第6話 一枚のアルバム
学校から帰ると、父の書斎にこっそりと忍び込むのが僕の日課となっていた。
父は仕事に出ているし、母は家計を助けるためにスーパーでパートをしていたので、見たものを定位置にもどしておけばバレることはまずない。どこかスリリングなところも気に入っていた。
程よく光の届く、方角で言えば北側にあたるその部屋は、その蔵書もさることながら、好奇心を掻き立てるものがたくさんあり、大人の世界を垣間見るようだった。
エロ本こそ見つからなかったが、「パチンコ必勝マガジン」の広告欄には思春期特有の淡い性への関心を満足させてくれる女性の写真も載っており、イケナイことだとは分かっていつつもつい忍び見てしまう。
ある日、CDプレイヤーのそばに置いてある、一枚のCDにふと手のばした。
中学校に上がるころには小さなポータブルラジオから流れる音楽に興味を抱き始めていたから、CDというものがどんなものかぐらいは分かっていたけれど、それまでどちらかというと音楽に対して関心のなかった僕にとってそれはある意味、一歩踏み出した瞬間だった。
"With the Beatles"
アルバムに載っている、マッシュルームヘアの4人の外国人の姿が、まるであぶり出されるように僕の胸を染めていった。どう考えても日本とは違う雰囲気。はじめは単なる好奇心だった。が、CDプレーヤーにそっとCDを乗せ、再生ボタンを押した僕はさらに強い衝撃を受けた。
"All My Loving~"
4人のアンサンブルが僕の知らない時代の少し気だるい雰囲気を伴いながら心地よく胸を満たしていく。時にハモり、時に小休止が入り、メリハリよく響くメロディーがまさに"快感"だった。
それは父の私物を物色している背徳感も手伝い、いけないことをしているように感じるほどの快感だ。こんなに気持ちよくなっていいのか。そんな自問自答まで出てくる。
気が付くと僕はひとり、体をくねくねとさせながら踊っていた。
どこか知らない国の物語。
外国のイメージなんて乏しかった僕も、その紗にかかった風景を自分なりに夢想した。いつまでもいつまでも、耳を傾けていた。
ふと思った。
このことを母にいった方がいいのだろうか。
この快感を誰かに伝えたい。
だけどそれは、いけないんじゃないことなんじゃないだろうか。
そもそも父の書斎に黙って入っているなんて、言えない。
そんな葛藤がいつもあった。
以後も僕は毎日同じことを繰り返した。
北向きの白い空を映す窓と本の匂い。そしてこれから迎える僕の未来。誰もいない空間。そうやって、僕の音楽に対する関心は大人の世界にこっそり足を踏み入れた背徳感と一緒に、どんどん存在感を増していった。
それはどこか性への目覚めとリンクしており、憧憬とか危うさのようなイメージをもって、僕を成長させていった。
父も同じ気持ちでこの曲をきいているのだろうか。
少し意外であった。
僕にとってまだ音楽は自分だけのものだったのだ。
それを思い切って武史に打ち明けたのは中学に入ったばかりだった当初から1年が経過した中学2年の春のことだった。
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