十球目◇梓の壁―ソフトボールへの責務◆

①清水夏蓮パート「……私からしたらスゴいけど、それ以前に、かけがえのない仲間なの」

◇キャスト◆


清水しみず夏蓮かれん

田村たむら信次しんじ

篠原しのはら柚月ゆづき

中島なかじまえみ

月島つきしま叶恵かなえ

牛島うしじまゆい

植本うえもときらら

東條とうじょうすみれ

菱川ひしかわりん

星川ほしかわ美鈴みすず

Mayメイ・C・Alphardアルファード

―――――――――――――――――――

 筑海つくみ高校との練習試合まで、残り一日。

 笹浦総合公園ソフトボール場。

 四月下旬の土曜は間もなくゴールデンウィークが始まる訳だが、すでに賑やかな景色が拡がっている。こちら笹浦総合公園でも多くの家族が遊技に浸ったり、野球やサッカーチームの小学生諸君が汗ばむ練習をおこなったりと、様々な活動が見受けられる。また、緑溢れるこの大地にはツクシがこうべあらわにし始め、もうじき訪れる皐月さつきを健気に示していた。

 そんな春の環境下で、笹浦二高女子ソフトボール部は本日も、練習用ユニフォームを赤土で染め上げる猛練習にはげんでいた。今朝の九時から始まった練習内容は、地獄の二十分完走から始まり、キャッチボールにバントやロングティー、やがて実践形式バッティングに移ろいで昼食を挟んだ。

 その後は守備練習をメインに、外野と内野にそれぞれ分かれてノックにひた向き、本日最後の練習――フィールディングがもよおされようとしていた。


「みんなぁ! 整列しよう!!」


 笹二ソフト部主将――清水しみず夏蓮かれんの慣れない大声で、部員らが三塁側ベンチ前に整列する。明日の練習試合でも行う試合前のフィールディングで本日を締めくくろうと、メンバー個々人の顔色を窺っていたが。



――「アンタたち!!」



「か、叶恵かなえちゃん!?」

 すると列から外れた副主将――月島つきしま叶恵かなえが皆を振り向かせ、小柄な身体ながらも怒濤どとうの表情で君臨する。


「いい? 試合前のフィールディングはただの練習じゃない。いかに相手にプレッシャーをかけるかがポイントよ。だからこそこの短い時間のフィールディングは、全員が全力で声を出してやるのよ!! いいわね!?」


 誰もが鬼軍曹と呼びたくなる姿勢の叶恵には、夏蓮も戸惑いを覚えるほどだった。ヤル気の燃焼ねんしょうあおろうとしたげきなのだろうが、厳しい指摘だとも捉えかねない一言だ。


「チッ、なんだよオメェ? キャプテンじゃねぇくせによ~」

「唯先輩の言う通りっす!」

「だからカナカナは何もかも小さいんだにゃあ」


 ガヤ担当三人衆の牛島うしじまゆい星川ほしかわ美鈴みすず植本うえもときららも黙れずにはいなかったのだろう。普段ならもてあそばれた叶恵が怒鳴り返すところだが。


「……」

『あれ……叶恵ちゃん……?』


 叶恵は一言も鳴らさないまま、静かに列の前から移動したのだ。

 叶恵の違和感に対しては唯たち三人も首を傾げていたが、他の部員たち――東條とうじょうすみれ菱川ひしかわりんMayメイ・C・Alphardアルファードも、また篠原しのはら柚月ゆづき中島なかじまえみまで怪訝けげんの瞳を掲げていた。



『叶恵ちゃん……やっぱり明日練習試合のことで不機嫌なのかな……?』



 本日の練習を思い返せば、どうも気になってしまう叶恵の熱。彼女にとって筑海高校は、宿命どころか因縁とも称せられる相手でもある。前日に控えたことで訪れる、張り詰めた余裕無き気持ちもわからない訳ではない。



