グレブナー基底の猫
本日のラテアート「グレブナー基底」
タイムラインをぼーとスクロールしていると、そんな画像が流れてきた。
俺は反射的にいいね!とリツイートを押す。
直後、自分のフォロワー数がまた1減り、また一人にリムられたことを確認した。
俺は指を止めず、今度はフォローの中から「厳選!ぬこ画像」のアカウントに選び、厳選された猫画像を片っ端からリツイートしまくる。
そんな努力むなしく、気分は一向に晴れなかった。
「完了。思考は終了した。」
目の前の南條が、コーンスープのスプーンを置いた。
夜のファミレスの店内には、知らないアイドルの最新シングルが流れている。
「推察。導来 圏は、いわゆる『宣戦布告』をしたのではなかろうか。」
南條は、水の入ったコップを、手の平に水平に載っけながら言う。
毎度こぼれないかヒヤヒヤするが、今はそれどころではない。
「宣戦布告って、戦争じゃあるまいし、何の意味があるんだよ。」
「推測。我々を、彼のフィールドに引きずり込むためだろう。」
あの時、と言ってもほんの数時間前の、今日の夕方のことだが、喫茶店で四色問題で遊んでいた俺と妹に、導来 圏が襲来した。
導来 圏は、妹に、首輪をはめ、鎖で拘束した。
いや、正確には、拘束しなかった。
***
「ホレ。首輪のカギだ。受け取れよ。」
導来 圏 はそう言って、鍵をテーブルに投げた。
「ケッ。今から一週間後、とある場所で、とあるイベントを開催する。今日は、その招待状を渡しに来ただけだ。」
確かによく見ると、テーブルの猫の下に、白い手紙のようなものが差し込んであった。
俺は、猫に引っ掻かれないように、慎重に手紙を取り出す。
手紙を開くと、詳しい場所と日時が書いてあった。
「ふざけんな。」
俺は、反射的にそうつぶやいた。
「あ?」
「誰がこんな子どもの遊びに付き合うっていうんだ。お前は、俺の妹に用があるみたいだが、そんなの俺が許さない。これ以上、環奈に関わらないでくれ。」
俺は、なるべく強い口調で、はっきりと言った。
これで、黙るかと思ったが、導来 圏の反応は予想外のものだった。
「カッ!カッ!とんだシスコン野郎だな。まあ、来るか来ないかはお前ら次第だ。ただ、結論から言うと、お前らは来ざるを得なくなる。」
導来 圏はそう残して、喫茶店を去った。
***
妹は、疲れて家でぐっすりと寝ている。
俺は、どうにも導来 圏の言葉が頭に残って、南條に近くのファミレスまで来てもらったのだ。
「だいたい、導来 圏ってのはどんなやつなんだ?数戟で戦ったことあるんだろ?」
「端的。端的にいうと、彼は、『頭脳は大人。心は子ども。』だ。数学的な能力はすごく高いが、倫理観や道徳観などが欠如している。」
どこぞの名探偵かよ。
「でも、所詮は子どもってことだろ?大したことなんてできないだろ?」
「否々。今の彼は、東数の会長。巨大な権力を手にしている。『過激な発言をする危険人物が、核兵器のボタンを握っている』と考えれば、その恐ろしさは容易に想像できるだろう。」
なるほど。確かに怖い。
「対策。一番の対策は、接触をしないこと、だ。そのイベントとやらに行く必要もないし、かと言って泣き寝入りすることもない。君の妹の身に危険が生じる可能性があったら、迷わず警察に通報しよう。権力には権力、だ。そして、普段は、私と君で妹の安全は守ろう。」
心強い。
こういうとき、南條はとても頼りになる。
だが、何か見落としているような感覚が、心の奥に引っかかる。
人生とは数奇なもので、たった一つの選択が、後々大きく運命を左右することになる。慎重に行動したいものだ。
「疑問。一点、気になる点がある。」
おお。やはり南條も感じていたか。
さすがは、俺たちのブレインだ。
「お!なんなんだ!?」
「有限体。」
「ん?」
「有限体でもいいのではないか?」
一気に話が見えなくなった。
「四色問題。君は、四色塗り分け可能かを判定するときに、複素数体上で考えていたが、有限体上でも同様に、判定できるだろう。」
