(5) 尾行
放課後になった。
ホームルームが終わると同時に、風羽が立ち上がり教室から出て行く。
その背中を一瞥してから、唄も立ち上がると教室から出た。
靴を履き替えて、校門を出る。
そこでいつもとは反対方向に向かうと、唄は人の流れから離れて軽やかな動作で路地裏に入って行く。
「やあ、待っていたよ」
「白銀ハクは?」
寄り掛かっていた壁から背中を話した風羽が手を上げるが、時間が勿体ないので、今回の目的を再確認する。
「まだだ。水練に監視カメラを確認してもらっているけど、まだ校門から出ていない」
「そう。間に合ってよかったわ」
唄を眼鏡の裏から眺めながら、風羽が囁く。
「尾行するんだろ。二人でよかったのかい?」
「尾行するんでしょ? 二人のほうがバレにくいわ」
「そういう問題じゃなくってね……。確かにそうかもしれないけど。僕じゃなくって、ヒカリと一緒が良かったんじゃないのかい?」
唄は意味が分からずに首を傾げる。
「何で? ヒカリは騒がしいから、尾行に適していないんじゃないかしら」
「……ああ、そうだろうね」
「おかしな風羽ね」
唄がため息をつく。
思い出したかのように風羽が、ピアスタイプの通信機を渡してきたので、それを耳に取りつけると、そこから忍び笑いが聞こえてきた。否、それは忍び笑いというより、人を小馬鹿にした意地の悪い声。
「水練?」
『あはっ、ごめんなぁ。あまりにも二人の会話がおかしかったもんで、笑いが止まらんのや』
「そんなに変だったかしら?」
『ううん。なぁーんも』
くすくす笑う声が癇に障る。
唄は、ピアスを放り投げたい衝動を抑えて、水練に尋ねた。
「白銀ハクは?」
『ん? んー。ああ、そういえば一分ほど前に校門から出て行くのをみつけたわぁ』
「ちょっとどうしてそれを早く伝えてくれないのよ!」
『なんや、二人で楽しそうにお話しとるからやで』
風羽が、囁くような声で訊く。
「で、どっちに向かった」
『そっちの方。精々見つからんように、気をつけてな。ぷちっと』
自らの声で通信を切断するのを聞き届けると、唄は今度こそピアスを外し、地面に放り投げた。
蹲り、ピアスを拾った風羽が顔を上げる。
「唄。静かに」
風羽に言われるがまま、唄は声を殺すと、同時に自らの気配を最小限まで消すように心がけた。
風羽の気配も風のように消えて行く。
息も止め、唄は通路に視線を向けないように、路地裏の向かい壁を睨みつける。
「行ったようだよ。それじゃあ、僕たちも行こうか」
「見つからないといいわね」
風羽が歩きだしたので、唄も足音を殺して歩きだす。
路地裏を出て右を見ると、通路の先には白銀ハク――あの時、琥珀と呼ばれていた少年の後姿があった。
特徴的な黄色い髪のおかっぱ頭に、中等部の制服を着た少年は、こちらに気づくことなく歩いている。
二十分ほど、適度な距離を保ちながら琥珀の後ろを歩いている。
彼の家はどの辺りなのだろうか。
敵として目の前に立ちはだかった以上、彼らの住処は把握しておきたかった。
「風羽」
「気づいたかい?」
「ええ」
「いやな雰囲気だね、ここ。まるで」
二人は足を止めると、周りを見渡す。
そして互いに顔を合わせると、同時に逸らした。
音の鳴る何かが顔の横を通り過ぎていく。
「避けたのか。つまらない」
「――やっぱり、結界か」
唄を守るように、風羽が一歩前に出る。
先ほど二人の間を通り過ぎて行ったものを確認すると、それは黒い縄のような蛇だった。漆黒の蛇は、煙を出して式神に姿を変える。
唄はその式神から視線を逸らし、風羽の向かいで不敵に微笑んでいる少年――白銀ハクに目を向けた。
「あなた、白銀ハクでよかったかしら?」
