③月島叶恵→舞園梓パート「……すぅ~っ! アンタたち!!」

◇キャスト◆


月島つきしま叶恵かなえ

中島なかじまえみ

清水しみず夏蓮かれん

篠原しのはら柚月ゆづき

牛島うしじまゆい

植本うえもときらら

星川ほしかわ美鈴みすず

菱川ひしかわりん

東條とうじょうすみれ

Mayメイ・C・Alphardアルファード

田村たむら信次しんじ

花咲はなさき穂乃ほの

筑海高校女子ソフトボール部のみなさん

舞園まいぞのあずさ

清水しみずしげる

泉田いずみだ涼子りょうこ

如月きさらぎ彩音あやね

大和田おおわだ慶助けいすけ

―――――――――――――――――――

――カキーンッ!!

「チッ……」

 長きタイムを経て再開した、六回裏の攻防。守備側の笹浦二高女子ソフトボール部投手――月島つきしま叶恵かなえの舌打ちが響くと、相手打者――筑海高校五番打者の打球が足元を即通過。誰もがセンター前ヒットだと予想した瞬間だが。


――ズシャァァァァア゛!!


「――っ! ちょ、菱川アンタ……」

 もちろん打球は二塁上も飛び越え、センター――Mayメイ・C・Alphardアルファードに捕球された。これでノーアウト、ランナー一塁。

 だが、目を大きく見開いた叶恵は、ヒットを打たれた結果など気にしていなかった。セカンド――菱川ひしかわりんが飛び込み倒れた姿に驚くばかりで、思わずあわてて駆けていく。


「ちょっと……なに慣れないことしてんのよ!?」

「凛!! 大丈夫!?」


 叶恵の次にたどり着いたショート――東條とうじょうすみれも心配の面持ちで現れた。

 菱川凛という一年生は、喘息をわずらう一人の選手だ。痩せ細った身体でもある彼女の体力的事情は、叶恵も確かに聴いている。結果論とは言え、飛び込んだところで届かない打球に、なぜそこまでしたのか。ケガの恐れもある行動には不可解が勝り、心配の声も放てず見下ろしていたが。



「だ、大丈夫……」



 弱々しくも声を溢した凛が、菫の肩に掴まりながらゆっくり立ち上がる。全身のユニホームがグランドの土で汚れ、苦しそうなせきまで数回出された。しかし、ふと叶恵は目を合わされ、静かなる微笑みまで向けられる。



「――わたしも……勝ちたいんで」



 穏やかな春風にも負ける、今にも消え入りそうな音量だった。が、叶恵の胸には、凛の強い想いが直に伝わっていた。一年生でありながら未経験者、つ菫の隣にいたいという理由で入部した、そんな少女から。



『――アタシと同じで、勝利を必死で求めてるんだ……』



「……ありがと、凛」

「え……?」

 背を向けながら放った叶恵だが、凛の疑問符が確かに聞き取れた。嬉しさが込み上げ、不意に微笑みそうになる中、ピッチャーズサークルに踏み入れる。次なる六番打者との対戦に向け、センターからの返球を待ち構えると。


「――っ! 凛……」

「ガンバってください、叶恵先輩!」


 頬にも泥を塗った凛から、叶恵は右グローブでバシッと受け取った。返球は無論、初めて姓でなく名で読んでくれた、信頼の想いまで。



「……フフ。また打球が行ったら頼んだわよ、凛!」

「はい、叶恵先輩!」



 互いの名が通ったところで、試合はノーアウト一塁から。凛はセカンドベース寄りの位置で構え、一方叶恵は投手板プレートの窪みを爪先で堀る。


『打たせて、アウトを取る……』


 正直に言えば、スタミナがほとんど残されていない。変化球のキレは言うまでもなく、制球力も欠けて思い通りのゾーンへなかなか進まない。投球数も既に百球を越えた。

 お転婆なソフトボールの女神様は、未だに味方していないようだ。

 それでも、再びバックが向かい風を誘う。


――ボゴッ!!