『――でも、叶恵ちゃん楽しそうじゃないよ……。わたしたちだって、これじゃあ元気になんか……』



 雰囲気は衰える一方で、夏蓮を先頭とした部員たちの前向きな姿勢がうつむく。元気な声を挙げてのぞむどころか、ベンチから各ポジションへの移動すら強張る感覚が走ろうとしている。

 笑み一つ溢さなくなった部員たちを、夏蓮は辛いながらもキャプテンとして底上げしようと考える。“気にしないで!”などど告げれば叶恵の胸中を否定することにも繋がるため、言葉選びが重要となる場面だ。

 しかし、適当な台詞せりふが思い浮かばない苦悩に襲われた。何が適切で、何が皆にヤル気を与えられ、何が叶恵も包める言葉があるのだろうかと、夏蓮の脳内は疑問符ばかりがつのり続ける。



――「月島の言った通りだね!」



「――っ! せ、先生……」

 すると夏蓮の悩める瞳が、背後より明声を鳴らした顧問――田村たむら信次しんじへ向かう。昨晩ようやく練習着を購入したらしく、普段のスーツ姿が晴れてユニフォームへ変化していた。最近になって左右の手にテーピングが巻かれているが、得意の童顔スマイルは顕在けんざいで、全ての部員たちの注目まで集める。



「練習試合の明日は、インターハイ出場という、みんなの大きな夢がスタートする記念日だ。だからこそ、みんなで気合いの声を出して、みんな一人一人が全力でやろう! 大切な夢なんだから、やっぱり本気で挑まなきゃ!」



「先生……」

には、みんなの想いを一つにしなきゃだからさ! ねぇ月島?」

「……」

 叶恵はぶっきらぼうにも視線を落とし逸らしていたが、否定の意思までは窺えなかった。熱がこもりすぎる意見だったとはいえ、信次から尊重してもらえたのだから。“イイ夢”を妙に強調した応援言葉で。



わたしたちの、夢への記念日……そうだよね。叶恵ちゃんが言ったように、一人一人が一生懸命やらなきゃ。笹二ソフト部は、レクリエーションで始めたんじゃないんだもん!』



「……みんな!」

 穏やかな表情を多少残しながらも、夏蓮は主将としての覚悟を固める。厳しい意見を交えながらも、みんなのヤル気を上げられるようにと、想いのを誇らしげに放つ。



「――試合ってね、そう簡単には勝てないの。できたてのわたしたちなら、尚更なおさら……。でも、可能性が全くない訳じゃない! 辛いけど、一人一人が努力することで、想いを一つにすることで、可能性は増えていく。わたしたちチームは、強くなれるの。だから叶恵ちゃんと言った通り、みんなでいっしょに! 全力で取り掛かろう!」



 実際自分自身が着いていけるか不安だったため、言い切った夏蓮は苦笑いに終着してしまった。しかし部員たちの様子は対照的で、どこか安心感が芽生えたのだろうか、微笑む仲間たちが増えていく。


「……やっぱり、清水先輩が言うと、なんだか自然とヤル気が湧いてくるよね」

「うん。わたしも、清水先輩大好き……」

「yeah!! やっぱり夏蓮ちゃんセンパイは、ワタクシたちのcaptainデス!! 花は山、人は里……適材適所デスネ!!」


「菫ちゃん、凛ちゃん、メイちゃん……ありがと!」

 仲良し二人組の菫と凛、また太陽の笑みをきらめかすメイのおかげで、夏蓮の眉は素直な笑顔の一部に移ろいだ。

 もちろん三人だけではない。唯と美鈴にきらら、柚月と咲も笑顔を交え、笹浦二高らしい明々めいめいたる雰囲気が返り咲いていく。

 そして次の瞬間、夏蓮は表情を一変させ、みんなを思う感謝を抱きながら、キリッとさせた自信の瞳を型どる。


「よし!! みんな始めよう。整列!!」


 夏蓮の震える大声をきっかけに、キャッチャーレガースを身につけた咲、グローブの芯を叩く唯、それを真似をする美鈴、なぜか欠伸あくびを漏らすきらら、ばた足で待ちきれない様子のメイ、たくまし気に前傾姿勢で構える菫、寡黙ながら頬骨を浮き立たせる凛の順に、気を引き締めた一列を作る。

