第4話 悪魔の誘惑
議事堂での生活は、会議と裁判がたまに行われるだけの非常に単調なもので、ぼくらはだんだん飽きてきたんだ。
ぼくらは徐々に行動範囲を広げていった。姉上に出会った崖を登ってみたり、異形生物を発見して騒いでみたり、それなりに刺激的な経験ができて楽しかった。そんな中、ルカがいてくれたらもっと楽しかったろうに。危なくて楽しい場所をたくさん知っていそうな彼は、あの裁判後からずっとぼくらの前には現れなかった。ぼくもノギも寂しかったが、一番悲しそうにしていたのはコークスだった。
今日も来ないなぁ。と定期的に呟いていた。見通しの良い崖の上でずっと空を見ている事も多かった。
風の噂で、彼がドジって白い翼に処分された、と聞いた。姉上に始末されたとかいうひどい噂もあった。コークスは、うちは信じない、と言ってずっと高いところで待ち続けていた。だから、ぼくは自然とノギとふたりになることが多くなった。
ノギはぼくより小さくて、甘えん坊で、ひとりになることを怖がったので、ぼくはいつも一緒にいてあげた。薄い紫の柔らかいウェーブヘアで、白い三枚羽の耳を持ち、左右色の違う珍しい目をしていた。オッドアイというんだ、と姉上に教えてもらった。
綺麗な目だね、と言ったら、ノギは複雑そうに笑った。彼も異端だったとするなら、このオッドアイが異端のしるしだったのだろうか。あまりいい思い出がないのかもしれない。ぼくは目のことには極力触れないようにした。
いろんな話をした。昔のことを覚えているか、聞いてみた。ぼくらはよく似ていた。家族にも周りにも愛されていなかった。家族に見捨てられて悪魔になった。
「でもね」しかし、ノギはいつもこう断った。
「お母さんはね、ぼくのことを愛してくれてたんだよ」
お母さんは、ぼくにごはんをくれたし、ぼくを抱っこしてくれたし……そんな当たり前のことを必死に述べて、だから愛してくれてたんだよ、と念を押した。ぼくはノギが可哀想だったから、そうだね、と言ってあげた。たしかに、ぼくの母親よりは母親らしかったかもしれない、と思った。ぼくはほとんど家族の顔を覚えていなかったが、ノギは母親の顔くらいは覚えてる、と言った。
コークスはしばらく塞ぎ込んでいたが、ある日突然ぼくのもとにやってきて、宣言した。
「姉ちゃん! うち、これから恋に生きる女になる!」
はぁ?とぼくは素っ頓狂な声をあげた。どうやら、ほかにかっこいい人を見つけたらしい。
「うち、もう後悔したくないの! 探さんといてー!」
そう言って、ひとりで飛び去っていった。まあ、こーたんが元気になったんなら良かった、と思い見送った。
なんだか、近頃姉上は忙しそうだった。会議が頻繁に開かれ、あの銀髪の女の人たちと深刻そうな話をしていた。前のようなやる気のない雰囲気ではなく、みんな真面目だった。なにか悪いことが起こったのだろうか。姉上は怖い顔をしていて、とても聞ける雰囲気ではなかった。ぼくは面白くなくて、議事堂に寄りつかなくなった。
今日も、ノギとふたりであたりを探検していた。ぼくが石ころを蹴飛ばして遊んでいる傍ら、ノギは空を見上げて物思いに耽っていた。
「ねえ、バニちゃん」
ふと、話しかけられたので振り向いた。
「なんだい、ノギ」
ノギはまだ空を見ていた。空には今日も光の川があるだけだ、なにも面白くないのに。
ぼくが首を傾げていると、ノギはゆっくり口を開いた。
「僕たちがいなくなったあとの世界って、想像したことある?」
いきなりなにを言い出すんだ、とびっくりした。ぼくは首を横に振った。
「地上での記憶だって、曖昧なんだ。それからのことなんて、考えるわけないよ」
「僕はよく考えるんだ。僕がいなくなったあと、家族はどうなったんだろうなって」
ノギはふわりと微笑を浮かべる。そして、突然ぼくの方を見て言った。
「ねえ、見てみたいと思わない? 僕たちが消えた後の地上を」
