秘密の恋が舞い降りた

遊月

此処、越えてもいいですか?


 がしゃん、と荒っぽい音を立てて、あたしの放り投げた学生鞄は金網に当たって落ちた。

 屋上、馬鹿みたいに美しく晴れた青空、制服を脱ぎ捨ててしまいたいくらいぐちゃぐちゃな気持ちのあたし。

 何だろう、何なんだろうこの気持ちは。あたしは何処へ行きたいのだろう。わからない。……わかってる、でも、わかりたく、ない。



「おいおい一体何なんだよ騒々しい。人の昼寝の邪魔してんじゃねえぞ」


 間延びした声が背中越しに届いて、あたしは苛立ったまま踵を返した。


「なあんだ委員長か。珍しいな、委員長がサボりなんて。まだ放課後なってないよな?」


 寝癖の付いた髪をぐしゃぐしゃ掻きながら、仰向けに寝転んでいたらしい男子が笑って言う。–––同じクラスの相澤だ。サボりの常連、の割に成績は上の中、尚且つ教師受けもそう悪くない、という、あたしにとっては意味不明の危険人物でもある。


「あんたには関係ないでしょ」

「お、威勢がいいねぇ」

「喧しいわ! 黙れこのお気楽極楽能天気野郎!」

「うわ……」


 苦笑いしながら立ち上がった相澤は、あたしの投げ出した鞄を拾い上げ、ゆっくりとあたしの前に立った。

 あたしの視界から青空がゆらりと遮られ、頬には影が差す。それくらい相澤の背は高くて、あたしはそれをたった今知った。だって、こんなに近くに立ったのは初めてだったから。


「何だよ、どうしたんだよ」


 いいだろ、心配くらいしたって。相澤が静かに口を開く。まるで泣き出しそうに微笑む相澤に促されるようにして、あたしは拗ねた子供みたいに掠れた声で答えた。


「……真面目にやってんの、馬鹿らしくなってきたんだもん」

「真面目に? 何を?」

「まとまんないクラスの委員長やったり受験勉強したり後輩に泣き付かれて部活の会計代わりにやったげたり」

「うん」

「親の言う事聞いたり友達のケンカに振り回されたり愛だ恋だってアホな話死ぬほど聞かされたり」

「うんうん」


 穏やかに頷く相澤の声に、あたしはハタと我に返った。あたしは何を、こんな意味不明な危険人物にぶちまけているのかと。


「あれ、もう終わり? ちゃんと全部吐いた?」


 身を屈めてあたしに視線を合わせる相澤から、あたしは鞄を引ったくるようにして奪い返した。


 ああ、憎らしいくらい晴れた空。青くて、青くて、遠い。


「……委員長?」

「あたしの名前は『委員長』じゃない!」


 コンクリートの床に向かって鞄を叩きつけると、あたしは衝動的に屋上を囲うようにに張り巡らされた金網に指を掛けた。上履きを脱ぎ捨て爪先を絡める。昇る。よじ昇る。

 びゅう、と風が吹き抜けて、あたしの髪はもうぐしゃぐしゃだ。


「委員長」


 どーせ「パンツ見えてっぞ」とかそんな事しか言えない癖に。あたしは金網の先に横たわる有刺鉄線をも掴む勢いだったのを削がれて、眼下の相澤を見下ろした。


「おい、三浦あかり」


 相澤が、呼んだ。


「馬鹿、お前の名前くらい知ってるよ」

「だ、だから何」

「勢いだけでそんなトコ昇ると降りらんなくなっぞ? ほら、下向いたら怖くなったろ?」

「……」

「図星かよ……」


 呆れたように口端を歪めながら、相澤が笑う。


「可愛いのな、三浦」

「はあ?」


 あたしは不恰好を承知であたふたと金網を降りると、鞄を拾い直してスカートをパンパンと叩いた。ずりさがった靴下を上げ、リボンの位置を直す。風に煽られた髪だけはぐじゃぐじゃのままだけど仕方がない。


「あーあ、俺に飛び降りて来ても良かったのに。せっかく三浦の事、堂々と抱きしめられるチャンスだったのにな」

「ば、ば、馬鹿じゃないのあんた! ……とにかくね、此処であった事は誰にも言わないでよ? 『みんなの委員長』の実体がこんなんだって知られたら、みっともなくてこの先やってらんないわ。じゃあね相澤!」


 行き過ぎようとするあたしの髪をぐいっと掴むと、相澤は「『みんなの委員長』やってんのが嫌んなったらさ」と、あたしの耳に唇を寄せる。

 風の音も、鉄橋を渡る電車の音も、鳥の声も何もかも、一瞬にして遠ざかる。心臓が痛いくらい早鐘を響かせる。


「ちょ……っ、相澤、」


 たじろぐあたしを無視して、「いつでも聞いてあげるからね?」と、あたしの耳を溶かすような柔らかな声で相澤が囁いた。




 -END-



 ▼title/確かに恋だった

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