3.拝啓

 拝啓


 一.喪失


 静寂の中、誰かの咳が聞こえる。誰かのすすり泣く声がする。それは静寂ではなかった。坊主は粛々と経を唱え、親戚とわずかばかりの知った顔が一つ処に集まっている。

 親戚が顔を合わせたのは祖母の葬式以来ではなかろうか。正月や盆には里帰りをするものなのだろうが祖母が亡くなり、長男夫婦が住むのみとなった実家に母は帰ろうとせず、父方の家も同じようなものであった。

 そのせいか数年ぶりに見た叔父は白髪に黒髪のわずかに残るくらいで叔母は化粧の上からでも皺が目立つようになっていた。他の知人もくしゃくしゃにした顔、辛気臭い顔、無表情。セレモニーの一環たる場に則した表情を各々が見せることの儀式らしさ。それに感心しながらも、ここに集まった人間の関係性の希薄なことに私は奇妙さを覚えていた。


 奇妙と言えば先日、私は手紙を見つけた。

 長い手紙だったような覚えもあるが、短く内容が濃かっただけのような気もする。何か親兄妹に宛てて書かれていたようにも、それ以外の人へだったようにも思う。一つ残っていることはその手紙を書いた者が酷く詫びていたということだ。手紙を書くことに詫びるところからはじまり、終いには生まれてきたことまで。何か訴えたいことがあるようでいまいちそれがうまく汲み取れない文の曖昧さ。奇妙ではあったがその印象も次第に薄れ、手紙そのものの記憶も忘れて、今時分思いだしたのであった。


 葬儀の後、精進落し。親戚の家の子、従兄の子どもらしいがよくわからないといった様子で料理を前に落ち着かずにいる。湿っぽい挨拶と献杯の後は皆よく喋っていた。

「商売の加減はいかがですか」「不景気のわりには何とかなってるよ」「それは何よりですね」「娘さん、確か今年受験でしたよね」「そうなんだけどね、私立になんかいかれた日には下の子の習い事全部辞めさせなきゃならないってんだから大変よ」「うちの子もやれスイミングだ塾だって金がいくらあっても足りないくらいですよ」

 こんなときくらい故人のことを少しは話題にしてやってもいいのではと他人事ながらに思ってしまうが、それで本人たちの気持ちが浮かばれるならそれもよいのかもしれない。


 二.愛着


 子どもというのはいつまでも大人の決め事がわからぬようだ。賢い子というのは周りを見て正解を引き出せる子どものことをいうのだろう。親の感情を察することに長けている子は保身が巧い。私など焼香の上げ方一つ知らずに摘まんだ香を口に入れて怒られたものだ。だが、不味い、痛い、嫌われる、そういったものには一倍敏感であったように思う。というのも母から叱られた記憶はずいぶんとはっきりしているからだ。

 こんなことがあった。

「使ったおもちゃ片づけておきなさい」「うん、やるー」夕方のテレビが楽しいから返事をしたものの動けずにいた。すぐ先には先ほどまで組み立てていたブロックのロボットとミニカーがある。すると母が台所から戻り後ろを通る。ガラリと窓を開けるのでそちらに目をやるとロボットとミニカーが母の手にあった。雷光のごとく理解すると母の手を掴もうと駆け寄る。伸ばす腕が届くかどうかというところで母の手を離れていくおもちゃ。ミニカーが庭石の上で弾け、ブロックロボが半分になる。腕や脚は外れ欠片が散らばった。叫び庭へ下りた。ロボを手に取り確かめる。直せるとわかるとミニカーを拾い上げる。当たり所が悪く角が割れていてさらに叫んだ。

「なんで投げっ、片づけ、片づけるって言ったのに」すると母はヒヒの威嚇するように言葉を吐きつけると窓を閉めてしまった。初冬の夕暮れが裸足に噛みつく。

 流れる涙を腕で何度も拭いロボを直す。暗くなった庭の見通しの利かない手元に拾い残しはないかと手探る。手探るも砂利かブロックか判らずにいちいち拾っては目の前までもってきて確かめねばならなかった。ミニカーの破片も見つからず、辺りは暗く屑星が小さく瞬いていた。

 それ以来だったか定かではないが、ブロック遊びはしなくなり、もっぱらに粘土いじりをしていた記憶がある。中学に上がった頃になってその意味に名前のあることを古典か歴史で学んだ。


