。抗議は謹んでお受けしよう。――兵力と物資が極端に不足し、まともな補充もままならぬ状態で、なお長大な防衛線を維持できず申し訳なかった」
あてこするような口調で大神将は言い放つ。それから、自虐的な笑みを浮かべたまま付け加える。
「できれば、その手のご要望は帝城に言ってくれ。哀れな大神将に、もっと兵を回してやってくれ、とでもな」
……やはり。
大神将の様子に、ティルは改めて確信した。自分とカズキが選んだ策に、望みがあることを。
だからティルは静かに頷いた。
「存じております。ですので、仰るとおり、お話をつけて――そして、この場へ参りました」
「……は?」
大神将はわずかに呆気にとられた顔。やはり、とティルは思う。自分はまだまだ、ただの小娘と侮られる立場なのだな、と。
皇帝陛下の代理として帝国の一部たる領国を預かる総督が、無策でこの場にきたとでも思ったのだろうか。
ならばそれは、大きな間違いであると突きつけなければならない。
……カズキさんと、この日のために準備を整えたのですから……!
「現在の征伐軍の全兵力はおよそ五万。うち、法儀を扱える法官が二万弱と聞き及んでおります。これは創設当初のおよそ六割の数……合っておりますでしょうか?」
「……そうだ。おおむねその程度の数になる」
話が見えない様子で頷く大神将。
だがそれでかまわない。これはただ、ティルが彼らのことを知っているという事実を示したに過ぎない。
……本題は――
「法官だけでも定数に二万不足する……この状況では、取りこぼしが出るのもやむなし。私も大神将閣下のご意見に同意いたします」
「――何が言いたい」
「数は足りず、質も悪い。征伐軍の抱えるその問題を、“我々自身のために”解決させてはいただけないでしょうか」
*
ティルは畳み掛けるように言う。
「我々には征伐軍が、大神将閣下が必要です。ザッフェルバル――ひいては帝国の国土を守るために。ですからここに、三つの力を、閣下にお貸ししたく存じます」
「三つの?」
「一つは――エルイン、ここへ」
呼びかけとともに、背後に控えていた法官五名がティルの背後に経つ。
整然と立つのは教導官と高等法官――先日の戦闘で、最後まで前線に残っていた手練たち。
その中でも「あの時のティルの言葉に命を救われた」と明言する五名だ。
「当領国から、二名の教導官と、三名の高等法官を留学という体でお貸しいたします」
「ほう……?」
「全員、先日の魔の者共との戦闘で生き残った猛者ばかりです。彼らに魔の者共への対処法を学ばせるとともに、境界線の防衛に資することができれば、と考えております」
「それは頼もしいが……法官の配置は総督の独断では変更できないはずだが?」
「ええ、その通りです。本来は、枢機卿会議の判断と皇帝陛下の承認が必要な案件です」
頷き、ティルは臆することなく小さく手を挙げた。
背後のザッフェルバル人の若い男性が静かに立ち上がる。ザッフェルバル総督府書記官である彼が、化粧箱を持ち、大神将の手元へと静かに置く。
「これは……」
「本件につき、皇帝陛下から、勅印と直筆の御名をいたただいた命令書です」
ティルの宣言とともに開けられた蓋。果たして言葉通りのものが、そこにはあった。
「バカな……!?」
大神将は書面を手に取り、穴が空くほど幾度も見返す。だが本物であることに疑いを差し挟むことはできない。
当然だ。偽造の必要などない。ティル自身が枢機卿会議に殴りこみ、皇帝陛下との直談判の末にもぎ取ってきた紛れも無い本物なのだから。
「なんと、これは真のもののようです。閣下」
横から覗き込んだ筆頭副将も驚いた様子で言う。だがいささか演技くさいのは、やはり事前に話を通していたからだろう。
「さらに総督府内での調整がとれ次第、当領国から、十人、二十人と、そちらへ回す用意があります」
「……ふむ。少し貴殿の手腕を見誤っていたようだ。しかし、それだけでは……」
「ええ。まだまだ不足でしょう。ゆえに、もう一枚、命令書があります。それが二つ目――」
次いでまた化粧箱が差し出される。その中身が同様に勅命の書であることはもはや誰も疑いようもない。
「聖導騎士団、十五名を教練という名目で供出させることに成功しました。彼らは命令書の発効と同日に帝都を発ったとのことです。人員は半年交代となりますが、当座の戦力不足には対応できるはずです」
これは既にI.D.E.A.の謁見時に皇帝陛下から言質を取っていた聖導騎士団からの増援。それを書面化したものだ。
既定路線であったとはいえ、これも今回の成果とするため、騎士団からの出発を繰り上げさせた上で命令書ももぎ取ってきたのだ。
「…………なるほど。こちらも本物か」
丁寧に確認した上で、大神将は唸る。
「あの“
だが、と大神将は言う。現実はそう甘くない、と。
「これだけの成果をもってしてなお、この防衛線を支えるには足りん。いかに手練とはいえ、二万の不足を補える二十名ではあるまい」
確かにそうだ。とティルは頷く。二万の不足に二十人そこらでは不十分。算術を習いたての子供でもわかる話だ。
ここまではあくまで、魔竜戦で損耗した兵力の補填をしたにすぎない。
大神将は言う。
「加えて現在の戦況では、全員無事に返せるとは確約できん。ゆえに、借りた兵を下手に前線に出すわけにはいかん」
「まったくの損耗がありえないということは、総督府、帝城ともに承知のうえです。……ですがそれでも、未だ必要数には及ばないことも事実でしょう」
カズキに目配せをすれば、小さな首肯。事前に想定したとおり。“時間合わせ”は、うまく行ったようだった。
ティルもカズキに向けて頷きを返し、笑みとともに席を立つ。
「それを補うための、最後のご提案が三つ目となります」
ゆっくりと歩き出し、
「長大な防衛線を守りきるためには、人員が必要。それは当方も承知の上です。けれども、魔竜の襲撃を経た現在、戦線に回せる法官の余剰は帝国のどこにもありません」
だから、とティルは歩みを止めずに続ける。
「この問題を解決すべく、ここに列席していただいたI.D.E.A.の方々からご提案頂いたのが、戦域警戒管制システムであることは、大神将閣下もご存知でしょう」
「ああ。だが、それはまだ建設中だと……」
なるべく完全な状態で稼働させたい、というI.D.E.A.側の思惑もあり、現在も未だ稼働に至っていない、切り札。
それを、
「差し迫った危機に際し、私からの直々のお願いでもって、その試験運用を早めていただきました」
告げ、ティルは迎賓室のうち、西に面したテラスに立つ。
外を一瞥し、確かに“その影”が見えたことにティルは笑みを浮かべ、
「まず、ご自身の目でご覧頂くのが一番かと存じます。戦域警戒管制システムにおける要。中央指揮所兼戦力投射プラットフォームとして完成した――」
陽光を背に、ティルは大きく腕で空を指し示す。
遠く、その彼方より来たる“それ”を。
「これは……!?」
やがて大きさを増し、ハッキリとその姿を視認できるようになったそれ。
鳥……と表現するには巨大すぎる影。
細長い“あけぼし”や“かげつ”とも違う。大きく翼を広げた肉食鳥や翼竜のごとき、その姿は。
「超大型全翼巡空母艦“おおとり”。これを閣下の座乗艦としてご用意いたしました」
自信を湛えた笑みで、ティルは言い切った。
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