第76話 狂信の蠢動

 時は少し遡り、クウヤたちが魔の森で悪戦苦闘していたころ、帝国の北東にある宗教国家レゾソレニアではとある儀式が大々的に執り行われていた。


 煌めく巨大な水晶の結晶を思わせるレゾソレニアの中心部にして、ヴェリタ教の心臓部であるクリスタルの寺院(通称水晶寺院)前の広場には群衆が集い、大集会が催されていた。


 寺院のすぐ前にはかなり大きな演壇があり、ヴェリタ教の主だった高僧が登壇している。その中にヴェリタ教教皇ディノブリオンと”名もなき導師”の姿がある。


  教皇は“名もなき導師”に真新しい教皇の証となる宝冠を与え、その頭に乗せた。そして教皇からお付きの僧官に巻物が手渡される。


 僧官は一人の高僧にその巻物を恭しく手渡す。受け取った檀上の高僧は巻物を広げ、声高らかに読み上げる。


「皆の者、よく聞くが良い! 今新しき導き手が誕生した。皆も良く知る、“名も無き導師”が新しき名を先代ディノブリオン猊下より与えられた!」


 群衆から地の底から湧き上がるようなどよめきが湧きあがる。


「その名は『タナトス』! タナトスとは『終末を見つめし者』を意味する。終末を見つめ、そこから得られる悟りは『白き蓮華の教え』が示す光であり、皆を安息の地へ導く新しき光となろう。新しき導き手と供に『白き蓮華の教え』を、普く無知蒙昧むちもうまいな民に広めようではないか!」


 高僧の宣言に呼応して、群衆は一斉に声を上げる。その声は津波のように広場から一気に拡がる。


 教皇が手を挙げ、聴衆の関係に答えながら、檀上から寺院へ移動していく。そのあとを元“名もなき導師”タナトスが続く。高僧たちがそのあとに続き、一連の儀式は終わりとなった。


 ヴェリタ教では教皇が代替わりする際、現教皇が新教皇に宝冠と名を与える。教えを広める使命を帯びた新たな人生を授けるという意味がある。ヴェリタではこの儀式を代々連綿と続けていた。また、次世代の教皇候補は名前を捨て、“名もなき導師”として教皇となるべく修行に励んだ後、この儀式に臨むことになっていた。そして儀式の後、前教皇は上皇として、表向き現教皇を補佐する立場になる。実際には隠居であるが現上皇ディノブリオンは些か違うようだった。その証拠に現教皇よりも多くの取り巻きを従え、奥の水晶宮へ向かっていた。隠居にそれほど多くの取り巻きはいらない。


 外から未だ続く歓声を背に上皇ディノブリオンは寺院の奥へ奥へと移動する。後を追ってきた高僧が取り巻きをかき分け、上皇に話しかける。


「上皇猊下、ちょっとお耳に入れたい件が……お部屋でお話します」


 上皇は「うむ」とだけ言い、タナトスたちとは別行動をとった。


 水晶宮の新たに上皇専用の執務室となる部屋に上皇と一人の高僧が入室する。


 上皇は執務室にある執務机の大きな椅子に悠然と腰掛ける。同時に入室した高僧はやや頭を垂れ、上皇の次の言葉を待っていた。


「……それで、話とは?」

「は。どうやら、マグナラクシアと魔族が接触を始めた模様です。魔導学園の生徒を使節として送ったとの情報を得ました」

「マグナラクシアが……? 奴らの狙いは?」

「現在、調査中ですが魔族の勢力圏内で何かを調べているようです。使節とともに調査隊が魔族の領域へ派遣されたことを確認しました」

「なるほど。魔族と連携して何をするつもりだ……?」


 上皇は一言うと、顎に手を当て考える。


「……それで、その使節となった子どもとはどんな子供なんだ?」

「帝国出身の子供とカウティカの第三公女とのことです」

「……組み合わせの意味がわからんな。何故その子供らが使節に選ばれたんだ? 何か一般の生徒とは違うのだろう」

「調べてみましたところ、入学時の成績優秀者のようです。おそらくは表向き『学園の代表として成績優秀な生徒から選んだ』という形にしたものと思われます」

「しかしそれは表向きであって、真の理由ではあるまい?」


 報告をした高僧は短く、「は」とだけ答える。その反応に上皇は苦虫を噛み潰したような表情をする。


「とにかく、引き続き調査せよ。場合によってはこちらも動くことになるかもしれん。それから、他の国はどうか?」


「マグナラクシアの動きと関係があるかは不明ですが、帝国に呼応するような動きがあります。特に皇帝と、帝国宰相である公爵の周辺が騒がしくなっていました。そのあたりを含めて調査を進めます。カウティカについては表立った動きはありません。ただ、我々の放った間諜からの連絡がここ最近全くありません。新たに間諜を送り込んで調査を続行いたします」