 五.分泌・ストレス


 角を一つ曲がる。後ろは十人か五人か。顔を上げると一塊の集団が小さく見える。冬の空はやたら高く孤独な走者という風が強調されていた。足は無意識に前へ出る。でも止めたら二度と走れなくなることは止まらずとも知れることだった。二度短くひゅいと息を吸い一度吐く。前を向く。あの電信柱まで。あのガードレールまで。頑張ろう。

 校門近づく、腕振り強く蹴る。滞空時間が長く感じる。息は止めている。校門抜ける。足緩める。歩く。深呼吸をしながら校庭を歩く。朝礼台や花壇にはすでに走り終えたクラスメイトが談笑したりふざけ合ったりしていた。半周ほどトラックを歩いたところでチャイムが鳴り、それと同時に残りの三人が門を入ってきた。

 先生の指示で終わった者は次の授業へと校内に、三人は校庭を歩いてから来るようだった。

 呼吸が落ち着いてくるとわずかに頭痛が残ったが、水泳なんかよりはよっぽどいい気分で下駄箱へと向かっていた。昇降口の喧騒が許せる程度にまだ興奮冷めやらないでいるらしい。

 開始のチャイムが空高くまで響いている。


「そこまで。後ろの人は解答用紙を集めてください」椅子の音、歓喜の声。すきっ歯の詰まり物が取れたように教室はにぎやかさを取り戻す。五十分前にはあれほど用語や公式を語り合っていた口はもう放課後の話をしていた。

 明日使う教科書だけ残し、他は鞄へと入れる。きっと彼らの気分はこの数週間の生き方からくるのだろう。早帰りということを除いて私には彼らの日常へ戻るという喜びが半分と分からないでいた。


 七.日常という見慣れた視界


 朝。まだ静かな社内で初めに自分のデスクを清掃する。いつのことだったか上司に清掃で小言を言われてからは、毎朝デスクを回りごみ箱の中身を袋へまとめ入口の隣に置いている。後でパートの人が他のごみと一緒に収集所まで運んでくれるからだ。

 午前中は六件仕事が片付けば早い方で、届けられる数表をそれぞれ指定された形式のグラフにまとめ見出しを付ける。フォーマットを作って各部署に送ってしまえば早いと思いながらもそれが業務であり、だからこそ私は給与が貰えるのだから気にしないことにしている。はじめのうちは効率化を試みたが、劇的な変化もなく他の社員と同様の方法に落ち着いていた。ごく稀に作成工程を入れて欲しいなどの要望があるが、そうでなければ入力とタイプのみの作業になり頭を使う機会は少ない。それでも数値の見誤り、入力ミスは許されないため集中せねばならず時折時刻に目をやるくらいで昼食後は定時過ぎまで作業が続いた。終業は定時から一時間の日もあれば三時間を超える日もあった。単に仕事量が多いからという日もあれば修正など急なものが入ってくる日もあった。それでも繁忙期というような時期もなく年間での変化の少ない仕事。

 翌朝、いつも通りまだ静かな社内の清掃をする。封筒の入った棚から一つを取り出し受注票と資料に目を通しテンキーを叩く。はじめの一人が出社するまではラジオの交通情報だけである。昼は食堂でカレーを頼んだ。終業後は買い物をして帰って食べて寝る。朝に最低限の家事を済ませ出社する。そして、いつも通りまだ静かな社内の清掃をする。封筒の入った棚から一つを取り出し受注票と資料に目を通しテンキーを叩く。はじめの一人が出社するまではラジオの交通情報だけである。昼は食堂でうどんを頼んだ。終業後は買い物をして帰って食べて寝る。朝に最低限の家事を済ませ出社する。いつも通りまだ静かな社内の清掃をする。封筒の入った棚から一つを取り出し受注票と資料に目を通しテンキーを叩く。はじめの一人が出社するまではラジオの交通情報だけである。昼は食堂で天丼を頼んだ。終業後は買い物をして帰って食べて寝る。朝に最低限の家事を済ませ出社する。そして――、