「――っ! サード……」

 六番打者にも快音を鳴らされた叶恵は、打球の終着地点に驚いた。凄まじい勢いで放たれた白球が、サード――牛島うしじまゆいの腹部に直撃したことでおとろえたからだ。


「唯先輩ファーストっす!!」

美鈴みすず~!!」


 一塁ランナーが二塁に到達する頃、唯は足下のボールを素手で掴み、ファースト――星川ほしかわ美鈴みすずに素早く送球。その結果は、



――「アウト!!」



「ヨッシャア!!」

「さすが唯先輩っす~!!」

 ガッツポーズを見せた唯のボディーストップで、まずはワンアウトを奪取。美鈴の万歳ばんざいを始め、周囲の選手たちも声でたたえていたが。


『痛くない訳ないじゃない! あんな打球が直撃じゃ……』


 汗を地に落とす叶恵は一人、唯の身をあんじていた。平然とした様子が窺えるも、強襲的打球を真に受けたのだから。


「平気平気~! みんなサンキュ~! ……あん?」


 すると、キョトンとした唯と目が合った。先程の言い争いも影響しているためか、細い目でまばたきも繰り返される。しかし、すぐに鼻で一笑され、逞しさ垣間見えるニの口を飛ばされる。



「――素人だって、これぐらいできるっつ~のォォォォだ!! ……へへっ!」



 笑顔で元の位置へ戻る唯を、叶恵は密かに微笑んで見届けた。背番号5からの強さを感じ取りながら、安堵の一息代わりに喉を鳴らす。


「コッチこそ、サンキュー……唯」

「――っ! ……オゥ! チビン、じゃなくて! 叶恵!!」


 安心して背番号1を向けることができた叶恵は、ファーストの美鈴からボールをもらう。今までならば無言で受け取り済ましてきたが、今回は面と面を少しの間合わせる。


「アンタもナイス判断だったわよ……美鈴」

「つ、月島、先輩……イヒっ! うちだって、声出しぐらいできるすよ! 叶恵先輩!!」


 太陽の光が少しずつ南中し、グランド上の影を狭めていた。白線で描かれたピッチャーズサークルまで、きらびやかに照らし出すように。


『……まだだ。まだ、諦めたりなんかしない』


 ギリギリの局面を迎えている中で、叶恵は細き左腕から白球を投じ続けていく。確かな存在感を秘めたプレーヤーたちを、背を預けながら。

 だが、結果はなかなか結びついてくれなかった。


「――っ! ショートッ!!」

「そりゃあァァッ!! ……ダメだ、間に合わない」


 七番打者がもたらしたヒット性の打球は、菫のダイビングキャッチで死守。好プレーが飛び出したと思いきや、泥だらけの彼女が起き上がった時には、打者走者が一塁を駆け抜ける寸前だった。結局放ることができず、内野安打に至ってしまう。


「す、すみません、月島先輩……」

「なんで謝んのよ? れっきとしたファインプレーじゃない」

「え……」


 菫からボールを返された叶恵は、不意に笑わされた。彼女が自信の活躍に気づいていなかったからだ。レフトまで抜けていれば、更なるピンチに発展していたというのに。


「二塁ランナーを三塁に進めなかっただけ、アタシは大助かりよ……菫!」

「――っ! ……はい! 叶恵先輩!!」


 凛と同じくユニホームを汚した菫は、まばゆき無邪気な笑顔も返した。試合開始前には洗濯を配慮していたはずが、親友とお揃いの姿になれたことで、誇らしく感じているようだ。

 状況はワンアウト、ランナー一二塁。走者が得点圏にいるため、外野へシングルヒットで勝ち越しが懸念される場面だが。


『まだまだ、諦めない!』


「――っ! メイッ!!」

「All right!! ……Yes!! もうセンターには、ヒットゾーンなんかありマセンヨ~!!」

 八番打者が運んだセンター前小フライを、メイが猛ダッシュで掴み捕った。これでツーアウトを迎え、ランナーも配置が換わらずに済む。ところが、唯一叶恵の指示声が、ポジション名から選手名に変わっていたことを聞き流してはいけない。


『あと、アウト一つ!』


 次なる九番打者が打席に現れ、ランナー一二塁のピンチで再開。投手の叶恵としては、この下位打線で回をまたぎたいところだ。相手にとってチャンスの場面を、上位打線にまで与えたくないからだ。ネクストバッターズサークルで立ち待つ一番打者――花咲はなさき穂乃ほのには先ほどヒットを打たれているだけに、余計に回したくない相手である。



『でも、やることは変わらない……打たせてアウトを取るだけ!』



 自心に深く言い聞かせ、ヘトヘトの全身を駆使して投球動作を行う。初球はしっかりストライクを稼ぎ、二球目も同じく率先的に投じていくが。


――カキィィンッ!!