キラキラした目でノギは同意を求めている。ぼくは、すぐには答えられなかった。今まで、考えたこともなかったから。どうして? 姉上が地上に干渉してはいけないと言ったからだ。
地上は恐ろしい。嫌な記憶しかないから。それでも、ぼくの世界は地上だと、ぼくはまだ思っている。ノギの瞳と、姉上の顔と、地上の記憶がぼくの中で駆け回った。
ぼくのいなくなったあと……ぼくの醜い家族は、その行いに見合った無様な最期を遂げただろうけど。その無様な最期を知るのも悪くないかもね。まあ、あれから何年たったのか分からない。跡形もないならそれはそれで滑稽だ。
ぼくは、静かに口を開いた。
「……見てみたい」
ぼくは退屈だったのだ。なにか新しい刺激が欲しかった。姉上が構ってくれなくて寂しかった。ノギという唯一の仲間を喜ばせたかった。
「ほんと?! じゃあ、一緒に行ってみようよ!」
こくりと頷き、ぼくはノギの手を取った。
ぼくは、悪魔の誘いに乗ったのだ。
ぼくらは満月を探して歩いた。ノギは地上に出たことがないと言っていたから、彼に説明してあげた。
淀みを泳いで抜けるんだ。しっかり助走をつけて飛び込まないといけない。途中で眠たくなるけど眠っては駄目だよ。向こうに出たら、帰り道をしっかり覚えてね、月が出てる間に帰らなくちゃいけないんだよ。……
話しながら、ぼくも自分でイメージトレーニングした。うん、大丈夫。飛ぶ練習だってたくさんしたもの、きっと大丈夫。
「僕でも大丈夫かなぁ?」
ノギは小さな翼をぱたぱたさせて不安そうにしていた。
「大丈夫、ぼくが手を握っていてあげるから」
にっこり笑ってあげると、ノギも嬉しそうに笑った。
満月は、簡単に見つかった。ぼくは緊張してきた。姉上は怒るだろうか。もしバレたら捕まって流されてしまうのだろうか。ぼくはぶるぶる頭を振った。姉上はきっとぼくにはそんなことしない。それに、どうせ今はぼくらなんか頭にないんだからバレやしないさ。すぐ帰ってくればいい。空を見上げて立ちつくすぼくの手を、ノギがそっと握った。
「行こう?」
ぼくは手をぎゅっと握り返して、頷いた。
ぼくらは川に向けて飛翔した。どんどん加速していった。淀みが近づくにつれて、ぼくの中に恐怖が生まれようとするのだが、ノギの手を握ることでかき消した。迷ってはいけない。ぼくが迷えば、ノギともども流されてしまう。
淀みの真下に来た。ぼくは迷いを振り払うように叫んだ。
「いくぞぉぉぉ!」
そして、淀みに思い切り突っ込んだ。
ぼくは目を閉じてただまっすぐ飛んだ。前はとても長く感じたが、自分が先頭を行く淀みは、案外短く感じた。目の前が急に暗くなり、ぼくは瞼を開いた。満月が見えた。
「ノギ、着いたよ」
ぼくは目を閉じて縮みこんでいる仲間に声を掛けた。ノギはおそるおそる目を開けると、驚いてあたりを見渡した。
「わぁ……ほんとだ。ほんとに地上だ!」
ノギは、あれは月、あれは星、あれは森、と指差しながら確認していった。
「ノギ、あまりぐずぐずしていられないんだ」
ぼくは相棒の手を引き真下を向かせる。
「あれが帰り道だ。夜が明ける前にはここを通らなきゃならない」
ぼんやり光る泉があった。前と同じだ。
「ちゃんと戻ってくるんだよ。姉上にバレたらひどいことになるからね」
ノギはせわしなく頷いた。
「じゃあ、僕、行ってくるから!」
待ちきれない様子で、ノギはぼくの手を振り解いて飛んでいった。ほんとにわかってるのかな……
と不安になったが、ぼくも出発することにした。
森や泉の様子は似ていたが、ここは前回来た場所とは違うようだ。ぼくはふらふらと飛行しながら考える。ぼくの村はどのあたりだったっけ。ファーストシティのあたりだったかな。ぼくは曖昧な記憶をたよりに進んでいった。
ふと、崖のような地形が目に入った。姉上と会った崖に似ているなと思った。あれは地界だけども。
