⑥錦戸嶺里×月島叶恵→清水夏蓮パート「これを、渡してください」
◇キャスト◆
筑海高校女子ソフトボール部のみなさん
―――――――――――――――――――
一回裏、ツーアウトランナー二塁。
筑海高校にとっては得点のチャンス。一方の笹浦二高にとってはピンチと、文字通り表裏に別れた状況が、この笹浦運動公園ソフトボール場で展開されていた。
「
筑海ベンチ内でヘルメットを被ったネクストバッター――
「相変わらず、変化球主体のピッチングよ。ストレートは一球も無し。低めに集めてて、コントロールがズバ抜けて良い。特にドロップとカーブの変化が大きくて、的が絞りづらいわ。打ち取るよりも三振を狙った投手スタイルみたいだから、嶺里も追い込まれたら気をつけてね」
同じ落ちる球種の違いさえ見て取った雪菜は、やはり観察眼が優れている。当初は投手を希望していただけあって、ピッチャーの心理も事細かに分できたようだ。
「了解。んじゃ、行ってくる!」
長年の付き合い人である雪菜からも頷かれ、嶺里は満を持して左バッターボックスへ向かう。
『変化球主体なら、ギリギリまで引き付けなきゃだ。多少差し込まれたとしても、外野手前まで運ぶ自信はある……』
左打席前まで訪れると、まずは素振りをしてみせる。空気中に真空を生ませるほどの、
『あたしが打って、
身体の状態は良好。準備が整ったところで、嶺里は自陣の三塁ベンチに顔を向ける。監督――
『――
「お願いします!」
清き眉を立てて一礼し、筑海の主砲は
『月島、叶恵……一年ぶりだね……』
『待たせてくれるわね、錦戸嶺里……。忘れはしないわよ、去年打たれたこと……』
叶恵も鋭い目で睨み返していた。スラッガー嶺里の、威圧的オーラも平伏さんばかりに、
『去年のようには、いかせない……』
『こっちだって、負けに来たんじゃない……』
そして主審の再開合図が鳴らされることで、二人の燃え盛る心が、改めて決心へと変わる。それぞれが抱く、大いなる誇りにかけて。
『『――絶対に! 勝つッ!!』』
白熱した、本日最初の大一番。
まずは初球。
やはり叶恵は、捕手の
『真ん中から低めギリギリへの、インコースドロップ……。確かに、雪菜が言ってた通り、去年よりも変化が大きくなってるかも……』
『言ったでしょ? 去年のようにはいかせないって』
バチバチの声無き心理戦の幕開けは、見送った嶺里の腰付近から膝元まで落ちた、ストライクドロップ。球審も戸惑いながらジャッジするほど、コーナーを突いた一球だった。
カウントはワンストライクと、叶恵が一歩優勢な場面。すると間を空けてから二球目が投じられ、今度は左打者の嶺里から遠ざかっていく変化球――スライダーが放たれる。
『チッ……見送ったか……』
『ストライクゾーンからボールゾーンへ……。ホントに、やりづらいピッチャーだ……』
結果は一球分外れた、アウトコースへのボール。嶺里も振り掛けたが、最後の最後でスイングを止められてしまった。
ランナーの配置は変わらずも、カウントはワンボールワンストライク。グランドやベンチからの応援が二人に向けられるも、実際全く聞こえていない。鼓膜は刺激されているが言葉として認識できないほど、譲れぬ勝負に魂を注いでいた。
『え? ここで、ストレート?』
『……』
すると、三球目も見送った嶺里は、思わず目を見開いてしまった。結果は再び外角低めを刺すボール球だったが、雪菜の話に寄れば、本日初めての真っ直ぐが投じられたからだ。
『てっきりこの試合、ストレートは投げないと思ってたけど……見せ球としては、やっぱり投げるんだね』
『まぁ正直、あんま投げる気しないんだけどさ……。元からストレートには、自信ないし』
スピードは変化球と至って変わらず、球威があるとは叶恵自身思っていない。嶺里も思ったように見せ球にすぎず、勝負球には程遠いワンショットだ。
バッティングカウントの、ツーボールワンストライク。
まだ一度もバットを振れていない嶺里に対し、次に叶恵は、打者に寄る内角低めのシュートを放るが。
『――捕らえたッ!!』
――カキイイィィィィン!!
