第141話 その男は

 ルーは目を見開き、目の前の男を見る。


 あちこち破れ、くたびれたマントの隙間から見覚えのある黒い鎧が見える。みすぼらしい格好ではあったが頼もしい広い背中はルーの探し求める男の風貌に一致している。


 その姿にルーは胸の高鳴りを意識せずにはいられなかった。鼓動が一気に早くなり、舞い上がるような感覚に襲われ、どうしていいのかすぐには判断できなかった。


 ルーの変化はそれだけではなかった。視界は次第ににじみ、その男のシルエットが蜃気楼のように揺らぐ。その揺らぎと同じように自分の気持ちが大きく揺らいでいることに気が付いた。


 ルーはそんな自分の反応に驚き戸惑う。クウヤの面影を目にするだけでそこまでの感情が湧き上がることは彼女の想定外だった。普段クウヤへの想いは意識していなかったルーには驚きの体験であり、いつの間にか自分の心の中でクウヤがいかに大きな存在になっているのか痛いほど感じざるを得なかった。

 

 どんどん感情が高ぶっていくルーに対して、目の前の男はルーを一瞥しても何ら反応を示さなかった。感情が高ぶるルーを見てわずかに首を傾げるだけだった。


「どうかしましたか?」


 ルーはクウヤの様子がおかしいことに気がついた。と言うより反応が薄いことに不審の念を抱く。


「……あんた誰だ?」


 その男の口から出た言葉に愕然とするルー。


「……な、何を言っているの? 私よ、私! 私を忘れるなんてありえないわ!」


 ルーにそう言われても思い当たるフシがないのか首を傾げる。


「……どこかであったことがあるのか?」


 その男はルーに見覚えがないらしい。ルーは自分も耳を疑う。それもそのはず、魔導学園国で出会って以来、クウヤとは濃密な時間を過ごしてきた。死線も一緒に乗り越えてきた。ルーからすれば忘れようがないとしか思えなかった。にもかかわらずである。


「あ……貴方はクウヤでしょう? 私を忘れるなんてありえない!」


 ルーは男の態度に憮然とする。


「……クウヤか。どうもそれが俺の名前らしいな」


 クウヤと名のる男は他人事のように何の感慨を示さずつぶやく。


「貴方がクウヤでなかったら、誰がクウヤなのよ!」


 ルーは叫ぶことで感情を爆発させた。反対に目の前の『クウヤ』は何の感情も示さない。


「さあ、知らないな。誰が『クウヤ』でも構わないだろ? あまり興味ない」


 クウヤはどうして目の前の少女がどうでもいいことを蒸し返すのか不思議な様子であった。一方、ルーはクウヤの態度に不満な様子がありありとしている。


「タナトスさん! ……これはどういうことですか」


 ルーは例えようのない怒りをクウヤの代わりにタナトスへぶつける。そうせずにはいられなかった。今のクウヤの感情をぶつけても何の反応もないであろうことはルーには容易に予測できた。彼女にはクウヤの無反応が耐え難かった。それゆえ、代わりの生贄が必要だった。


「……はっきりとはわかりません。我々の仲間が彼を見つけたときにはもっとやつれてボロボロだったのですがやっとここまで回復したんです」


 タナトスの回答にルーはすぐさま反論する。タナトスは状況を説明したつもりだった。しかしルーの質問には適切に答えていなかった。


「そんなことをきいているのではありません。何でクウヤが記憶を無くしてしまったのかをきいているんです」


 ルーはまくし立てるようにタナトスを詰める。タナトスは眉間にシワを寄せ答える。タナトス自身も完全にクウヤがどうして今の状態になったのか完全には把握していない。若干苦し紛れに自分の推測を話す。


「おそらくは大魔皇帝の追撃をかわすために持てる力を使い果たし、自分を見失ったとしか思えません。彼はあの大魔皇帝を一人で食い止めたのですから……」


 タナトスは推測を述べる。ただその推測にルーは今ひとつ納得している様子はない。ルーはただただ立ちすくしかなかった。過去をほとんど失い、やさぐれた逃亡兵のようになったクウヤをみて止めどなく涙があふれるだけだった。


 あのとき自分は何もできずただクウヤの犠牲的献身によって大魔皇帝のもとから命からがら逃げ出した苦い記憶がルーの心のとげとなっていた。その心のとげがみすぼらしいクウヤの姿を見てルーの心を突きさす。


「わずかに自分がクウヤである記憶を残し、森の魔物を駆逐しているところを保護したのですが……身体の傷は治ったのですが心の傷については手の施しようがないと言うしかありません。力及ばす申し訳ない」


 タナトスはルーに謝罪する。ルーはやり場のない怒りに耐える以外の方法を見つけることができなかった。タナトスを責めても何も状況が良くならないことを理解しているがゆえにルーは苦渋を飲まねばならなかった。


「全く覚えていないの……? 大魔皇帝から逃がしてくれたじゃない」 


 ルーは涙声でクウヤに語りかける。それでもクウヤは眉一つ動かさなかった。


 その姿を見ていたヒルデは目をそらし、目頭を押さえ肩を震わせている。エヴァンも拳を固く握りしめ、身体を震わせている。いつも強気のルーがあまりにも弱々しく見え、クウヤもかつてのように強い意志を持っていないように見えたからである。


