第100話 出発前夜

 魔物の追撃を逃れ、船団はトゥーモに入港した。クウヤたちはやっと安全な場所で休めると喜んでいるが、船長を始め船員たちは港の妙な緊張感を感じていた。慣れた入港作業がいつもにも増して緊張を要するものになる。


「どうかしたんですか?」


 船長たちの振る舞いに違和感を覚えたクウヤは何か起きたのか聞く。


「……いや、いつもより警備が厳しいようだ。魔物の襲撃の後だから、そういうことには過敏になっているんでな。恐らくトゥーモでも魔物の襲撃を警戒している。ま、そのあたりは上陸してから詳しく話を聞けばいい」


 そう言うと船長は入港作業に戻る。


 水先案内人パイロットに導かれ、クウヤたちの船は入港する。港は大小様々な船で混雑している。港内にいる船を見ると、商船もあるが、軍用船が多い。その中には大砲を複数門積んでいる戦列艦も見える。どこかへ戦を仕掛ける前のような喧騒が港を満たしていた。

 船団の船のうち大型の船は港の沖で錨泊、連絡艇で港と行き交う。必要な物資などを補充次第、リゾソレニアに向け、出発することになっている。クウヤたちの船は港の岸壁に接岸し、魔の森へ行くための荷物を降ろしていた。


 派遣隊の隊長、クウヤたちはトゥーモの代表に面会するため先に上陸していた。


「何かあったみたいですね。やはり、こちらの街でも魔物が?」


 隊長が代表に尋ねる。代表は無言で首肯した。その苦渋に満ちた雰囲気から問題が深刻なことを伺わせる。


「リゾソレニア襲撃の報を聞いて、警戒はしていたのだがこう頻繁に襲撃があると……さすがに辛い」


 代表の話によると、リゾソレニアが魔物の襲撃を受けたのと時期を同じくして、散発的で小規模だった襲撃が次第に頻繁になり、規模も徐々に大きくなって、対応に追われているとのこと。この街では独特の事情により、困難さに拍車をかけていた。

 トゥーモでは魔族側との取り決めにより、魔族の領域に向けて攻撃をしかけることができなかった。これは魔族との紛争を避けるための取り決めだったが、魔族側が越境しょうとする魔物を攻撃しない限り、魔の森から出てきてすぐの魔物を攻撃できなかった。

 魔族も魔の森から魔物が出ないように門を固めていた。しかし、防壁を飛び越え、トゥーモを襲う魔物に対してはあまり有効ではなかった。さらに空飛ぶ魔物が飛べない魔物を掴み、トゥーモへ投げ入れることもあり、防壁自体が無効化されつつあった。そのことがトゥーモの緊張を更に高めていた。


「……現状厳しいが、時間限定なら何とかならんこともない。とにかく君たちは早急に魔の森行きの準備を進めてほしい。君たちが魔の森から帰還するぐらいまで、少なくともその間ぐらいなら守りきってみせる」


 代表の悲壮な宣言にクウヤたちは何と声をかけていいのかわからなかった。とは言うものの、クウヤたちにできることはない。トゥーモの防衛に加担するわけにはいかなかった。彼らの最優先にすべきことは早急に魔の森へ向かうことであり、トゥーモの街の支援ではなかった。


――――☆――――☆――――


 大急ぎで物資の受取りと整理を終えたクウヤたちは次の日の出発に備え、それぞれ割り当てられた宿舎の部屋で休むところだった。


 ルーは一人、ナイトガウン姿でクウヤの部屋へ向かう。本国から指示された自分の任務を果たすために。それと同時にもう一つの目的も果たすために。彼女は彼が自分の手の届く人であるうちにできることはしたかった。

 彼女の表情はこわばり、歩く姿もどこかぎこちなく、傍目から見ればいつもの彼女でないことは明らかだった。その胸の内に悲壮な決意をしているようにもみえた。


 そのルーを蔭から監視するものがいた。ヒルデである。物陰から気配を殺し、ルーの動きを逐一探っている。


 ヒルデに物陰から監視されていることに全く気付いていないルーはクウヤの部屋の扉の前で、立ち尽くし、戸惑っている。普段の彼女なら、ヒルデの監視に気付いたかもしれない。しかし、今の彼女にはそんな余裕がない。