空気を染め替える巨大な快音が、振り抜いた嶺里のバットから拡散した。思いっきり引っ張った姿勢で、何とか片手で掴んでいる状態だ。
剛打球の行方を誰もが追う中、叶恵も横目でライト方向に目を渡らせた。距離は充分で勢いが衰えず、やがて緑の芝生に落ちる頃だが。
――「ファウル!!」
一塁学生審判の両腕が挙げられ、結果は外へ切れていくファウルだった。仮にフェアゾーンに舞っていたならば、間違いなく本塁打になっていたことだろう。
『クッ……ちょっとタイミング早かったな~……』
ツーボールツーストライクを迎えた現在。ファウルとはいえ、笹浦二高の選手たちは厳しい表情ばかり連なっていた。打球を負っていたライトの
『さてと。これで追い込んだわよ、錦戸嶺里?』
しかし、打たれた本人の叶恵は冷静だった。ただの通過点だと言わんばかりにボールを受け取り、すぐにプレートを踏んでみせる。
『これで、決める……』
追い込まれた嶺里がバットを短く持つ瞬間を捉え、叶恵は咲のサインに頷きセットする。
『次は何だ? 逃げるスライダーか? それとも三振狙いのドロップか?』
『確か去年は、アンタにいきなりツーベース打たれたっけね……。そう考えると、随分飛距離が延びたんじゃない? 羨ましいぐらいにさ……』
打者にエースナンバーが見えるまでに上半身を折り曲げ、体重を左爪先に乗せる。
『それとも、またシュート? まだ投げてないカーブ?』
『でも、それは去年の話。今とは違うの……』
覚悟を決めて身体を起こし、プレートを蹴った勢いに任せ推進し、左腕が旋回する。
『――
叶恵の瞳がつり上がった刹那、マメが生じた小さな手のひらより、白球が放たれた。それはストレートと同じ速さの腕振りで、嶺里をすぐに始動させるが。
『――ッ!! ストレートじゃ、ない!?』
確かに、真っ直ぐの軌道だった。コースで言えば、外角のストライクゾーンだとわかる。しかし、ボールの勢いは空気抵抗に負け、どんどん失速していく。終いには御辞儀し、小山を描くまで衰えていた。
打者を先に始動させることで、体勢をも崩す変化球――チェンジアップが、嶺里のバットをフライングさせたのだ。
――「ストライク!! バッターアウト!! チェンジ!!」
「シャアァァァァァァァァア゛!!」
惨めなほどに空振りをくらった嶺里を前に、叶恵は左拳を型どり雄叫びを上げた。ピンチから脱し吹っ切れたように轟き、嶺里が鳴らした快音を忘れさせるほどの、勇ましき
笹二の声援に囲まれながらも、黙ってベンチへ駆け戻っていくエース。共にバッテリーを組む捕手の咲からは、
「かな、月島さんナイスピッチング!! 言うこと無しだよ!!」
と、完璧な投球だったと告げられ、またマネージャーの
「さすがね。その調子で、ガンバ」
と、ドSらしからぬ褒め言葉を添えられた。
ベンチ外から観戦する担任――
「月島さんスゴ~い!! 躍動感があって、ホントにカッコいいわ!!」
と、満面の笑顔から激励を受けた。しかし、叶恵は
『――どんなモンじゃい! 宇都木監督!! 何度も言うけど、去年の二の舞になる気はありませんからね!』
叶恵がピンチを抑えたことで、笹浦二高ベンチが更に盛り上がりを放つ。それとは裏腹に、筑海サイドは
「ドンマイ、嶺里」
「ゴメン、雪菜……。打席で、踊らされた……」
