四日目

 朝起きて時計を見ると、もう昼だった。案の定、なんだか胃もたれもしている。

 彼女はもう起きていて、ぼくの棚に置いてあった本を読んでいた。本をパサリと閉じ、唐突に言う。

「ねえ、旅行に行きたい」

「旅行?」

 ぼくはびっくりして聞き返した。

「そう、旅行!」

「それはまた突然な」

 ぼくは彼女が持っている本を見て、そして理解した。志賀直哉の『城の崎にて』……温泉か。

「仕方ないじゃない、やり残したこといっぱいあるんだから」

「今日含めてあと四日だけど、終わるの?」

 彼女はふふんと胸を張った。

「旅行に行けば、ほとんど終わるのよ」

「はいはい。それで、どんなところに行きたいの?」

 彼女は指を折りながら希望を挙げ連ねていく。

「家族風呂付きの温泉があって、景色が綺麗な山があって、おいしいものも食べられるところ。あ、あと、列車旅もしてみたいのよね」

「君、高望みって言葉知ってるかい?」

「いいじゃない、そのくらい! かわいい彼女の最期の願いぐらい叶えてあげようと思わないの? こんなに未練が残ってちゃ、死んでも死にきれないよ」

「それ言われると弱いなあ。わかったよ、調べるからちょっと待って」

「やった!」

 ぼくはパソコンを立ち上げて、旅行 温泉 景色 で検索をかけた。思いがけずたくさん出てきたので、自分の貯金額と見比べながら良さそうなところをピックアップしていく。

「草津温泉なんてどうだい」

「うーん、一度行ったことあるから却下」

「じゃ、有馬温泉」

「それ、どこにあるの?」

「兵庫県」

「遠すぎるから却下」

「注文の多い彼女だなあ!」

「いいから、ほら次」

「別府温泉」

「大分?」

「そう、ぼくの故郷の近くだよ」

「福岡だっけ?」

「うん」

「別府温泉ってどんなところなの」

 食いついたようだ。ぼくはサイトの説明文を読み上げた。

「別府八湯とも言われてて、市内にある温泉は数百」

「数百!?」

「うん。地獄めぐりっていう定番の観光コースもあるよ」

 しまった。死んだ彼女に地獄めぐりとは、ブラックジョークにもほどがある。

 しかし、彼女はころころ笑った。

「私は天国にしか行けないだろうから、地獄も見てみたいかも」

 心配するだけ無駄だったようだ。

「そこにしよう」

「でも君、兵庫県が遠いとかなんとか」

「いいから。ほら、どこか素敵な宿予約しといてよね」


 ぼくは悩みに悩んだあげく、嚶鳴荘という旅館を予約した。オウメイソウと読むようだ。手頃な値段だし、宿自体に家族風呂が付いている。

「客室は和室がいいからね」

「そう言うと思って和室の宿を選んだよ」

「さすが私の自慢の彼氏!」

 彼女はなぜか偉そうな顔をした。

「ねえ、巷に溢れてる男たちの中から君を選んだ私って、すごくいいセンスしてると思わない?」

 これでは褒められてるのか褒めろと言われてるのかわからない。

「あーすごいすごい」

 とりあえず答えると、「心がこもってない」と睨みつけられた。

「どうやって行くの?」

「そんなにお金がないからLCC(格安航空)で福岡まで行って、そのあと列車で大分まで行く。飛行機からは富士山も見えるし、ちゃんと列車旅もできるよ」

「君って最高」

「問題はチケットがあるかどうかだけど…」

 ぼくは航空会社のサイトを開いた。

「あ、あるある」

「やったね!」

「明日の朝早くに行って、明後日の夜に帰ってくる。これでいいかな?」

「いいよ、さあ予約予約」

 ぼくは自分の名前やら住所やらを打ち込んだあと、マウスをクリックした。予約完了の文字が画面に表示される。

「できたよ!」

「よーしよくやった」

 彼女はぼくの頭を撫でてくれた。ぼくより背の低い彼女に頭を撫でられるのは何だか新鮮で、もう少し撫でてほしかったけどそんなこと言えなかった。いくらなんでも恥ずかしすぎる。

「じゃ、旅行の計画を立てて準備しないとね。それから明日の早朝出発のため、今日は早く寝よう。いいかい?」

 照れ隠しに早口でそう言うと、彼女は「もちろん!」と頷いた。

 そのあとリュックサックに着替えやらタオルやらを放り込み、お金を銀行から引き出し、地図を買ってきて旅行の計画を立てた。

「地獄めぐりはたっぷり時間をとろう」

「じゃあ二日目にする?」

「そうだね。一日目は温泉に入って別府をうろうろして、それから宿でゆっくりしよう」

「いいねえ!」

「タオルは一応持って行こうね」

「トランプは?」

「絶対に必要。旅行の醍醐味じゃないか」

 バタバタしていたら、いつのまにか日が暮れて夜になっていた。

「晩ごはん食べて風呂入って、九時には寝ようね」

「うん! ああ、楽しみ!」

 彼女のはしゃぎっぷりを見ているとぼくまでなんだかわくわくしてきたので、ぼくたちはリビングの中央で即席の「温泉旅の舞」を踊り狂った。

 ぼくはつま先を棚の角にぶつけてしばらく苦しんでいたし、それを見た彼女は笑いすぎて冷蔵庫に頭をぶつけた。


 そして、晩ごはんを食べてからすぐに寝た。

 わくわくして眠れないかと思いきや、案外すぐに眠り込んでしまったのだった。

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