第19話
「じゃあね、創ちゃん。繭羽ちゃんを家まで送ってあげてね」
創一と繭羽は玄関で心陽たちを見送った。男子組からは「お疲れー」や「また明日なー」と言った声が聞こえてくる。
「……ふう、ようやく一段落ってところかな」
「賑やかで明るい人達だったわ。創一、良い友人を持っているのね」
「……そうだね。本当に良い友達だよ、心陽たちは」
創一は感情を込めてそう言うと、自室に戻った。どさりとソファーに腰を沈める。
繭羽はテーブルを挟んだ絨毯の上に正座した。
「なんだか、今日は色んなことがあったから、疲れたよ。……って、僕よりも繭羽の方が疲れているか。幻魔と闘ったんだから」
「いえ、そうでもないわ。今日出逢った幻魔はキマイラ型……幻魔の中では、雑魚と呼ばれる部類の奴らだから、さして苦戦はしなかったわ」
「えっ!? あの馬鹿でかい奴らが雑魚なのか? てっきり強敵なのかと思っていたよ」
「初めてキマイラ型と出くわした時は、そう感じる人も多いわ。でもね、基本的に、幻魔は人型の方が強力なの。人型は人間並みの知能を持っているし、魔術も使いこなせる。それに比べて、キマイラ型は、ただ体が大きいだけ。……いえ、自分の力を上手く制御出来ていないから、体が肥大化してしまうと言った方が正しいかしら」
「へえ……。そっか、そう考えると、体が大きければ大きいほど、弱い幻魔ってことになるのか」
「一概にそうは言えないけどね。でも、基本的にその考えていいと思うわ。あとは、体の構成が複雑だったり、頭の数が多いキマイラ型は弱い傾向にある。それも自分の力を制御出来ていない証拠ね」
「なるほど……」
今思い返してみれば、確かに自分と出くわした巨狼は魔術めいた魔術を使った素振りは無かったし、攻撃方法も突進からの単純な噛み付きが多かった。
「それにしても……今日のキマイラ型は変だったわ。創一が出逢った方ではなくて、私が最初に闘った獅子の方よ。あの幻魔、手負いだったわ。数日前に、何者かに手酷くやられて逃走したような有り様だったわ」
「手負い? 誰がやったんだ? もしかして、リリアかな」
「それは有り得るわ。組織活動をしていない限り、幻魔にとって、他の幻魔は餌場を荒らす邪魔者でしかないから。リリアがキマイラ型を駆逐して……でも、殺しきれないものなのかしら。人型とキマイラ型とでは、実力は雲泥の差になるわ。余程運が良くない限り、逃げ切れるとは思えないのだけれど……」
「ふうん……」
ふと、創一は負傷という言葉から、あることを思い出した。
「あ、そうだ。繭羽、狼の幻魔のことで、気になっていたことがあるんだ」
「気になっていたこと?」
「うん。僕もよく分からないんだけどさ、僕が狼の幻魔に食われそうになった時、悪足掻きで鼻の頭を殴り付けたら、いきなり幻魔が怯んだんだ。それで、よく見てみると、僕が殴ったところが何かで抉り取られたように無くなっていたんだ」
「……何ですって?」
繭羽の表情が急に険しくなった。どことなく、視線に殺気が宿ったように感じられる。
「創一、それ……本当なの?」
「ほ、本当だけど……。他には、狼の後ろ足にしがみついた時があったんだけどさ、急にその足がもげたんだよ。たぶん、誰かが遠くからした攻撃が、偶然、僕が触った部位に重なっていただけだと思っていたんだけど……」
繭羽は眉を顰めて黙り込むと、双眸を閉じた。そして、次に開かれた双眸は、例の爬虫類の瞳孔を持った鮮紅色の眼――蛇眼となっていた。
「……やっぱり見えない」
繭羽は創一の胸元を凝視した後、ぽつりと呟いた。
「え……何が見えないんだ?」
創一が尋ねると、繭羽は双眸を閉じて、蛇眼から元の自然な眼に切り替える。
「私の蛇眼は、その者の魂の在り方を視覚で捉える魔術なの。蛇眼を通して人を見ると、胸の中央にある魂を中心にして、放射状に淡い光が発散されているように見えるわ。人の魂とそこから生じるオーラを視覚で捉えているの。普通の人の魂は綺麗な球形をしていて、その人物固有の色を放っているわ。それに対して、幻魔の魂は歪に捻じれている。色彩も様々な色が混じった混合色で、周囲から魂の中心へと螺旋を描くようにオーラが収束している。だから、幻魔が人の姿や気配を完璧に擬装していても、蛇眼なら一目で正体を看破することが出来るわ」
「それで……見えないっていうのは?」
「こんなことは初めてなのだけれど、創一の魂は……見えないわ。胸の中央に、まるで底なしの穴が広がっているみたいな感じなのよ。それに、周囲に発散している筈のオーラも……凄く見えづらい。辛うじて僅かな輝きが見えるくらいで、色彩まで把握することが出来ないくらい希薄な感じだわ」
創一は自分の胸を見下ろした。当然ながら、そこには物質的な胸があるだけで、その奥に見えるらしい霊的な存在が見えることはない。
「なあ、繭羽。それって……大丈夫なのか?」
「分からないわ。言ったでしょう? 初めてのことだって。理由は分からないけれど、蛇眼で見えづらいというだけだから、実害は無いと思うけれど……。たまたま、そういう特異的な魂の波長を持っているだけなのかもしれないし、特に気に病む必要は無いと思うわ」
「……そうなのかな」
繭羽は特に実害は無いだろうと言っていたが、やはり自分の魂が良く見えないという発言には、根源的な恐怖心を覚えさせられるだけの気味の悪さを感じる。しかし、同時に、そのことが納得出来る理由を個人的に持っていた。恐らく、あまり関係性は無いと思われるけれど。
「ごめんんさい。なんだか不安にさせるようなことを言ってしまって。……それで、幻魔に触れたところが抉れたように消えたって本当なの?」
繭羽の表情が再び真剣なものになる。
「間違いない……と思う。でも、それがどうかしたのか? 確かに、不思議な現象だったけれど……僕には何も特別な力なんて無いんだ。きっと、何か僕とは関係の無い原因があるんだと思う」
「……そうよね。まさか、そんな訳が無いわよね」
繭羽は視線を落として、自分を納得させるように呟いた。何やらその奇怪な現象について心当たりがあるらしい。
「……何か心当たりがあるのか?」
「え? ええ……あると言えばある……けれど、それと創一とは全く関係が無いと思うわ」
「……でも、心当たりがあるんだったら、教えてもらえないかな。気になるんだ」
「……分かったわ。でも、その前に少し試したいことがあるの。ちょっとコップを借りさせてもらうわ。あと、スプーンも」
繭羽はそう言うと、キッチンの方へ向かう。すぐに戻って来た繭羽の手には、水が入った陶器製のコップとスプーンが握られていた。
「何をする気なんだ?」
「ちょっとした実験よ。有り得ないとは思うけれど……確かめてみる必要があるわ」
繭羽はそう言うと、コップをテーブルの上においた。創一が見守る中、繭羽はスプーンをコップの水に浸けると、ゆっくりと水を掻き回し始める。その際、繭羽が蘇生術式を使った時と同様、神楽鈴を鳴らすような清美な音色が聞こえた。
「――流れるものよ、其は野を貫き地に溢する蛇なり。ならば、我が意に従え。渦巻く螺旋となりて、その姿を我が御許に顕現せよ」
繭羽が呪文めいたもの詠唱し終わると、コップの中の水に変化が起きた。渦を描いていた水は徐々に水嵩を上げていき、コップの縁までせり上がっても止まらず、ついにはコップの縁から三十センチメートル程の高さまで水が持ち上がった。水は内部で渦上に流動しており、先端が実る穂のように垂れ下がったその姿は、どことなく鎌首をもたげる蛇の姿を思わせる。
「創一、その水に触れてみて。触っても水に指先が濡れるだけだから、特に臆する必要はないわ」
「……分かった」
創一は繭羽の言う通り、せり上がった水に指先を付けた。外見通り、水は内部で流動しているようで、指先に水が動く感触がある。
「指先とは違うのかしら……。創一、今度は手のひら全体で触れてみて」
「手のひら全体で?」
創一は言われるままに、今度は握り締めるように水に触れてみた。しかし、手のひらに水の動きと冷たさを感じるだけで、特に変わったことは起きない。
「……私の見当違いだったのかしら。創一、もういいわ。水から手を離して頂戴」
創一が手を引っ込めると、繭羽の「治まれ」という言葉を受けて、水は時間を巻き戻すようにコップの中へと戻って行く。
「……繭羽、今の水に触れることに、何か意味があったのか?」
「……もしかしたら、創一があの幻魔と同じ特性が持っているのではないかと思って、それを調べてみたのだけれど……どうやら違うみたい」
「あの幻魔? それ、どんな幻魔なんだ?」
創一が尋ねると、繭羽の表情は深刻そうに険しくなった。
「……神狩り。幻魔も含めて、魔術を扱う者の間では、その幻魔は神狩りという通称で呼ばれているわ。高い凶暴性と近接戦闘能力、そして古今に類を見ない厄介な特性から、史上最悪の幻魔と言われて恐れられている。神狩りという通称は、絶大な力を持った魔術師や幻魔ですら、容易く殺し回っていたことから、畏怖を込めて付けられたものよ。もし出逢ってしまったら、余程運が良くない限り……まず間違いなく殺されるわ」
神狩り。
その通称を聞いただけでも、神狩りなる幻魔の恐ろしさを窺い知ることが出来る。
「その、神狩りって幻魔の特性と僕に、どんな関係性があるんだ?」
「神狩りが持っている特性は……端的に言えば、魔術的な力の無効化よ。神狩りには、並大抵の魔術は通用しないわ。対人用術式では掠り傷すら負わせられない。対軍用術式……いえ、砦(とりで)崩し用術式を導入しないと、恐らく魔術で傷を負わせられることは出来ないと思う。一対一の戦闘では、勝利はまず不可能。軍団で戦ったとしても、勝利出来る見込みはない。何度か神狩りを葬ろうと魔術師側でも幻魔側でも軍団を編成して戦いを仕掛けたそうなのだけれど……結果は悲惨なものだったそうよ」
