映画「世にも怪奇な物語」の世界――第二話「ウィリアム・ウィルソン」

 二話目は、ルイ・マル監督の「ウィリアム・ウィルソン」。

 邦題は「影を殺した男」のようだが、原題の「ウィリアム・ウィルソン」の方が小説としても有名であり、また、内容にも似つかわしいので、以下ではこちらで統一する。


 制作当時は、日本でも美男子の代名詞的な存在として知られたアラン・ドロンが主役を務めている。また、この「ウィリアム・ウィルソン」という物語自体も、「黒猫」「アッシャー館の崩壊」に並ぶ、ポーの代表作の一つだ。


 第一話の「黒馬の哭く館」はポーの作家デビュー作「メッツェンガーシュタイン」の映像化だが、その次に一般に膾炙した本作を配した構成が興味深い。


 この第二話は、「巨匠が豪華キャストでポーの怪奇譚を映像化する」という映画全体のコンセプトが対外的に最も分かりやすい形で反映されており、その意味でも映画全体の中核を成す作品でもあろう。


 物語は、ミサが始まろうとする教会に、一人の青年が飛び込んできて、司祭に告解を執拗に求める場面から始まる。


 この青年ことウィリアム・ウィルソンは、容姿、社会的地位、財力の全てに恵まれているものの、というより、それ故に傲慢で、行く先々で他者に過酷な仕打ちを加える人生を送ってきた。


 同時に、ウィルソンの語るところでは、彼が悪行を極めようとする正にその瞬間に、同姓同名で容姿も瓜二つの人物が目の前に現れ、悪事を妨害されるばかりか、衆人の前で面目も潰されるという挫折も繰り返してきたのだという。


 まず、寄宿舎に預けられていた少年時代。


 他の少年たちを先導して級友の一人に陰湿な虐めを繰り返す彼の前に、転校生としてもう一人のウィリアム・ウィルソンが最初に現れ、彼の心無い行為を非難した。


 結果、少年たちの暴君として振舞っていた自我を揺るがされた彼は、後日、このもう一人のウィルソンに殴りかかって、放校処分となった。


 次に、本人曰く気まぐれの暇潰しに潜り込んだ医学生の頃。


 解剖学の講義を受け嗜虐趣味を刺激された彼は、通りすがりの若い女性を拉致して、悪友たちの前で、拘束した生身の彼女の体にメスを入れようとする。


 ここでもまた彼と瓜二つの青年が突如姿を現し、罪なき女性を嬲(なぶ)り殺そうとする非道を戒め、取り巻いていた悪友たちは退散する。


 しかし、皮肉にも、もう一人のウィルソンから縛りを解かれたものの、女性はあまりにも酷似した二人の美青年の姿に混乱し、本来は自分を切り裂こうとした語り手のウィルソンに駆け寄り、狼狽した彼にそのまま切り付けられた。


 最後は、冒頭の教会のある街で士官の職を得てからのこと。


 凛々しい軍服姿に身を包んだ彼は社交界でも持てはやされ、遊蕩の日々に興じていた。


 そんなある日、出入りしていたカジノで偶然、捩れた恋愛関係にあった貴婦人が他の男と一緒にいる場に鉢合わせする。


 プライドを傷付けられた彼は、いかさまを用いて彼女をポーカーで負かし、衆人環視の中、彼女の背を裸にして鞭打つ。高慢な美女にとっては陵辱にも等しい仕打ちだ。


 だが、そこにもやはりもう一人のウィルソンが現れ、いかさまのやり口を暴露する。


 卑劣な陥れに激した女性からは平手打ちを食らわされ、居合わせた上官から免職を告げられるウィルソン。


 恋も名誉も同時に失った彼は、もう一人のウィルソンを追跡し、短剣で刺し殺す。

 地に倒れた男は虚ろな目で呟いた。


「どうして、僕を殺す」

「これで、全ては終わりだ」


 再び、冒頭の教会。

 ウィルソンの話を聞き終えた司祭は告げる。


「あなたのこれまでの高慢さを悔いて、神に救いを求めなさい」


 しかし、ウィルソンは冷笑する。


「僕は、神など信じない」


 教会を後にし、何かに追い詰められたように、時計台に上っていく彼。

 街全体を見下ろす時計台の頂上から飛び降り、仰向けに倒れた彼の遺体は、先刻自ら刺し殺したはずのもう一人のウィルソンのそれなのだった。


 神出鬼没して悪事を阻止するもう一人のウィルソンは主人公のドッペルゲンガーでもあるが、悪に取り付かれた主人公の中に生きる良心でもあった。この善なるもう一人のウィルソンの位置付けについては、小説も映画も基本的に同じだろう。


 だが、映画はアラン・ドロンに善悪の二役を演じさせることで、主人公の悪そのものを魅惑的に描く方により重点を置いているように思える。


 まず、外国から来た母親の手紙を破り捨てる少年時代の描写から、恐らくウィルソンの母親は奔放な女性で愛人の間を渡り歩くなどして息子を放置しているため、幼い彼の中では母親への憎悪が根付いており、その鬱積から身近にいる級友虐めに走ったのかと推察される。