「……昔のことなんて、覚えちゃいないね。こちとら、気が付いたらどこか分らない森の中にいて、次から次へ魔物が襲ってくるんで屠っていただけさ」


 妙にさばけた口調でクウヤは軽く話す。その姿にルーたちは昔のクウヤではないことを受け入れざるを得なかった。彼女たちの知っているクウヤならばそんな言い回しをしない。


「でも……」


 ルーはすがるようにクウヤを見る。クウヤは迷惑そうな顔をしてルーから目をそらす。


「仮にあんたが言うようなことを俺がしていたとしても、ごめんだね。こっちは小物の魔物を狩るだけでそれなりに暮らしが成り立つようになったんでね」


 クウヤは両手を上げ、うんざりした様子を醸し出す。その態度がルーの癇に障る。


「ちょっとまってよ! 大魔皇帝が復活したのよ? このままだと多くの人が犠牲になるのよ。それを分っているの?」


 ルーは目を見開き、クウヤに抗議する。以前のクウヤは悲壮な決意で大魔皇帝との闘いを選択した。多くの人をまもるために。しかし今目の前にいるクウヤはそんな決意がかけらも見られなかった。


 ルーはクウヤの発言が信じられず、声を荒げクウヤを責め立てる。一方クウヤはうんざりとした視線をルーに投げかける。


「さてね、こっちは日々の生活でいっぱいいっぱいなんで。そんなことは知らん」


 クウヤのあまりに無責任な発言にルーは開いた口がふさがらなった。


「クウヤ……貴方本当に……」


 ルーは力なくつぶやき、肩を落とす。くやしさに身体を震わせ、拳を握る。


「大魔皇帝か何だか知らないけれど、そんな面倒なものと関わる気はない」


 クウヤが発した決定的な言葉に、ルーたちは愕然とする。


「……本当に貴方は」


 絶句するルー。絶望感に頬をつたうものをまったくぬぐう様子もなくクウヤをにらんでいる。


「クウヤくん、本当に何も覚えていないの?」


 ヒルデがクウヤに問う。彼女もクウヤの発言が信じられず、戸惑いの表情でクウヤを見ている。


「ああ。昔の面倒なことなんてどうでもいい」


 クウヤは心底面倒な雰囲気でヒルデに答えた。ヒルデはその答えに絶句している。


「本当におまえは変わってしまったんだな……」


 エヴァンもクウヤの答えに驚き戸惑っている。以前のクウヤではないことは明白だった。


「変わるも何も、昔の『おれ』を覚えていないんでね」


 クウヤはほんの一瞬寂しげな表情でつぶやくが何かを思い出したように苦笑いする。


「……どうでもいいが、用事がないなら俺はちょっと一狩りいってくるぜ。まだ辺りには魔物がうじゃうじゃしているんでな」


 そう言うとクウヤはルーたちにさして興味を示さず、アジトを出ていこうとする。するとそのクウヤをルーが慌てて止める。クウヤはまだ何か絡んでくるのかと眉をひそめる。


「まって。私もついていくわ」


 ルーはクウヤに魔物狩りへ同行を申し出た。ルーはまだどこかでクウヤの変容を受け入れかねていた。同行すれば何か思い出すかもしれないと淡い期待を持っての言葉だった。予想外な行動にクウヤはルーをまじまじと見つめ、にやりといやらしい笑いを浮かべる。


「……あ? お嬢さんが魔物狩り……? 面白い冗談だねぇ」


 鼻でせせら笑うクウヤ。ルーはそんなクウヤに対し口角を引きつらせている。クウヤの言葉がよほど腹に据えかねたのか、先ほどの泣き顔が嘘のようである。


「ふっ……貴方こそ、小物ばかり狩って満足しているんじゃないでしょうね? 狩りを見せてもらうわ」


 ルーは挑発する。クウヤのあざけりの言葉がよほど腹に据えかねたらしい。クウヤもルーの挑発に不敵な笑みを浮かべた。


「魔物に襲われて、ちびっても知らねーぞ」


 憎まれ口を叩くクウヤ。ただその表情は好奇心を刺激された少年のような笑みを浮かべる。ほんの一瞬だがルーには以前のクウヤのにおいを感じた。


「あらまあ、お下品だこと。わたくしがそんな阻喪をするはずがありませんわ。これでも一国の公女ですから」


 挑発的ではあったがルーの態度が微妙に変わった。わずかながらに何か希望を見出したかのようにその目には力が宿る。


「……ふ。物好きなお嬢さんだな。自分の面倒は自分でみろよ。泣きわめいても助けんぞ」


「そんなことを言って。貴方が魔物に倒されても尻拭いはしませんわ。ご自分で何とかしてくださいね。ふふっ……」


 お互いに挑発的な言葉で応酬しながらクウヤとルーは二人して、狩りに出かけた。その後ろ姿は以前のようなクウヤとルーの雰囲気が醸し出されている。


「あ、待ってよ。私も行くから」


 わずかながら雰囲気が昔に戻ったような気がしたヒルデは二人の行く末がどうなるのか気になって仕方なかった。二人の動きに併せて自然に動き出す。


「お、俺もいくぞ」


 ヒルデとエヴァンも慌ててクウヤたちの後を追って、外へ出て行った。ヒルデがあまりにも自然に二人についていったので、ヒルデの行動を予測していなかったエヴァンはやや出遅れたが必死になって仲間たちについていった。


 微妙な距離感のクウヤと三人の仲間たちはそれぞれの想いを胸に狩り場へと向かうこととなった。

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