#7 ある無名インターネッツ物書きの破談
「は?」
呆れと怒りが混じったような声が部室に広がる。諸越が電話をしている相手に言ったものだった。不穏な空気を察した数人のサークルメンバーが顔を上げて、彼の引きつった顔を凝視しながら会話を様子見る。
「……いやちょっと、最初に話を持ち掛けてきたのは、おたくの方だったと思うんスけどね。まあこっちも幹事から聞いた話だから、詳しい
携帯電話から顔を離して部室をきょろきょろと見渡すと、彼の様子を見ていた一人が首を横に振った。
「あいにくちょっと席外してるんで…………いやいやいや、話しといてじゃなくて。重要な話なら責任者同士で話し合うべきじゃないっスか。上同士で決めたことなんですから……だからこういう話は、俺の一存で決められることじゃないっての! 報告するも何も……あ、ちょっと! 待てよ、おいっ! もしもし!?」
一方的に切られた通話画面を見ながら、諸越は今にも手に持っているスマートフォンを床に叩きつけるどころか、握り潰しそうな勢いで手を震わせていた。
「どしたんですか、先輩」
振り上げられた手をどうどうと押さえながら訊ねたのは、諸越の二つ下の後輩である二年次の
「……他大学の文芸部と合同で本を作るって話あっただろ」
「ああ、ありましたね」
「急遽中止になったんだよ、破談だ破談」
「はあ。そりゃまたどうしてです」
「『おたくのサークルの小説じゃ、うちの部のレベルに見合わない』だとさ。何様だボケ!」
電話でのやり取りを思い出した諸越は、再び持っているスマートフォンを床に叩きつけ掛ける。
彼の話を要約すると、電話口で諸越たちのサークルを他大学からバカにされて、一方的に合同で制作するはずだった本の話を打ち切られたというものだった。この冊子は現在彼らが控えているブサフェスや、秋の学祭で展示を予定していたものでもある。
「抑えて抑えて」
「ウチより偏差値高い大学だからってお高くとまってんじゃねーよバーカ! 小説に偏差値もクソもあるかってんだよ! つーかまだ原稿も見せてねえのに、なぁにがレベルが見合わねーだチクショウがッ!」
「いやそれ電話で言いましょうよー」
二人のやり取りを眺めていたまた別の後輩、一年次の
「そりゃ……まあそうだけどよ」
「これで二件目ですよね。前回は女子大に断られてましたね」
初めに断られた女子大は比較的早い段階で、相手から破談を持ち出していた。理由は先程の電話までに明確な理由を言わなかったため、サークルメンバー一同は知らないが、実際は似たような理由である。愛好会のレベルに自分たちまで下げたくないと言うものだった。
「あれは早めに言ってくれたからいいんだよ。でも今回はギリギリになって言ってきたんだ。こちとら原稿だって上がってるってのに」
「流れ的に企画も自然消滅っすかねー」
歯に衣着せぬ言い分が一人の先輩の胃を苦しめる。
「話を持ち掛けたのはその二校だけだからな……。自然とお流れになるわな」
「他にやってくれそうな学校はなかったんですか」
脱力していく諸越の手を離しながら、平竹が訊ねる。
「この周辺で文芸部が活動してる大学は、そこらしかなかったんだよ。ま、この分だと自然消滅は不可避だわな」
はぁ、と深くため息をつきながら、頬杖をついて席に座った。
「幹事様にはどう報告したらいいもんやら」
「そういや最近元気ないっすよね、白滝サン。なんというか、空虚っていうか。テンション低め、みたいな?」
入学当初の強烈なインパクトが未だに残っている韮山には、ここ数日の白滝の変化にはあまりに激しい落差を感じていた。
「穐山先輩も見かけませんね。いつも部室にいるイメージしかないんですが、こうも欠席が続くと不気味なものですよ」
