第16話あの村についての覚書

ようやくあの村に住んでいたという古老と会う約束を取り付けた。明日から二泊三日の旅に出る。その前に、あの村についていくつかわかったことを書き留めておこう。


あの村は贄川宿と奈良井宿の中間に位置するが、中山道には面していない。どちらの村の枝郷というわけでもなく、江戸時代に一種の在郷町として発展したと考えられるが、なにを生産していたのか曖昧模糊としている。しかしながら、山への入会権を独立した村と同じく割り振られていた記録が残っている。また、年貢として特産の「やらし菜」を納めたと記録にあるが、どのような野菜かは不明である。なにか別のものを納めていた可能性もあろう。また、江戸の大火で漆器づくりをする村は多くの財を得たが、そのような記録も残っておらず、あの村がなにを生産していたのかは謎に包まれているといっていい。しかしながら、特産品であるおまんの小豆を行商する者の旅の記録などにも、わざわざあの村に立ち寄っていることがわかっており、あるいはなんらかの信仰に関わる場であった可能性もある。


明治になっても、あの村に関する記録は少ない。明治初期に政府のお雇い外国人であるフランス人技師のアルベール・ドナシアン・ド・プラートルが牛伏川の階段工視察のついでに立ち寄り、地質調査をしたという記録が残っているが、詳細は不明である。


それ以降もあの村は存続し、とくに記されるべき事項はなかった。が、昭和中期になると突如として廃村となる。大きな災害があったわけでもなく、ダムが造られるというわけでもない。村人たちが短い期間に土地を次々と離れていったのである。一時は心霊スポットなどとして訪れるものもあったが、忘れられた村といってよい。


私があの村の実地調査をしたところ、特徴的なのは建物群であった。職人町に見られる、作業蔵から街道への動線を優先したアガモチなどとは正反対に、作業小屋と思しき建物は道から離れており、山を背に隠れるように建っているのである。そして、迷い込んだ旅人からその作業小屋を隠すように住居が密集している。このような建築群は珍しく、当地での産業になんらかの関係があったのかもしれないが、詳細は不明である。


たまたま迷い込んだ旅人といえば私もその一人である。あの奇妙な廃村の空間に惹き込まれてしまった。趣味の郷土史研究をほっぽり、それ以来あの村のことばかり考えている。そしていよいよ、近隣の村人の伝手により、昭和にあの村の住人であったという人物と会うことができることになった。なにか貴重な証言を引き出せるであろうか。


……このところ郵便物が開けられた形跡があったり、誰かにあとを付けられていたり、監視されているような気がするなど、奇妙なできごとが続いているが、そういったことも忘れられるような旅になればいいと思っている。

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