第5話 ドワーフの村

 闇の中から急に浮上する感覚。

 重い瞼を無理やり開けると明かるい日差しの中、見知らぬ天井の下にいるらしい事が分かった。

 ふと横を見るとそこには静かに寝息を立てる金の髪の少女。

 上下に動く毛布の双丘こそ小さいものの、落ち着いた動きをしている。



「……はぁ」



 どうやら生きてる。その上、ミューロンも無事なようだ。

 それを実感すると眩暈のような空腹と再度の渇きを覚えて身を起こすと視界が眩んだ。

 ただ、平坦な思考の並の中から周囲に視線を飛ばして扉を見つけ、重い身体を引きずってそこに手をかける。

 木製のそれは抵抗なく開くと炉端のある居間のような空間に出た。誰もいない。



「――れか……」



 掠れる声で呼びかけるが、返事は無い。

 右に左に視界がゆれ、そして裏口と思わしき個所に水ガメが置かれているのにきがついた。そこに歩み寄り、近くにおいてあった杓子をそこに突っ込んで腫れた喉に流し込む。それだけで冷たい水が喉を癒してくれる。



「助かった」



 確か、ドワーフ達と共に橋を焼いて、追って来た騎士から逃げて……。

 そこでぷっつりと記憶が途切れている。確か、のじゃロリと会話したような気がしたな。



「冷たッ!!」



 その声に裏口を見やる。不完全に閉められた戸の隙間から外を伺うと上衣を脱いだ小さな体があった。女性特有の丸みをおびた輪郭ながらも少し細い肢体が可憐で仕方ない。

 彼女はどうやら手桶に汲んだ水で身を清めているらしい。

 白く小さい布を水に浸して白磁を思わせる体を拭っていく。水の冷たさゆえか、張りのある体を小さく震わせる様には淫らな心を湧きたってくる。


 だが、惜しむべきはその平坦な胸だろう。ミューロンは掌におさまるほどのサイズなのだが、眼前のはまさに扁平。いや、言葉を変えて誤魔化すのは辞めよう。


 そう、言うなれば美しい貧乳。まごうことなき貧乳。


 ここは何も見なかった事にして親友の成長を祈るのが男と言うものだろう。ゆっくりと裏口の隙間を閉める。

 ――と、閉めたはずの扉が急に開け放たれ、胸を白い布で隠した幼女が仁王立ちしていた。



「目が覚めたかロートス!!」



 見開かれた茶色の瞳に大粒な涙が溜まり、今にも決壊しそうだった。そんな彼女はひしっと俺に抱き着き、ただ無言で俺の上衣を小さな手でつかんだ。震えている。小さなその手を伝わって彼女の安堵が身に染みる。


 ――俺を、心配していたのか。


 自身が半裸であると言う事を恥じらう前に俺の身を案じてくれるなんて。あぁ、俺はなんて恥ずべき行為をしてしまったのだろう。

 種族も違う俺の事を気遣ってくれたのに俺はそんな彼女を性的な目でしか観ていなかった。その上で親友だと? いや、もう親友と呼ぶのもおこがましい。後悔と羞恥で彼女の瞳を見て居られないではないか。



「……すまない、ハミッシュ」



 ひしりと無言で抱き着いて来るハミッシュ。

 そんな顔をしないでほしい。俺はお前が思っているほどのエルフじゃないんだ。



「目覚めないのかと思ったのじゃ」

「心配をかけてすまなかった」



 小さな温もりを服越しに感じる。その柔らか――いや、肋骨のせいで固いかな――な感触を抱きしめていると殺気を感じた。

 振り返ると笑顔のミューロンが「なにしてるのかな?」と問いかけて来た。



「ミューロン! これはその――」



 一瞬で距離を詰められる。殴られる。

 ――と、思ったが彼女はそのまま俺の両目に手を重ねて目隠しを作った。



「ハミッシュ。早く着替えなさい」

「わ、わかったのじゃ!」



 有無を言わさぬ声に小さな体躯が離れ、衣擦れの音が響く。女の子が眼前で着替えていると思うとそれはそれでドキドキしてしまうシチュエーションなのだが、それよりも腹の虫が悲鳴を上げた。