 しばらく迷ったあと、意を決して扉をそっと叩く。中から声がした。ルーはおずおずとドアノブに手を伸ばし、扉をゆっくり開け中へ入った。


「どうしたんだい、こんな時間に?」


 クウヤは優し気にルーを出迎える。ルーは普段の彼女とは違い、ためらいがちにクウヤを見る。クウヤはそんな彼女を不思議そうに見る。


「……明日出発だから……ちょっと話しておきたいなって……思って。いいでしょ?」

「ああ、構わないけど……話って何?」


 いつになくしおらしい態度のルーにクウヤは戸惑いを隠しきれない。加えて、どこか煽情せんじょう的なナイトガウン姿がクウヤの部屋の窓から差し込む月の光に照らされ、更に煽情的な雰囲気を煽っている。ルーの姿に戸惑いを感じた彼は彼女の一挙手一投足を観察することで意識をそらした。


「……クウヤが魔戦士になったら、こんなふうに話すことも難しいのかな……?」


 ルーは伏目がちにクウヤに尋ねる。思わず、クウヤは目を背ける。彼は胸の高鳴りを感じずにはいられなかった。


「ん……? なってみないとわからない。でも、そんなに変わることはないと思うよ。魔戦士になったとしても、俺は俺。そんなに心配することはないよ」


 今ひとつ、ルーの心配が何なのか理解できず、当たり障りのない答えを返すクウヤ。


「本当に……? クウヤはクウヤのままなの?」

「たぶんね。ルーが心配するようなことはないと思うよ。だから、そんな顔しない。大丈夫、大丈夫だから」

「魔戦士になっても、忘れないでね……絶対よ……? 私も変わらないから……クウヤも……」

「ああ。大丈夫。信じてくれ。そんなことはしないから」

「本当に大丈夫……? 絶対よ……?」

「大丈夫さ! 信じなよ」


 繰り返しのような質問に多少当惑しながら、クウヤは何とかルーの心配を解消できるよう苦心していた。そんな彼女の様子に違和感を感じながらも、彼女が何を思っているのか今ひとつピンと来ない。

 一方、ルーは何となく煮え切らない感じのクウヤに少しいらだちを感じ始める。


「……大丈夫、大丈夫って本当にわかっているの?」

「……は? 何を言っているんだい?」

「もうっ! クウヤのバカっ!」


 ルーはいらだち紛れにクウヤの胸へ飛び込み、彼の胸を太鼓のように叩く。


「い、痛い、痛い! ち、ちょっとまってよ!」


 不意をつかれたクウヤは何がなんだか分からない。ルーの肩を掴み少し距離を取ろうとする。


「男性なら、もっと言うことがあるでしょう! もう、クウヤのバカ……」


 クウヤはルーにそう言われても、何が何だかわからない。ルーはため息をつくばかりだった。


「……これだから、クウヤは……」

「うぅ……ごめんな」


 訳も分からず、とりあえず謝るクウヤだが、ルーはまだご機嫌斜めだった。

 

「ダメな人ね……クウヤって」

「いや……その……何て言っていいのか分からないけど、ゴメン……」


 ルーはさらに大きくため息をつく。クウヤは理由は分からないが、いたたまれない気分になった。


「……もうっ、クウヤったら……もういいわ。女の子がこんな格好して、夜一人で訪ねてきたのよ。何も思わないの?」


 ルーはふくれっ面で両腕を腰に当て、クウヤを睨む。そこまで言われて、彼は何となく察した。それでもどう行動したらいいのか分からず、あわてふためくだけだった。


「何となくわかるでしょう? 次にすることは……」


 そう言うとルーはそっとクウヤの胸の中へ入り、抱きしめる。


「あっ……あの、ルー? ルーさん?」


 クウヤは彼女に

 クウヤはどぎまぎしながら、彼女をぎこちなく抱きしめる。


「……この温もり忘れない。どんなことがあっても……」


 ルーは誰に言うでもなくつぶやく。クウヤも黙って聞いている。


「……俺は……俺は死にに行くわけじゃない。生き残る可能性を高めるために魔戦士になるんだ。必ず生きて……生きて……また……」


 クウヤの決意の言葉にルーはやっと機嫌を直す。


「戻ってきたら……また……こうしてくれる……?」

「……ああ。約束する」


 ルーのためらいがちな言葉にクウヤは答える。そしてそっと額に口づける。彼女はわずかに身悶えた。


 寄り添う二人を月明かりが照らしていた。


 一方、クウヤの部屋の扉の外では、ヒルデが中の様子をうかがっていた。


「なんか、寝付けねーな……。あれ? アイツ何やっているんだ?」


 次の日の出発を控え、何となく興奮し寝付けなかったエヴァンは宿舎の中をぶらついている。クウヤの部屋の近くまで来ると誰かがクウヤの部屋の中をうかがっているところに出くわす。


