第25話
「……大丈夫かなぁ、栗麿……」
走りながら、葵は後を振り向いた。足元が疎かになって転びそうになり、すぐに体勢を整えて前を向く。
「現時点で、あいつの未来は百歳までのらりくらりと生き続けて大往生……にゃんていう、ある意味文句のつけようがにゃい幸せにゃものだったにゃ。少にゃくとも、別れた時点で、その未来は変わっていにゃかった……」
「なら、今のところは大丈夫だと信じるしかないね。……ところで、葵。ボク達って今、どこに向かって走ってるの?」
素朴な疑問を口にして、紫苑が首を傾げた。走ったところで、弓弦の場所がわからなければあまり意味が無い。
「……弓弦と、初めて会った場所に行ってみようと思うんです」
「初めて……って、ひょっとして、あそこ? 栗麿が生み出した式神に追い掛けられて、その途中で弓弦ちゃんに躓いたって言う……」
葵は頷いた。
「弓弦が龍宮から来たって言うなら、何であんな山の中にいたんでしょう? ……弓弦だけじゃない。荒刀海彦も十二年前、山の中で師匠達と会っているんです。……話を聞く限り、十二年前も今回も、惟幸師匠の庵から近い。つまり、同じ場所である可能性が高いんです」
「そうか。前回も今回も、わざわざ自分が不利ににゃる場所にいたという事は、そこがおろちの生まれる場所である可能性が高いって事ににゃるにゃ」
「そう。それに……」
「それに?」
紫苑の返しに、葵はしばらく黙り込んだ。言って良いものか、悪いものか。少しだけ考えてから、葵は口を開いた。
「それに……何となく、わかるんです。俺達が向かう先に、弓弦がいるって。俺の中に、荒刀海彦がいるからかもしれません」
紫苑が、どことなく詰まらなそうな顔をした。期待が外れた……という顔だ。
「弓弦ちゃんと葵の魂魄が呼び合ってるとか、そういうのじゃなくって?」
「……紫苑姉さん、虎目の未来物語に毒され過ぎです。……と言うか、その手の話題になると、俺の中で荒刀海彦が不機嫌になるんで、本当、やめてください……」
情けない顔で肩を落として。しかし、すぐに表情を引き締めて葵は懐に手を伸ばした。
前方に、鬼達がわらわらと集まり始めている。そのすぐ向こうが、羅城門だ。弓弦と出会った場所に行くためには、京から出る必要がある。だが、羅城門を通れなければ外には出れない。鬼達を突破していくしかない。
「じゃあ、とっとと弓弦ちゃんのところへ行くためにも……いっちょやりますか!」
言いながら、紫苑も懐に手を入れる。そして、二人は頷き合い、懐から数珠を引き出して背中合わせに真言を唱えた。
「ナウマク、サンマンダ、バザラダン、センダ、マカロシャダ、ソハタヤ、ウン、タラタ、カンマン!」
「ナウマク、サンマンダ、ボダナン、オン、マリシエイ、ソワカ……オン、サンザンザンサク、ソワカ!」
見えない力が渦巻き、鬼達をなぎ倒していく。だが、まだだ。まだまだたくさんの鬼達が、羅城門の前で蠢いている。中には、葵達の姿に気が付いて向かってきている鬼もある。
「ナウマク、サンマンダ、ボダナン、オン、マリシエイ、ソワカ! オン、アミリトドハンバ、ウムハッタ!」
「オン、アミリタ、テイゼイ、カラ、ウン!」
唱えても、唱えても。鬼達の数は一向に減る様子が無い。むしろ、数が増えてきているようにも思える。京中……いや、京近隣にいる鬼までもが、ここに集まってきてしまったのではないだろうか。
「……逆に言えば、ここを何とかできれば、あとは邪魔が入る事無く弓弦ちゃんのところまで一直線……って事だよね」
「そうにゃるにゃ。……! 紫苑!」
突然虎目に名を叫ばれ、紫苑はハッと振り返った。背後に鬼が迫っている。鋭い爪を、紫苑の背に叩き込もうとしていた。
「紫苑姉さん!」
「……っ!」
間一髪で、避ける。しかし体勢を整えようと立ち上がった途端、紫苑はよろめいた。
「姉さん!?」
葵の顔が青ざめる。そんな弟弟子に、紫苑は情けない顔で苦笑いをしながら「大丈夫」と手を振った。
「攻撃が当たったわけじゃないよ。けど……ドジっちゃった。足をひねっちゃったみたいでさ」
慌てて避けたため、まともに着地姿勢が取れなかったのだろう。痛みが酷いのか、紫苑は顔を一瞬だけしかめた。しかし、すぐに笑顔に戻って見せる。
「こんなんじゃ、ボクが行っても足手まといだよね。……栗麿の真似みたいになっちゃうのは癪だけどさ……今度は、ボクがこの場を引き受けるよ。葵は、早く弓弦ちゃんのところに行ってあげて!」
「けど……!」
心配から動こうとしない葵に、紫苑はキッと眉を吊り上げた。
