第14話

「……というわけでおじゃる。……ほら、手違いはあったでおじゃるが、わざとではないでおじゃる!」

「……どうだろう」

「手違いも何も、最初の一歩で既に間違ってんじゃにゃーか……」

「……サイテー」

 葵は苦し紛れに呟き、虎目は呆れ、紫苑は眉を吊り上げている。そして、当の被害者である弓弦はと言えば……。

「あの時の笑顔は本当に邪で、気味が悪うございました。今思い出しても、鳥肌が立つ程でございます」

 食い殺さんばかりの眼光を放ちながら、栗麿を睨み付けている。今の弓弦なら、悪鬼も視線で倒せそうだな、と葵は見当違いの事を考え始めた。

「……あれ。って言うか、弓弦? 記憶……」

「少しずつではありますが、思い出しつつあります」

 これまでになく険のある様子で、弓弦は言う。栗麿の笑顔を見て、身体が勝手に反応して彼を引っ叩いた瞬間、記憶が頭を過ぎったのだそうだ。目を覚ましたら栗麿に抱き上げられ、件の笑顔を向けられていたその時の場面の記憶だ。

「それって、栗麿の笑顔がショッキング過ぎて、弓弦ちゃんが無意識のうちに記憶を封印しちゃったって事? それで、折角封印していた物を再度見ちゃったから、もう封印しておく必要も無くなって、記憶が戻りつつあるって事?」

「まぁ、そう考えるのが妥当だろうにゃ」

 紫苑と虎目の結構な物言いに、栗麿はふむ、と考え込んだ。そして、顔をパッと明るくする。

「……よくはわからぬでおじゃるが、その女童は記憶を失っていたんでおじゃるか? そして、今麿のお陰で記憶を取り戻したと……そういう事でおじゃるな?」

「お陰も何も、記憶を失っちゃったのも栗麿のせいっぽいんだけど……」

 流石に呆れ果てた声で、葵は少しだけ非難がましく言った。普段このような言い回しをあまりしない葵がこのような事を言った事で、栗麿もまずいと思ったのだろう。慌てて手をバタバタと上下させ始めた。

「まっ……麿を責めるのは、後でいくらでもできるでおじゃる! それよりも、記憶喪失だったという事はその娘、現在身元不明の状態でおじゃろう!? だとすれば、きっと親が心配して探しているでおじゃる! 記憶が戻ったのであれば、まずは、その娘の素性を尋ねて、親を探すのが先ではおじゃらぬか!?」

 言っている事は至極真っ当だ。そもそもの原因を作ったのが栗麿でなければ、の話だが。

「……確かに、その方が大事、だよね……?」

 納得はいかないが、弓弦を早く両親と会わせてやりたいのも事実だ。無理矢理自分を納得させ、葵は弓弦に向き直った。

「弓弦。栗麿への怒りは収まらないだろうけどさ、まずは教えてくれないかな? 弓弦のお父さんやお母さんの事、弓弦が住んでいた場所。……弓弦の、本当の名前」

 自分が付けた名が使われなくなってしまうのは少々寂しいが、仕方が無い。

 だが、そんな葵の前で、弓弦は首を横に振った。

「……まだ、家に戻るわけには参りませぬ」

「!? 何で……」

 信じられぬと言わんばかりに唖然とする葵に、弓弦は凛とした声、そして表情を向けた。先ほどまでとは、まるで雰囲気が違う。

「そもそも、私がこの地へ参りましたのは、為すべき事があっての事。それを果たせぬうちに、おめおめと戻るわけには参りませぬ」

「……為すべき事? それって……」

 葵が弓弦に問いかけようとした時、悲鳴が聞こえた。それも、決して遠くない距離だ。

「何!?」

 動揺しながらも、葵と紫苑はすぐさま弓弦を間に挟んで背中合わせになり、辺りに視線を躍らせ始めた。二人とも懐に手を入れ、いつでも呪符を取り出せるように構えている。虎目も警戒のために高い木に登り、そして、栗麿だけはきょとんとした顔で「え? え?」と呆けている。

 弓弦が、守りは不要と言うように一歩前へ進み出た。結果、葵、弓弦、紫苑の三人で三方を警戒する形になる。

 再び、悲鳴が聞こえた。近い。やがて道の向こうから幾人もの人々が血相を変えて走って来た。皆、着物が乱れる事も構わず、必死に走っている。

 人々が走ってくるのは、一方からだけではない。道の反対側からも、大勢の人間がやってくる。それだけに留まらず、辺りの邸の中、果ては道行く牛車からも悲鳴が聞こえてくる。

 そしてそれは、唐突に葵達の前に姿を現した。

 ぼたりと、黒く長い物がどこからともなく落ちてきた。ぼたり、ぼたりと際限無く降ってくるそれは、地面に辿り着くや鎌首をもたげて辺りを這い始める。

 蛇だ。

 数え切れぬほどの蛇が時には塀に空いた穴から、時には草むらから。時には何と、空から。音も無く現れ、群れを為して道を埋め尽くしていく。

「ヒッ……ななななな……何でおじゃるかっ! この蛇達はぁっ!?」

 案の定、真っ先に慌て始めたのは栗麿だった。蛇が近寄って来るや否や立ち上がり、逃げ出し、その体型からは想像できない身体能力を発揮して塀をよじ登り、避難しようとしている。

 そして、次に正気を無くしそうになったのは。

「葵!? 顔が真っ青だよ!?」

 葵の様子がおかしいと真っ先に気付いたのは紫苑で。その声につられて、虎目と弓弦も葵の方へと視線を向けた。

 葵の顔は、蒼白になっていた。呼吸も荒く速くなり、脂汗をかいている。どう見ても倒れる寸前の病人だ。

「どうしたにゃ、葵!?」

「葵様!?」

「大、丈夫……」

 気勢を張ろうと返事をするが、頼り無い声しか出てこない。食道から酸っぱい液体が湧いてくる感覚を、葵は覚えた。

(……あれ、何だろう? この感じ、前にもどこかで……?)

 次第に混乱していく頭の片隅でぼんやりと考えながら、葵は遂に膝を折った。

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