「???」
「即ち。x^4 -1 を例えば、位数 5 の 有限体 F_5 上の多項式として考えるんだ。F_5={0,1,2,3,4}の元で、x^4-1=0 を満たすのは、フェルマーの小定理から、1,2,3,4。つまり、ちょうど、4つの異なる元が多項式の根になっている。」
「ちょ、ちょっと待て、いつから数学の話になったんだ??」
「当惑。だから、一点、気になる点があると言っただろう。」
いつも数学をやっているという奴は、このように突然数学の話に切り替わる。
というか数学の方が日常なのだ。
そのうち、秩父山を登りながら数学とか本気でやりかねない。
「続行。話を続けよう。東京と千葉を塗り分ける連立方程式」
x^4-1=0
y^4-1=0
(x+y)(x^2+y^2)=0
「を考えるとき、君たちは、これを『複素数体上での連立方程式』とみなしていた。」
「ああ。実際、x^4-1 を満たす x ってのは、1、-1、i、-i で、複素数だったからな。」
「然し。これは、必ずしも複素数で考える必要はない。もっと小さな体でも十分だ。」
ここで、
「それがさっき言った、F_5={0,1,2,3,4} ってことか?」
「適当。」
「これって、整数を5で割ったときの余り集合と同じだろ?だから、1^4=1だし、2^4=16≡1 (mod 5) だし、3^4=81≡1 (mod 5)だし、4^4=256≡1 (mod 5) だし、つまりどれも、4乗して5で割ると余りは1だし、だから、x^4-1=0 という式を満たす。」
「正解。さらに、x^4-1=0、y^4-1=0 を満たす x,y のうち、つまり、{1,2,3,4} のうち、」
(x+y)(x^2+y^2)=0
「を満たすものは、x と y が異なる場合だけだ。」
「確かに、例えば、x=1、y=2のとき、」
(1+2)(1^2+2^2)=3*5=15≡0 (mod 5)
「だし、逆に xとyが等しいとき、例えば、 x=y=1 のとき、」
(1+1)(1^2+1^2)=2*2=4
「で、0になってないな。」
「要約。今の議論をまとめると次のようになる。」
F_5 の連立方程式
x^4-1=0
y^4-1=0
(x+y)(x^2+y^2)=0
の解が存在する。
⇔
東京と千葉は、4色で塗り分けられる。
「おおー!」
「すなわち。複素数での四色の判定は、F_5 で考えても判定できるってこと、だ。」
ここで、俺には、2つの疑問が浮かんだ。
Case. 1 「……でも、これって何のメリットがあるんだ?」
Case. 2 「……これって、四色じゃなくて、一般の n色でも考えられるのか?」
本当は、四色問題の話ではなくて、導来 圏の対策をしたいところだが、この状態の南條にブレーキをかけるのは、至難の技だろう。
そうなれば、逆に、南條の知的好奇心が満たされるまで、付き合ってやるというのが、友達というものだ。
導来対策会議は、それが終わってからすればいい。
では、どちらの質問が、選択肢が、この場合、ふさわしいだろうか?
うーん。迷う。
そうだ、こういう時は、ランダムネスだ。
コインを投げて、表だったらCase. 1、裏だったらCase. 2 を選択しよう。
この場合、それぞれ1/2の確率でどちらか決まるわけだが、量子学的には、2つの世界が重なり合っている状態になるのだろうか。
そもそも俺は、量子力学を勉強したことがないので、ドラマとかで出てくる印象でしか知らない。
まあ、難しいことは置いといて、とりあえず十円玉を宙に投げた。
手の甲で受け止め、コインの面を確認する。
なるほど。{表,裏}か。
確かに、こっちの質問の方が、この場合、ふさわしいかもしれない。
いや、むしろこれ以外ありえないだろう。
さすが、神様、まじ神ってる。
自信たっぷりに俺は、Case. {1,2} を選択した。
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