「――っ! しまった……」


 ストライクゾーンほぼ真ん中に放ってしまった失投で、勢いよくグランドへ跳ね返された。叶恵が振り向いたときには、打球は三遊間を突破し、レフト前ヒットだと断定できる。



『まずい、帰ってくる!』



 一方の二塁走者からも、三塁で止まる気配が窺えなかった。走路を一度外側に膨らませ、サードベース端を踏んだ途端に加速。叶恵も勝ち越しのランナーと同時にホームへ駆け出し、捕手の中島なかじまえみの背後でボールカバーを務めようとたどり着く。


 その、刹那せつなだった。



――「ニャア゛~プウゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」



――バシリィィッ!!



「うっ、そ……」

 凄まじき猫の遠吠えと猛虎もうこたる返球が、咲のキャッチャーミットを叫ばせた。光矢のような送球に唖然とした様子で、捕球後は棒立ちが型どられた。

 相手走者が三塁にとどまる結果に至ったが、背後から見つめる叶恵もあまりの驚愕に固まっていた。改めて送球者へ顔向けすると、他の選手たちと同じく焦点を当てたレフトには、地毛の茶髪を揺らす御嬢様が堂々と立ち構えていた。



「――ニャハハ~!! みんな~見たかにゃあ~!? これぞレーザービームにゃらぬ……きららちゃん特製! “キラキラ☆ビーム”にゃあ!!」



「……いやそんな、キラキラネームみたいに言われてもよ~」

 と、早速サードの唯が小さな突っ込みを入れると、

「で、でも、スゴい返球でしたよ! 植本先輩ナイスボールです~!!」

 と、代わってショートの菫が讃えていた。


「Waoh!! It's amazing!! ヒーローの必殺技みたいで、きららちゃんセンパイとってもカッコよかったデス!! 是非ワタクシにも、何から何まで教えてほしいあまりデス!!」


 今度は、センターのメイが飛び跳ねながら近づいていくと。


「ニャハ! メイシー良いこと言ってくれるにゃあね~……決めたにゃあ! メイシーの弟子入りを、許可するにゃあ!!」

「ほ、ホントデスカァァァァ!!」

「もちろんにゃあよ~!! エステからにゃにまで、このきららが御奉仕してあげるにゃん!!」

「ィヤッタァァァァア!! これでワタクシも、きららちゃんセンパイみたいに美しくなれる訳デスネ!!」


 得意のことわざも忘れるほど、欣喜きんき雀躍じゃくやくと高ぶっていた。ソフトボール経験者である留学生に、何を叩き込まれるかは皆目不明で心配だが……。



『でも、勝ち越しを阻止できた……何で投げられたかはわかんないけど、助かったわ! きらら!!』



 きららの光る好返球の末、状況はツーアウト満塁。

 勝ち越しのピンチが依然として続くが、タイム後の失点は未だゼロ

 そして相手打線は、ついに一巡を迎える。


『ここで先頭……花咲穂乃か』


「お願いします!」

 健気な挨拶を叫び、サイドポニーテールを揺らした穂乃が左打席で構えた。ここまでの対戦成績は、三打数一安打。一見すると叶恵の方が優勢に思える戦績だが、決して簡単な相手ではない。


『三振は一つも奪えてないし、良い当たりだって何度もされてる……。アタシの一番苦手な、左のアベレージヒッターだわ……』


 一番としてのミート力は言わずもがな、塁間近き左打者となれば、攻撃の選択肢が格段と増える。同じ左利きの叶恵でも、予想が難しく迷えてしまうほどだ。またチャンス場面でもあるためか、穂乃の鋭き面構えが前打席よりも顕在で、勝ち越しを狙った強気姿勢だと窺える。


『セーフティーバント、それにスラップだって充分有り得る……でも、やるべきことは決まってる!』


 打たせてアウトを取る。

 叶恵は再び自分自身と確認し、いよいよ四打席目の対戦を開始させる。まずは大事な初球。信じると決めた捕手からのサインに一発で従い、構えられたインコースへドロップを放ると。


――カキィィン!!

