白銀のセシル
河原オリオン
第1章「アンシーリー討伐」
第1話「難民セシル」
煤に覆われた赤レンガの隙間で翻った銀色に、三人の子どもたちが手を振った。
「セシル! 今帰ってきたの?」
白銀の瞳が緩んで、形の良い唇が穏やかに弧を描く。
「うん。今日は運よく仕事が見つかって」
「何の仕事ー?」
「旅商店の裏方。久しぶりに旅商人が来たみたいなの」
「へぇぇ、珍しいね! 最近全然来ないんだもんなぁ。おかげで俺たちも全然仕事にありつけないし」
唇を尖らせた子どもにセシルは柳眉をひそめてみせる。
「店主の話によると、最近コルネの森でアンシーリーが出るみたい。だから商人たちがこの辺りに近づかないようになってるんだって」
「げっ、まじで?」
アンシーリー。人でも動物でもなく、しかし動物以上の身体能力を持つ生物。
自然の中に住む彼らはときに人間を襲うこともあり、人々は彼らを恐れていた。
「うん。だから君たちも森には近づかないようにね」
セシルは子どもたちと並んで歩き出す。
もう日が暮れる頃だった。
ここは女子どもが不用心に歩いていいところではない。
セシルはせかせかと速足で、自宅のある通りに向かう角を曲がった。
そのとき、
ザッ。
背後で足音が聞こえた。
「おい、ねえちゃん」
声をかけられる。
……この時間にこんな場所で、こんな風に声をかけてくるやつがまともなわけがなかった。
セシルは、「……走って!」と子どもたちに言う。
子どもたちが駆け出し、セシルがその最後尾についたところで、
「あっ……」
通りかかった建物の隙間から、背の高い人物が立ちはだかった。
立ちはだかるように現れたそいつは、手慣れた様子でセシルに足払いをかけ、セシルは左肩から地面に転倒してしまう。
「セシル!」
三人の少年が立ち止まる。
「……逃げて!」
そう叫ぶと、子どもたちの顔に迷いが走った。
怖いけど、セシルを助けなきゃ。そう思っているのが伝わってくる。
「私は大丈夫だから! 早く逃げなさい!」
子どもたちは恐怖に引きつった顔でお互いを見合って……そして、
「ごめん、セシルっ……!」
三人はセシルに背を向け、薄暗く狭い道を駆け出した。
「絶対に助けを呼んでくるから!」
うつ伏せになった背中に、ドスンと重い尻が乗った。
セシルの目の前に、足払いをかけてきた背の高い男が座り込んだ。
……子どもたちを追いかける気はないらしい。
最初から狙いはセシルだったというわけだ。
「優しいねぇ、おねえちゃん。子どもたちだけでも逃がすなんて。実の兄弟ってわけでもねぇんだろ?」
「安心しな。助けが来る前に終わらせてやるからよぉ」
男がにやにやと笑って顔を近づける。生ゴミみたいな口臭を撒き散らすそいつの左目に、セシルはぺっと唾を吐いた。
「わっ! ……てめぇ、何しやがる!」
男がセシルの顎を蹴り上げる。じんじんと顎が痛み、頭がくらりとしたところを、前髪を鷲掴みにされて顔を上げさせられた。
丸い男……セシルの上に乗ったの顔が逆さまに見える。
「おい、顔はやめろよ。せっかくの上玉なんだからな」
下卑た笑いを浮かべ、太った男がセシルに跨ったままくるりとくすんだワンピースの身体を仰向けにさせる。身をよじって抵抗すると、もう一人の男に脇腹を蹴り上げられた。
「大人しくしてろ! 殺されてぇのか!」
「ま、死んだ方がマシかもしれねぇけどな。あんたは俺たちにヤられたあと、金持ちの変態に売られるんだからな!」
「恨むならそんな綺麗な顔に産んでくれた親を恨むんだな!」
予想はついていたが、こいつらの目的は強姦と人身売買のようだ。治安のよくないこの辺りでは、こんな輩は掃いて捨てるほどいる。
セシルは身体の力を抜いた。無抵抗になったセシルを満足そうに見て、太った男がワンピースをたくし上げようと一瞬だけ身体を浮かせた瞬間、
「……ふっ!」
セシルは腹筋を使って上体を起こし、その勢いのまま前屈みに跨った男の顎に強烈な頭突きを食らわせた。
「ごっ……」
太った男の身体がぐらり、と
そして、腿に括り付けていた刃渡りに十センチほどの短剣をすばやく引き抜き、地面に縫いつけるように男の手の甲に突き刺す。
「ぐあああっ!!」
ぶしゅっと吹き出した血飛沫に男たちが怯んだ隙に、セシルは全速力で駆けだした。
「くそっ……待ちやがれっ!!」
(誰が待つか!)
男たちの声はどんどん小さくなっていき、やがて何も聞こえなくなった。
それでもセシルは速度を緩めることなく、スラム街を駆け抜ける。
勝手に住処にしている空き家に駆け込むと、閉めた扉に背中を預けてズルズルと座り込んだ。
ぜぇぜぇと荒い息が漏れる。
(よかった……)
──今日も、生きて帰って来られた。
家が絶対安全というわけではないけれど、それでもかつて父と暮らしたこの家──今はセシル一人で暮らしているこの家──に帰って来られたのは嬉しかった。
セシル・エクダル──珍しい銀髪銀目を持った十七歳の少女は、ランプのついていない薄暗い家の中で、一人膝を抱えて目頭を押さえた。
(泣いたって、何も変わらないけど……)
それでも、涙は溢れてくる。
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