 一方、マネージャーの柚月はストップウォッチとボールケースを持って、ノッカーへのボール渡し係として参加しようとしていた。ノックバットはいつも通り、叶恵が手に持とうとしたのだが。



――「今日からノッカーは、ボクに任せて!!」



 叶恵の目の前でノックバットは、テーピング巻きされた信次の手のひらに握られた。


「はぁ? アンタ、できないんじゃないの?」

「まだ不完全だけど、信じてほしいんだ!」


 信次の前向きな笑顔に、叶恵は確かに疑いの目を向けていた。しかし、それも無理ではない。笹二ソフト部創設以降、彼がノッカーとして務まった姿など誰も見たことがないのだから。


『先生……できるの、かな……?』


 夏蓮も同じく不安だったが、叶恵は半信半疑の様子のまま、ノックバットに触れずに信次から遠ざかっていく。無言の無愛想が続くも列に加わり、己が向かうピッチャーズプレートばかり見つめていた。


「よしっ!! じゃあみんな!! ハリキっていこう!!」


 ノックバットを肩に乗せた信次が轟き叫ぶと、柚月はストップウォッチを握りながら、

「まず、内野はボール回し、その間に外野はノックね。捕ったらあたしに転がしてね。時間は五分間だから、みんな素早く正確によ!!」

 と、みんなに気合いを注入し、部員らへフィールディング開始の気持ちを整えた。

 気合いは充分。ヤル気だってみなぎっている。

 各々の集中した沈黙が一時流れたことで、夏蓮は一度深呼吸し、小さな肺へ可能な限りの空気を取り入れる。

 明日に向けた、本日最後の練習に直向くために。

「……みんなァ!! いくよォォ!!」

「「「「「「「「ッシャアァァァァア!!」」」」」」」」


 夏蓮をきっかけに、選手たちはそれぞれのポジションに全力疾走で向かう。いよいよ、五分間のフィールディングが始まる。


「フィールディング始めェッ!! 内野ボール回しィィッ!!」


 捕手の咲による大声で、柚月がストップウォッチを押し、内野はまずキャッチャーから三塁の唯へ、次に二塁の菫から一塁の美鈴へ、やがて白球が本塁に戻る。すると今度は叶恵からスタートして唯、入れ換わって凛、再び美鈴へと、俊敏なボール回しが熱演された。

 同時に、右ノッカーの信次は柚月からボールを受け取り、まずレフトのきららへ目を向ける。


「レフトいくよ~!!」

「信次く~ん!! きららの胸に飛び込んでくるにゃあ~!!」


 きららはなぜか万歳をして歓喜していたが、信次はゆっくりボールをトスして上げる。


『先生……ホントに大丈夫かな?』


 ライトという遠くのポジションから見つめている夏蓮は心配していたが、すると信次は、普段なかなか表さない寡黙な真剣の顔つきで、ノックバットを振り抜く。



――カキーン!!



「にゃっ……にゃあァァア゛!!」

 信次から放たれた打球は、レフトへの強いゴロだった。残念にもきららは得意のトンネルを開通さてしまい、ホームラン級の後逸こういつを犯してしまう。

 レフトの隣を守るセンターのメイからは、

「きららちゃんセンパイ! しっかりデスヨ~!!」

 と片言なげきを飛ばしていたが、一方で夏蓮は声を圧し殺していた。



『当たった……先生が、バットに……』



 ホームベース付近できららに苦む信次を窺っていた。ついこの間まではかすりもしなかった初心者顧問だというのに。



『先生……っ! そっか。先生も、やってくれてたんだ!』



 きららのエラー後には、信次は再びレフトへ打球を飛ばす。今回も難なく強いゴロを放つ中、夏蓮は、どうも不思議だった顧問の手を注視し、裏の努力を察する。



『――先生も、ノックの練習、してくれてたんだね!』



 痛く苦しい努力を重ねている者は、自分だけでなく、また部員だけでもなかった。ルールも理解していないとはいえ、教職という多忙な環境に身を置く顧問までもが、誰にも応援されないところで、ノックのためにひたすら汗を放出していたのだ。たとえ手のひらがボロボロになろうとも、選手のために何度も素振りをしてくれていたに違いない。