渋々と帰還した嶺里も、キャッチャーレガースを装着しながら悔いていた。今更ながら気づいてしまったからだ。自分は完全に、相手投手の術中にはめられていたと。
『打ってもファウルになる厳しいコースを打たせて、ストライクカウントを稼ぐ。追い込んだら追い込んだで、バッターが一番想像していないボールで仕留めてくるなんて……』
全ては、あの見せ球だったストレートが物語っていたのだ。
あえてバッティングカウントの状況でタイミングを整えさせ、ほぼ同じ速さのシュートを打たせる。しかし、真っ直ぐとは僅かにもスピードが劣るため、嶺里のスイングを速まらせた。
改めてシュートのスピードに標準を合わせるも、ラストには最も球速が遅いチェンジアップ。しかも、より引き付けて打たなければいけない外角コース。更に加えれば、まだこの試合で投げていない球種である。
バッティングカウントという場面で始まった、球速三段階式投球術に、嶺里は叶恵に
『――精密な制球力に、豊富な球種。そして、相手の状況を逆手を取った配球……。どこまでやりづらいピッチャーなんだよ、月島叶恵って……』
苛立ちを覚えながら、嶺里はレガースを完備する。どうも気持ちが晴れぬままミットを握り締め、
――「そんなに気にするな、錦戸。本当の勝負は、終盤にあると考えておけ」
「――っ! 監督さん……」
嶺里に刺さったのは、歌鋭子の低い冷静な一声だった。腕組みのまま起立した横姿には、先を見据えた視線が窺える。
「……ど、どういうこと、ですか?」
「言葉そのままの意味だ。序盤は守備のことだけ考えてろ。できるだけ点差を拡げぬよう、呉沼を投げさせるんだ……。さぁ、切り替えて行ってこい」
「は、はい……」
心の曇りが残されたが、歌鋭子に言われた通り、嶺里は走ってキャッチャーズサークルにたどり着く。すぐに葦枝と投球練習を始めるも、どうにも気になっていた。
『監督さんは、どうしてあんなこと言ったんだろ……?』
まるで、今は打てなくても良いと告げられたような気分だった。確かにバッテリーの一人として、守備には全力を注がなければいけない、大事なポジションを任された身ではある。
しかし打撃に関して言っても、四番という打順の大黒柱を
「……」
「み、嶺里? ラスト、ボールバックだよ……?」
「ん? あ、ゴメン葦枝! ボ~ルバァァック!!」
真たる答えがわかった訳ではない。歌鋭子が見つめる先の展開など、全く垣間見えたものではなかった。しかし嶺里は、葦枝を目に入れたことで切り替え、守備に専念する覚悟を決めた。今は打撃のことをスッキリ忘れようと、大きく息を吐いてから右肩を回す。
『試合はまだ始まったばかりだ。逆転の余地は、いくらでもある……。ヨシッ!! いくよ、葦枝!』
悔やみが失せたおかげで瞳が尖り、嶺里は最後の練習球を受け、穂乃が待つ二塁へ放った。
◇伝統の一戦、開幕ッ!!◆
一回裏の守備が無事に終わり、これから二回表の攻撃へ移る笹浦二高。この回先頭打者の
「叶恵ちゃん、やっぱりスゴいね」
「そうだねぇ~。人一倍、気合いを感じ取れるよぉ~。まぁあとは、みんなともっと楽しんでやればいいんだけどねぇ~」
「うん……
叶恵のピッチングを称賛するも、懸念する内容まで漏らしていた。負けなくない気持ちを否定するつもりはないが、夏蓮はどうしてもエースの背中を心配で見つめてしまう。
『叶恵ちゃん、一人じゃないんだよ?