 九.前略 私殿


 御機嫌いかがでしょうか。拙生は先日近所を散歩しましたところ筋肉痛がひどく、蒲団から這い出ることもままなりません。寝床にて筆を執ること御許しください。

 手紙を送りましたのは他でもなく、ある発見をしましてそれをお伝えせねばと思ったからでございます。発見と申しましてもすでに古代の哲学者か近代の啓蒙家に語り尽くされて私様もご存じのことかもしれませんが拙生にとってこの発見は大きな感動とともに何か化学物質を生み出すことに成功しました。きっとお役に立つと信じております。


(封筒には手紙と一緒に刺々しい何かが入っていた。私はそれを手に取り障子から漏れる光に透かしてみたり鼻を近づけてみたがよくわからなかった。わからなかったが、ひどく悲しい気分がした。)


 さて本題の発見ですが、健全な精神は健全な肉体に宿るという言葉はご存じでしょう。拙生、これまでこの言葉の通り健全であろうと身体を整えてまいりました。これも少なからず私様のお役に立てることを願ってのことでございました。それが何ということでしょうか! この言葉の意味は本来違うそうではないですか。それすら知らずに拙生同様この言葉を鵜呑みしている者がどれほどいることでしょうか。

 もう何を申したいかお気付きでしょう。言葉というものには意味など備わっていないのです。そして恐らくこれは言葉に限った話ではございません。万物の意味は後天的に変化していくということを知ったのでございます。仮に私様が人付き合いが苦手故に愛想よく振る舞ったと致しましょう。すると本意によらず人付き合いのよい人といったものが外から付与されるのでございます。拙生など付加されるものと外面が近いものでございますが、見えぬ部分の多い方ですと誤解も生じましょう。それが一等怖いように思うのでございます。

 大方人というのは経験論者で、人生の中で会った人を類別した際に抽出される要素の組み合わせによって人を認識するものなのでございましょう。顔立ち、体型、声、ニオイ、見える情報によって未知の人を型にはめ、会話によって決定する節があるのではないでしょうか。もちろん噂や評判なども作用しましょう。そして決定された私たちは他者の中の像から影響を受けるようにして共振するように溶け合い混じり合い変わっていくのでございましょう。外から内へ、内から外へ光の反射か何かのように私たちは振動しながら変質しているのかもしれません。

 私のこの発見いかがでございましょうか。


 それでは風邪などひかぬよう御自愛くださいませ。


草々 私


 八.好くも嫌うも


 一昨年前、同期が三割抜けた。年度途中も数人消え、昨年度末には私を含め四人だけがまだ働いていた。

 中堅社員も毎年数人いなくなっており空いた課長席に入る同期も中にはいた。まだ入社三年目のことである。そして今年、上司が蒸発した。音信不通となった。回転の速い社風のせいなのか育てられたという印象は薄く、所属する課以外のことには関心なかった。新卒や中途が入ってきてもいつまでいるのだろう、そう思う程度で只々自分の仕事をこなす。送別会も自然と多くなるわけだが、同期で集まり課内の人間関係のどうでもいいことを語り合うくらいの軽いものであった。

 生活のためと割り切っている私には、会社が潰れずにあってくれれば代謝が良かれ悪かれどちらでもよかった。

 こう考えるのは、幼い頃から父の転勤が多かったからかもしれないなどと自分の冷淡さに意味を付けたりしている。


 六.転校の痺れ


「新しい学校へ行ってもぼくたちのことを忘れないでください。そしてたくさん新しいお友達をつくってください。さようなら」「さようなら」Kやんに続いてクラスメイトが復唱する。あまり話さなかった人たちもどこか寂しそうな顔をして見える。

 年度の途中で急に父の転勤が決まったためささやかな送別会が行われた。入学式から九か月、日常や行事を通して初めての学校を楽しんでいた自分にとって転勤がもたらしたものは、不安よりも缶蹴りの途中で一抜けしたときのような心残りが強かった。が、転校先のすでに形のできたクラスに入ることは椅子取りゲームのようで自分の居場所がないと感じ、初めて転校がどういうものか理解した。それでも子ども社会というのは本来純粋なものであって、その輪へ多少強引に加わっても円は形を崩さなかった。形が歪になったと感じるようになったのは五度目、小学五年の秋のことだった。

 クラスの蜂の巣状のシャボン玉のように、ある面では繋がりをもちつつ別の方ではそれぞれが形を作っていて、入るシャボンを間違えてはならないような雰囲気があり、転校生に対する興味も一、二週間で薄れた。

