渡海小波津は死にました。

狐夏

1.無言の叫び


 これからの時代、孤独死が流行っていくそうだ。

 

 流行るといっても、女子高生の服装のようにそろいも揃って孤独に生を終える人が増えるわけではないだろう。だが、かく言う私も未だ独身の身でありながら何の焦りもない。むしろ自由を謳歌してさえいる。だれからも何も言われず為すがまま生きるがままである。

 だが少し想像してみてほしい。独り暮らしをしている君はある日突然腹痛に見舞われる! (さぁ苦しむ姿を浮かべてほしい)君ならどうする? 携帯! そうだ携帯で助けを呼ぼう。腹が痛くて声は出ない。でもメールがあれば――。君は仕事で引っ越してきてすぐ駆けつけてくれる友はいないらしい。でも大丈夫119を呼べばいい。携帯がいつもの場所にない。焦るな。でも焦るな。痛いもの死んじゃうくらいお腹が痛いもの焦るけどうまく動けないんだうずくまっても痛い動いても痛い痛いがなんだかわからなくなるくらい苦しい辛い探し物は見つからなくて変な汗が出てくる目を開けていられなくて、瞑ると腹と意識だけの世界と汗。

 君は意識を失っていたんだ。痛みが君を目覚めさせ、痛みが君の意識を奪う。不思議だね。ちっとも痛みが愛おしくならない。恨めしいほどに粘っこく腹にへばる痛みは何度目覚めても少しも快方へなど向かう様子なく意識が薄れることに救いを感じるようになったまま目覚めなかった。


 これはあくまで一つの形でしかない。糞尿で衣服を床を汚しながら逝くかもしれない。携帯が近くにあって助かる人もいるだろう。誰かが気づいてくれることもあるかもしれない。その数%の中に、誰にも気づかれずに死に至る君がどこかにいることが少しでも想像できただろうか。

 想像してみてほしい。どこかの君が独りで逝くとき、どんな気持ちかを。寂しい? 苦しい? 悔しい? 情けない? きっと違うさ。意識が薄れることが救いだと、きっと思うよ。だって苦しみから解放されるのだもの。孤独であることなんて死に至る前では気にも留めないだろうよ。だって人は逝くときは誰でも独りなんだから。


 さて孤独死について少しは知ったふうな気分になれたんじゃないかな。じゃあもう少し死後の世界というものも見ておきたいね。そうでしょう? 死んでおしまいじゃあまりにも主観的過ぎてお話にならないじゃないか。





 孤独死がどんなに恐ろしいものかまだわからないのか。死にばかり目がいって死に体のほうを忘れてはいないだろうか。これだから人間というものはどこまでいっても概念的なことしか考えられないのだよ。

 冬場なら炬燵や毛布に腐り、夏場は言うまでもなく腐る。腐るというがそれすら言葉の上でしか君は知らないではないか。豚肉を用意せよ。そのまま部屋に置いておけ。そのおぞましさが数日、数週のうちに実感されるだろう。腐るということが新たな生を伴っていることを!

 腐るという現象だけで生を育んでいるというのにその生を別の生が求めてくるのだ。腐を根底に生命が循環を始める! 銀蠅がくるとすぐ卵が孵る。蛆を知ってるだろう。あの蠢くやつだ白い。その気持ちの悪さが知れぬなら今晩米を頬張った時にでもそれが一粒一粒動き出すことを考えてもらえば容易く知れるだろう。米を噛むように蛆を潰せ!

 

 そして君は床あるいは布団を濡らしながら液状化し消えていく。異臭に気付いた隣人かガス屋にでも通報されてやっと処分されるのだろう。


 隣人の君へ、生きていますか?

 死んでいたら返事をください。



fin.

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