「そんな……恐ろしい幻魔が存在するのか」
繭羽の話から察するに、恐らく、その神狩りという幻魔は単体の筈だ。それにも拘わらず、魔術師や幻魔が軍を率いて戦いを臨んでも、勝利することが出来なかった。
「話は戻るけれど、神狩りは魔術的な力を無効化する特性を持っている。その所為だと思うけれど、神狩りに直接体を触れられた幻魔は、その部位を抉り取られたように消し飛ばされると聞いたことがあるわ」
創一は胸騒ぎを覚え、自分の両手に視線を落とした。
神狩りに触れられた幻魔は、その部位を抉り取られたように消失させられる。それは、創一が巨狼に触れた時に生じた現象と酷似しているように思える。
「まさか……その神狩りって幻魔の特性が僕にも宿っているかもしれないのか?」
「……分からない。創一の話を聞いて、もしかしたらそうなのかもしれないと思って、さっき魔術で操作した水に触れて貰ったのだけれど……特に魔術が解けるような反応は無かったわ。もし、神狩りの特性と同じなら、水に触れた瞬間、魔術が解けてコップの中に水が落ちた筈よ」
「ああ、それだから、水に触れさせたのか……。じゃあ、その神狩りの特性と僕には、特に関係は無いってことだね」
創一は神狩りという凶悪な幻魔の特性を自身も身に付けていないことに安堵を覚えたが、同時に、その特性を持っていなかったことに落胆も感じていた。もし、自分にも魔術無効化の特性が不思議と宿っていたならば、リリアが来襲した時、自分が繭羽の役に立てるのではないかと期待したからだ。
「いえ、創一。そう断じるのは早計だと思うわ。創一の話が本当なら、幻魔に触れることによって対象を消し飛ばす特性は持っているかもしれないもの」
「あ、そっか。魔術を打ち消せなかっただけで、まだそちら側の可能性もあるのか。……でもさ、繭羽。僕には、そんな不思議な力が身につくような憶え、全く無いんだ。繭羽みたいに魔術の習得をした訳でもないし、別に幽霊が見えるとか念力が使えるとか……そういった特殊な力を持っている訳でもない」
「……いえ、一つだけ可能性があるわ。世界に七人存在すると言われているのだけれど、寵愛者と呼ばれる人々がいるわ」
「寵愛者? 寵愛って、将軍とか天皇が可愛がるという意味の、あの寵愛?」
「ええ、その寵愛で合っているわ。寵愛者。別名、神の祝福を受けた聖人。寵愛者は、生まれながらにして、極めて特殊かつ絶大な能力を持っているらしいわ。能力は秘匿事項として扱われているから、私も詳しく知らないのだけれど……。寵愛者の共通点として、普通の魔術が扱えならしく、体のどこかに聖痕が刻まれていると噂されているわ。創一、それらしき傷跡を見たことはない?」
「聖痕か……」
創一には、聖痕なる傷跡めいたものが自分の体に刻まれている憶えはなかった。
「いや、無いな。背中にも見たことはない」
「……そう。だとすると、あとは真意術式くらいしか可能性は残っていないけれど……。でも、創一は魔術を扱えないから、真意術式も使える訳がないし……」
繭羽はうんうんと唸っていたが、少しして考えがまとまったのか、手拍子を打った。
「……うん、そうしよう。あれこれ考えるよりも、実際に試した方が早いわ」
「え……何が?」
「創一に幻魔殺しの特性があるのか確かめるのよ。私としても、創一が持っているかもしれない特性を把握しておきたいわ」
「特性って……神狩りの? いや、幻魔に触れるにしても、そんなに都合よく幻魔に逢えるとは思えないし……」
現在はリリアに狙われているが、自分のあるのかどうかも分からない特性を戦闘中に試す余裕が生じるとは思えない。
「いえ、やり方は違うけれど、もっと手っ取り早い方法があるわ。えっと……創一、近くに姿見は無いかしら。洗面所にあるような小さなものではなくて、全身を一望出来るだけの大きな姿見よ」
「姿見……?」
そんなものを一体何に使うのだろうか。
創一は怪訝に思いつつも、全身を一望出来る程の大きさを持った姿見を見た記憶を探った。上半身を映すだけの水銀鏡ならいくらでも見掛けたことはあるが、それ以上に巨大な鏡となると、そう簡単に見つかるものでは……。
「……あ、あった」
「本当? どこに置いてあるのかしら」
「学校の体育館の中だよ。普段はスライド式の扉で閉められているけれど、バドミントン部員が素振りの姿勢を確認する時なんか、姿見を使っているのを見掛けたことがある」
「体育館ね。丁度良いわ。創一、明日の放課後は体育館に向かいましょう。そこで、創一の持っているかもしれない特性を確かめるわ」
「……体育館で何をするつもりなんだ?」
創一が尋ねると、繭羽はさも当たり前のように、とんでもないことを言う。
「何って……パンタレイへ行くのよ」
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