 中学では同じ液のシャボンという括りがあるだけでそれぞれが形を成していた。そして親しげに声をかけてくれるクラスメイトほど、どのシャボンからも漏れた者ということも知った。

 高く飛び過ぎれば下からの突風に割られてしまうだろう。低すぎても障害が多くなりすぎて危ない。だから私は低すぎず高すぎない中の上くらいを他のシャボンと間をうまく取りながら一人漂うことを選んだ。

 高校生になると成績やら受験やらを考えてか父は単身赴任に変えた。一人でも生活はできるのだから母も父と一緒に行けばよかったと言って、そのことに触れると不機嫌になる。鎹がいもないくらい家族もそれぞれ漂っているらしかった。毎年繰り返していた転校は人への関心を希薄なものにしていったらしくそれはいつしか家族にまで向いていた。

 慣れとは何かを失うことの一つなのかもしれない。


 四.夏の死に様


 いい加減飽きてきた夏休みの午後、蝉はじゃあ、じゃあと耳鳴りのように声を振り絞っている。アスファルトは遠く揺らいでいて送り盆の過ぎた熱さとは思えないほどに外へ出ると汗が溢れてくる。

 アパートの階段を上がる途中に一匹、油蝉が腹を見せて死んでいた。死んだ蝉は何と静かなのだろうと思うと夏がふと死の象徴的季節に感じられてきた。茂る緑や成長する入道雲、蝉の声と対称的な死。夏は死の季節だ。そんなことを考えているとどこからかイトトンボが飛んできた。きっとこの蝉の魂を食いにでも来たのだろう。

「宿題は済んでるのかい?」盆過ぎの常套句を母は顔を合わせる度に言ってくる。中学二年にもなれば言われずともやっているさ。

「あと作文一つだよ」小言を言われぬよう進捗を伝えておく。どうせ来月あたりにはまた転校になるだろうと部活にも入らず、することもないのでドリルやポスターは片づけてしまっていた。宿題をやるのは父いわく「転校が多いからこそ先生は成績や出欠を見るだろうから形の残るものはしっかりやっておきなさい」ということからだった。

 夕方、西陽が台所の窓から差し込んでくる。いや西陽が差し込んでくるので夕方になったと気付く。蝉の声も趣を変えしょわ、しょわと熱を冷ましている。いつの間にか眠っていたようで背中がじっとり汗ばんでおり冷房に身震い一つする。

 夕涼みにと外へ出る。風が背を過ぎ心地よい。階段の蝉は見れば消えて羽の一片が落ち葉のように残っていた。

 朱に染まる入道雲も直に雨を降らせ、今日の熱さを連れ去ってしまうだろう。


 三.愛着


 テレビがある。赤いランプが付きガラス面に映像が映る。変わる。原色系の動物や人間の平面的な絵が動く喋る音が鳴る。およそ三十分経つと左上に新番組という文字が十数秒映された。

 その次の週からは、前に座っていた少年は現れなくなった。部屋には居るが、その曜日その時間、あれほど夢中に見つめていたテレビがまるで別物に変わったようになってしまった。他の曜日や他の時間にはまた夢中になったが、三か月か半年かそれほど長く続かなかった。

 数年続いていた同じ曜日同じ時刻のそれは今はもうない。少年はそのことをどう思っているかは知れない。

 ただ、テレビはある。


 十.離別


 この世界は非常に不確かで揺らぎの中にある。

 光はレンズを通り電流へと変換され情報を受信する。まるで逆さテレビの世界。

 私という世界は毛先の一寸離れたら私でなくなるほど単純なものでなく、私という姿が他者のレンズを通ればそこに私が映る。その人の記憶に残るのかは、まったく私によるところではなく、関係、関心、愛憎、慣れ不慣れ、他者の中で決まる。文章に残る私、動画に残る私、録音された私、墓碑の私、――。

 一般に認められる私が失われたとき、医学的、法的に人は死と呼ぶ。Fineを打たれた私の人生はそこで閉じる。それでも私は残る。ただ私との離別がそこにあったにすぎまい。


 十一.


 親族は遠くなり、先祖という括り残るのみ。

 知人はとうに土の中。

 記録としての私のみ。私は終に死んだ。


 静かである。


 了

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