第4話
白々と夜が明け、清々しい空気が辺りに満ちる。その清々しい空気が、夏特有の重くじっとりとした物に変わらぬ刻限に、隆善は再び加夜の元を訪れた。
「ゆうべは悪かったな。あいつは……」
言いながら、隆善は加夜の姿を上から下までじっくりと見回す。見られる恥ずかしさに加夜が身をよじらせたところで、隆善はほっと息を吐いた。
「やばい事態にはならずに済んだみてぇだな。あいつがちゃんと仕事をしたみてぇで、何よりだ」
「えぇ。惟幸様はちゃんと来てくださったし、夢の中で鬼も退治してくださったわ。鬼以外に出してしまった物も逐一消してくださったし……それに、私の愚痴にも付き合ってくださったの」
「愚痴って、お前……」
一瞬だけ、隆善の顔が不機嫌そうに歪んだ。それに気付かぬまま、加夜は楽しげに言う。
「隆善様のお友達に会ったのは初めてよね。隆善様の事をお話しする惟幸様を見ていて、お二人は本当に仲が良いんだと思ったわ」
「……おい。あいつ、一体何を言ったんだ……?」
今度は、顔が嫌そうに歪んだ。加夜は口元に手を当て、「うーん……」と唸りながら昨夜の夢の中での会話を思い起こす。
「隆善様は、頼られたら全力で応えようとするお人柄だと。あとは……隆善様が、私の事を大切に思ってくださって、いると……」
恥ずかしそうに、もじもじとしながら加夜は言ってみた。隆善はと言えば……。
「あの野郎……当人がまだ言えてねぇ事を勝手にしゃあしゃあと……!」
低い声で唸るように言った。顔は赤黒くなっている。どうやら、怒っているようだ。
「ちょっと調伏に長けているからって、調子に乗りやがって。あの野郎、いつか呪い殺してやろうか……!」
「まぁ、惟幸様が仰った通りだわ」
思わず目を丸くして言い、加夜はくすくすと笑った。それに毒気を抜かれた様子で、隆善は「あ?」と声を発した。
「きっと隆善様はそう仰るだろうって、予言なさっていたの。その時は、こう伝えてくれって言われたわ。「友達を呪詛返しで殺したくないから、やめて欲しいな」ですって。こんな冗談が言い合えるのだから、本当に仲がよろしいのね」
「馬鹿言え。冗談でも言ってねぇとこっちの気がもたねぇんだよ。あの人を食ったような性格と何年も付き合ってみろ。あいつに対して真面目に会話を続けるのが馬鹿らしくなってくるぞ」
ため息をついてから、「それはさておき……」と腕組みをした。
「それ以外には、何か言っていたか? 俺の事じゃなくて、空から槍が降ってきてもおかしくねぇ程度に珍しい、あいつの真面目な意見があれば聞いておきてぇんだが」
「え? そうね……」
加夜の脳裏に、惟幸の言葉が蘇る。
『加夜姫様がもっと、たかよしへの好意や、二日以上通ってくれない事への不安を強く伝えれば、きっと事態は好転すると思うよ』
ふるふると、加夜は首を横に振った。
(きっと、今言っても困らせてしまうだけだわ……)
「……いいえ。他には何も仰っていなかったわ」
「そうか。……使えねぇな、あの野郎」
舌打ちをするその様子に、加夜は心密かに惟幸へと詫びた。それから、ふと心に引っ掛かった事があり、隆善の顔を見上げる。
「ところで、隆善様……。昨夜はお弟子様達と鬼退治との事だったけど、お邸に戻られたのはいつごろだったのかしら? 夜遅くまで鬼と対峙されて、それでこのように朝早くここに来られたのでは……あまり寝ていないのでは……」
「ん? あぁ……」
心配そうな顔をする加夜の前で、隆善はひとつ、大きな欠伸をした。
「たしかに、ろくに寝てねぇな。馬鹿弟子どもは今頃、写経の紙を前にして爆睡してるんだろうが」
むすりとした顔で言う隆善に、加夜は思わず微笑んだ。疲れているはずなのに。眠いはずなのに。加夜の事を心配して、こんなに朝早くから来てくれたのだ。
「隆善様」
「ん?」
眠そうな隆善の腕を、加夜は取った。そして、夏の朝の陽ざしを避けるように部屋の、御帳台の中へと誘う。
「お、おい……」
ぎょっとする隆善を座らせ、己もその場に座る。そして、隆善を横にさせると、その頭を膝の上へと載せた。
「眠らないのは、体に良くないもの。私の事は気にせず、このままお休みなさって」
「……俺が寝てる間に、妙な事を考えるんじゃねぇぞ。起きて早々、化け物退治はごめんだ」
「大丈夫。隆善様がお休みになっている間は、隆善様の事だけ考えるようにしているわ」
言ってから、加夜は頬を紅潮させた。その様子に、隆善は面白げに笑い、加夜の髪をひと房、摘み弄ぶ。そうしているうちに、本格的に眠くなってきたのだろう。やがて彼は瞼を降ろし、穏やかな寝息を立て始めた。
その寝顔を見詰め、頬を優しく撫でた。この穏やかな眠りを妨げる物が、何も無ければ良いと、考える。
だからだろうか。騒々しく朝を歌う鳥達の鳴き声が静まり、夏の朝にしか味わえぬ爽やかな風がさやさやと吹き始めた。
(今、私も眠ったら……夢の中で、隆善様とお話しできるのかしら?)
ふと脳裏を過ぎった考えを、加夜は頭を振って打ち消した。それでは、彼を休ませる事ができないではないか。
「夢の中で会えなくても……こうして現の世でお会いできるのだもの。わがままを言ったら、駄目よね……」
さやさやと、夏の風は吹き続ける。心地よい風を一身に感じながら、加夜は隆善の寝顔を、見詰め続けていた。
幸せそうに。少しだけ、寂しそうに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます