(3) 紫色の瞳の少女
ブレザーのポケットの中で、携帯電話が振動する。
階段を上りながら、ヒカリは携帯を取り出すと相手を確認せずに耳にあてた。
『僕だけど』
「あ、風羽?」
相手の声に、ヒカリは足を止める。
『ヒカリだよね?』
「そうに決まってんだろ」
『いや、スマホだとたまに押し間違いがあるから、念のために確認』
「で、何のようだ」
ヒカリは歩くのを再開した。
耳にあてている携帯から、感情を読ませることのない平坦な声が聞こえてくる。
『今日の昼なのだけど、集まれないかなと思って。ついさっき、水練から情報を貰ってね』
「情報?」
『うん。琥珀とかのことについて』
「え、何かわかったのか!」
『それを昼休みに話し合いたいんだよ。図書室のいつもの席で』
「わかった。唄に伝えとくな」
『お願いね。唄は携帯を持ってないから、連絡できないんだ』
「知ってんよ。じゃあ俺は急いでるから」
目標は見失っていたが、恐らく教室に入ったのだろう。
三階に上ってすぐのところにある、「二年A組」の教室に、ヒカリは入っていく。
「あれ、いない?」
目的の人物が見つからず、ヒカリは間抜けな声を上げた。
「おはよーす。あれ、ヒカリそんな腑抜けた顔してどした?」
「い、いや、なんでもねーよ」
小学校からの親友にしてクラスメイトの
再び教室から出ると、繋がっていたままの携帯から声が聞こえてきた。
『どうしたんだい?』
「いや、唄を探して……。朝起きて窓の外を見たらさ、唄が走っていくのが見えたんだよ。朝の七時だぜ。部活動の生徒でもないのに早いだろ」
『君は起きるのが遅いね』
「うっせーよ。それで、今追ってるところ」
『……ストーカーもほどほどにね』
「ちげーよ!」
『じゃあ、また昼に。ちゃんと伝えておいてね』
「はいはいわかりましたよっと」
通話が切れたので、ぱちんと携帯電話を閉じで、ヒカリは次の目的地に向かう。
「えーっと、教室にいないってことは、あそこかなぁ」
今朝のことを思い出す。
ただ唄が走って学校に行くだけなら、たまにあるので気にならなかった。『軽業』という異能を持っている唄だが、『軽業』は単純に自分の身を軽くするだけで、重力を操っているわけではない。幼い頃、その異能をうまく扱えずに大けがを負ったことがある唄が、それから『軽業』の能力を我が物とするべく、日々鍛錬を怠ることはなかった。走るのもその一環だ。能力のおかげで運動神経がいいと思われがちだが、日々の積み重ねにより唄は学年三位を勝ち取っている。唄のそんな努力家なところを、幼い頃から傍でみてきたヒカリは知っていた。おそらく風羽や水練は知らず、これはヒカリだけが知っていることだろう。それから、彼女の乏しい表情の変化も。
朝、遠目で見た唄は、どこか機嫌が悪いように見えた。
怒っている。
なぜなのかわからないが、ヒカリはそれを見た瞬間に走り出していた。
朝食を食べずに、姉の怒声を振り切り、ヒカリは唄の後を追っていた。
◇◆◇
幻想学園の図書室は、高等部の五階の片隅にあった。五階にはほかにも特別教室があるが、授業以外で生徒はほとんど来ることなく、図書室を利用する生徒も少ない。特に早朝は、わざわざ図書室まで上がってくる生徒もいないため、自然と閑散としていた。
そんな図書室の、影になっていて日差しの当たらない席に、野崎唄は一人で腰掛けていた。
朝早く学校に来てしまったため、人の少ない教室に入り目立つのが嫌だったので、自然とここに足が向いていたのだ。一人でいる唄は、人が少ない場所だと目立ってしまう。それがあまり好きではなかった。
適当に身近な本を読んでいる途中、ふと視線を上げると紫色の瞳と目が合った。
黒髪を左右で結んで前に垂らしている女子生徒が、感情をわざと消しているような無表情で、唄の顔を眺めていた。
「何の用かしら」
リボンの色からすると同じ学年だろう。
特徴的な紫色の瞳は、異能力者の証として充分な輝きを誇っている。だけど、唄はその瞳に――女子生徒に見覚えはなかった。同じクラスではないのだろう。クラスメイトであれば、名前と顔ぐらいは覚えている。
