第25話
村に駆けつけると、やはり民家が炎に包まれていた。
しかしこの村は、大半の建築物が木造であるとはいえ、それぞれの家が畑か牧場を持つほどに分散されているため、燃え移るような心配は低い。おかげでそれだけを見れば単なる火事であり、消火活動もまもなく滞りなく進むだろうし、自分たちが姿を現す必要もないように思える。
だが問題は――火の手が上がっているのが、ひとつの民家だけではなかったことだ。関連性のないいくつかの家が同時に燃え上がり、爆発音が示した通り家屋の一部が砕けている。
そして暗闇の中で炎に照らされ見える村人は、単なる火事以上に慌てふためき、逃げ回っているように思えた。
なにが起きたのか、正確な情報を把握することが出来ず、ヘイルは村人に見つからないよう近くの建物の陰に隠れながら村の内部を探っていった。
少し近付くと、それはすぐに知れる。村人のものとは違う、兵士のような男の声が聞こえてきたためだ。
「魔王の軍勢が現れました! 村の方々はすぐに避難してください!」
「ここは我々に任せてください! 魔物は我々が追い払います!」
彼らが告げているのは、ヘイルたちにしてみれば大きな矛盾をはらむ情報だった。魔物は既に打ち倒されたはずであるのだから。
仮に生き残りが村を襲ったともしても、それにしては建造物の破壊以外の、戦闘的な音は聞こえなかった。魔物はまだ村に到達していないのか、しかしだとすれば民家が破壊されることもない。
「ヘイル、これって……」
背後で同じく怪訝な顔を見せているアデルが、なんらかの推察を導き出したように囁きかけてくる。ヘイルもそれに応じて口を開こうとし――
それを妨げたのは、再び響く爆音だった。それも、ヘイルたちが身を潜める盾としていた倉庫らしき建造物から。
幸いにして、その爆発自体がヘイルたちを巻き込むことはなかった。二人が隠れ潜んでいたのは背面だが、爆発は正反対である入り口の辺りで起きたのだろう。事実、そちらから炎の弾ける音が聞こえてくる。
音に反応して咄嗟に身を屈め、防御の態勢を取っていたヘイルたちはそこから立ち直り、急ぎ火の手の方へと回り込んだ。
そこでは音の暗示通り、建物の前面が炎に包まれていた。扉だったのだろう部分は壁と共に完全に破砕され、周囲に木片を撒き散らしている。
それは凄惨な光景だったが――しかしそこに、それ以上の驚くべき存在が見つけられた。
倉庫の陰から出てきたばかりのこちらには気付かず、燃え上がる倉庫を見つめながら、その出来栄えを自賛するように頷き合う二人の男。
イントリーグ国の鎧を身に付けた、兵士。
爆発にいち早く気付いてやって来たのではないことは明白だった。彼らはこちらに気付かぬまま、軽口のように、言い合っていた。
「よし、これくらいでいいだろう。壊しすぎると修復が面倒だ」
「面倒なくらいの方が儲かるんじゃないか? どうせならもっと派手にやっちまってもいいだろうよ」
「ストレスでも溜まってんのか? 程々にして撤収しないと隊長に――」
彼らはそのまま、何食わぬ顔をしてその場を立ち去ろうとしたのだろう。
それをさせなかったのは、ヘイルだった。踵を返す兵士の前に立ちはだかる。
「お前たち、そこでなにをしている!」
「なっ、誰だ!?」
突如として現れた青年に、二人の兵士は驚愕に足を止めた。
最初は強硬な手段によって、不都合な目撃者を消そうとしたのかもしれない。彼らは手にした槍を構えた。しかし直後、炎の光に照らされる土色を基調とした旅人然とした姿を見つめ、ようやくそれが何者であるのかに気付いたらしい。
二人同時に悲鳴を上げた。
「ま、まさか、お前!」
「魔王だ! 魔王ヘイルが現れたぞ!」
その肩書きに、彼は苦渋の表情を浮かべた。
だがそんなことはお構いなしに、声を聞きつけた兵士たちが即座に現れ、青年を取り囲むように集合する。
そしてそこにいるのが真実、ヘイルであることを見て取ると戦慄したらしかった。一般兵である自分たちとは関わりがないと思っていたはずの、恐るべき魔王と対峙したのだから当然だろう。
もっともそうした恐怖、ヘイルにしてみれば不名誉であり、心騒がせる苦悩に他ならなかったが。