こういったトラブルがあった場合、対処するのは幹事、もしくは副幹事なるわけだが、白滝は書籍化を発表した辺りから腑抜けになり、穐山は二週間近く不在になっている。講義には出席していると話には聞いていたが、学部の違う彼らが学内で顔を合わせることは滅多になく、又聞きした情報しかなかった。
「はー……。でもよ、このままってわけにはいかんわな」
破談になったなら合同冊子の分の原稿は他に回せばいい、という問題ではない。一方的に話を打ち切られて「はいそうですか」と了承していれば、愛好会の今後の面子も保てなくなる。大学のレベルで見下されてこのザマというのが、諸越にとって余計に納得出来なかった。
諸越は責任者ではなかったが、入会してから幾人が幽霊メンバーになったり退会届を出したりする中で、文句を言いながらもしぶとく残ってきた。それに三年目という経歴が後輩たちの心配により奮い立たされ、このままではいけないという結論を導き出したのである。
「どしたんすか」
読みかけの本に栞を挟んだ韮山が、ゲームと執筆する時以外に見せた、諸越の難しい顔に気付いた。
代わりがいないなら誰かが行うしかない。責任を負うのは真っ平御免被りたいし、面倒なことは大体白滝や穐山に任せてきたが、今の二人に頼むわけにもいかない。どんな事情があったかは知らないが、愚痴を垂れているだけでは状況は変わらないし、自分に出来ることをやろうと、珍しく諸越は決めた。
「あーヤダヤダ! 嫌だぜホント、こんな性分は! すっきりしねえんだよ!」
「トイレなら行ったらどうすか、漏らさないでくださいよ」
「違ぇよ韮山! カチコミだ。行くぞ」
平竹と韮山がポカンとして、まじまじと諸越を見つめる。
「カチコミ……って、つまり殴り込みですよね。どこにですか……?」
訊ねたのは平竹の方だった。
「んなの決まってるだろ、電話一本で破談にしやがったバカタレ大学だよ。他に直接話に行く奴がいねえんだから、仕方ねえだろ。今の幹事に任せられっか。俺たちが代表して行く」
「いやいや、せめて相談しましょうよ。それに問題になったらどうするんですか!?」
「悪いのはこっちじゃねえ」
「そりゃそうですけど……手を出したら負けですって」
「じゃあ話し合いだ、話すだけ。手は出さねえ」
「んじゃもともと手を出すつもりだったんすか……。あと、さり気なく言いましたけど、『行くぞ』ってことは、ボクらも行くんすよね……」
韮山が瞼をぴくぴくとさせながら呆れる。
「若いうちは苦労を買ってでもしておけって、ばあちゃんから言われなかったか?」
「先輩の家の事情は知らないですけど……。あーあ、わかりましたよ、お供しますよ……」
「お、さすが平竹。文句言いながらも断れねえところが俺にそっくりだな!」
諸越が彼の肩を豪快にバンバンと叩くと、体の細い彼は三度目でよろけた。
「韮山はどうする?」
「……拒否権は」
「あるとおもったか、あれは嘘だ」
嘘も何も、最初から提示していない。
「……わかりました、ボクも行きます」
「よし。他に勇気ある賛同者は」
彼らのやり取りを見ていた他のメンバーに視線を向けると、全員が首を横に振る。まともな思考を持つ人間なら、カチコミに行こうと誘われて縦には振るほど愚かではない。
「三人いれば文殊の知恵ってな。どうにかなるだろ」
自力でフォローする諸越に苦笑する平竹と韮山。二人以外の面々は、余計な騒動だけは起こさないでくれと、内心で願った。
「働かせるのが知恵だけになればいいですけどね」
幹事の白滝が部室に来て、部室に残っていたメンバーから事情を聞いたのは、三人が出て行った三十分後のことだった。
「こちら諸越、敵拠点の入口を発見」
「無線風に言わなくても、横にいるんだからわかってるっすよ。先輩」
「それもそうだ」
合同冊子の件を破談にした大学は、諸越たちの大学から四駅ほど挟んだところにある。彼らの通っている大学は総合大学のため学生が多い方ではあるが、此度の潜入先は更に人が多い。
勿論こちらも総合大学ではあるのだが、学部や学科、そして校舎の大きさは比にならない。キャンパスには何万人もの学生や研究者たちが行き交っており、一つの都市とも言える規模になっている。多くの学生は、卒業するまでに顔を合わせない人の方が多いだろう。
ついでに諸越が言っていた通り、彼らの大学よりも偏差値がかなり上である。というより、この一帯では有名な難関大学であった。
「お、諸越サン。見てくださいよ、あの女の子の脚、めっちゃ綺麗っすよ」
「合コンの相手探しに来たわけじゃねえからな」
とは言いながらも、韮山が指差した方をまじまじと目で追う諸越。
「……あの、先輩」
「んだよ平竹、マジでタケシ軍団みたいに正面から殴り込みなんてすると思ったのか。初めから手は出さねえって言ったし、そうするように言ったのはお前だろうが。いいか、暴れるのは駄目だ。ここの警備を見ろ」
入口の門に退屈そうにしている警備員の方を見遣る。不審な動きをすれば即座に身元を暴かれてしまうだろうが、そもそも彼らはこの時点で結構不審者である。
実際に、男三人が花壇の陰に隠れてこそこそと話している様子は、帰宅中の学生や職員だけでなく、近所の住民たちの目によく留まった。平竹だけが怪しまれているのに気付いていたが、相手が勘違いをしている手前言い出せなかった。
「いやいや暴れるつもりなんてありませんし。それより、ここの文芸部がどこにあるか知ってるんですか?」
「知らん」
即答する諸越。まず彼がこの大学に足を踏み込んだのは、今日が初めてだ。広大な敷地面積を誇るこの大学で、目的地を瞬時に把握することは不可能だろう。
「めっちゃノープランっすね」
「韮山は判らないか?」
「知らないっすよこんな天上の地のことなんて。平竹サンもその感じだと、判らないってところっすか」
「他所の大学のこと知り尽くしてる方がおかしいけどな」
三人寄れば文殊の知恵とも言うが、もともとの知恵がなければゼロとゼロを掛け合わせるようなものである。
「しゃーない、訊くしかねえ」
隠れていた花壇から立ち上がると、門の中へと入っていく。平竹と韮山は急いで後を追った。
「訊くって誰に訊くんすか?」
「そこにいるだろ、適任者が」
ほれ、と顎で指すのは、数分前まで彼らが警戒していたはずの警備員である。眠そうに欠伸をしながら、いそいそと帰宅している教員に「お疲れ様です」と言いながら新を下げていた。
「警備員なら学内の施設くらい把握してるだろうし」
「初めからそうしてください!」
敵拠点内部で案内してくれと頼む侵入者がどこの世界にいるのだろうと頭を抱えていると、平竹の横にいた韮山が諸越に聞こえないくらいの声でぼそりと呟く。
「……諸越サンってアホなんすかね」
「もしも今の今までそうじゃないと思っていたなら、お前には人を見る目がない」
「とりあえず合コンはやめとくっす」
「それがいい。あとやるなら俺も呼んでくれよ」
「嫌っす」
眠そうにしていた初老の警備員は、諸越に学内の地図を見せながら施設を案内している。花壇に隠れて潜入ミッション紛いをしていた時間はなんだったのか疑問に思う二人だったが、諸越が居場所を突き止めたので、学内を進むこととなった。
洒落た新築のアパートが二棟並んだような部活棟は、それぞれ文化部と運動部で別れている。とはいえ、運動部の活動は屋外や屋内の体育館や競技場などで行われているため、実質物置と会議室とシャワー室だけのためにあるようなものである。
対して文化部棟はどこの部室からも扉越しにその活気さが伝わってくるように、板一枚挟んだ向こう側から、時に弦楽器やドラムを打つ音が、時に役者のセリフの声が、談笑する声が……と言った具合で、色とりどりの活動の様子が聞こえてくる。
学生が多いこともあり、諸越たちの大学とは比べものにならない規模の建物に訪問者一同は圧倒され、馴染めぬ空気を肺に流し込みながらも、目的地へとずんずん進んでいた。向かっているのは言うまでもなく、この大学の文芸部の部室である。