「――っ! ふぅ……」


 初球からいきなりの快音を放たれたが、打球はライト線ギリギリのファールゾーンを弾む。あとボール一つ分ずれていれば長打コースと成り得たことには、叶恵も思わず安堵の一息を溢した。


『だからって、諦めてなんかいないわよ?』


 二球目も三球目もフェアにはならなかったが、耳を引き裂かれるような打撃音が繰り返される。四球目に投じたボール球も微動だにせず見送られてしまい、やはり厳しい戦いだ。



『それでも、絶対な諦めない!!』



 しかし、叶恵は決して屈する姿など見せなかった。見えない力で背を押される錯覚が走る中、勇猛果敢に何度も投げ挑んでいく。



『――みんなが、諦めずに声を出してるんだから! アタシ一人じゃなくて……みんなで! 投げてるんだから!!』



 頼もしい仲間たちの声を、確かに背で受けながら。


「さぁサードにコイヤァァア゛!!」

「さ、さぁファーストにもコイヤァァッス!!」

『唯……美鈴』


「捕ったらセカンドもあるからね、凛?」

「うん! 菫も、ベースカバーよろしくね!」

『菫……凛』


「Come-on!! こちらの準備は、間然かんぜんするところなしデスヨ~!!」

「早くベンチで休みたいにゃあ!!」

『メイ……フフ、きららのバカ』


「叶恵ちゃ~ん!! 追い込んでるよ~!! みんなが付いてるよ~!!」

アタシは見てたからね……ライトのアンタが、毎回ファーストカバーに走ってたところ……夏蓮』


 無論、グランド上の彼女たちだけではない。


「ガンバれ~月島~!! ツーストツースト~!!」

「あと一人! あと一球よ~!!」

『アンタたちの声だって、ちゃんと届いてるわよ……田村たむら、それに……柚月ゆづき


 ベンチの篠原しのはら柚月ゆづき田村たむら信次しんじも含め、ピッチャーズサークルには煌めく声援が募っていた。一方の穂乃には何度も粘られてしまい、球数が更に増していく。それでも、スタミナを持続させる気合いと根性、そして期待に応えたいという熱意をあらわにして、叶恵は眉を下げることなく投げ抜いていく。



『もちろんアンタだって、いっしょに投げてるんだからね?』



 ついに、スリーボールツーストライクのカウント――ラストボールを迎えた叶恵。タイム終了後から一度も首を横に振っていないエースは、再びサイン通りに白球を投げ込む。


――カキン!


 振り抜かれた穂乃のバットで、ボールは一塁側ファールゾーンで宙を舞う。またしても粘られたところだ。が、打球に人差し指を突き向けた叶恵は、もう一人の“いっしょに投げている仲間”の名を、指示と併せておおやけに知らしめる。



「――咲ィ!!」

「――ドリャアァァァァア゛!!」



 瞬時に捕手マスクを外した咲が、落下間際の打球へ駆け出しダイビングを試みた。タイミング的にはギリギリで、伸ばした左手ミットが届いていたかも怪しい。

 加えて辺りが全く見えなくなるほどの砂ぼこりが舞い、誰もがカーテンの去り際を待ち見つめる。

 主審と同時に近寄った叶恵も、固唾を飲み込んで汗粒を落とした。


 その結果は……。



――「アウトアウト~!! チェンジ~!!」



 咲のミットは、指先でボール半分をしっかり捕らえていたのだ。

 キャッチャーミットよりも僅かに長い、ファーストミットの先端で。


――「「「「ヨッシャアァァァァ!!」」」」――


 ピンチを救った咲のファインプレーには、笹二ソフト部員たちも各地で歓喜を放っていた。同点と追い付かれたことは事実だが、勝ち越しを防ぎ切れた現在にこそ浸っている。今までのチェンジとは訳が違う高鳴りのまま、自陣ベンチへ颯爽と戻っていった。

