第2話

「子どもが消えた?」

 不穏な言葉が来客中の正殿から聞こえ、葵と弓弦、そして紫苑と虎目は足を止めた。時は夏の頭。所は、陰陽師、瓢谷隆善の邸である。

 そっと御簾越しに覗いてみれば、師匠である瓢谷隆善と、客人が正対し、何やら真面目な顔付きで言葉を交わしていた。

 体の角度を変えて、頑張って客人の顔を見てみれば、中々の美男である。すっきりとした骨格でやや軟弱そうな印象を受けるが、優しそうな面立ちは女性の気を引くには充分だろう。

 どうやら客の方が位が高いらしく、奥の畳に客が坐している。隆善は庇に近い場所に、円座を敷いて座っていた。そこまで姿勢を正していないので、位の差はあるがそれなりに気安い間柄なのだろう。

 そんな事を想像しながら垣間見をしていると、隆善が「ちょっと待て」と言って立ち上がった。そして、御簾に足早に近付いてくると、一気に御簾を掻き上げる。折り重なるようにして中を覗いていた葵達が、遠慮なく客人の前に晒された。

「覗き見たぁ良い趣味してんな、この馬鹿弟子どもが。弓弦まで何やってんだ」

「……申し訳ございません……」

 気まずそうな顔で、弓弦が肩を竦める。その横で、葵と紫苑が無言のまま正座をした。説教される流れに慣れきってしまっている様子である。

「それはそれで、どうにゃんだか……」

 呆れた様子で虎目が言えば、ぎろりと隆善が睨んでくる。

「今回はお前も同罪だろうが、この覗き見猫」

「にゃ……」

 不名誉な称号に、虎目が顔を顰めて黙り込む。全員が黙り込んだところで、身舎もやの奥からくすりと笑い声が聞こえてきた。

 その声に、全員がハッと顔を上げる。現在、ここにいるのは主人である隆善に、弟子の紫苑に葵、そして居候の弓弦と虎目。男の前に女が顔を見せるなどという事は避けるべき事態であり、狩衣を纏った女性等は一般的に考えて有り得ない。狩衣を着て二本脚で立ち、喋る猫などは論外だ。客人から見れば、隆善と葵以外は異質な存在であろう。

「成程。瓢谷殿の邸は、噂に違わず楽しい場所のようだね」

 客人が、奇妙な光景などどこ吹く風、といった様子で涼やかな声を発した。葵達は思わず声の方に視線を遣り、図らずも客人と正対する。そこで、隆善が大きくため息を吐いた。

「とりあえず、会っちまったモンは仕方がねぇ。挨拶ぐらいしろ、馬鹿弟子ども」

 言われて、葵達は「あっ」と短く叫んだ。そして、南庇に並んで座ると、揃って頭を下げる。

「弓弦と申します。陰陽の術は学んでおりませんが、こちらの邸でお世話になっております」

「五つの頃から、瓢谷隆善師匠の元で修行をしています。紫苑と申します」

「虎目。その様子にゃら、オイラが喋っていてもそんにゃに驚かにゃいにゃ? この邸の……まぁ、この通り子どもが多いからにゃ。保護者みたいにゃもんにゃ」

「どの口が保護者だとかほざいてるんだ、この覗き見猫が」

 隆善が虎目を再び睨んだところで、最後に残された葵が慌てて口を開いた。

「葵です。隆善師匠には、三つの頃から色々な事を教えてもらっています」

「ふむ……」

 葵達をしばし眺め、客人は興味深そうに唸った。特に葵の事を眺める時間が長かったように思えるのは、気のせいだろうか。

 客人は大して崩れてもいなかった姿勢を正すと、にこりと微笑み、名乗りを口にした。

「中務省が少輔しょう女木めのき時教ときのり。以前は縫殿寮にいたのだけど、その時に布が裁断を恐れて逃げ回る、などという怪奇が起きてね。その時世話になった縁で、瓢谷殿とは親しくさせて頂いているよ」

「親しくするつもりがあろうが無かろうが、俺は従七位下で、こいつは従五位下。位はこいつの方が上だ。何かやらかしても庇いだてできねぇし、下手すりゃ俺の立場も危うくなる。こいつの前で、あまりおかしな事をするんじゃねぇぞ」

 それを本人の目の前で言ってしまう隆善が、この場で一番おかしな事をやってしまっているのではないかと思うが、それに関して弟子達は口を噤んだ。しかし、女木は面白そうな顔をしてこちらの様子を眺めている。既に軽口を叩き合うほどの間柄なのだろうか。

 しばらく楽しそうな顔で全員の顔を眺め、満足したのか女木は口を開いた。

「瓢谷殿、折角だからさっきの話、お弟子さん達にも聞いて貰っても良いかな? 彼らにも、決して無関係な話ではないだろうし」

「ん? ……あぁ、そうだな」

 あからさまに面倒そうな顔をしてから、隆善は頷いた。それに頷き返し、女木は再び口を開く。

 そして、その口から、今京で起きている事件が語られたのだった。

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