「ここだな」
長方形にカットされた木の表札には、毛筆で「文芸部」と味の入った字が書かれている。現在の部屋の主たちの数代前にあたる先人の一人が、書道部に頼んで書いてもらった表札だ。
諸越は大げさに深呼吸をすると、連れの二人に「行くぞ」と言って、容赦なく扉を三度ノックした。
「すんませーん」
この建物で活動しているほとんどの部活が、扉の前に立てばその活気が耳に届いてきたものの、文芸部だけは異様であった。物音ひとつせず、両隣を挟んでいるどこぞの部から洩れた音の方が目立つくらいに、やたらと大人しい。
「はい、どちら様で」
訪問者を警戒するように、少しだけ扉を開けて顔を出したのは、茶髪の男だった。気だるげに三人を一瞥して、もう一度「どちら様?」と訊ねた。
茶髪の男が壁になって奥までははっきりとは見えないが、最前にいる諸越が室内へ目線を向けると、三人を警戒するように複数の部員が無言で見ていた。特に部屋の奥にあるブラウンの一人掛けソファに座っている刈り上げにした痩身の男は、瞬きもせず目を見開いて、大きな瞳でぎょろりと彼らを観察していた。
「○○大学の文芸サークルの者っスけど、話があって来ました」
「合同誌の件なら帰ってください。話は済んだはずでしょ」
「済んだも何も、一方的に話を打ち切っただけじゃないスか。あんな対応じゃこっちは納得出来ないんで」
まだ会って一分も経っていないが、空気は既に険悪だった。部室の中からは舌打ちする音や、「話が通じねー相手だな」と茶化す者の声も聞こえた。いずれも諸越は敢えて聞き流していたが、今すぐ茶髪を突っぱね、中に飛び込んでやろうとさえ思っているほどに、彼の
「あのね、終わってるんですよ。そっちとの合同誌の話は。用件それだけなら、帰ってもらえませんか。活動の邪魔なんで」
そう言って茶髪が扉を閉めようとした時だった。
「ちょっと待ってください、その対応はあまりに非礼じゃないですか」
割って入ったのは平竹だ。
「対応があまりに無責任じゃないですか。こっちは出向いてきちんと話をしようって言ってるんですよ。ちゃんと話をするために。それなのに勝手に話を終わらせて、今度は帰れだなんて、あんまりじゃないですか!」
平竹は啖呵を切れる人間ではない、荒事嫌いの事なかれ主義だ。一歩引いたところから冷静に意見を述べるのが似合っていると、自他ともに認めている。そんな彼が声を荒げ、他人に反発するというのは、滅多なことではない。
「平竹、ちょっと落ち着け。
「でも!」
「いいから、ここは任せとけ」
背中で叫ぶ彼に目もくれず、諸越は後輩を諭す。しかし言いたいことを代弁してくれた彼には、感謝していた。
「ウチの後輩が口出してすんませんね。でもね、俺たちもここで引き下がるわけにはいかないんスよ。こいつもそうっスけど、うちのサークル全員が
「ちょ、え!? 諸越サンなに勝手に決めてるんすか!?」
「いや、どっちにしても無理だろ。こんなんじゃよ。互いに腹に一物抱えたままで出したって、良い物も作れねえだろうしさ。まー幹事辺りには俺が頭下げて謝るから、お前らは気にしなくていい。それにアレ忘れたのか?」
「アレ……?」
「『おたくのサークルの小説じゃ、うちの部のレベルに見合わない』、あんなの言われて、はいそうですかって流せるわけねえだろ」
「まあ……そりゃあそうっすけど」
めんどくさそうにしている茶髪へ向き直した諸越は、毅然とした態度で臨む。
「こっちだって本気で書いてるんスよ。それをあんたらの価値観で突っぱねられたまま終わりってのも納得出来ないんで。話させてもらえないっスか」
「入れなよ」
眉間に皺を寄せる茶髪を遮る落ち着いた声が、扉の向こうにいる三人まで届く。