 しかし叶恵だけは立ち竦み、心配の目を咲に向け続けていた。


「ね、ねぇ? 大丈夫なの? な、何とか言いなさい、よ……?」


 起き上がってもらえなかったのだ。いくら経験者とはいえ、咲には長きブランク期間が存在する。不慣れなダイビングキャッチで、怪我でもしてしまったのか。

 と、思いきや……。



「叶恵もスッゴ~~い!!」

「ぅわっ! ビックリしたぁ……」



 突如起き上がり寄ってきた咲からは、いつもの元気溌剌はつらつとした笑顔を見せられた。思い返せば彼女は、長年女子バレーボール部に所属していた身で、飛び込み自体は決して不慣れではないようだ。鮮明に上がった頬にも土が付着しているが、どうやら怪我は全く無いようで一安心である。


「……咲、ナイスキャッチよ!」

「叶恵こそナイスピッチングだよ~!! 最後の打席は全球、アタシが構えたところと一ミリセンチもずれてなかったもぉ~ん!!」

「……な、なに、その単位?」


 この世界に新たな単位を誕生させられ困ったが、恐らく咲は、完璧と称せられるほどのコントロールを褒めているのだろう。彼女には酷いことを告げたはずなのに、今ではすっかり忘れたように額を輝かせていた。



「ありがと、咲!」

「エヘヘっ! そう言われると~、何だか照れますな~!!」



 無事にピンチを乗り越えられた、笹浦二高バッテリー。互いにハイタッチを交わし、並んで一塁ベンチへ戻り始める。自陣には既に部員たちが帰還しており、叶恵と咲が最後の帰宅者となっていたが。


「叶恵ちゃ~ん!!」

「ん? ……んぐっ!!」


 叶恵の帰りを待ちきれず正面に飛び込んだ少女は、ライトの夏蓮だ。体当たりの如く抱き着かれて気を失いかけたが、何やら涙ぐんだ様子が受け取れ、ふと首を傾げる。



「無責任なこと言ってゴメンね!! ホントにゴメンねだけど、ナイスピッチングだっだよ~!!」



「……フフ、もう気にしてなんか無いわよ……タイムのおかげで切り換えられたわ、夏蓮」

 雫を溢れさせた笑顔の夏蓮を、叶恵は見つめてながら微笑んだ。

 また、主将だけではない。

 ふと辺りを見渡せば、他の部員たちからも視線を送られていた。それは不穏な敵視とは程遠く、心から受け入れてもらえたような、優しく温かい歓迎の眼差しである。あれほど暴言を散らした自分を、みんなはまだ仲間だと見てくれているようだ。



『フフ……ダメよ、泣くとこじゃない……。まだ試合は、終わってないんだから……』



「……すぅ~っ! アンタたち!!」

 いつも強気な自分自身を失いそうになった叶恵は、深呼吸を加えて早速怒濤を開いた。


「まだまだ同点!! これからの最終回、絶対に点を取りにいくわよ!! いいわね!?」

 ――「「「「……」」」」――

「オイッ!! 返事は!?」


 相変わらずの叶恵節には、皆も目を点に変えて黙り込む。他なる優しい言い方が無いのかと、疑っていることだろう。

 しかし、無理強いにも魂の熱を上げる者こそ月島叶恵本人で、練習のときのような人柄に戻っていることが確かだ。叶恵自身も見えない束縛に解き放たれたように、強気の笑みを浮かべられていた。