ぼくは、崖の下が奇妙にえぐれているのに気が付いた。そこだけ地面が黒っぽく変色していて、植物が生えていなかった。近くに降り立ってみた。黒いもやのようなものが漂っていた。ぼくの頭に急に映像が浮かんできた。
おなかを減らして森をさまようぼく。足を怪我して歩けなくなった。だから岩壁にもたれかかってたんだ。目の前に現れた子供。そして……。ぼくは映像をかき消した。
そうだ。ここはぼくが死んだ場所だ。
ぼくは飛び上がった。この近辺にぼくの村がある? いや、あれは呪われた村だ。きっとぼくがいなくなったあとみんな飢えて死んでしまったはずだ。もう存在しないかもしれない。存在したとしてもちっぽけで寂れてギリギリの状態で……。
少し離れたところに明かりが見えた。たくさんの明かりだった。ぼくの村はこんなに大きくはないだろうと思いながらも降り立った。村と言うよりは町だった。さすがに夜なので人気はなかったが、小綺麗な建物が立ち並び、人口はそれなりに多そうだった。ぼくは、正門らしき場所に来た。町の名が知りたかった。門には、アイゾット、と書かれていた。
……ぼくの村はなんて名前だっけ。ぼくは焦燥感に駆られた。そんなはずはない、あの飢えて朽ちゆくだけの村がここのはずがない。あの村は悪魔に呪われた村だ、あの村に相応しい姿が見たいのに。ぼくのむラハドコニアルノ?
ぼくの足は自然と動いていた。似ている、似ている、この通りは、この広場は、この坂は。
ぼくは迷いなく一軒の家の前に立っていた。そこにあるのは、見知らぬ豪邸だった。こんな家知らない、知らない、と思いながら、ぼくは玄関をくぐった。
笑い声が聞こえた。まだ起きている時間なのか。暖かい光が部屋から漏れていた。男女数人が談笑しているようだった。ぼくは、がくがく震えながら部屋を覗いた。
そこには、幸せそうな長耳族の家族がいた。
ぼくは部屋から飛び退いた。ガタガシャンとものすごい音がした。悲鳴が聞こえたような気がしたがどうでもよかった。ぼくは階段を見上げた。大きな絵が飾ってあった。長耳の男と女が微笑んでいた。
ぼくは思い出した。憎くて憎くてしかたなかった父と母の顔!
また大きな音がした。絵画がはじけて崩れた。
違う違う違うチガウちがう違うちがぁぁぁうああああ!!!
ぼくは膝をかかえて座っていた。さむい、いたい、おなかがすいた、さびしい、つらい、くるしい、さびしい、さびしい……。
ぼくは岩肌にもたれかかってふるえていた。風が強い、雪が混じっている。今年も寒かったんだな。でも、あの村にはもう飢饉は訪れないだろう。暖かい家で過ごすだろう。家族みんな幸せに暮らすだろう。ぼくの目から涙が流れた。とめどなく流れた。涙は黒い霧となり、ぼくのまわりを覆っていった。風が凌げるね。もっともっと出そう。全身から。ほら、寒さが止んできた。なにも見えないから、もうつらくない、くるしくない、さびしくない……。
一体、どのくらいそうやっていただろう。
ふわっと何かに包まれた気がした。暖かくて懐かしい何か。何だったろう、覚えてないなぁ。
「すまん、バニア… …はやく見つけてやれなくて」
頭になにかポタポタと当たった気がした。泣いているの? どうして泣いているの。
「よく、堪えたな……頑張ったなバニア。大丈夫だ。もう大丈夫……わしが助けてやるから」
強く抱きしめられた。ふわりと懐かしい香りが漂ってきた。
ああ、そうだ、ぼくはバニア。ぼくには大好きな姉上がいたんだ……。
「……ねうえ、ごめんなさい、あねうえ……」
ぼくの目から涙があふれた。黒くない涙だった。
「帰ろう、バニア」
「……うん……」
ぼくは姉上のぬくもりに包まれた。出会った頃のように、心地よい微睡みが訪れた。
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