<イン・ザ・ダーク>~現実を知らない君へ~






 どこかから墜ちる夢を見て、飛び起きるように目覚めれば、暗闇だった。


 確かに目を開いてはいるのだが何も見えない。


 まばたきをしても何も変わらず、唯そこにあるのは闇だけだ。


(停電か?……いや)


 今まで寝ていた場所は布団でもベッドでもなく土の上だったらしく、手や髪にざらざらとした砂のような感触がある。


 あたりには人の声も自動車のたてる雑音もなく静まり返っていた。


(確かオレは部屋で仕事をしていたはずだ)


 それが何故こんな所で倒れているんだ?


 第一ここはどこだ?


 拉致 誘拐 犯罪組織 嫌な単語が、頭の中をよぎる。


(落ち着け まずは状況判断だ)


 疑問とともに湧き上がってくる恐怖を抑えこみ、オレは耳をすませた。


 闇の中で人が恐怖を覚えるのは、視覚情報の欠如が原因だ。


 それを他の情報で補うことで、恐怖は軽減できる。


 恐怖は決して忘れてはならないものだが、それに呑み込まれてはいけないものでもある。


 要はストレスコントロール、人がきちんと生きていくのに最低限必要なスキルの一つだ。

 

 しばらくすると、かすかにだが葉擦れの音や、梟だろうか──鳥の声らしい音が、聞こえてくる。


 真上をみると、闇にも濃淡があり、闇の薄い部分に微かな星明りが見えた。


(屋外、街から離れた山の中か 林の中?)


 拉致されたのなら、こんな所に放り出すのはおかしい。


 こんどの仕事がらみで攫われたなら、もっと違うやり方をしてるだろう。


 昔の仕事で損害を受けた奴らの報復にしても、体に痛みも感じないつまりはは暴力を受けた形跡がないのはおかしい。


 どうにも奇妙な状況だった。


(部屋での最後の記憶は……)


 ふいに夢の中の光景が頭に浮かぶ。


 リアルティメィトオンラインの画面を見ていたオレが画面の中に吸い込まれて何所とも知れない場所へ放り出された光景だ。


(薬でも飲まされたか?)

 

 LSDなどの幻覚剤を飲まされて拉致、オーバードースで死んだとでも思われて山の中にで も捨てられたという線だろうか?


 だとすればさしあたっての身の危険はなさそうだが……


 そんな物騒な真似をする連中とは、''''''関わってないはずだが、それでも人間どこでどう転ぶか判りはしない。


 現にこんな破目に陥っている以上、最悪''を考えるべきだろう。


(しばらく身を隠したほうがいいだろうな)


 仕事部屋の他にも万一の為の他人名義のセーフハウスはある。


 とりあえずそっちに戻れば現金はなんとかなるし、別口座の通帳とカードも用意してあるので仕事の報酬もそっちに振り込ませればいい。


 仕事が終わった後に、クライアントに出すデータはいつも通りネット上のあちこちに暗号化して分散保存しているので、仕事部屋に戻る必要もない。


 明日中に提出して念の為しばらく旅にでもでるのが一番だろう。


 可能性は低いがクライアントがこれを仕掛けたとしても、金が振り込まれなければハッキングツールをネタに交渉すればいい。


(しかし、その前に街に辿り着かなきゃならんか)


 とりあえず善後策を検討して気を落ち着かせ、手足が無事に動くのを確認しながらオレはもういちどゆっくりと周りを見回した。


 辺りは相変わらずの暗闇だった。


 これでは朝にならなければ動きようがない。


(何か持ってなかったか?)


 明かり代わりになるものがないかと服を探ろうとして、オレは自分が着てるのが、いつもの部屋着ではなく、皮でできたジャケットだということに気づいた。


 それと同時に、自分が靴を履き、なぜか手袋までつけているのにも。


(わざわざ着替えさせられた?)


 普通、拉致した人間をわざわざ着替えさせるだろうか?


 レザーの服など一着も持ってないのでこれは仕事場にあった服ではない。


 ということはあらかじめ用意していた服を意識のないオレに着せたのだろうが……



 それにどんな意図があるのだろうか?


 もうすぐ本格的な夏というこの季節、凍えさせないためではないだろう。


 第一、こんなまねをするようなやつがそこまで親切とは思えない。


 今どきレザージャケットを着ている人間などそう多くはないから目立たないようにする為とも思えない。


 しかも手触りからして合成レザーではなさそうだから、それなりの値段もするだろう品だ。


 そんなものをわざわざ着せるからには何か理由があると考えるのが当然なのだろうが、どう考えても合理的な理由は思いつかなかった。


 人間というやつが、時に突飛な行動をとるものだというのは知っているが、これもその類なのだろうか?


 まさか、記憶喪失で、着替えてここまで自分で来た事を、憶えてないなんてことはないだろうし。


 ふとそんなことを思いついて、次の瞬間、オレはそれを否定する。


(まさかな。 そんな一時代前のドラマみたいな)


 どうも、異常な状況に放り込まれたせいか、発想がフィクションめいているようだ。


 確かに記憶というものは、無為に暮らしていれば、あてにならないもので、記憶を自分の都合のいいように改竄する人間や、他者に与えられた暗示によって記憶を擦りかえられる人間など珍しくもない。


 しかしそれがこの状況にあてはまるかというと、とてもそうは思えなかった。


 念の為、自己診断をしてみても、やはり記憶障害の徴候はない。


 当たり前の話だが、フィクションと現実は違うのだ。

 

 いままで、ジャンルを問わず様々な映画や小説をみてきたが、その中で起こった出来事が実際に起きるなどという事はほとんどなかった。


 世の中そうそう妙な事は起こらないものだ。 


 犯罪に巻き込まれるのは妙なことじゃないのかって?


 そんなもの毎日どこかで起こってる事だろう。


 SFやファンタジーとは訳が違う。


 交通事故と同じで、自分の身にふりかからないと思うほうが幻想なのだ。


 それを、現実は残酷だとかうす汚いというやつもいるが、そうではない。


 それが元々当たり前なのだ。

 

 そして、それをよしとしない人々が、繰り返し続けた努力がそれを覆してきた。


 子供達に美しく楽しい理想を語り、かくあれかしと教え、道をつないできた。


 その事実を忘れ、幻想こそが当たり前と信じる馬鹿や、幻想を利用して人を服従させようとするクズを相手に、理想を守り続けるのは楽なことではない。


 そう、オレがハッカーで在って、クラッカーでもチートでもなく、在るように。

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