第25話 それが鉄仮面! 麻生という正体!

「……ここは?」



 フラつく頭を押さえながら洋明は自分の身体をたしかめる。


 特に外傷はない。身体は正常で手も足も普通に動く。フラついた頭もすぐ元に戻り、状況整理できる思考になっていた。


 だが、そんな思考を働かせば働かす程、ここが“何処であるのか”理解できていく。


 今、洋明が立っているのは線路の側だった。遮断機が目の前にあり、橙が眩しい夕陽が洋明の身体を射している。買い物袋を自転車のカゴに入れた主婦が鼻歌交じりで家路に向かっており、小学生達が携帯ゲーム機で遊びながら下校しているのは“見慣れた風景”だ。



 「…………な、なんだここはッ!?」



 見慣れた光景、それは当然だった。


 なぜなら、ここは麻生家の近所の風景なのだ。


 ガタガタと身体を震わしながら洋明はあちこちを凝視する。通行人がそんな洋明を不審な目をして通り過ぎていくが、そんなのを気にしている場合ではない。


 さっきまでニューヨークにいたはずなのになぜ日本に。どうして自分の家の近所にやってきているのだろう。



 「なんでオレはここに帰って――」



 戸惑うばかりの洋明だったが、さらに戸惑う光景がその目に飛び込んできた。



 「洋明さん?」



 心臓の跳ねる音がした。



 「――――ッ!?」



 聞き覚えがあるなんてものではなかった。その声が己の身体の身体機能を稼働させているといっても過言ではない、その甘美な声が目の前から聞こえてきた。



 「あ……あ――」



 洋明の口は開くが名前は出ない。その名は本能が忘却させている。


 だが、目の前の彼女は洋明にとって大事で大事でたまらない存在な事は忘れていなかった。



 「何変な顔してるんですか? 早く帰りましょう、ご飯が遅くなりますよ」



 彼女が洋明の手を引く。その瞬間、洋明の全身を巡る血の速度が十倍になり新陳代謝が噴火前の火山のように活発化する。さらに脳細胞全てが次々と生まれ変わっていき、体内にもう一つ命ができたのかと錯覚する程の衝撃がやって来た。



 「ほら、早く早く」



 洋明は彼女に引っ張られるがままだ。大量に注がれたエネルギーに身体機能が対処できないらしく思うように動かない。


 だが、心地よさは感じていた。何百年ぶりかと思ってしまう程の甘い時間、失ってしまった掛け替えのない人物。それは洋明にある精神の聖杯をこれでもかと満たしてくれる。


 そう、これこそがずっと取り戻したいと思っていた時間――――



 「ハッ!?」



 洋明は我に返る。



 彼女に引っ張られつつも、僅かに冷静さを取り戻していた本能が警鐘を鳴らした。このありえない事態を認めようとする自身に活を入れる。



 忘れてはならない。彼女はまだ目覚めてなどいない。



 それに。



 (ヤツは――――――ヤツは何処に行った!?)



 鉄仮面の姿が何処にも見えない。



 「ま、待ってくれッ!」



 と、洋明が引っ張り続ける彼女を止めた時だった。



 「こ、ここは……ここは一体何なん――――」



 それは運が悪かったのか、それともこれが運命だと言うのか。


 走っていた彼女が足を止めた場所は僅かに道路へ出ており。


 その彼女のいる場所へトラックが突っ込んできていた。


 絶対に避けられない。


 そのトラックは無残にも彼女を死体へと――――



 「あああああああああああああああああああああああああああああッ!?」



 洋明が悲鳴を上げ、世界が一変する。



 「な……お、オレは一体何処に……!?」



 こんど洋明がいたのは川辺だった。水着姿で大きな岩の上に立っており、強烈な日差しが肌を焼いていた。



 「じゃあいきますね! せーのッ!」



 隣には彼女がいた。大胆にもビキニを着ており、普段ならその魅惑的すぎる姿に釘付けだが、この異常事態を前に洋明は首を振った。


 そして川に飛び込もうとしている彼女を見る。岩はそれなりに高いが下は深い川なので危険はないだろう。他にも飛び込んでいる人はたくさんいる。



 しかし、洋明は嫌な予感がした。



 「だ、ダメだッ! 飛び込んでは!」



 と、叫ぶがもう遅い。


 彼女は飛び込み、水の中へと落ちていった。



 「だ、誰かッ! 誰か彼女を助けてくれッ!」



 狼狽する洋明に周囲にいる人達が訝しげな視線を向ける。だが、洋明はそんな視線お構いなしで叫び続けた。彼女が飛び込んだ近くで泳いでいる男子が二人いたので、助けを求め続ける。



