第2話「異世界での生活」06

*****



 ――時を遡る事半日程。日はすっかり落ち、夕食や風呂も終えた頃。

 昴は何やら机に向かっていた。手にして睨んでいるのは先程貰った生徒証だ。裏表を――どちらが表なのか裏なのか定かではないが――返しながら深く、深く考え込んでいるようだった。


「……」


「どうかしたの?」


 寝巻きに着替えたと思しきカルムがそんな昴の行動を不思議に思って声を掛ける。机の位置で言えば背中合わせになってしまうため、わざわざ隣に来ての質問だ。


「いや……なあ可笑しな事聞いて良い?」


「うん。別に良いけど……」


 昴は生徒証を指差した。字だけが並べられたその生徒証の一部分。他の文字とは違って少しだけ太めに書かれているそれを叩きながら、昴は首を傾げる。


「これ、俺の名前?」


「……そうだよ?」


「だよなあ! 別の書き方するからたまに分からなくなるんだよな!」


 豪快に笑い飛ばしながらも内心では当たっていなければどうしようかと冷や汗物だったらしい。


「別の書き方なんてあるの? もしかして、古代語?」


「あーいや……そういうのじゃないんだけどな。そうだ書く物ある? そしたら見せてあげるよ」


 カルムは知識欲が高いらしく、別の書き方があるという事に興味を持ったようで、目を輝かせて自分の机から紙と、所謂羽ペンとスタンドやインクらしき物を取り出して持ってきた。


「これで良い?」


「お、おう……」


 しかしここで問題が発生した。昴は知識上羽ペンの存在は知っているが、使った事など一度もない。確かに見ればインクを付けて書くのが当たり前なのだろうが、分量やら力加減は全く分からなかった。だがここはさすがの昴。頭が良く回る。


「じゃあまず普通に俺の名前をここに書いてみてくれないか? あ、椅子使って良いよ」


「ありがとう……あんまり綺麗じゃないけど……」


 カルムに先に書かせる事で自身の名前の書き方と、更には羽ペンの使い方まで盗んでしまおうという魂胆だ。使い方はおおよそ予想した物と同じだった。だが、さらさらと流れるように綴られた文字の方には眉を寄せてしまう。英語の筆記体のそれとは少し違うような。そもそもこれは組み合わせでの文字なのかそれとも単語としての文字なのか。それすらも理解出来ない。


(だけど……良く見れば……分からなくもない、ような気がしないでもない……いける、かな? いければ良いなぁ)


 微妙に大きく書かれている部分があるのでそれがきっと区切りなのだろう。変に思われようと聞いてみるのが一番だ。


「ここで区切ってるんだよな?」


「う、うん……見辛かった?」


「そういうのじゃないから大丈夫。ありがとな。それで、俺の書き方なんだけど」


 カルムが席を立つのでそれに合わせて昴が座る。羽ペンを握った。


(やべ緊張する……)


 昴にとっては初体験だ。どの程度の筆圧まで耐えられるのか。しかしここは恐れるよりも試すのが良いだろう。 インクがペン先に染み込む。見ていた限りではそれ程乗ってないように思えたので余分だと思ったものを小瓶の縁で落とす。紙にペン先をゆっくり落とす。紙からの反発があまり無いという事は先が柔らかいという事だ。先を浮かせ気味にし、名前を記す。


「よしよし……」


 所々掠れたりしているが、それでも初めてにしてはなかなか上出来ではないだろうか。あくまでも自画自賛してしまう昴であった。


「こ、こんな感じだな」


「へぇー……初めて見る字だよ」


 書いた紙を受け取って自身の書いた昴の名前と見比べるが、どこをどう見れば同じ名前で読めるのか分からないカルム。しかしこれは昴も同様だ。つまりお互い様、なのかもしれない。


「そうだ。せっかくだしカルムの名前も書いてあげるぞ」


 羽ペンの使い方を習得するための作戦である。明日からはきっと授業があるのだ。故にこれをマスターしておけば最低限は対応出来るはずだと踏んだ昴。その練習にカルムを巻き込もうと考えた。


「ホント!? じゃあお願いします!」


「おう。任せてくれ。カルムか……」


 読み通りなのであればただの当て字なのだが。それでも喜んで貰えるようであり、しかも自分も練習になる。一石二鳥の作戦ではないか。


「これで行くか」


 頭に浮かんだ漢字は二文字。何とも言い難いが、カルムに意味は伝わらない。昴が書いたのは『狩夢』。イメージとは正反対の文字ではあるがこれで良かっただろうと。羽ペンの使い心地にも満足しながらだ。


「これでカルム……?」


「そうだぜ。ばっちりだ。……にしてもキラキラしてんなー」


「わぁ……」


 自分で書いておいてなんではあるが、こんな名前を付けられた日には泣きたくなってしまうだろう。絶対にそのような名前を自分の子供に付けないようにしようと心から誓う昴。

 対してカルムは漢字が好きな外国人のようにテンションが上がっているようだ。


「あ、書き方教えるからちょっとだけ手伝って欲しいんだけど……」


「うん! 全然良いよ!」


 こうして昴の隠れた努力が始まった。カルムが眠った後も一人黙々と文字を書き続け、数文字程度なら読み書き出来るまでには習得。その中でも特に名前だけは完璧に。熱中していると知らない内に夢の中へ放り込まれていたようで――



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