Ⅱ
意識の覚醒は唐突だった。眠りから覚めるのとは全く異質の、強引な覚醒。なにかとても冷たいものを叩きつけられた感覚と共に覚醒したノクトが最初に覚えたのは、痛みだった。
唐突に痛みを訴える額を抑えようとし――できなかった。腕が拘束されていたからだ。
見れば両腕に鉄製の手錠が嵌められており、それぞれが鎖で繋いでいてその先が壁にはめ込まれている。
ためしに腕を動かして、じゃらじゃらと鎖が子気味良い音を鳴らした。
それらを確認して、ノクトは「ふむ……」と小さく嘆息する。そしてようやく正面に立つ巨躯を見上げた。
渋面を浮かべた巨躯――デルムッド・アキュナスが立っていた。その左手がノクトに向けて掲げられているのを見て、続けて今度は自分を確認。顔を中心に上半身がずぶ濡れだった。
察するに、意識が覚醒した理由は、デルムッドが響律式で生み出した水を叩きつけたからだろう。
ノクトは口の端を軽く持ち上げて笑みを作る。
「随分、古典的な起こし方だな。できたら拭く物くれないか? このままじゃ風邪引いちまいそうだ」
「すでに病にかかっている者が風邪を引くわけなかろう」
「一応聞くけど、どんな
肩を竦めて見せるノクト。すると、デルムッドは微かに鼻を鳴らしながら答える。
「皮肉を言わねば死んでしまうのだろう?」
「なるほど。確かに病気かも」
この男にしては随分と面白い冗句を返してきたなと思い、ノクトは納得したように笑って見せた。
そんなノクトの様子に、デルムッドは眉間の皺をより深くする。訝しむように視線を細め、デルムッドは嫌悪するように言った。
「ついでに言えば、気も狂っている。自分の状況が判っていれば、とてもでないが笑えるものではない」
「判ってるから笑うんだよ」
割と本心なのだが、恐らく皮肉と受け取ったのだろう。デルムッドは最早相手する気がないとでもいう様子だ。
そんなデルムッドを見ながら、ノクトは状況を再確認。と言ってもすることはほとんどない。
デルムッドが目の前にいて、自分は両手に手錠を嵌められ拘束されている――これだけで、自分があの場で拘束されたのは火を見るよりも明らかだ。周囲を見回せば、狭い石造りの部屋で、どうやら此処は牢屋か何からしい。もしかしたら拷問部屋かもしれないが、それは別にどっちでもいい気がした。
問題は、何故殺さずに捕らえたのか? というところだが、『ブロート』や『大樹の実り』の連中が考えていることなどノクトには判るわけもなかった。
そして、判らないことがあるのなら聞いてみればいい。答えてくれるかは別として。
「それで、高貴なるデルムッドさんは、『ブロート』や『大樹の実り』とどうして仲良くしているんだ?」
「貴様にそれを教える義務も義理もない」
にべもない返答だったが、特に残念には感じなかった。答えてくれるなどという都合のいい展開は、最初から期待していなかったからだ。『良かったら教えてくれませんか?』――気持ちとしてはその程度のものである。
「ならば代わりに答えよう」
唐突に別の声が石造りの室内に響いた。その声を聴いて反応をしたのは、ノクトよりもデルムッドのほうが先で、彼は唐突な闖入者に向けて舌打ちをしていた。
「何をしに来た?」
「半端者の貴様と話しに来たわけではないことだけは確かだ」
瞬間、デルムッドが殺気立つ。
『半端者』――それは彼に対しての蔑称だろう。騎士のように振る舞いながら、騎士ではない彼に対しての、矛盾を突きつける呼び方。
「殺気立つのは肯定の証明だ。心の奥底で、貴様は自分自身がそうであると認めているということだぞ、と」
そう言っ、歯が砕けんばかりに殺意を噛み殺すデルムッドの前に現れたのは、あの朝に対峙した『影』だ。特徴的な貫頭衣に目深に被ったフードの姿。それも胸元にトネリコの葉を模した胸飾りをしているのだから、見間違えるわけがない。
あの時一矢報いたつもりでいたが、どうやら生きていたらしい――いや、それよりも。
かちり……と、まるで今まで咬み合っていなかった歯車同士が咬み合ったような。あるいはずっとないと思っていたパズルのピースが見つかって嵌め込んだような、そんな感覚が頭の奥でした気がする。
デルムッドと影がにらみ合う。ぴりぴりとした空気が肌を討つのを感じながら、ノクトは溜め息を吐いた。
「言っておくが……目の前で男二人がじゃれ合うの見てても、なにも楽しくないぞ?」
「相も変わらず口が減らないな、『黒騎士』。そこの半端者の言葉を借りるわけではないが……皮肉を言わなければ死んでしまう病にでもかかっているのか?」
「かもしれないな。こんな状況下に陥ったら、誰だって愚痴の百や二百を零すだろう?」
にやりと笑って見せたが、そんなものは
「どうでもいいけど、さっきの質問に答えてくれるんだろ? さっさと教えてくれよ」
「単なる余興だそうだぞ、と」
影が答えた。
「『ブロート』の主催でちょっとした
「どんな愉快なお祭りかは知らないけど、人ごみは嫌いなんだ。勘弁してほしい」
くつくつと意地の悪い笑みを浮かべて見せた。それと同じくらい意地の悪い笑い声を上げて、「安心しろ」と影が言う。
「
「うげ」ノクトは呻いた。
やっぱり碌でもないことになっている。片足どころか両足が浸かっている気分だ。