 上皇は了承、報告をした高僧は部屋を辞した。


「……マグナラクシアは何が狙いだ? 魔族などとつるんで……まさか……? もしそうだとすると、我が国としても対応を急がないとな……」


 上皇は机の上に肘を付き、組んだ手を顎に当て考えられる可能性について考えを巡らした。


――――☆――――☆――――


 教皇タナトスは儀式の終了後、自分の執務室に戻り一息付く。この日のために修行してきた彼だったが、いざ本番となれば考えもしない重圧を感じざるを得なかった。


(この日のために修行してきたとはいえ……実際になってみると思っていた以上に大変だな……)


 教皇として教団を率いるだけでなく、この国の首長として国を運営する責任を負うことに改めて重圧を感じていた。


「失礼いたします。お加減はいかがでしょうか、猊下」


 一息ついていたところに、リゾソレニアの官僚団が挨拶に現れた。教団を運営する職員と国を運営する職員とは別々になっていた。しかしこの国では公職に就けるのは信徒だけである。当然、官僚団は信徒である。つまりこの国の運営に関しては、官僚団が運営することになってはいたが、結局は全て信徒が行うことになるので教団がこの国を運営してることと変わらず、官僚団の存在は表面的なものに過ぎなかった。


「君たちは確か官僚団だったね。若輩者の私の補佐をよろしくお願いします。政治に関しては素人なので」


「お任せ下さい。政治の実務は我々、官僚団がつつがなく処理いたしますので猊下は世事にお心を惑わすことはございません」

「よろしく頼みます。信徒の安息を保証する重大な任務ですが共に頑張りましょう」


 官僚団は若き教皇に恭しく頭を下げ一礼する。ただ、政治の実際を知らない教皇は頭を下げた官僚団の腹に一物あるどす黒い笑みに気付くことはなかった。

 官僚団は挨拶はそこそこ、今後の施政方針などを書いた書類を置いて部屋から出て行った。


「さぁ、やることは山積みですよ」


 一人、そうつぶやくと目の前の書類などを処理し始める。

 

 彼ら《官僚団》の思いに気付くことのない若き教皇は自らの理想実現のために静かに闘志を燃やすのだった。


――――☆――――☆――――


 リゾソレニアで上皇が謀略に蠢動し始めた同じ頃、帝国“蓬莱”ではマグナラクシアの動きを独自の裏ルートで入手した公爵が蠢動を始める。


「マグナラクシアの狸爺たぬきじじいめ。何を考えて魔族なんぞと手を組もうと……。しかも、その使節にあの小僧を使うなんて」


 公爵はマグナラクシアの動向にその真意を測りかねていた。それに加えて、魔族との関係を取り結ぶ使節に常々疎ましく思っていたクウヤがいることにいらだちを募らせる。そのことがよけいにクウヤのことを疎ましく感じさせた。


「当面、あの計画に影響はないだろうがマグナラクシアが動き出したとすると、何か邪魔をしてくるかもしれん。早い目に計画を進めなければ……」


 公爵はひとり呟くと、人を呼び、何やら指示を出す。


 このとき公爵は帝国宰相の地位にありながら、独自の計画を実行していた。その計画は公爵自身が密かに長い時間をかけ、準備していたものだった。


「……弱腰のヘッピリ外交しかできん皇帝ではこの国を守れない。ましてや世界の覇権を握ることなど出来はすまい。我が理想とする国家建設のため、何人にも邪魔をさせるわけにはイカンのだよ。古の禁術を復活させるとができれば、我が帝国は千年の繁栄を得ることができる。その手始めに伝説の戦士を何としても創りあげなければならん! いかなる犠牲を払ってもな……」


 公爵の独白は続く。その謀がいかなる犠牲を伴うものなのか公爵自身も帝国内にも知る者はいない。


「……ということで、公爵は独自に何か謀をしていることは明白です。表向きは様々な偽装を施して真に帝国の発展のためという名目でごまかしていますが、その裏では陛下のあずかり知らぬ謀略を張り巡らしているものと思われます」


 場所は変わって、帝国の文字通り中枢といえる帝宮内の皇帝の私室に皇帝が自らはなった密偵の報告を聞いている。


「ふむ。謀をしていることは分かったが、どんな謀をしているのじゃ? 内容次第では即刻、奴を討伐せねばならんが」

「何をしているかについては、さすがは帝国の古狸といったところでしょう、まったく尻尾をつかめません。なので現時点では反帝国的な動きかどうかについても判断できません。現在のところ掴んでいるのは、古の技術にえらくご執心で、その資料などを漁っていることは掴んでいますが、それが何を意味するのかは現状ではわかりかねます。全て表向き『帝国の発展のため』のお題目が唱えられているため、強行な調査ができません」


