読んではいけない怖い話

@prisoner

病院


とある古めかしい流行っていない病院の入院病棟の大部屋に、飯沢聡子(22)はスキー事故で足を折って入院する羽目になった。

ひどく患者の少ない病院で、大部屋だというのに入院しているのは聡子の他にもう一人がいるだけでがらんとしているのが、昼間から薄気味悪い。

そのもう一人の患者も、昼間から周囲にカーテンを巡らせて、まったく姿を見せない。看護婦が来て処置していくのだからいるのは確かなのだが、顔を見せたこともなければ、声もぼそぼそしてろくに聞こえない。


夜が来た。

就寝時間が過ぎたが、聡子がなかなか寝付けないでいると、隣の患者がうめき声を上げ始める。最初は我慢していたのだが、あまりにひどく長々と続くので「ナースコールを押したらどうですか」と言ってしまう。

それで一旦は静かになるのだが、またうめき声が始まるので、聡子は我慢できずに自分のナースコールを押してしまう。だが、なぜか看護婦は来ない。何度押しても来ない。隣のうめき声はいっこうにやむ気配もない。

あせった聡子は、隣に自分に何かできることはないかと言ってしまう。言ったあとで脚が折れて動けないのに気づくが、言ったことはひっこめられない。と、ぷつりとうめき声がやむ。どうしたのかと思うと、「少し、話し相手になってもらえないか」と言ってくる。

初めてまともな言葉を聞いた聡子はちょっとほっとして、聞き手役を引き受ける。

隣の女は最初のうちは、自分の病気のことや家族のことを話していたのだが、だんだん見舞いにも来ない家族や知人たちについての恨みつらみを吐露しだす。だんだんつきあいきれなくなって聡子は、まだ相手の名前も知らないことに気づいて、自己紹介するが、相手は勝手に続きをしゃべるばかりだ。せめて隣に顔を見せたらどうかと言うが、相変わらずカーテンを巡らしたまま顔を見せようとせず、名前も名乗らない。

次第に相手の話はエスカレートしていく。実は入院している理由になっている病気以外にもありとあらゆる病気にかかっている、エイズと癌だけでなく実は梅毒とペストとインフルエンザにも感染しているとか、妄想としか言いようのない話になり、さらには自分がこんなになったのは親のせいだ親を殺して自分も死ぬとか言い出す。

手のつけようがなくなった聡子は懸命にまたナースコールを押すが、なぜか誰も来ない。さらに隣の女が「ナースコールを押しても、誰も来ないよ。あたし同様、あんたも世界中に見捨てられているのだから」とか言い出すのだからたまらない。もうとにかくここから逃げることにした。

聡子のベッドは窓際で、出入り口に向かうには隣の患者のベッドの横を通らなくてはいけない。歩けない脚をむりやり引きずって立ち上がり、病室の出入り口に向かうが、その前に隣のカーテンの中で「死んでやる」「死ぬんだ」と連呼した後、突然カーテンのに中から真っ赤な血が大量にぶちまけられる。仰天した聡子はよろけて隣のベッドの手すりにカーテンの外からつかまり、そのついでにおそるおそるカーテンを開いてみる。

すると、そこには誰もいない。人の寝た形跡のない白いシーツが広がっているだけで、カーテンにとんだ筈の血の跡もなくなっている。

どうなってるの、と呆然とする聡子のところに、やっと看護婦がやってきたので、これまでの出来事を話すが、そんな人はいませんと言われるばかりで、さらにいくらナースコールを鳴らしても来なかったと苦情を言っても鳴っていないと受け付けない。

結局、聡子はまたベッドに戻されて置いていかれてしまう。


果たせるかな、しばらくすると隣からさっきの続きの意味不明の言が聞こえてくる。

今度はカーテンが開かれているので、そーっと隣をうかがって見ると、女がベッドの上でカミソリをいじっている。

女の言葉はますます支離滅裂になり、まともな日本語の体をなしていない。

突然意味のある言葉を話しだしたかと思うと、女は「あんたも楽にしてあげる」とか言って立ち上がり、聡子のベッドのそばに立つ。ナースコールをいくら押しても、相変わらず誰も来ない。悲鳴を上げても、何の反応もない。