 よくよく考えれば昨夜から何も食べていない。



「ハミッシュ。俺達はどれくらい寝ていた?」

「うーん。半日くらいじゃな。もうお昼過ぎとるよ」



 よし、と言う声と共に目隠しが外される。

 簡素な衣に袖を通したハミッシュは土間に行き、竈に乗っていた鍋の蓋を一つ開ける。



「もう冷めてるのじゃ」



 そう言いながらも彼女は椀を二つ用意してくれた。それに盛られた粥が見えた瞬間、生唾が音を立てて胃に落ちた。



「二人ともどーぞ」



 木を削り出して作った椀とスプーンを手渡され、それを一口飲み込む。

 薄い塩味の粥。気が付くと椀まで舐める勢いで食べきってしまった。だが、逆に物が少なかったせいか、ひもじさを覚えたが、幼馴染や親友の前でおかわりを所望する訳にもいかず、ゆっくりと椀を床に置いた。



「で、どうなってるんだ? 帝国を足止めするために橋を落として……」



 そう切り出すとミューロンも椀を置いてハミッシュに向き合う。彼女の椀も綺麗さっぱり中身が消えていた。



「ん。親父の話を聞いた所によるとじゃ。レンフルーシャーの戦いで破れたスターリング様の軍勢は北方都スターリングまで後退するらしいのじゃ」



 エフタル公国の北方支配の要であるスターリングまで後退するとは思い切った事を考えたものだ。

 橋を落としているのもこの撤退の時間稼ぎと言った所か。



「ねぇ、スターリングまで下がるって事は、ここはどうなるの?」

「それは……」



 ミューロンの問いはこの村の事だけではない。すでに敵の支配下にある俺達の村や周辺の村もどうなるのだろうか。

 それに散り散りに逃げたせいで村の情報は何もつかめていない。



「少なくとも俺達の村はもう切り捨てられたと考えるべきだな」

「でもスターリングの街の近くって確か平原しか無いよね。負けたばかりの騎士団で会戦が出来るのかな?」

「そりゃ、公都から援軍もあるだろうし、大丈夫だよ」

「そうね……」

「………………」



 ふと、意味の無い軍議が止まる。

 こんな事、ただの現実逃避だと分かって居るから話題が途切れると会話そのものが終わってしまうんだ。

 それでも、悲しい顔はしたくなかった。

 今、悲しい顔を見せればミューロンは俺を慰めようとしてくれるだろう。

 だが、それじゃ、ミューロンが悲しめない。

 出来るだけ表情を動かさない様に「粥、ありがとう」と意識をハミッシュに向ける。



「徴発もあったろ。それなのに俺達に貴重な飯を食わしてくれて――」

「そ、そんな改まるのは――! 確かに、逃げていく騎士が村の食糧庫から沢山米と麦を持って行ったのじゃ。

 でも、その、ほっとけないのじゃ。それに――」



 彼女は悔しそうに唇を噛みしめた。



「村の食糧庫に火を放つよう、命令されたのじゃ」



 撤退していく騎士団の命令は徹底していた。

 サヴィオン帝国が村を占領すればそこに蓄えられていた食糧は根こそぎ奪われ、彼らの胃に消えるだろう。そこで力を蓄えた帝国はさらに進軍し、南下してくるだろう。

 古今東西――前世も含めてタダで敵に食糧を恵んでやる義理など存在しない。

 敵にとっては奪える食糧が無ければ自前で用意せねばならず、本国から食糧を輸送しなければならなくなる。

 そうすれば進軍の足は鈍り、こちらが反撃に転じるための時間を得ることが出来る。軍事的に見れば誠に正しい作戦行動だろう。


 だが、敵を足止めするための生贄となる村は事情が違う。そこでの暮らしが灰塵に帰する事を誰が喜ぶか。

 今でも瞼を閉じれば焼けていく俺の村の姿がありありと浮かぶ。