 こうした一種ロマン的な悪への動機付けは原作小説には見当たらない。


 また、美青年に成長したウィルソンの悪事のターゲットはいずれも妙齢の美女であり、しかも拘束した女性の体にメスを入れる、あるいは裸にした背中を鞭打つ等、明らかに性倒錯的な仕打ちを加えるが、これも映画独自の演出だ。


 医学生時代の女性誘拐及び殺害のくだりは、原作小説には該当部分が存在しない。


 これは、ポーとほぼ同時代にイギリスで発生して世間を震撼させた「切り裂きジャック」のイメージを取り入れた、映画オリジナルのエピソードだ。


 第一話では、女伯爵のヒロインがウィリアム・テルの向こうを張るかのように侍従の幼い少年を木に吊るして笑って矢を射掛ける描写があり、それが彼女のサディスティックな性格と残虐行為をしても許容される特権的な身分を象徴していた。


 第二話の女性誘拐のエピソードは、主人公の冷酷な気質と同時に、猟奇的な悪のエリート、ダークヒーローの印象を与えるのに貢献している。


 善なるもう一人のウィルソンから助けられたはずの女性は、酷似した二人のウィルソンの狭間で迷った挙句、語り手の悪のウィルソンに駆け寄り、結果的に狼狽した彼から殺される。

 この描写は、あたかも女性側が望んで彼の餌食になったかのような印象を与え、その意味でも倒錯的だ。


「君は殺人を犯したのか」と現実的な観点で驚嘆する司祭に対して、「そんなことはどうでもいい」と嘯(うそぶ)くウィルソンの冷徹さも際立っている。彼は自分の悪事を阻止するもう一人のウィルソンの存在を恐れているだけであって、悪行そのものを悔いてはいないのだ。


 ポーカーでいかさまを使って陥れる相手も原作小説では同性の友人である。動機も単に相手から大金を得るためであり、また、小説のウィルソンは結果として大負けして掛け金の払えなくなった相手を憐れみ、侮辱する仕打ちには出ない。


 だが、映画でのウィルソンは、明らかに金銭を得るより高慢な美女のプライドを挫くためにいかさまを用いて負かしたのであり、公衆の面前で裸の背を鞭打つ仕打ちからも相手に決定的な屈辱感を与え、精神的に打ちのめす意図は明白だ。


 この美女役にファム・ファタル的な役どころでマリリン・モンローに並ぶセックス・シンボルで鳴らしたBB(ベベ)ことブリジット・バルドーを配したキャスティングも興味深い(ちなみに彼女は第一話を監督したロジェ・バディムの最初の妻だったという奇縁もある)。


 不正の結果とはいえ、映画のウィルソンは画面の上では男を狂わす「命取りの女(ファム・ファタル)」を打ち下したのであり、表情一つ変えずに彼女の滑らかな背を打ち据えるくだりはダーティ・ヒーローの真骨頂の観がある。


 もう一人のウィルソンが現れるまで、周囲の誰一人として、客観的には破廉恥で道徳心を欠いたウィルソンの行為を止めようとしない描写も印象的だ。


 見方を変えれば、見せしめに美女を鞭打つウィルソンを黙視することで、周囲の人々は彼女を侮辱する行動に加担してもいるのである。


 映画では、寄宿舎時代の級友たち、医学生時代の悪友たち、カジノでの社交界仲間等、ウィルソンにかしずき、彼の悪事を黙認、時には協力すらする周囲の人々の姿も克明に映し出している。


 ウィルソンが増長し、悪辣さをエスカレートさせていく過程にこうした周囲の盲従的な態度が追い風になっていることは言うまでもない。


 が、裏を返せば、彼は悪事を働いていても他人を自ずとかしずかせてしまう存在ということでもあり、アラン・ドロンの冷徹な美貌はそれだけの視覚的な説得力を備えている。


 小説と同じく悪事を極めようとするその瞬間にもう一人の自分に阻止される展開ではあるものの、映画はそもそも彼と拮抗し制止し得るのは彼しかいないと思わせる物語に微妙に変質している。


 小説のウィルソンは鏡張りの部屋の中で孤独に死んでいくが、映画のウィルソンは人生の頂点からの転落を象徴するかのように、街を見下ろす時計塔から身を投じて息絶える。

 物言わぬ骸(むくろ)となった彼の周辺にミサを終えたばかりの信心深い人々が集まり、あたかも殉教者に対するかのような悼みの祈りを捧げる場面で、物語は幕を閉じている。


 善悪一体となって死してもなお、彼はやはり、衆目を集める存在なのである。


 原作小説が広く知れ渡った内容なので、物語の開始時点から前提として展開も結末も読める作品ではあるが、主人公の魅力で最後まで引っ張る点では成功している。


 また、幼い少年たちが禁欲的な生活を強いられる寄宿舎の息詰まるような薄暗さ、医学校の講堂の学究的な静粛さ、瀟洒な軍服に身を包んだ主人公が出入りする社交界のきらびやかさ、そして最後に斃(たお)れる石畳の道路の冷厳さ等、視覚に訴える映像作品としては完成度が高い。


 第一話が原作小説では男性だった主人公を女性に変え、高慢な美女が死に魅せらていく中世の伝説風の物語になっているのに対し、第二話は近世と近代の境目にある時代を背景に本来は憧憬の対象であるはずの美女すら罠にはめて餌食にする冷徹な知能犯青年のピカレスクロマンを描出している構成も興味深い。

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