「弓弦ちゃんは、葵の事を待ってるよ! 行ってあげなきゃ! このままここでまごまごして、弓弦ちゃん一人におろちと戦わせて……弓弦ちゃんに何かあったら、葵はきっと一生、後悔するよ! それでも良いの!?」
「……!」
葵は目を見開き、そして拳を握りしめた。そうだ。弓弦を一人で戦わせるわけにはいかない。しかし、紫苑をここに一人残していくのも気が引ける。揺れる心を押さえつけながら、葵はギリ……と歯を噛みしめた。
「あー……二人とも? 青春ドラマを繰り広げるのは結構にゃんだけどにゃ……」
「え?」
遠慮がちに口をはさむ虎目に、二人は呆けた顔で振り向いた。そんな二人に、虎目は羅城門の方角及び、自分達の周辺をぐるりと指差して見せる。
「今のままだと、紫苑どころか葵も京から出られそうににゃいんだけどにゃー」
言われて、二人は自分達の周りをぐるりと見渡す。鬼に囲まれている。それも、結構図体が大きくて強そうな奴に。勿論、羅城門の前は似たような体躯の鬼達が絶賛占領中だ。
先ほど紫苑を攻撃した鬼が、拳を振り上げた。今まで隙だらけなのに襲ってこなかったのは、空気を読んでくれたのか。はたまた、このちょこまかとした奴らをどういたぶてやろうかと考えていたのか。……恐らく、後者だろう。
この鬼が頭目だったのか、周りの鬼達も拳を振り上げ、爪を尖らせ、ある者は武器まで構えて。じりじりと葵達への包囲網を狭めてきた。どうやら、いたぶる方法は大勢で袋叩き、にしたようだ。
「……紫苑姉さん。俺と荒刀海彦で、何とかします。姉さんはその間に、虎目とどこか安全なところへ……!」
「だっ、駄目だよ! 荒刀海彦が出てきて戦ったら、葵が体力を消耗しちゃうじゃない! 弓弦ちゃんのところへ行く前に体力を使い切っちゃったらどうするの!? 辿り着けても、その後どうやっておろちと戦うの!?」
「……と言われましても。流石にこの数に一斉にかかってこられたら、俺と紫苑姉さんの二人でも何とかするのは難しそうですし……それが俺一人で、となったら、これはもう荒刀海彦に頼るしか……」
難しい顔をして、葵と紫苑は虎目の方を見た。未来を見て、という顔だ。
「二人とも、まずは奴らの攻撃を防ぐ事を考えるにゃ! おみゃーらが、どうしようどうしようと迷う度に、未来が揺らぎそうににゃってるにゃ! 余計にゃ事は考えにゃいで……葵、跳べ! 紫苑は伏せるにゃ!」
虎目の叫びに、二人は反射的に体を動かした。数瞬後には、葵の足があった場所を鬼の爪が掬い、紫苑の頭があった場所を鬼の拳が空振った。虎目自身もサッと走り、鬼の攻撃を避けている。
まさに間一髪だ。あのまま喋っていたら、二人の足と頭は今頃地面に転がっていただろう。
しかし、攻撃を避けれたとは言え、窮地に立たされている事に変わりは無い。鬼達は次の攻撃を仕掛けようと構えている。包囲網も、先ほどまでより更に狭まっている。今度は、避ける事も難しいかもしれない。
「このままじゃ……!」
葵は、最悪の事態を口にし掛けた。
しかし、その考えは言葉にされる事無く葵の頭から消え失せる。
「天理に帰命し奉る! 雷鳴来臨、諸神真人、百鬼調伏、万魔覆滅! 急急如律令!」
鋭い声が聞こえ。次いで、激しい稲妻がまるで滝のように降り注いだ。閃光は鬼達を焼き、雷鳴はその断末魔を掻き消していく。あれほどいた鬼達が、あっという間に姿を消していく。
これほどまでの術を使える者を、葵は一人しか知らない。葵だけではない。紫苑も、虎目も、心当たりは一人しか無いだろう。
京の中では見るはずのないその心当たりに、二人と一匹は息を呑んで声の聞こえた方角へと振り向いた。葵達が来たのと同じ道を、一人の青年が走ってくる。
「紫苑! 葵、虎目! 間に合ったみたいだね。……良かったぁ……」
駆け寄るや否や、青年――惟幸は二人と一匹を掻き集めるようにして抱き締めた。
「こっ……惟幸師匠! 何でここに!?」
目を白黒させる葵達に、惟幸は二人と一匹を解放しながら苦笑した。
「何でって……荒刀海彦の遺子は現れるし、京からものすごい量の邪気は漂ってくるし。おまけにたかよしから、緊急事態だから四の五の言わずに京に来い、なんて文が届いたらね。流石に、動かないわけにはいかないよ」
「けっ、けど父様! 母様は!? 盛朝おじさんも京に来てるし、父様まで京に来たら……母様一人の時に鬼が来たら危ないから、父様は今まで京に一切来ないようにしてたんじゃ……」
惟幸は、「緊急事態だからね」と少しだけ困ったように笑って見せた。