「……さて、一回も無事に終えたようだし、そろそろ行こうかねぇ~」
ふと話題を換えた秀に振り向き、夏蓮は不思議と首を傾げた。どうやら自分に告げたのではなく、彼の隣で
「ほら慶助、準備はいいかい?」
「え? もしかして、また俺の車っすか?」
「当たり前だよぉ~。そのために君を呼んだんだからぁ~」
「教え子を何だと思ってんだか……この白髪ネギ」
「何か言ったかい?」
「いえ! もう
すると慶助は胸ポケットから鍵を取り出し、早速駐車場へ去っていく。少し離れたところで大きく肩を落とす瞬間を捉えてしまったが、夏蓮は彼を思って見なかったことした。
「……えっ? 如月先生に
試合に夢中気味の周囲には気づかれなかったが、夏蓮は驚いて声を上げた。どうやらグランドから離れるのは秀と慶助だけでなく、同じく応援しに来てくれた彩音に、先輩の
「ゴメンなさい清水さん。必ずまた戻ってくるから、しばらく月島をよろしくね」
「如月先生……わ、わかりまし、た……」
先に去った秀の跡を追うように、彩音の
「ほらほら。チームのキャプテンがそんな顔しないの。ちょっと離れるだけだからさ」
「涼子先輩も……はい……」
最後に残った涼子の励ましを受けるも、夏蓮は心からの納得はできず、目を落としながら頷いた。そもそも四人でどこに向かうのかすら不明で、なぜ試合中の今に抜け出すのかわからない。また戻ってくるとは言っていたが、果たしてそれは試合後なのかさえ見当が着かなかった。
「それじゃあ行ってくるね。ガンバ、笹二ソフト部のキャプテン」
「……あの、涼子先輩たちは、どこに行くんですか……?」
涼子から肩に手を置かれた夏蓮は、
「フフ、決まってるじゃない? ……」
すると涼子の右手のひらは離れ、共に一歩
「迎えに行ってくる。私も、キャプテン
「だった……?」
今はキャプテンではないと告白する、強調された過去形だった。しかし涼子は紛れもなく、現在は笹浦二高女子バレーボール部の主将だ。また別団体のトップとしての言葉だったのかと、夏蓮は不思議と考えたときだった。
『――っ! そっか!』
気づくことができたのだ。これから四人はどこへ向かうのか。はたまた誰を送迎するのかまで、鮮明に。
「りょ、涼子先輩! お願いがあるんです!」
焦り出した夏蓮は自身のエナメルバッグを開け、ある物を取り出す。
「これを、渡してください」
それは中身がわからない黒布の袋で、夏蓮の小顔を
「――っ! これって……でもこれは、夏蓮から渡した方がいいんじゃ?」
取り出しはしなかったが、意外な中身に驚き返答された。が、夏蓮は珍しい自信の念で否定する。
「――今すぐ、持ち主の手に渡ってほしいんです。それに、もう一度始めるきっかけにもなるって、
「夏蓮……。わかったわ。責任持って、届けるね」
「お願いします!」
ついに涼子も去ったことで、笹浦二高の応援者は皆無と化した。幸か不幸か、部員たちには結局気づかれず消え、揃って駐車場に向かっていく。
『
四人が“虹色スポーツ”と描かれた車に乗ったところで、夏蓮は再び試合に溶け込む。しかし、とある一人のシルエットを脳裏で浮かべながら、腹からの声援を鳴らしていた。
『みんなといっしょにやりたかったから、この部を創ろうと思ったんだ。最高の絆で結ばれた仲間たちと、再開できると信じて……』
夏蓮の応援は、決していい加減な上擦りなど無かった。目の前の状況に集中した直向きさが込められ、ひたすらに熱意の叫びが繰り返される。
残されたもう一人の仲間を想うが故に生じた、友情の炎を原点として。
『――だから待ってるよ、
笹浦二高が一点リードで迎える、二回表。
五番打者の牛島唯からスタートする、二度目の攻撃回だ。
開始早々白熱の練習試合は、まだまだ始まったばかり。確かな熱気に包まれたソフトボール場で、改めてゲームが再開される。
「へへっ!
―――――――――――――――――――
一 二 三 四 五 六 七 計
笹二|1|…| | | | | |1|
筑海|0| | | | | | |0|
ランナー無し
B○○○
S○○
O○○
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