 「早く! 早くしないと彼女がッ!」



 「ぷはッ! 洋明さーん! 気持ちいいですよー!」



 惨苦する洋明など知るはずもなく、笑顔で彼女は岩の上にいる洋明に手を振った。


 溺れている様子などはない。むしろ楽しんでいた。


 とても彼女が死ぬようには見えなかった。



 「よ、よかった……本当に……」



 勘違いだったのだろうか。ならばそれで良かった。



 洋明は安堵し、自分も彼女のすぐ横へ行くべく飛び込もうとして――――――――川の上流の異変に気がつく。



 「なッ――――」



 鉄砲水が上流から押し寄せていた。何の前触れもない。人など簡単に飲み込んでしまう波が知らぬ間に迫っている。


 洋明のいる場所は大丈夫だった。岩はそれなりに大きく波の高さを上回っている。


 しかし、彼女のいる位置は。



 「は、早く逃げ――――」



 鉄砲水から逃げるなど不可能だ。彼女のいる位置に波が押し寄せてくるまで二秒とかからなかった。


 彼女は呆然と、何が起こったのかわからないという顔で押し寄せる波を見つめ。


 一瞬で彼女は鉄砲水に飲み込まれる。



 「あああああああああああああああああああああああああああ!」



 そして、また世界は一変する。



 「な、何なんだ……何なんだ一体ッ!?」



 次は古びた倉庫の中だった。薄暗いライトが何も無い倉庫内を薄暗く照らしており、気味の悪さを演出していた。


 ふと、洋明は自分の服装を見ると酷く汚れているのに気がついた。泥か何かついているのか、それはべったりと糊のように衣服を汚している。


 だが、それは鼻につく匂いですぐに糊でない事に気がつく。


 「こ、これは!?」



 衣服についているのは血だった。しかもちょっと所の量ではなく、大きなバケツで掛けられたような大量の血が浴びせられていた。


 そして、そんな血まみれの洋明の傍で倒れている人物がいる。


 その人物は。



 「うわああああああああああああああああああああああああ!」



 彼女だった。



 致死量の血液を垂れ流し絶命している。洋明からずり落ちるように倒れており、両手は洋明の足首を掴んだまま動かなくなっていた。



 「ああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」



 三度目の彼女の死、洋明の悲痛な叫びが倉庫内に響き渡った。



 彼女の死を見せつけられ洋明は発狂する。



 「あああああああああああああああああああああああああああああッ!」



 これは一体何なのだろう。自分の身に何が起こったのかわからない。


 しかし、誰が起こしているのかは予想がつく。


 最初、世界が一変する前洋明は見たのだ。メカアソウと決着をつけた場所、アオ博士の研究室に憎き復讐すべき相手がやって来ていたのを。



 鉄仮面の姿を洋明はたしかに見た。



 「彼女は誘拐されたのだ。その際、麻生洋明が助けにきたのだが、逆上した犯人は彼女を殺してしまった」



 声が聞こえた。


 瞬間、再び世界が変化する。



 「だから死んでいる。重傷の身体をどうにか引きずり……お前に抱かれてな」



 星のない空一面に広がっているのは紫だった。


 立つ地面は塗りつぶしたように黒一色が広げられている。



 「やあ麻生洋明。最悪の気分はどうだ?」



 その二色しかない世界に洋明とその人物は立っていた。



 鉄仮面。



 ずっと追い続けてきた相手が目の前にいる。



 「……なるほどな。幻覚だったわけか」



 三度も最愛の人物の死を見てしまい、思わず膝をつきそうになっていた洋明だったが現れた宿敵を前に何とか立ち上がる。


 鉄仮面がどうやったのかはわからない。だが洋明に“あんな記憶”が無い以上この鉄仮面に見せられていたのは間違いない。いくら記憶を失っているとはいえ、彼女が死んでいない事は明白なのだ。


 彼女が死ぬ光景を見せるなどますます鉄仮面を許すわけにはいかない。


 洋明の中でさらなる憎悪が燃え上がる。



 「あんな幻惑に負けると思ったか! オレは彼女を救うまで倒れるわけにはいかない!」



 「幻惑? 違うな」



 鉄仮面は静かに洋明を否定した。



 「アレは記憶だ。麻生洋明のな」



 「…………何?」



 鉄仮面が何を言っているのか理解できない。洋明は不可解な視線を鉄仮面に向けた。



 「あんな記憶などあるか! もう随分と彼女との記憶は流れ落ちてしまったが、それだけは絶対に言える!」



 「お前のとは言っていない。アレは別の麻生洋明の記憶だ」



 鉄仮面はその仮面に手をかけた。カチャリと金属音が聞こえ、その隠れた顔が露わになった。



 「結論から言おう。彼女、桑島彩香は必ず死ぬ」



 鉄仮面の中から見えたのはあり得えるはずのない顔。


 その顔に洋明は驚愕するしかなかった。



 「彼女は死ぬ運命にある。果てしなく存在するどの世界であろうとも…………彼女は死ぬのだ」




 麻生洋明。


 鉄仮面の中から見えた顔は自分だった。

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