「りつも一緒に、京に来てるよ。たかよしの邸にいれば、丈夫な結界も張ってあるから安心だし。結界だけなら、庵で待っててもらっても良かったけど……やっぱり、僕よりたかよしの張った結界の方が頑丈だしね。……そうそう。栗麿も今はたかよしの邸に避難させてあるよ。奥方は麿が立派に守ってみせるでおじゃる! って意気込んでくれてたっけ」
「……栗麿が? 母様を守る?」
「全っ然、安心できにゃいにゃー……」
あまりに不安げな一人と一匹の様子に、惟幸は一瞬唖然とした。そして、取り繕うように言葉を加える。
「……それと、ここへ来る途中で弓弦を探す盛朝にも会ったから、たかよしの邸に戻るように言っておいたよ」
「にゃら、安心だにゃ」
「うん、盛朝おじさんがついているなら、間違い無いね」
紫苑と虎目の言葉に、惟幸は「こらこら」と呆れ、そして再び苦笑した。
「彼は彼で、怖いのを堪えながら頑張ってたんだから。……とにかく、そういう訳でね。京へ来て、たかよしの邸へ行こうとしてたら、当のたかよしと会ったから事情を簡単に聞いて。それで邸へ着いたら、丁度みんなが飛び出して行くところだったんだ。それで、りつを邸に待機させておいて、僕はみんなを追い掛けてきたんだよ」
惟幸が説明する間に、再び多くの鬼達がわらわらと集ってきた。鬼達は、惟幸の姿を見ると、「ほう……」と目を丸くする。
「あれは……
「二十年前に京から姿を消した、賀茂家の迷い子が……京に戻って来たのか!」
「賀茂惟幸? 賀茂家と言うと、あの?」
「そう。あの安倍家と肩を並べる陰陽師の名門、賀茂家の事よ。奴はその賀茂家の倅の一人。二十年前、下女と恋仲になり京を出奔したと聞く」
「出奔するまでに三年間、邸に戻らず、京を彷徨い。幾度も百鬼夜行に出会っていたにも関わらず、生き延び続けた稀なる術師。神か仏の加護があるに違い無いと、当時我らの間では噂になったものよ」
「なった、なった。その肉を喰らえば寿命が延びると考え、当時まだ童子であった賀茂惟幸に挑み、無残に散った鬼もおったものよ」
「あれは考えが甘かったのだ。徒党を組み、囲むように襲えば、いくら才溢るる術師と言えどもひとたまりもあるまいに」
「ならば、今であれば……!」
「今なら、我らに数の利がある。我らにも勝機はあろうぞ」
「ならば、襲うか?」
「おう、襲おうぞ。そして彼奴の肉を喰らい、永き寿命を得ようぞ」
あっという間に伝搬していく鬼達の話し声に、惟幸は、はぁ、とため息をついた。その顔は、とても不機嫌そうだ。
「たかよしと虎目の嘘吐き。僕の事を覚えてる
見られたわけでもないのに、虎目はフイッと顔をそむけた。そんな彼を咎める事無く、惟幸は再びため息をつく。
「……まぁ、会っちゃったものは仕方ないよね。……葵」
「はっ、はい!」
惟幸の、鬼達からの狙われっぷりに少々呆けていた葵は、慌てて背筋を伸ばした。そんな葵に、惟幸は羅城門を指差して見せる。
「今なら、楽に門を通れるはずだよ。ここは僕と紫苑に任せて、弓弦のところへ行ってあげるんだ。……
惟幸に呼ばれ、三体の式神が姿を現した。女官姿の明藤、翁の姿をした暮亀、武人の鎧をまとった宵鶴。その三体が、全てを心得たと言わんばかりに惟幸に頷き、葵の傍らへと移動する。
「道々で葵に襲い掛かる鬼や蛇の相手は明藤達に任せて、葵はただ走る事に専念するんだ。良いね?」
「わかりました。……ありがとうございます、惟幸師匠!」
頭を下げ、そして葵は羅城門へと向かって走り出す。その後に虎目も続いた。その後ろ姿を見送ってから、惟幸はおもむろに振り返り、真言を唱えた。
「ナウマク、サンマンダ、ボダナン、オン、マリシエイ、ソワカ! オン、アミリトドハンバ、ウムハッタ!」
不意打ちを食らわせようとしていた鬼をとりあえず葬り去り、惟幸は紫苑の方へと顔を向けた。
「それじゃあ……たかよしの元で修行して、どれだけ強くなったか。父様に見せてくれるかな、紫苑?」
紫苑は、「勿論!」と元気良く笑って見せた。
「すっごく強くなったところを見せて、もう当世一の陰陽師の座はボクに明け渡して、京で母様と楽隠居しても大丈夫かな、って思わせてあげるんだから!」
「……あぁ。結局あのゆずりはって、そういう意味も込められてたんだ……」
苦笑しながら、惟幸は数珠を持ち直した。それに倣って、紫苑も数珠を構え直す。
襲い来る鬼達に、父娘は声を揃えて真言を唱えた。
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