『ありがと、先生! やっぱり先生は、スゴい!』


 ボール渡しを続ける柚月も驚き、内野組もボール回しが停止したしまうほど、信次の現在地は意外な光景だった。しかし、夏蓮は一歩先に進んで、瞳の輝きに比例した笑顔を浮かべていた。

 部活動における大きな夢へのスタートは、指導者も含めてでなければ成り立たない。だからこそ、まずは主将が顧問に信頼を置くことができ、波紋の如く部員たちに伝わり、初めて一つのチームがまとまるのだ。

 それが、想いを一つにするという言葉の意味に他ならない。



『みんなの気持ちを一つに……もちろん、先生もいっしょに!』



「次、センター!!」

「Come-on!!」

 レフトの守備が無事に終わると、信次は今度、センターのメイを覗く。手に乗せたソフトボールを身体前にトスし、再度打球を打ち込もうと振り抜く。


――ブルン……。


『あ、空振り……。でも、ときどきは仕方ないよね』


 信次の空振りを見てしまった夏蓮だが、信じる心は決して離れなかった。順序よくいかないところが、どことなく自分と似ている気がしたからだろう。親近感すら湧いてくるほどで、思わず主将から声を届ける。


「先生も、ガンバれェェエ!!」


 その日のフィールディングでは、夏蓮の大声がいつも以上に響き渡っていた。慣れていないはずなのに、裏返ることもなく。



 ◇梓の壁――ソフトボールへの責務◆



 笹浦二高二年二組の教室。

 明日の練習試合に備えるため、普段より早めに練習を終えた笹浦二高ソフトボール部。午後三時の現在は、ジャージに着替えた部員たちが着席している。一方、顧問の信次の姿はなく、代わりに主将の夏蓮とマネージャーの柚月が教壇上で、大きな段ボール箱から中身を取り出していた。


「今から、明日の練習試合のユニフォームと背番号を配るね!」

「サイズも間違いないかのチェックも、よろしく頼むわ」


 夏蓮と柚月はユニフォームと背番号を教卓に並べながら告げ、早速部員たちからきらびやかな眼差しが送られる。


「それにしても、カッコいいユニフォームだなぁ。これ、柚月ちゃんがデザインしたんでしょ?」

「フフフ。笹二美術部のことも、ナメないでもらいたいわ」

「さっすが柚月ちゃん!」


 胸を張ってみせたマネージャーが話した通り、このユニフォームは、美術部にも属している柚月がデザインした高級品だ。発汗性に富んだ白の生地で、両肩に乗る青色部分を金糸で結ばれている。また胸部には横文字で“笹浦二高”と、金の刺繍ししゅうで囲まれた青文字が刻まれており、全体としては白を基調としたブルーラインユニフォームだ。