 淡々と報告する密偵に対し、皇帝は面白そうにその報告を聞いている。


「ふぉっふぉっふぉ。伊達に親の代から帝国宰相をやってはおらんの。まぁよい。現状では咎めようがないからの。ところで、今まで尻尾をつかむことができないほど完璧に隠蔽していたのに今回は何故、奴の謀をつかめたのじゃ?」

「まだ詳しくはわからりませんが、どうやら“状況”が変わったようです」

「“状況”じゃと?」


 皇帝は身を乗り出すように密偵に聞く。初めて聞く話に興味津々だった。

 報告は皇帝の興奮の高まりとは関係なく淡々と行われる。


「は。実はマグナラクシアと魔族が何らかの協定を結んだようです。そのことに焦りを感じて、動きを活発化したようです。そのために隙が生じたものと……」


 密偵の報告に首を傾げる皇帝。マグナラクシアと魔族の協定が公爵の謀との関係が見えなかったからだ。


「よくわからんが、何故マグナラクシアの動きが関係するんじゃ?」

「その点については現在併せて調査中です。私の印象ですが、公爵の謀がマグナラクシアの目的に何らかの関係があるのではないかと思います。そのあたりが判明すれば公爵の思惑も明らかになるかと」

「そうか。やむを得んが当面は奴がぼろを出すのをじっくり待つとするか。あいわかった! 引き続き、監視せよ!」

「御意」


 密偵はそう言うと部屋の暗がりへ消えていった。皇帝はニヤリと笑った。この世でこれ以上ない黒い笑みだった。


「公爵の奴もなかなか楽しませてくれるわい。最近退屈しておったところじゃから、ちょうどええ退屈しのぎができたわい。さて、あの小僧も存分に働いてもらわんとな。わざわざ、出所の怪しい親無し子に大枚をはたいたのだからその分を回収せんとな……ふぉっふぉっふぉっ……」


 薄暗い皇帝の私室に地獄の獄卒のような低い笑い声がしばらく響いていた。


――――☆――――☆――――


「代表! 代表! お話が」


 時系列を同じくして、ここはギルド連合共和国カウティカの中枢である首都メルカトールウルブスの連合代表庁舎内に響き渡る声があった。


「何事か、騒がしい! 庁舎内で騒ぐでない!」


 一喝したのは、この国の代表首長ペルヴェルサ・プラバス=ネゴティアその人である。一喝されたのはこの国の諜報関係の担当官だった。


「失礼しました。実は緊急のお話がありまして」

「分かった。部屋で聞こう」


 二人は連れ立って執務室へ移動する。

 部屋に入り、代表首長は自分の執務机の革張りの大きな椅子に深々と座り、担当官に向き合う。


「……それで、緊急の話とは? そんなにあわてて報告しなければならないほどのことかね? 私はこの国に天変地異が襲ったのかと思ったよ」


 直接、担当官の不作法を諌めることはしなかったが、やや粘着的だがやんわりとした嫌味で指摘する。担当官は恐縮する。


「……失礼しました。それはさておき、マグナラクシアなどが何か怪しげな動きをし始めました」


 こういう嫌味にはある程度慣れているのか、担当官は一言謝罪の言葉を述べるとすぐに本題を切り出す。


「怪しげな動きとは? 他の国がどう動こうとかかわらないのが我が国の基本ではなかったかね?」

「そうですね。しかし、その動向について把握は必要かと……」

「ふむ……それで?」


 担当官の一言に一理あると考えた首長は話の続きを促す。


「マグナラクシアが魔族と協定を結んだようです。その動きにつられてか、帝国、リゾソレニアも蠢動を始めたようです」

「……なるほどな。それは結構大ごとだな。世界の名だたる国々が動き出すとは……これは大きな争乱になる可能性が考えられるな」

「ええ。ですので取り急ぎ報告をと……」

「言いたいことは分かった。だが次はもっと穏便にな。庁舎内は静粛に保たれなければならない。よいな」


 首長は有無を言わせない迫力で言い切る。担当官は「はい」と応えるだけだった。


「何はともあれ、世界が動き出したことはおそらく間違いないことだろう。調査を命ずる。うまくやれ」


 担当官は了承し部屋を出て行った。


「……世界が動き出すか。いかに商機をつかむかだな。戦争ともなれば……物資が動く。そうなれば利益は我が国で独占する。他国にはせいぜい滅びない程度に潰し合ってもらうか。さて、そうなるとルーシディティにも動いてもらわねば。このような時のために養ってきたのだからな」


 首長は天井を見つめながら黒い策謀を頭のなかで練り始めるのであった。

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