斬首 他

野々花子

神様

神様

 花子という名前にコンプレックスが無いかと問われれば、あるに決まってるだろこんちくしょうなのだ。

 からかわれる二大巨頭は「トイレの花子さん」と「吉本興業の山田花子」で、吉本の山田花子さんがトイレの花子さんと肩を並べていたのは、私が関西のファッキン田舎育ちだったせいもあるだろう。これ、大阪生まれ大阪育ちやったらもっとやばかったんちゃう?ウチ、一生山田花子の呪縛から逃れられへんかったんちがう?って、私の育った町は関西地方にあるけどファッキンくそ田舎なので関西弁ぽさがほとんど無い。にも関わらず、花子といえばだいたい山田花子をみーんな思い浮かべるわけだから吉本すげえ。もうかりまっか、ぼちぼちでんなー。

 で、もう一つがトイレの花子さんで、いくら関西で山田花子が幅を利かせてるって言っても、トイレの花子は格が違う。小学生の時とかマジやばかった。「おっまえ、便所に住んでんのやろー」って、微かに香る程度の関西ントネーションで男子にからかわれ続け、「男子!花子ちゃんに謝って!」ってかばってくれた友達もいたのだけど、私はその子に対しても「花子ちゃん」じゃなくて苗字で呼んでほしいなあ、と思って暗澹たる気持ちになっていた。それが六年間続いたのだ。罰ゲーム以外の何物でも無い。

 さすがに中高生くらいになるとトイレの花子は言われなくなるのだけど、あいにくファッキンくそ田舎は地獄の田舎加減なので、小中高ほとんどメンツが変わらない。直接的に言われることは減っても、私のパブリックイメージが「トイレの花子」で固定されていることはバシバシ空気で伝わってきて、あ、そうそう、私は苗字が丈家じょうけって言うんですけど、もう自分のフルネームが『丈家・トイレ・花子』なんじゃないかと思うほどだった。苗字はけっこう気に入ってるんだけどね、『ジョジョの奇妙な冒険』のジョースター家みたいで。

 花子・ジョースターに降りかかるトイレの災難はまだ終わらなくて、高校二年の時に『トイレの神様』って歌が大ヒットしやがった。

 もうタイトルだけで私は拒否反応を起こしたし、実際歌番組のランキングコーナーでサビをちょろっと聞いた時も、全然好きじゃない、こういうの。って思ったし、その数日後にラジオでフルコーラス聞いて、わお~嫌~い、と確信したのだが。この曲は見事にヒットチャートを駆け抜けて、最初の内は7位とか8位をウロウロしてたくせに、いつの間にか3位とかになって、あれよあれよと言う間にナンバーワン。

 はい、おかげさまで私のあだ名、『神様』になりました。

 もうね、花子の原型とどめてないって言うか、ヒトじゃなくね?

 小学生の時は「男子!花子ちゃんに謝って!」ってかばってくれてたすみれも、もう高校生だから「神wwwwww様wwwwwww」って完全ワロス状態で、挙句の果てには私のことを「ねー、ゴッドー」って呼ぶ始末。マジ裁くぞ?

 菫は私とタイプが違うんだけど幼なじみって奴で、正直趣味も気もビミョーに合わない気がしないでもないんですが、さすがに保育園幼稚園小中高と十四年一緒にいるわけだから、なんとなく仲良くやっていた。


 けど、ある日突然、菫の「ねー、ゴッドー」に私がキレる。


「それ、やめてくんない?」

 そう言った私の声は自分でも引くくらい冷たかった。

 あ、なんかヤバい。

 頭の隅でそう感じたときには、口はもう滑らかに動き始めていた。

「あんたさあ、あんたは菫ってなんか可憐な名前だからわっかんないかもしんないけどさー、私、自分の名前嫌いなわけ。ちっさいころからの付き合いなんだから、それくらい知ってんでしょ?だからさー、あーもー……」

 氷の上を滑るようだった私の声は、そこで熱を帯びた。

「ああ!もお!……っああああああああああ!!!!!もお――――!!!!!言ってんじゃん!!花子もトイレも神様も嫌なんだよ!わっかんないかなあ!?言ってんじゃん、苗字で呼んでって!いつも言ってるでしょ!?わたし、言ってるよねぇ!?馬鹿なの!?菫みたいにさ、私の名前可愛くないんだよ!!」

 菫に、というか、誰かにこんなに怒ったのは初めてだった。

 最初に「ねー、ゴッドー」された時はキレなかったのに、菫が「ゴッド呼び」にはまって、私を今までのように「丈家」とも、幼いころのように「花子ちゃん」とも呼ばなくなって、完全に「ゴッド」に慣れ親しんでっていうか明らかにそれを気に入って使い出したことを私は許せなかったのだ。