女子生徒は、一回瞬きをすると面白そうに口を綻ばせた。
「ごめんなさい。アナタの顔、どこかで見たことがあると思ったものですから。でも、気のせいですよね。まさか二十年以上前から活動しているはずの怪盗が、今も幻想学園に通っているわけがありませんもの」
少女の言葉に、唄は身構える。
取り繕うように少女は慌てた声を上げ、にっこり微笑んだ。
「気を悪くした用であれば、謝ります。本当にごめんなさい、ね」
「いえ」
敵意は感じない。他意はないのだろう、と唄は結論づけることにした。
「ねえ、野崎唄さん。アタシの忠告、聞いてくれる?」
だけど、続いた少女の言葉――今までの口調と打って変わった、どこか楽しそうな声を聴いて、再び警戒心を眼差しに込める。
「虹色のダイヤモンドに手を出したら、アンタの正体ばらすよ」
「……あなたも、琥珀や瓦解陽性の仲間なのね」
本を置き立ち上がる。
唄よりやや低い身長の少女は、同じ目線になっても表情を変えることはなかった。
逆に勝気な性格を露わにして、腕を組むと相手を挑発するような態度をとる。
「へえ、陽性のこと知ってんだ。だったら話は早いよね。アタシも琥珀も陽性も、アンタの正体を知っている。アンタが怪盗メロディーだってクラスメイトにバラしたら、どうなるんだろうね。楽しいと思わない?」
「思わないわね」
そんなの学校に来られなくなるどころか、この町にも暮せなくなる。仲間の異能を使えば隠れることは可能だが、それも長くは持たないだろう。警察にも数人だが異能力者がいると聞いたことがある。
けれど本心は見せず、今朝のこともあり、唄は若干語尾を荒げながら、少女の紫色の瞳を見据えた。
「信じてもらえるとは思えないわ」
「そうかしら? でも、暮らしにくくなるのは事実でしょ?」
「……そうね」
不愉快だと、唄は思った。
どうやらあちらは唄たちの正体を知っているのに、こちらは全く『風林火山』のことについて知らないからだ。
だけど、何があっても『虹色のダイヤモンド』は盗まなければいけない。
真実を確かめるために。そのために、怪盗になったのだから。
ああ、でも、『虹色のダイヤモンド』盗みだすことができたら、この町で暮らせなくなっても……それで充分かもしれない。
いや、だめだ。
唄の正体がばれるということは、父と母の正体もばれることになる。そうすると、幼馴染のヒカリの家族も疑われてしまうことだろう。
それでも、唄は――
「『虹色のダイヤモンド』は絶対に盗んでみせるわ! あなたたちが何をしてきたとしても、私たちは屈したりしない」
絶対にあの宝石は盗む。
それは、揺るぐことのない決意により、決まっていた。
「ふーん。まあ、別にいいけど。盗めるもんなら盗んでみたら。アンタにできるとは思えないけどね」
「言われなくてもそのつもりよ。あまり私たちを舐めない方がいいわよ」
「それだってこっちの台詞なんだけど」
はーあ、と女子生徒は唄と距離を空けた。
「どうなっても知らないよ」
「ご忠告どうも」
唄がいつもの調子で応えると、黒髪の少女は紫色の瞳を苦々しげに細めてから踵を返し、図書室から出て行った。
「唄―!」
珍しいのが図書室に入ってきた。
声のトーンを落とすことなく、大声で唄の名前を呼びながらヒカリが傍にやってくる。
今図書室には唄とヒカリしかいない。
緊張感から解放されて、唄は安堵のため息を漏らす。
「うるさい」
「そんな怖い顔するなよ。お前、何かあったのか?」
「別に」
「……そうか。あ、そうだそうだ。風羽が昼休みここで話したいことがあるらしいぜ。なんか水練から情報を受け取ったとかなんとか」
「そう。ちょうどいいわ」
もしかしたら先程の少女の情報が書かれているかもしれない。
いつも何を考えているかわからない水練だが、自称ハッカーの腕はそれなりのものだった。
「じゃ、伝えたぞ」
「ありがとう」
今日は水曜日。
予告用の日にちは、土曜日だ。
あいつらに邪魔なんてさせてやらない。
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