「それじゃあ今から呼ばれた人は、前に来てね。まずは夏蓮」

「は、はい! てか、隣にいるんですけど……」


 背の低い夏蓮を初め、ユニフォームと背番号が選手たちへ渡されていく。

「うわぁ~十番だぁ……。キャプテンナンバーだよぉ~……」

「フフ。あの夏蓮ちゃんがキャプテンなんて、大出世じゃない? すっごいなー。良かったわねー。よしよしー」

「絶対バカにしてるでしょ?」

 清水夏蓮――キャプテンの背番号10。



「エース、ナンバー……」

「アタシは二番だ!! かな、月島さん!! 明日のバッテリーよろしくね!!」

「……」

「月島さん?」

 月島叶恵――ピッチャーの背番号1。

 中島咲――キャッチャーの背番号2。



「はぁ~明日も早起きかよ~……。なぁ美鈴? 明日の朝、オレのこと起こしに来てくんねぇ?」

「う、うちが唯先輩のモーニングコール……や、やります!! うちが絶対やります!!」

「きららもミスズンといっしょに行くにゃあ」

「おぉ、頼むわ!」

「う、うちだけじゃない、んすね……」

 牛島唯――サードの背番号5。

 植本きらら――レフトの背番号7。

 星川美鈴――ファーストの背番号3。



「ジャジャ~ン!! 菫! 凛! 見てクダサイ見てクダサイ!! 八を横にすると、無限大になりマスヨ! リボンみたいかわいいデス!!」

「アハハ~……その、普通に着けた方がいいと思うよ?」

「八に謝れ……」

 May・C・Alphard――センターの背番号8。

 東條菫――ショートの背番号6。

 菱川凛――セカンドの背番号4。


 そして最後に柚月も自分自身のユニフォームを手に取り、希望していたらしい背番号を上乗せする。


「そういえば、柚月ちゃんの背番号ってどうして十二番なの? 何か意味があるの?」

「あ、これ? フフ……これはね~……」

「こ、これは……?」

「実はねぇ~……」

「じ、じじ、実は……?」

「教えな~い」

「ど、どうして!? 教えてくれたって良いじゃん!」

「フフフ。背番号はね、背中で語る乙女のロマンスよ。簡単には教えられないわ。はぁ~、夏蓮の顔おもしろかったなぁ~」

「うぅ~……柚月ちゃんのイジワルゥ~……」

 篠原柚月――マネージャーだが本人が希望した背番号12。



「じゃあみんな! 六時半に総合公園で。遅刻しないようにね!」


 ユニフォームと背番号を配り終え、最後に夏蓮から、明日の集合時間及びグランド整備の分担を決めたことで、解散の合図が鳴らされる。筑海高校がわざわざ訪ねてきてくれるのだから、責任持って準備をしなくては。

 着席した部員たちがユニフォームと背番号をバッグへ仕舞い、帰りの支度したくは順調に進んでいた。明日への楽しみな声も飛び交う中、夏蓮も共に柚月と咲で会話に花咲かせる。


「でも背番号なんて、あたしらが小学生以来よね」

「そうそう!! アタシたちでよく、見せ合いっこしたの覚えてる!! 懐かしいなぁ~!」

「うん。確か、咲ちゃんは三番で、柚月ちゃんが二番。あずさちゃんが一番で、わたしは……十五番だったけ……」


 自分だけ控えを示す二桁ふたけただったことを思い出し、夏蓮は少々落胆していた。四人で過ごしていた日からは、もう六年が経つ。そして今では部の主将として活動している訳だが、改めて今回のキャプテンナンバーには質量以上の何かを感じてならなかった。発足した当時の自分も想像していなかっただけに。


「あ~緊張してきたぁ~……」

「ところでさ、前から思ってたんだけど……」

「ん? 叶恵ちゃん?」


 すると、夏蓮たち三人のそばで帰り支度を整えた叶恵が、急にも声を溢した。自身の黒エナメルバッグを肩に掛けるが、教室出口には向かわず立ち竦む。一人だけ厳格な態度を目立たせながら、身を返して振り向く。