兵士たちは引け腰になりながらも、我が身を守るためにと震える手で武器を構える。その背後では、村人たちが魔王襲来の報に喫驚し、転がるように逃げ惑っていた。何人かは恐怖のあまり、その場でへたり込んでしまう。ヘイルは出来る限り、それらの光景を視界に入れないようにした。
そんな中で、アデルが言いかけた推察を続けてくる。
「こいつら、まさか魔物のせいにして放火を……」
「……そうらしいな」
それは状況を見れば明らかだった。
元より魔物の恐怖がほのめかされていた村であるだけに偽装は容易く、そこを利用されたのだろう。国の兵士たる彼らがそんな破壊工作の真似事をした理由も――ヘイルはおおむね推察出来た。
しかしどうあれ、村人たちにしてみれば兵士の言葉を信じるしかないだろう。さらに、真相を伝えようとするアデルに先んじて、隊長らしき兵士が言ってくる。こちらにではなく、村人たちに向けて。
「見よ、村人たち! これが勇者の末路だ! 魔を超越したがゆえ、闇に染まった魔王の所業だ!」
恐怖心をかきたてられ、村人たちはすっかり信じきって怯えていた。アデルが急ぎ反論するものの、もはや全く聞き入れられることはない。代わりに、刃を向けられる。
さらにそのうちの一人、若く血の気の多そうな兵士は、明確な殺意を持っていた。
「待て、大臣の命令では――」
「わかってますよ、隊長。けど、ここで腕の一本でも持って帰れば……今度は俺が勇者と呼ばれるはずだ!」
彼は隊長となにやら会話を交わすと、剣を突き出しながら飛び出してきた。
思いのほかの俊敏性を見て取り、ヘイルは隣にいたアデルを突き飛ばし横に飛ぶ。若き兵はすぐさま足を止めると、アデルのことは一切無視してこちらへ向けて剣を薙いだ。屈んでそれをやり過ごし、さらに飛び退く。
そのうちに他の兵士たちも、彼に感化されたように攻撃的な意志を見せ始めた。十名弱ほどからなる兵士たちの攻撃が、ヘイルめがけて一斉に襲いかかる。
ヘイルはやはり反撃しようとはせず、それらを辛うじて避け続けた。だがそれがいけなかったのか、彼らは相手から攻撃の意志が見られないと悟ると、より苛烈に殺意のこもった一撃を浴びせようとしてくる。
胸を狙った槍をいなし、喉を狙った剣を避け、左右同時に突き出される刃からなんとか逃れる。だが次第に明確な包囲をされると、なんらの反撃もなく回避のみを続けるのは困難になり始めた。
アデルが救援に向かおうとするものの、ヘイルは垣根によって完全に隔離されたような状態であり、兵士に迂闊な魔法の一撃を浴びせるわけにもいかず困窮する。
「もらった! これで俺が、新たな勇者だああああ!」
やがて囲まれたヘイルに、とうとう必殺の一撃が繰り出される。逃げ場を失い、回避する動作も限界を迎えたところを狙う、一閃。ヘイルは――
自らの首を切り落とそうとする刃を、咄嗟に素手で受け止めた。
剣は肉を抉り、ヘイルの手におびただしい出血をもたらした。それは以前、盗賊相手にやったことと同じ捨て身の防御だった――だが今、兵士たちはその暴挙を見て戦慄に身を竦ませた。
滴る血が地面に落ちる。ばちばちと炎の弾ける音が響く中、その光に照らし出されるヘイルの姿を、兵士たちは、そして村人たちはどう感じただろう。
少なくとも兵士――剣を受け止められた、血の気の多い若い兵士は、剣を手放し後ずさった。他の誰も、言葉を失い、包囲の輪を大きく広げた。
ヘイルは僅かに俯いていた。しばし、身震いすら許されないほどの恐怖が辺りを静寂させる。ヘイルの望んだものではない。が……ヘイルが与えたものではあるかもしれない。
彼は奥歯をきつく噛み締めると、血に塗れる剣を捨てた。その時――
同時に駆け出したのは、アデルだった。
隙間の空いた包囲へ侵入し、ヘイルの腕を腕を掴み取る。そして彼がなにも言わない間に、再び跳躍するように駆け、その中から抜け出した。
向かうのは村の外。村から逃げ出す道だった。
「ヘイル、今は――!」
「……わかっている。村のためにも、今はここを離れよう」
意図を同じくしていたのか。彼も頷き、並走し始める。
――もうずっと、こうやって人々から逃げ回っている気がする。
ヘイルはそれを自覚しながら、それでも今は背を向けた。
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