そして――もし、自分の中の予想が的中したら、頭の上までどっぷりと浸かってしまうのが判る。
外れていて欲しいなと思うが、きっと外れないのだろう。
なにせ――嫌な、すごく嫌な予感がするから。
予感と確信がイコールなんて最悪だ。そう思いながら、ノクトは目の前に立つ影に向けて、言う。
「死んでも死んでも生き返るおまえのほうが、よっぽど
微かに、影の肩が揺れた。
デルムッドの双眸が僅かだが見開かれた。
予感が、確信となった。
くそったれ。そう胸中で毒づきながら、ノクトはにぃぃ……と悪辣な笑みを浮かべた。
「そうだろ?――――カイン・ダラン」
沈黙は肯定であると誰が言ったのだろう。
答える代わりに、影がかぶっていたフードを払う。小麦色の髪に程よく焼けた肌。何処か悪童のような笑みを浮かべたカイン・ダランの顔がそこにはあった。
そして悪童は悪童らしく笑いながら、先ほどまでの巌のような声を一変――カイン・ダランの声で問う。
「一応聞いておくが――なんで判った?」
「はっ」と鼻を鳴らすノクトは、苦笑と共に答えを投げた。気づいてしまえば、あまりにも簡単すぎる答えを。
「別人に成りすますつもりなら、しっかり誤魔化せよ。ところどころに口癖が出ていたぞ、と」
それはカインの口癖だった。時折語尾に「ぞ、と」という、何処にでもありそうでなかなかに存在しない口癖。
「ああ、なるほどな」なんでもない風にカインが頷く。
「やっぱり出てたか。気を付けてはいたが、癖というのはなかなか抜けないものだぞ、と」
ワザとらしく言ってからからと悪童が笑ったが、ノクトは何も面白くない。
つまりはみんな、一杯喰わされたのだ。この騎士様に。
気づけたのは殆んど偶然だ。先ほどの口癖もそうだが、頭の片隅にあった違和感は、あの『冥装』である。
「ったく……気づいてみれば呆れるほど簡単だな。どんなに強力な兵器でも、人間があんなに綺麗サッパリ、なに一つ残さず消えてしまうわけがないんだから」
倉庫での戦いのとき、確かに『冥装』は使われていた。だが、その威力はエルに見せられた映像のような『消滅』ではなく、周囲の物を容赦なく『破壊』するものだった。
そうなれば、カイン・ダランが撃墜された際、なに一つ残さず消え去るのは可笑しい。
恐らく、『冥装』が直撃したように見せかけて、
「親友が泣いて喜びそうだな?」
「かもしれん。あいつは口は厳しいが、基本的に善い奴だ」
「お前と違って?」
「そうだ。おれと違ってだ」
にたり。ノクトと同等。あるいはそれ以上にあくどい笑みを浮かべる。
そんなカインを見て、きっと似たような表情(かお)しているんだろうなと思いながら、ノクトは溜め息交じりに尋ねた。
「一応聞いておくが、なんでこんなことを?」
「逆に聞くが、貴様はあれを見てどう思った?」
ああ、やっぱりか。
得心が言った。
簡単に言えば、カイン・ダランは魅入られたのだろう。絶対的な力――そう言っても過言ではない『冥装』に。
「貴様も見ただろう? 『黒騎士』よ。『冥装』の力は絶大だ。『冥装』を装備した兵が一個大隊……いや、中隊あればいい。それだけで、他国を退ける抑止力になり得るし、この国自体を変えることすら造作ない」
「そしてお前は王様になるのか?」
ノクトの茶々に、カインは「まさか」と肩を竦めた。
「『大樹の実り』の目的はそんな些末事じゃあない。おれとて所詮末端だが、そんな小さな目的のために『大樹の実り』は動かないさ。もっと大きな目的のために存在している。『冥装』はその足がかりに過ぎん」
「べらべらと良く喋ってくれるついでに、その『大樹の実り』様はなにを目的としていらっしゃるのか、教えてくれないかい?」
挑発するが、やはりカインは乗ってはくれなかった。ただ肩を竦め、にぃぃ……と唇の端を吊り上げる。
「――世界の解放。それが『大樹の実り』の大願だ」
「阿呆らしい」
はっきりと、唾棄するように言い捨てる。
「凡人には、ましてやこれから死にゆく奴に理解は求めていないぞ、と」
カインが言い終わると同時、デルムッドが黒服の連中を引き連れて再び姿を現した。服装から『ブロート』の連中だということが判る。
「連れて行け」指示が飛ばされると同時に、男たちが一斉に牢の中に入り、ノクトの腕を拘束していた手錠を外す。
そのまま複数人でノクトを抑え込みにかかる。
「別に逃げやしないだろ」と零したが、どうやら聞く気はないらしい。強引に腕を摑まれ、引き摺るようにして大勢の男たちに引っ張られる様は一見したら滑稽だろうが、それは今更な気もした。
仕方なく黙って男たちに引き連れられていくノクトに向け、カインが言う。
「せいぜい悪あがきをして、見世物を盛り上げてくれよ?」
「はっ!」投げられた科白に対し、鼻で笑う。いちいち人の癇に障る科白を吐けるとは、ノクトの知っているカイン・ダランとは随分頭の回転が違うようだが、まあそれはどうでもいい。
揚句、悪あがきをしろと来たものだ。だったらご期待に応えてやろうじゃないか。
御言葉通り、せいぜい派手に足掻いてもがいて逃げ回って、そして存分に踊ってやるさ。
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