「――舞園まいぞのあずさって、そんなにスゴい選手だったの……?」



「――っ! ……」

 鋭い目付きの叶恵に、夏蓮は思わず息を飲んでしまう。ついには視線まで降下し、妙な気まずさが教室中に漂う。


「……叶恵ちゃんは、梓ちゃんに会ったことなかったっけ?」

「もちろんよ。でもアンタたちといるといつもソイツの名前が出てくるから、嫌でも覚えたわ……。んで、本当にスゴい選手なの?」


 夏蓮たち三人は改めて、どうもケンカ腰にいなめない叶恵に細目を向けられる。


「……わたしからしたらスゴいけど、それ以前に、かけがえのない仲間なの」

「フフフ……。夏蓮の言う通りねぇ」

「勿の論!! 梓が笹二ソフト部にいたら、もっと楽しくなるのになぁ~」


 すると叶恵以外の部員たちからも視線を集め、夏蓮と柚月に咲は、二年二組窓際後方に立つ、舞園まいぞのあずさの机を見つめる。


「梓のストレートは、とっても速いんだ。正直アタシが捕れるかわかんないくらいでさ……速球派のピッチャーだよ」

 まずは、梓のボールを捕るためにバッティングセンターでキャッチング練習をしている、現在キャッチャーの咲から。


「不器用だけど、誰よりも責任感が強くて、ピッチャーズサークルに入っていた……。一球一球、魂を込めてね……」


 次に、怪我する以前は名高い捕手として梓の投球を捕っていた、元バッテリー関係の柚月から。


「梓ちゃんは、わたしたちの揺るぎないエースだった……。最高の絆で結ばれた仲間たち……今の部員みんなのこともそう思ってるけど、梓ちゃんもその内の一人なんだよ」


 そして、万年補欠だった自分に仲間だと言ってくれたことが、今でも嬉しさが残っている夏蓮からと、三人の穏やかな音色が梓の机に向かっていた。

 すると不思議なことに、一年生組の菫と凛にメイが振り向き、何やら気づいたように口を開ける。



「舞園梓さんって、確か……」

「うん。この前、練習に向かってた途中に会った、二年生だよ」

「WAO!! ワタクシたちの素晴らしき応援者デスネ!!」



「えっ! 三人とも、梓ちゃんに会ったことあるの!?」

 初耳だった夏蓮は不意に驚いたが、菫たち三人からはにこやかな頷きを返される。共に、本人がいない梓の机に目を向けて。


「是非、来てほしいなぁ……舞園梓先輩」

「優しそうだったもんね。秘密を隠しきれてなかったところとかも、かわいかったし」

一日いちにち千秋せんしゅう……待ち焦がれマス。応援者としてではなく、選手として来てほしいデス!」


 一年生の三人からは、梓の入部を歓迎している様子がじかに伝わる。それは残る一人の一年生である美鈴も、唯ときららの近くで同じ眼差しを放っていた。


「唯先輩ときらら先輩の友だちっすよね。だったらうちもウェルカムっす!」

「まぁそうだなぁ~。……まぁ、ダチっていうよりかは、恩人なんだよ。オレたちにとって梓はさ」

「だ、ダチっすか……?」

「そうにゃあ。アズキーニャは、きららと唯をまもってくれたんだにゃあよ」

「は、はぁ……」


 美鈴の傾げもわかるほど、耳に訪れた夏蓮も眉を潜めていた。梓が唯ときららの知り合いだとは知っていたが、深い関わりまでは聞いたことがない。

 しかし唯たちも、梓には悪いイメージを決して持っていないことが見受けられる。歓迎ムードが拡がりつつあった。


「……でもよぉ~。なんで梓は、ソフトボール部に入んねぇんだ? 経験者だっつぅのに……。それに、お前らとは親友なんだから、別に居心地が悪い訳じゃねぇだろ?」


 的を射てきた唯の男口調には、夏蓮は一度左右の柚月と咲と目を合わせてから、静かに頷いた。



「……それにはね、が原因なの……」



 下を向いた夏蓮のか細く弱い声は、唯たちに菫たち、叶恵まで含めた全部員の瞳を集める。正直、梓の酷な過去を持ち出すことは迷った。話したところで、雰囲気が良くなるような中身ではないのだから。


「そのね……六年前、わたしたちが小学五年生だったときね……」


 しかし柚月と咲にも見守られながら、夏蓮はみんなに話すことにした。今から六年前、舞園梓という一人の投手を破滅へ導いた、たった一球の恐ろしさを。

 四人の絆まで引き裂こうとしている、投球恐怖症の正体を。

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