命じたのは、ブラウンのソファに座っている刈り上げの男だった。諸越たちは初めてこの刈り上げの男と対面したが、彼こそはこの部の幹事である。つまり合同誌の話を持ち掛けた張本人だ。
「いや、でも……」
茶髪は困惑気味に諸越たちの入室を渋った。
「オレが入れろって言ってるんだ。お前が決めることじゃない。この部のトップが誰なのか、忘れたのか?」
「えと、すみません……。じゃあ、どうぞ」
ようやく部屋の中通された一同ではあったが、今の茶髪とのやり取りに、三人とも萎縮してしまっている。彼らが普段関わっている幹事とは真逆の性格をしており、恐怖だけでこの空間を支配している。
だがそれは、刈り上げの男には他者に劣らぬ絶対的な自信、そして実力があるからこそのものだ。
「お前ら、そこをどけ。客人だろう」
自分の座っていた他の部員を一瞥して移動させると、「そこに座りなよ」と言って三人に座るよう促した。刈り上げの口調は淡々としたものである。まるで感情があるとは思えず、抑揚なく声を発している。
互いに向かい合うと、諸越は改めて刈り上げから漂う雰囲気の異様さに気付いた。大きく見開いた目で彼らを観察していると思いきや、唐突に興味を失ったように、爪の垢を弄り始め、これを交互に繰り返している。また年齢は諸越より何歳も上に見え、目の下にくっきりと出ている隈が不健康さを主張していた。
「で、君さ、あそこのサークルの幹事じゃないよね。確か女だったはずだし」
「あー、あの、ボクらは幹事の代理で来ました。今ちょっと、幹事が留守なので」
「ふーん。じゃあ白滝さんに言われて君たちが来たわけ?」
「いや幹事は知らないですよ。まあ今頃他の部員が報告してるかもしれないっスけど。俺らの独断で来ました」
「つまり君らは口出しすべき立場じゃないのに、ここへ来たんだ」
正式な代理人でないと聞いた途端、刈り上げの男の目の色が変わる。
「口出しすべきかどうかは俺らの方で決めることじゃないスかね。どちらにせと誰かがきちんと話さないと納得出来ない内容なんですよ、これは。どういうことスか、うちの部のレベルに見合わないって。これって喧嘩吹っ掛けてんのと変わらないって、それくらいわかりますよね」
「おい、こいつちょっと生意気じゃね? ザコ大学のクズがしゃしゃってんじゃねえぞコラ」
横で四人のやり取りを壁にもたれかかって見ていた男子部員が、パイプ椅子を蹴って床に倒し、派手にステンレスの金属音を撒き散らす。他の部員は彼を止めるわけでなく、むしろ面白がってクスクスと笑っていた。
「お前らと違ってこっちは格上なんだよ。初めからバカが書くモンなんて読む価値すらねえし、どうせゴミみてえな駄文だろうが。ガチでやってる奴に謝れっての」
「小説に、作品に……学歴なんて関係ないですよ」
反論したのは韮山だ。威圧的な態度に言葉尻はすぼんでおり、胃に入っている昼食を吐き出しそうになりながらも、なんとか耐えた。
「あるっしょ。お前さ、有名な賞取ってるほとんどの人はエリートって知ってる? 俺たちの同類な。つまりバカには取れないようになってんの、たかが知れてんだから初めから審査する価値すらないってわけ」
「そんな……!」
「こいつの言うことはともかく、君らの作品はつまらないし、オレたちの実力に遠く及んでいないのは事実に変わりない。白滝さんからもらったこれ、読ませてもらったけど、なんだいこれ」
刈り上げがテーブルの上へ投げ捨てるようにして置いたのは、諸越たちに見覚えのある冊子だ。昨年の学祭で頒布した部誌であり、白滝が文芸部が存在する周辺の大学へ出向いて渡していた。
「端的に言って時間の無駄。小説と言うにはおこがましいクォリティ。表現は稚拙でありきたり、展開もめちゃくちゃで技巧も奥深さもない。物語の組み立て方がまるでなってないものが半分以上。ほとんどが小説というより、中学生の書いた妄想日記を読まされているような気分だった。浅くて脆い、文字の集合体でしかない。