「騎士様はわしらを守るつもりは無いようじゃ。故に、二人が眠っている間に開かれた集会で、わしらも村を捨てる事を決めたのじゃ」



 村の放棄。そんな重要な事を半日のうちに決めて良かったのだろうか。

 いや、逆に言えば熟考するだけの時間も無いのかもしれない。



「ぬしらも悲しんでおる暇も無いのじゃ。食糧は持っていけるだけ持って行くが、それ以外は燃やすしかない。だから、食べられる分は沢山食べるのじゃ」



 寂しげな笑いにミューロンと顔を見合わせる。

 だがハミッシュはそんな事お構いなしと言う様に俺達の椀をつかむとお代わりを盛ってくれた。



「おい、居るか!」



 玄関が開き、そこから姿を現したのはハミッシュの父であるザルシュさんだった。

 鎧姿では無く、ラフな上衣の上に薄汚れた作業用エプロンをまとっている。



「ん? お前さんたちも目覚めたか」

「おかげさまで。それで、今はどんな感じに……」



 ザルシュさんは履物を脱ぐことなく床に腰を下ろし、溜息をついた。



「大体の事はうちのでくの坊から聞いたろ? 今は村中、最後の鍛冶に追われてる所だ。夜半にはこの村を出てスターリングに向かう。あんたらは好きにすると良い」

「そんな言い方無いのじゃ。親父! もちろんロートスもミューロンも共に行くのであろう?」



 と、言われても俺達はハミッシュ達に付いていくしか今の所、行き場が無い。



「だから好きにしろと言ってるんだろうが。おい、お前ら。名前は?」

「レンフルーシャーのロートス」

「同じくミューロンです」



 ザルシュさんは「ロートスにミューロンか」と口の中で何度か名前を呟くと立ち上がった。



「急な話ですまないが、この村と行動を共にするのなら、手伝え。

 危険な話で悪いんだが、偵察に向かう」

「偵察? 河を越えるんですか?」

「そんな時間も橋も無いんだ。こちら側から敵が渡河を企ててるか探るだけだが、もし接敵した際にあんたらなら長距離で攻撃出来るだろ?」



 確かにドワーフは飛び道具を忌避する傾向がある。

 故にドワーフと荒そうなら殴りあいだけは止めろと父上に言われた事があった。



「まぁ、あんたらにとっちゃ辛い事かもしれねーが、つきあってくれ」



 と、言われても俺達は付き合う以外の選択肢が無い。

 なんたって村はすでにサヴィオンの連中に占領されているし、父上も……。



「分かりました。だけど、行くのは俺だけで良いですか?」

「待って! わたしも行く」

「おい、せっかく助かったんだぞ。また無茶な事をしなくたって――」



 その言葉がブーメランである事は否め無いが、それでも彼女を危険な場所に連れていく事なんて出来ない。

 だが、ミューロンは激しく首を横に振る。



「行かせて。待つのはいや。それに、わたしも村がどうなってるのか知りたいの。

 例え河を渡れなくても、少しでも村がどうなっているのか知りたい」



 その強い言葉に眉を寄せる。

 梃子てこでも動きそうにない幼なじみにため息をつく。

 まぁ、何かをしていた方が今の彼女には良いのかもしれない。



「分かった。だけど、武器は? ミューロンの短弓は村だろ」

「それは……」

「それは大丈夫なのじゃ」



 自信満々に薄い胸を張るハミッシュ。

 俺たちはまずお代わりの椀をたいらげると彼女に付いてドワーフの村の外れにある大工房に足を向けた。



「なぁ、なんでおまえ、作業用のエプロンつけてんだ?」

「作業場に行くのだから当たり前じゃろ」



 そう言いながら向かった先には濛々と煙を上げる煙突を備えた木造の工房にたどり着いた。

 以前、煉瓦のほうが耐火性があるだろと聞いた事があったのだが、ハミッシュに「蒸し焼きになるじゃろ」と真顔でバカにされた思い出が蘇る。