女が、手にしたカミソリを振り上げた。聡子は懸命になって振り下ろされたカミソリを持った女の手に組み付き、懸命に暴れて抵抗する。ベッドからずり落ち、脚に激痛が走ってもなおも抵抗し、ついにあやまって女の首をカミソリがざっくり切り裂いてしまう。

血が噴出しながら、「これで死ねる」と言い置いて、女は倒れて動かなくなる。

あまりのことに、おそるおそる触って絶命しているのか確かめようとする聡子の手を女が突然ぐいと掴む。転倒した聡子ははずみで折れた脚をひねり、グキという嫌な音がして、激痛のあまり意識が遠のく。


気がつくと、聡子はベッドで寝ていた。「夢か…」いったん聡子はほっとするが、どうも様子がおかしい。

身体はまったく動かせないが、意識ははっきりしてくる。いや、いくら脚が折れているからといって、他の部分までほとんど動けないのはおかしい。自分の治療はされたのか、隣の女はどうなったのか、ムダかもしれないがナースコールを押して聞こうとしても、まるで身体が動かない。

治療のために麻酔をかけてそれが解けないままでいるのだろうか。聡子が辛うじて動く目だけであたりを見渡すと、自分が寝ている窓際のベッドにカーテンが巡らされている。隣の女が寝ていたベッドにいま自分が寝ているのだ。

さらに、聡子が寝ていた窓際のベッドに、また別の女が寝ているのがわかる。

突然、聡子の口からうめき声がもれる。さっきまでの恐ろしい体験を思い出して思わずもれたのかと思うが、そうではない。自分の意思や感情や感覚とは関係なしにうめき声が出てしまうのだ。

さらに聡子の口は勝手に動き出し、自分がこの病院でどんなひどい目にあったか、看護婦がいかに冷たいか、隣の女の恐ろしさを誰が聞いているのかわからないのにえんえんと語りだす。聡子が寝ていた窓際のベッドの主に語りかけているのか、それとも誰が聞いているわけではないのにしゃべっているのか、

「あたし、いったい何を言ってるの」「こんなのあたしが話してるんじゃない」と、懸命に聡子の心の声は訴えるが、口は勝手に動き続ける。

そうすると慶子は初めは黙って聞いていたが、そのうち聡子の不平不満愚痴にいらいらしだして文句を返しだすが、聡子の口の回転は止まらない。ナースを呼んでも来ないのも同様だ。

慶子は、さっき聡子がそうしたように、そうっとベッドから抜け出て出入り口に向かう。

その時、シーツの中からカミソリを持った女の手がぬっと出て、聡子の喉を切り裂く。カーテンに飛び散る血しぶき。


真っ暗だ。

そこに聡子の声が響く。検死する医師の声。解剖される検体は「飯島聡子 22歳」と読み上げられる。

「ちょっと待って、あたし死んだの?」「あたしは死んでいない、生きてる」聡子の心の声が響くが、それは誰にも聞こえない。

真っ暗な画面に淡々と聡子を解剖する様子を報告する医師の声がかぶさる。その合間に、フラッシュのように抽象的な赤い解剖を暗示する図や狂気を思わせるさかさまになった文字などが閃く。

読経の音。葬式の参列者のすすり泣きの声。「ひどい死に様だったらしい」などのひそひそした噂話。

火葬場の係員の挨拶。かまどの蓋が閉まる音。

次第に大きくなっていく炎の轟々という音が、聡子の「助けて」という絶叫を上回る。

真っ暗だった画面が炎で埋め尽くされる。

遺体のくすぶり燃える音(聡子当人がそれとわかる)、燃え盛る炎の轟音、聡子の悲鳴と絶叫と混ざって最高潮に達し、やがて聡子の声が笑い声になる。


病院のベッド。

窓際の隣のベッドに寝ている慶子。彼女も身体を動かせずに、ひきつった表情で目だけ動かしてあたりをうかがうが、カーテンに仕切られて外はまったく見えない。

慶子の目には見えないが、その身体には、聡子と、初めに聡子の隣に寝ていた名前のわからない女(のおそらく地縛霊)が、べったりと組み付いて押さえつけているのだった。

今度は、聡子がカミソリを弄んでいる。

(終)

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