まあ全員が酷いわけじゃない。時津蒼、白滝さんのは出来がいい。出版の話も聞いているし、唯一納得出来る面白さだ。あとは……」
冊子を手に取った刈り上げはパラパラとページを捲り、ある作品のページで手を止めた。
「最も小賢しいと思ったのはこいつだ」
刈り上げが指さしたページには、作品のタイトルと作者の名前が印字されている。
「檜枝……マサムネって……」
「穐山さんのペンネームですね……」
諸越と平竹は訝しげな顔を見合わせ、「それで、何が小賢しいんです」と訊いた。
「こいつは上手くもないし下手でもない、この冊子の中で最も凡人だ。頭痛を起こさず読めるだけマシではあるけど、白滝さん程のランクには至っていないし、これからどれだけ技術を積み上げても、天賦の才を持つ彼女には永遠に届かないだろう。
だけどこいつの書いたモノからは、凡人が無様に足掻いて、より上位の書き手になろうと言うのが滲み出てる。それが嫌いなんだよ、オレは」
「読んだだけでわかったつもりですか」
呆れたように肩を竦めた刈り上げは、深く嘆息する。
「わかるさ、ひしひしと伝わってくる。作品が語り掛けてくるんだから。この檜枝とかいうヤツは、努力を重ねればいずれ報われる、才能の壁なんて乗り越えてやる。そう思い込んで執筆しているんだろう」
そう言って冊子を閉じると、再び投げ捨てるようにテーブルの上に放った。悪態をつく刈り上げの男に、諸越は拳を作り、体を震わせるだけして耐えた。言いたいことはいくつもあったが、何より仲間に対し勝手なレッテルを貼り付けられたのが、彼にとっての屈辱だったのである。
「さて、ここまで総合的に判断して、オレたちが君らと手を組む必要はないと判断出来る。仮に君らと合同誌を出すとしよう、どうなると思う? オレたちの文芸部の評価、価値まで落とされるわけさ。
この部からは何人もの作家が輩出されている。名門文芸部と言っても過言じゃないし、オレたちだって誇りを持っている。だからこそ、先輩方の顔に泥を塗るわけにはいかないし、君ら風情に看板を汚されるわけにはいかない」
訪問者である三人に言い返す余地など与えられない。傲慢に語る刈り上げの話に声を押し殺して聞いていることしか許されなかったのだから。
三人にとって合同誌の一方的な打ち切りなど、もはやどうでもいい話だった。それよりも、初めから自分たちが下に見られ、あまりに屈辱的な態度で愚弄されたことの方が赦せなかったのだ。
平竹と韮山は悔しさのあまり飛び出しそうになるのを堪えている。
諸越は白滝以外は読むに値しないと宣言された意味をゆっくりと咀嚼し、深く飲み込んだ。あの一冊の中に詰め込まれているのは、白滝の作品だけではない。何人もの部員たちが作品と向き合い、自分と向き合い、苦しみながら書き上げてきたものが詰まっているのだから。
「以前にオレたちが発行した部誌を白滝さんに渡した。君らはそれを読んでここへ来たのか?」
「……いいえ」
首を横に振った諸越は、「まずい」と冷汗を垂らす。
刈り上げの男の態度や言動はともかく、こちらが渡した部誌はきちんと読んでいるのだ。作品を散々コケにしながらも、最後まで目を通した上で自分たちを迎えている……。しかしこちらは目を通してすらいなかったし、そんなものをもらっているとも知らなかった――。
諸越の頭の中でこの思考が巡り終わった頃には、刈り上げはまた呆れたように嘆息していた。
「……すみません」
「なるほど、オレたちの実力も知らずに文句だけ言いに来たのか」
「それは……」
「まあいい、どうせ君ら、普段はライトノベルなんかしか読まないんだろう。あれは文学ではなく娯楽だ。オレたちの書いた作品でも読んで、たまには純文学でも読んで教養を深めるといい。尤も、君らに理解出来る代物かどうかは別だけども」
