うつくしかわ物語

青切

オバアサマ

 もともと切尾の家は内藤を名乗っていた。

 戦国時代、尾張の織田家に従っていたが、桶狭間の戦いの後、となりの三河にうつり、徳川家康につかえた。三河一向一揆の際には、家康のためによく働いた。

 その後、羽柴秀吉が天下を取ると武士をやめ、三河で綿業を営んだが、鉄砲に使う火縄が評判であった。

 江戸幕府より内藤の名字と帯刀を許され、代々の当主は女がつとめていたが、明治維新後、名字を内藤から切尾に改めた。

 初代切尾当主のオバアサマは、明治期に発生した廃仏毀釈において、美川地方で中心的な役割を果たす。その働きが認められ、切尾家は愛智県行政との関係を深めた。

 切尾商会は、主力の綿業については、主に財閥の下請けとして業を営んだ。

 同時に、本拠である西美川南部、第二次世界大戦後に玉枝市と呼ばれることになる地域の支配を確固たるものにした。本社のある五丘町を中心に、土木、建築、物流、金融、教育など、あらゆる事業を支配した。

 オバアサマ亡き後の切尾商会は、第一次世界大戦後の不況と大陸進出の失敗で潰れかけるが、これをどうにか持ちこたえる。

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