 何慣れてんだよ。何面白いあだ名考えたみてえな顔してんだよ。

 別に幼なじみに裏切られたとか思ったわけじゃない。

 多分、私は小さい頃からずっと、菫に言いたかったのだ。


 あんたみたいな名前に生まれたかった、と。


 ゴッドはただのトリガーだった。

 菫は私の前ではちょっとへらへらしてるけど根は気の優しい子だし、黒髪で眼鏡で名前に似合って可憐な印象で、それに対して私は茶髪でけっこうしっかりメイクもしててスカートも短めで、でもいくらオシャレしてみても名前が花子さんだから垢抜けない気がして、そんな二人はぎりぎり友達だったんだけど、この出来事のせいで私たちの間にマリアナ海溝より深い溝ができる。

 マリアナに隔てられてから一年半くらいで私たちはそれぞれファッキン地獄のくそみそ郊外型田舎都市を出て、本物の都市に暮らすようになる。菫は京都の大学生で、私は東京の大学生で、結局あれからろくに仲直りしないまま、それぞれに人生は別れる。

 私は大学生になっても花子って名前が嫌いだったけど、知ってる人が全然いないこの街では誰も私の名前なんかに気をとめないし、だいたいが「丈家さん」って呼んでくれるから、私はだんだん自分の名前に縛られなくなる。

 そんな私の前に、合コンで太郎くんって男の子が現れて、「いや、本当に俺、自分の名前が嫌だったんだよね」って話し出したから、私は「合コンだりー早く帰りてー」って思ってた一秒前までの自分を置き去りにして、身を乗り出して太郎くんの話を聞いてしまう。

 なんだかその話の切り口だけで私は彼に興味を持ってしまって、ソウルメイトかも下手したら好きになってしまうかもとか馬鹿なことまで頭をかすめる。でもはじまってみると、その話は合コンで受けるための自虐ネタの要素が強くて「いやー、太郎とか引くでしょ?」「俺もカッコイイ名前に生まれたかったわ~、レンとか、ジョウとか~」ってニヤニヤしながら語る太郎とやらに私はどんどん苛立ってくる。

 でもその苛立ちはそのまま自分にも跳ね返ってきて、私だって花子って名前を嫌っているし、菫のような名前に憧れていたし、だからこのクソ太郎と私は同じなんだけど、でもどうにもこの目の前のクソ太郎は明らかにクソでイライラする。

「あ、そう言えば、丈家の下の名前、花子なんだよ~」

 って誰かが超余計なことを言い放ち、クソ太郎は「マジで!?」とわざとらしく目を剥いて、周りは案の定「太郎と花子じゃ~ん」「付き合っちゃいなよ~」「お?カップル成立?」とかお約束に囃し立てるから、ほんっと大学生って奴は低能だな!!!!と私は自分を棚に上げてマキシマムイラッと来た。

 その瞬間。

「じゃあ、付き合っちゃう?」

 とクソオブクソ太郎が言ったから、私は0.2秒でビールを奴の顔面にぶっかけ、「一緒にすんな!!!!!」と叫び、立ち上がって財布から三千円取り出して、叩きつけるようにテーブルに置いてカバンを肩にひっかけて幹事の女の子に「ごめん! 私、帰るわ!」と言って店を出た。


 ああああああああああ!!!!!!も―――――!!!!!!!!!!!!!


 店の外に出て、いつかのような叫び声を上げ、そんな私を道行く人たちは避ける。


 季節は冬で、合コンに乗り気じゃないと言いながら、その実、一番可愛いと思っているアイボリーのコートで決めてきた自分に非常に腹が立ち。腹が立つとさっきのクソのことが思い出されもっと腹が立った。

 んだよ、自分の名前のことネタにしてんじゃねえよ。ネタにされんのがどんだけキツいか、やられてきたなら分かってんだろうが!って心の中だけで毒付いて、この感情を、この怒りの感情を、私は誰かにまだまだぶちまけ足りなくて、ああぶつけたい、と思って携帯電話のアドレスを「あ行」からドュルルルルルルルルルrrrrrrrrrrって下っていって、「さ行」の真ん中らへんで止まる。

 少し迷って、もう番号変わってるかもだし、と考えたけど、やっぱり掛ける。

 コール音が五回を越えたあたりで、やっぱり出ないかぁと思ったんだけど、その瞬間に声がする。


「丈家?」


 その声に、私は一瞬、何て言ったらいいか分からなくなる。でも黙っていると切られてしまうかもしれない。だから、だからだから。

 私の口からこぼれた言葉は。


「うーんと……、神様です」


 数秒の沈黙のあと、受話器の向こうから菫の爆笑が聞こえ、私は、そんなに笑うとこかなあ?と思いながら白い息を吐いたのだった。



〈神様・了〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る