32 不審な影1
肉じゃが、ワカメの酢の物に野菜たっぷりの味噌汁。
出張から戻った久志が、昨夜夏樹が食べたのと同じものが食べたいとリクエストしたため、夏樹は二日連続で肉じゃがを作った。
「…………」
「…………」
テーブルを挟んで向かい合わせで座っている久志は、自分が食べたいとリクエストをしたのに「美味しい」のひと言もなく、黙々と箸を動かしている。
今回の出張は予定を一日分切り詰めたせいで、かなりの過密スケジュールだったようだ。秘書課へ顔を出した芹澤の表情もかなり疲労の色が濃かった。
「…………」
「…………」
普段なら出来合いの惣菜を皿に並べただけのものでも、盛り付けが食欲をそそるだとか、必ず何か久志は言葉を添えてくれる。なのに今日は帰宅して「ただいま」と言ったあと、ひと言も言葉を発していない。
(さすがの久志さんも疲れたのかな)
向かい側に座る男の様子を夏樹がちらりと窺う。
(いや、もしかして仕事が上手くいかなかったとか……)
機嫌が悪そうにも見える久志へ不用意に話しかけることもできず、部屋の中では食器と箸の当たる微かな音だけが響く。
気詰まりな夕食に、夏樹はこんなことならテレビでもつけておけば良かったと思った。
「夏樹……この肉じゃがは山路くんも食べたのか?」
箸で摘まんだ乱切り人参を見つめながら、久志がおもむろに口を開いた。
「はい。久志さんが昨日と同じメニューがいいとのことだったので」
「――そうか」
「美味しくなかったですか?」
夏樹の問いに久志は答えず、箸に摘まんだ人参を口に入れる。
少し甘めの味付けを山路は大絶賛してくれたが、久志の口には合わなかったか。
昨日と同じメニューでも、久志に食べてもらえると思うと作ってて楽しかったし、自然気合いも入ったのに。
「美味しくないわけじゃない」
見ていて分かりやすく落ち込んでいる夏樹に久志が言葉をかけた。
それでも夏樹が納得のいかない様子で、おずおずと上目使いで久志の顔色を窺うものだから、久志も困った風にため息をつく。
そんな久志の様子を見た夏樹が小柄な体をますます小さくさせた。
「本当だ。君の作る食事はどれもとても美味しい。今日の肉じゃがだって、この少し甘めの味付けが私の口に合っている」
「――よかった。それ、山路さんも美味しいって言ってくれたんです」
久志が美味しいと言ってくれたことで安心したのか、夏樹がふわりと笑顔を浮かべた。それにつられるように久志の表情も緩みかけたが、夏樹が続けた「山路さん」という言葉にその表情が固まった。
「山路さんも甘めの味が好きみたいで、たくさん食べてくれたんですよ」
その時のことを思い出しているのか、ふふっと笑う夏樹に久志の表情が固くなる。
「だから久志さんからも美味しいって言ってもらえて良かったです…………久志さん?」
「…………」
「あの、やっぱり……美味しくなかったんじゃないですか?」
「やっぱり違うものを作ってもらえばよかった」
久志が不機嫌さを隠そうともせずにそんなことを言うものだから、夏樹は戸惑ったように顔を上げた。
「同じものを私が食べることで、あの男と一緒に食事をした君の中の記憶を上書きしようと思った。なのにこれでは逆効果だ」
それでも夏樹が作った食事は素直に美味しいようで、文句を言いながらも久志は出されたもの全てを平らげてしまった。
「悔しいが美味しかった」
空になった皿の前で美味しかったと仏頂面で言う久志。
自分よりずっと年上の大人の男なのに、夏樹が山路と食事をしただけで不機嫌になってしまうなんて何だか可愛い。
それに今まで恋人なんていなかった夏樹にとって、焼きもちを妬かれるなんて初めての経験だ。
妬かれる側って案外嬉しいものなんだなと、夏樹は何とも言えないくすぐったさに心の中で肩をすくめた。
「久志さん、ちょっと待ってもらっていいですか?」
「ああ」
夏樹はそう言って席を立つと、心なし軽い足取りでキッチンへ向かった。
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