「……ったく。誰のせいで点取られたと思ってんだよ~?」

「ムカッ!」


 すると唯が気だるそうに頭を掻きながら放ち、叶恵もつい血が上って応戦してしまう。


「なによ!? アンタだって初回はエラーしたじゃない!!」

「一瞬泣きそうになってたヤツに言われたかねぇよ~だ!」

「んな……あっ! そういえばアンタ!!」


 堪えていた涙を唯に見透かされていたようだが、ふと思い出した叶恵は再度怒りを剥き出しに放つ。



「――チビンテールってなによ!? へんなアダ名つけんなッ!!」



「へっ? な、なんだ、聞こえてたんだ……」

「アッタリ前ジャア!! 何度も何度も言って流行はやらせる気かッ!!」

「まぁまぁ、カナカナ落ち着くにゃあよ~」


 ずいぶんと愉快気味だが、きららと美鈴も参戦する。


「そうっすよ! 唯先輩がくれた、せっかくの愛称を大切にするべきっす!!」

「チビンテールっつう言葉に愛がこもってると思うのかオメェさんは~!?」

「やっぱりチビの方がいいかにゃあ~?」

「そこが一番の問題点だと気づけよ化け猫娘~!!」

「……クッフフ!」

「ソコ笑うなァァ!!」


 叶恵vsバーサス牛島一家の仁義無き闘いが開戦するも、決して誰も止めに入らなかった。ケンカするほど仲が良いという言葉をなぞった、いつものふざけ合いだと認識していたからだろう。他の選手たちも叶恵のいじられ姿を見ながら、自然と笑みの輪が広がっていた。


――パチッ!!


 空気を切り換えるように、顧問の信次が手拍子を鳴らした。元気も取り戻した叶恵を始め全員の視線を集めると、素人ながらも監督らしい立ち振舞いで、前向きなエールを轟かせる。


「よしっ!! 遂に最終回だ!! この勢いのまま勝ち越して、笹二の初勝利をみんなで飾ろう!!」


――「「「「ハイッ!!」」」」――


 清々しい返事を揃え、本日の太陽よりも明るさが増した笹浦二高ベンチ。

 七回という名の最終回を目前に、誰もが瞳の色を鮮やかに変えていた。この回は、二番の清水夏蓮から攻撃開始。勝負を左右しかねない先頭打者の結果に、誰もが注目していた。



「はい、タオル。ここまでお疲れさまね」

「サンキュー、マネージャー」

 一方のベンチ端で、深々と座る叶恵は柚月から渡された冷やしタオルを首に掛けていた。チームの応援はもちろんしたいところだが、それ以上に優先すべきことがある。


『あと一回は投げなきゃいけない。そのためにも、少しでも体力を戻さないと……』


 持参した水筒の中身も空っぽで、ため息をついてエナメルバックにしまった。未だに流れ出る汗を拭き取りながら、この回の攻撃を見届けようとしていたが。


「……ん? どうしたのよ?」


 なぜだか、タオルをくれた柚月が隣に座った。ホームベースから離れたこの位置では、スコアを取りにくいはずなのに。



「フフ、もういいんじゃないの?」

「な、何がよ……?」



 謎の微笑みを浮かべたマネージャーにまばたきを示すと、突如叶恵の小顔が、首に掛けていたタオルで隠される。妙なイタズラには怒号を上げそうにもなったが、周囲には聞こえない音量で耳許に囁かれる。



「――大丈夫よ? これなら誰にも、泣き顔見られないからさ」



「――っ! ……な……なによ……この……柚月の、ドS……グズッ……」

「よく言われるわ……タオルぬるくなったら、交換してあげるから言ってね……叶恵」

 柚月は静かに立ち上がり、もとの本塁寄りへ去っていった。あえて叶恵を、一人にさせるために。


『フフ……まだまだね、アタシって……グズッ……ポーカーフェイスも、まともにできてないなんて……』


 敵を騙すなら、まずは味方から。

 しかし、心優しい仲間たちにはバレていたようだ。選手にも、マネージャーにも。恐らくは、現在一切目をくれない監督にも。

 泣く場面ではない。今は試合中なのだから。

 そんなことはずっと前から理解しているはずだが、しばらく叶恵はタオルで顔を隠し続けた。改めて自分自身の弱さと愚かさに気づき、チームスポーツにおける大切なことを思い出したからである。



『――初めてだった……あんなに楽しく、投げられたのは……。あんなに信じてくれる、仲間たちは……』



 選手全員が一丸となって挑む競技こそ、チームスポーツでありソフトボール。

 誰もが知る、当たり前で大切なことを、孤独と共に投げ抜いてきたエースは忘れていたのだ。“勝たなきゃいけない理由”よりも重宝すべきは、同時に構え立つ選手たちとの絆であることを。