「っ。そ、それはボクの本名じゃない! 勝手に呼ぶな!」
「じゃあ、琥珀って呼んだ方がいいのかい?」
「名前なんてどうでもいいだろ! ボクに用があって跡をつけてたんじゃないのか!?」
小さなことで憤慨した琥珀から視線を逸らし、唄は今一度周りの風景に目をやる。
さっきまでは、ただの街中だった。
だけど今は。
まるで別の空間のように、場は樹々などの自然に溢れて、到底街中とは言えない様相に変わっていた。
ここにいるのは三人だけ。通行人の姿は伺えない。
それもその筈だろう。これは、対象者にだけ作用させることのできる、結界なのだから。
それも高度な空想結界だ。
その場を、別空間に見立てることができる結界で、幻想結界に比べると手軽だが、それでも精霊遣いの風羽にも、もちろん唄にもできない代物だ。なんせ空想結界は、文字通り空想の類いが豊富でないと、行えないからである。
空想結界を、魔方陣やお札などの用意もせずに行った琥珀は、精神は不安定だが、類い希なる才能を持っているのだろう。陰陽師の能力も相成り、将来は有望株かもしれない。
風を手に纏った風羽が、口角を吊り上げながら琥珀に尋ねる。
「じゃあ、単刀直入に訊くよ。君の家はどこだい?」
「ッ。やっぱりだ。ボクたちの住処を探してるんだな! 訊かれて教えるわけがないだろ!」
「そうだよね。でも、力づくにでも訊きだすよ」
風羽が動いた。
そう思った瞬間、彼は琥珀の背後にいた。
風の纏った手刀が、琥珀の首に当たる――そう思ったのも束の間に内に、どこからともなく顕れた真っ黒の蛇が、風羽の両腕を縛りあげる。
「フンッ。そう、何度も同じ手を食うと思ったら大間違いだッ!」
一羽、二羽、三羽、と琥珀の握りしめる式神からカラスが顕れて、唄の周りを取り囲む。
尾行していた筈なのに、こちらが追い込まれる形となってしまった。
戦闘能力のない唄は、静かに佇み呼吸を落ち着ける。
(今回は、ダメね)
風羽も微動だにせず、後ろ手に縛られたまましゃがみ込む。
「完敗だ。両手を縛られたら僕は何もできない。今回は君の勝ちだね」
それに嘘が混じっていることを唄は知っていたが、追い込まれたのは唄のほうなので、口を噤んだままでいた。
フンと鼻を鳴らし、式神を握りしめた琥珀が吠えるように叫ぶ。
「何だ、案外弱いんだなぁ、貴様ら。怪盗のくせに情けなくないか?」
「君に言われると、なんだか申し訳なくなってくるよ」
「その減らず口は治らないのか?」
「生まれつきでね。本当にすまないと思っているよ」
すまないと思っていない顔で、風羽がじっと琥珀を見上げる。
「フンッ。まあ、いい。……どちらにしても白亜様から、危害を加えるのは禁止されていてボクは何もできないし、返り討ちにするのもやりすぎると厄介だから……」
何やらブツブツ呟いた後、顔を上げた琥珀が風羽を指さした。
「今回は許してやる! だがな、今度、ボクたちの前に立ったら、その時こそ容赦しないぞ!」
「それはこちらの台詞でもあるけどね。覚えておくよ」
「フンッ。いけ好かないな、貴様は」
不服そうな顔で、琥珀が歩きだす。
その背中は、結界から出たのか途中で掻き消えた。
術者がそこからいなくなったため、結界と式神が消失し、二人は解放される。
再び喧騒の戻ってきた歩道を、何事もなかった科のように元来た道に向かって、唄が歩き始めた。
背後から、風羽の足音も聞こえる。
(そうだ。あとで水練に、あいつらの居場所を探してもらうのはどうかしら)
彼女は基本気分屋なので、応じてくれるかはわからないが。
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