話はもう終わりでいいだろう、これ以上は時間の無駄だ。
そう言って刈り上げは話を打ち切ると、顎で部員に扉を開けさせ、三人に出て行くよう促す。言い返す余地などない彼らは黙って従うことしか出来ず、従順に廊下へと出ると、扉が重い音を立てて閉められた。
「あいつが言ってたのは半分間違ってるけどよ、半分は正しいと思うんだ。多分だけど」
部室から追い出されたきり、平竹と韮山は一言も言葉を発さなかった。ただ俯いて歩いており、あまりにも危なっかしいので段差や障害物で
「俺たちがあっちの実力も知らず、しかもアポ無しで行っちまったのは落ち度だ。相手が電話で理由を説明しなかったのが原因だし、まあされたところでブチギレて突撃してたろうけどさ、反論されることを想定してなかった。感情任せに行動しちまう前に、一度白滝にも話を通すべきだったな。
でもよ、学歴や偏差値だけで作品が面白いかどうかなんて判断は出来ないし、約束を反故にしていい理由にはならねえ。読む価値がねえだとか、レッテル貼りをするのも最悪の極みだ。これは連中の間違ってる点だな」
肩を落とす後輩二人を宥めるように、慣れていないのに後輩を励まそうとする諸越ではあるが、つらいのは彼も同じである。彼もまた、あの刈り上げにとっては眼中に留める価値すらないと切り捨てられた一人なのだから。
書き手は批評されることに慣れていなければならない。良い評価も悪い評価も、全てを受け入れることで昇華するための燃料になるからである。しかし批評することすら無意味なものと切り捨てられることは、無から有、0から1を創り、
夕陽を背負いながら、それまで閉口していた平竹が顔を上げる。
「――悔しいんです、とても」
打ちひしがれたような声は東の空へと溶けて消えゆく。
自分への戒めなのか、それとも二人へ向けた言葉なのかは曖昧だった。だが
「あの部誌には、僕が部に入ってから初めて書いた小説が載ってたんです。原稿用紙三十枚程度の短編小説に、当時持っていた書き手としての力を全部注ぎ込みました。部で批評されて、何度も書き直して、ようやく完成した渾身の一作だったんです」
最初はお世辞にも面白いと言える代物ではなかった。高校を卒業したての、しかも執筆経験などろくにない青年の書いたものは、まだまだ未熟で粗い。上級生の作品と比較すれば一目瞭然ならぬ、一読瞭然と言えるほどにレベルが違う。
それでも平竹は何度も食らいつき、アドバイスをもらいながら書き続けた。書き上げるまでに何日もかかった。書き直すにもも数日を費やした。試行錯誤を繰り返し、やがて完成した作品を彼は誇りに思っていた。
――だが。
「でも、あの人にとっては白滝先輩以外の作品は、読む価値すらなかった」
踏切の前、警告音と共に遮断機が下りてくると同時に、手前で三人は立ち止まる。
「僕だけじゃない……あの部誌に作品を載せた全員が、必死になって書いてました! 僕らが必死になってやってきたことを、あの人は泥だと言った! 名門の名を汚すものでしかないって! それが……! それが悔しくて、許せないんです……っ」
帰宅中の人々を乗せた電車が通過する音に紛れて、平竹は堪えていた感情を吐き出した。熱気交じりの生温い風が彼らを包む。
諸越は気の利いた言葉を掛けようとしたが、喉の奥で詰まって言い出せない。吐露された悔しさに、ただ同意するしかなかったのだ。
「平竹サン……その」
「…………」
「行きましょう。遮断機、上がったっすから……」
「……そうだな」
立ち止まっていた人々が一斉に雑踏を奏で始め、三人もその中に紛れた。
めっきり姿を見せなくなった同学年の仲間を思い出しながら、諸越は奥歯を噛みしめながら、未だ刈り上げの言葉が反芻する己に問う。
――
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