 みんなの心を一つにして、戦いに挑むことであると。



『こんなの、一年前には無かった。……もっと言えば、今までずっと……ずっと無かったから、忘れてた……』



――「イタタ~……でも、ヒットと同じだ! やったぁ!」

 叶恵の嬉し涙が落ち着く頃、試合は進展していた。どうやら先頭打者の夏蓮が、肘へのデッドボールで出塁。ノーアウト一塁と、早速勝ち越しの未来を繋いでくれたようだ。

 笹浦二高ベンチ内も大いににぎわい、前のめりで夏蓮、またネクストバッターのメイにも声援を投じていた。

 もちろん叶恵にも微笑みが生まれ、休むことを忘れて立ち上がる。



「ナイスファイト! 夏蓮!!」



 五対五の同点で迎えた、勝敗が決まる運命の最終回。

 ソフトボールの女神様がどちらに勝利をもたらすのかは不明だが、いよいよ最後の攻防戦が本格化していく。



 ◇あの日の忘れ物――Ace to Joker◆



 同時刻の、笹浦総合公園第二駐車場。

 ソフトボール場から離れたこちらには、壮大たる市営体育館に並び、夏休み限定で開かれるプールも設備されている。日曜の今日は早くも満車状態が近づき、公園で遊ぶ家族や奉仕活動者で溢れる光景が拡がっていた。

 天気にも恵まれた、穏やかな休日。桜も散り終えた空の下、とある一台の車が入場してきた。“虹色スポーツ”とカラフルなポップ字体で記された白色ワンボックスカーが、やっと見つけたらしい空き駐車場に停車する。一発バックで決まり、運転手の腕は御見事だと言える。


「とりあえず、着きましたよ」

「どぉ~もねぇ、慶助けいすけ


 運転手の大和田おおわだ慶助けいすけに感謝を告げたのは、助手席で微笑む清水しみずしげるだ。浮かぶ皺の数と比例した優しさが窺えるも、急遽ドライバーとなった男性の気怠いため息が吐き出される。


「サービス残業は嫌いだ……」

「慶助、窓開けてもいいかい?」

「聞いてねぇだろジジイ……」

「聞いてるかい?」

「ど、どうぞどうぞ! 御構い無く~!」


 今度は焦った笑顔で応対すると、シートベルトを解除した秀は助手席窓を開けて、春の陽風を車内に取り込む。


「いい天気だねぇ~。外出には、もってこいの天気だよぉ」


 上空を見上げる秀の言葉は、隣の慶助だけでなく、他にも存在する後部座席の同乗者に送っていた。


「そうですね。きっと咲たちも喜びます!」

 女子バレーボール部の主将も務めている、笹浦二高三年生――泉田いずみだ涼子りょうこ


「月島さんも、気温に負けず元気だといいんですけどねぇ~」

 同高校の二年六組担任――如月きさらぎ彩音あやね


 それぞれが想う大切な存在の名を溢し、車内温度がよりうららかな快適温度まで昇っていく。すると、秀が改めて後部座席を覗き、残る一人の同乗者へ振り向いた。残された、一人の選手へ。



あずさちゃんも、そう思わないかねぇ?」



「……」

 中央で俯き座っている舞園まいぞのあずさは、秀を始め慶助や涼子に彩音へ顔を上げる気さえ起こらなかった。耳だけは開き、恩師でもある現学校長の一声を聞き入れるも、膝上の笹二ソフト部ユニホームをただじっと見つめるばかりにとどまる。



『――思えないよ……。ウチが行ったところで、笹二ソフト部にはマイナスしか生まれないんだから……』



 青空とは裏腹の、晴れぬ心の暗雲にさいなまされながら、沈黙した梓は立ち上がる気力まで放棄していた。背番号を見えないように畳んだユニホームを、マメが浮かぶ左手で強く握り締めながら。

―――――――――――――――――――

   一 二 三 四 五 六 七 計

笹二|1|0|2|0|2|0|…|5|

筑海|0|0|0|1|0|4| |5|


ランナー一塁

 B○○○

 S○○

 O○○

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