「おい! 何しているんだ、こんなところで?」


 その声に、ヒルデはネコのように驚いて飛び上がる。エヴァンは何でヒルデがそこまで驚くのか分からず不思議そうな顔をするだけだった。


「……! エ……エヴァン……くん? なんでこんな所にいるの……?」

「そりゃ、こっちのセリフだわ。クウヤの部屋の前で何コソコソやってんだよ?」


 突然の闖入ちんにゅう者にペースを乱されたが、なんとか持ち直し冷静さを取り戻すヒルデ。エヴァン相手ならと軽く脅しをかけてみる。


「……なんでもないの。なんでもないのよ。貴方には直接関係のない話よ。首を突っ込まないほうが身のためよ。世の中知らないほうがいいことがあるの……」

「あっ、そう。じゃ、これ以上聞かない」

「え……?」


 あまりにもあっさり引き下がるエヴァンに拍子抜けし、ヒルデの思考が一瞬完全に停止する。普通なら、疑わしい行動をとっている人間に何の疑問も抱かないはずがない。普通なら……。


「聞いてもしょうがないし。ヒルデが言うなら、言う通りにしたほうが間違いないし」


 正面切って、ヒルデへの絶対的な信頼をひどくあっさり口にするエヴァンに、ヒルデは開いた口がふさがらなかった。普通なら、親しい中とはいえ、夜更けてから人目を避けるように部屋の様子をうかがったりすれば、どれだけ親しい間柄でも不信感を抱くのが普通である。しかしエヴァンはそういう発想が全くなく、あっさりと疑わしい行動をとる人間の言葉を全面的に信頼し受け入れた――このことはヒルデにとって奇跡的な経験だった。ルーのそばで国と国の関係の中で諜報活動やおおやけにできないような活動についてある程度は見聞きしてきた彼女にとって、それまでの常識を木っ端みじんに粉砕された気持ちになった。


「……え? それでいいの……?」

「何か問題でも? 俺には何が問題なのかさっぱりわからない」


 あまりの事態にヒルデはエヴァンに聞き直す。しかし答えは変わらない。


「例えば、私がどこかの国の密命を受けたスパイだったら……どうする?」

「どうもしない。そんなことはどうでもいい。俺の知っているヒルデはここにいるヒルデだ。仮にそんなことをしていたとしても、俺は一向にかまわない。ヒルデにはヒルデの事情があるんだし、それを俺が否定はできんしなぁ……」


 実にあっさり受け流すエヴァン。ヒルデには目の前の男が実は歴史上まれにみる大器の持ち主か、空前絶後の大馬鹿じゃないかと思えてきた。今一つ信じられないヒルデはさらに問う。


「え、どうして? 私が裏切るかもしれないのよ? いつの間にか寝首をかかれるかもしれないのよ?」

「寝首をかく必要があるのならかけばいいじゃねーか。俺にはそんなことはどうでもいいし、もしそうなっても恨みゃしねーよ。もっともヒルデがそんな判断をするとは思えないし。賢いヒルデならそんな状況になる前にきっと逃げを打つだろうしな。俺は信じるぜ、ヒルデ」

「……エヴァン……くん」


 言葉の始めは興味なさそうに答えるエヴァン。そう言いつつも最後にはヒルデに対する絶対的な信頼を告白し、白い歯を光らせ、親指を立て笑う。ヒルデは感極まり、そっとエヴァンの胸に額を当て微かに嗚咽する。エヴァンの言葉に救いを得たようだった。

 しかし当のエヴァンは何が何だか分からず、ただ胸の中で嗚咽する少女の肩を抱く以外できなかった。


 こうして魔の森へ向かう前の夜は四者四様の思いを抱きつつ更けていった。

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