 そんな工房は全力稼働と相成っているようで槌の音がよく響いている。



「村から出る直前によくやりますね……」

「出来るだけ精錬をしているんだ。なんたってサヴィオンの連中に鉄をくれてやる道理なんて無いからな。出来るだけ製鉄して馬車で都に運ぶんだ」



 他種族より高い冶金技術を持つドワーフだが、それはそれなりの施設もあってこその事だ。

 そのため工房が使える間は全力で鉄を打ち、それを都で売る気なのだろう。ドワーフの打った鉄は高価だと父上に聞いた事がある。



「こっちじゃ」



 ハミッシュに従い、ザルシュさんやミューロンと共に工房に足を踏み入れる。

 赤々と輝く鉄の熱気に当てられながら進むと工房の一角に筒が何本か置かれていた。



「おい、銃じゃないか。量産してたのか?」

「うちのデクは新しい物好きだからな」



 ザルシュさんが頭を抱え、物憂げに言う。

 確か、ドワーフは近接戦を華とする一族だったか。

 その戦士であるザルシュさんに言わせれば銃などと言う訳の分からない飛び道具を作る娘の事を案じても仕方ない。

 俺もさんざん父上に心配かけたようだし――。うぅ、すいません父上。



「ほら、ミューロンさん。これを使うのじゃ」

「え? でも……」



 そして銃を忌避するのはミューロンも同じだ。

 何度この素晴らしい道具の事を喧伝しても中々理解してくれない。



「なぁ、ミューロン。銃のどこが悪いんだ?」

「だって、う、ぅんこを……」



 顔から火が出そうなほど白い肌を染めた彼女は言葉を濁している。

 だが気になるのはその言葉では無い。目だ。



「なぁ、ミューロン。そんな汚物を見るような目で見るのは止めてくれ」

「そうなのじゃ。わしが丹精込めて作ったものじゃ」



 だが、他に俺たちが使える武器は無いのだろうか。

 こうもミューロンが嫌がるのなら、別の武器を使わせた方が良い。

 そう言う視線をザルシュさんに向けるが、彼は小さく首を横に振った。



「あんたらに使わせるくらいなら村の者に使わせる」



 そりゃーそうか。

 仕方ないと言うことで嫌がるミューロンに銃を渡す。



「で、弾丸と火薬はあるのか?」



 一応、ハミッシュには弾丸を作るための道具や火薬のレシピを教えているが不安になる。

 銃の欠点と言えばまずこの補給体制につきると言える。



「うむ、心配はいらぬ。一週間前だったかの? スターリングに行った時に材料を買って作っておいたのじゃ」



 と、言うわけで大工房から今度はまたハミッシュの家に戻る。

 さっきまで粥に夢中で気づかなかったが、部屋の片隅に木箱と俺の銃が置かれていた。

 その中にはびっしりと黒色火薬の詰まったカートリッジ達が隙間無く並べられていた。



「どうじゃ」

「どうじゃ、じゃねーよ。こんなぎっちり突っ込むなんて危ないだろ!」



 弾丸の管理は徹底的にやらねばならならないと言う強迫観念めいた思いから悲鳴があがる。

 前世、弾――実包の管理は厳格なものだった。

 とある乱射事件を機に厳重な管理を要求する火薬取締法の下、購入できる実包の数も自宅で保管できる数も規制された中に居た身からすればハミッシュの行いは許容しがたかった。

 だが、それを咎めている暇はない。



「よし、得物は持ったな。行くぞ」

「おう、なのじゃ」

「え? ハミッシュも行くの?」



 うん、と頷く小さい彼女。どう見ても幼女の域を出ない彼女が大きく頷いた。 

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