②東條菫パート「よしっ! 四人で急ごう!」
◇キャスト◆
―――――――――――――――――――
「よしっ! 四人で急ごう!」
「うん」
「I'm O.K!!」
「……」
夕方の五時を回る頃、笹浦二高の正門から飛び出したのは、一年生の四人――
「ハァハァ……先輩たち、どのくらいまで練習進んでるかな?」
「キャッチボールが終わって、バッティング練習ってとこじゃない? フィールディングは、みんなが集まってからやるって、
主に菫と凛の会話が四人を包み、先に練習に挑む二年生たちの元へ近づいていく。
先日には笹二ソフト部のキャプテンが
「Oh my god!! 赤信号デス……」
先駆けるメイが急ブレーキを掛けたところで、四人は十字路の赤信号に足止めをくらってしまう。渡ろうとしている横断歩道は押しボタン式信号機で、歩行者の安全第一が意識された表れである。しかし待ち時間の長さが懸念材料でもあり、菫はボタンを押してからも落ち着かず、凛のそばで足踏みを繰り返していた。
『赤信号は、絶対に渡っちゃいけない。……でも、早く変わってほしいんだけどなぁ……』
早くソフトボールを行いたい運動好きな気持ちと、すぐにでも先輩たちに会いたい信頼の心が入り交じっていた。落ち着きという概念を忘れるままに。
菫は目の前を横切る車も視界に入れず、ひたすらに歩行者用信号機を見つめていた。
「う~ん……」
「どうしたの? 体調でも悪いの?」
「へ……凛?」
凛の声に反応した元気有り余る菫は、首を傾げると共に焦点を変える。すると見えたのは、凛の小さな口先が、先ほどから何も話さない美鈴へ向かっている横姿だった。
「……」
「ねぇ、大丈夫なの?」
「……別に」
どうやら細目をした凛が、ふてぶてしい美鈴に応答を求めているようだ。不可解な気まずさまで観察できたが、ふと菫はあることに気づき、身体を寡黙なツインテール同級生に放つ。
『そういえばあたし、星川さんとお話ししたことって、ほとんどないや……』
思い返してみても、部活動開始終了の挨拶程度しか浮かばなかった。日課として鳴らされる、形だけのたった一言しか……。
菫は決して、美鈴を嫌っている訳ではない。むしろ仲良くしたい想いを抱き、凛に対する気持ちと似た、親友と呼び合える未来さえ望んでいるほどだ。
しかしお互い別クラスのせいか、菫は話す機会をなかなか手に入れることができなかった。いつどこでも、先輩の
『きっと、今がチャンスなんだ。……よしっ! 話してみよう!』
「ねぇ星川さん?」
必要のないはずの勇気を振り絞った、初めての問いかけ。いつにも増して高音領域で、上擦る緊張が
「……?」
すると菫には、美鈴が確かに目を送ってくれた。ただ、半開きの
それでも菫はハニカミを浮かべ、沈黙した美鈴へ一歩近寄る。
「あたしの名前は、東條菫! こうやって自己紹介するのは、初めてだよね。よろしくね!」
「……」
今さら何を言っているのかと、美鈴の暗い瞳はそう語っていた。
光と影の相反した表情が向かい合う中、残された輝ける希望の欠片たちも振り向き、一人溶け込み切れていない少女に声が集まる。
「My name is May・C・Alphard! Nice to meet you!! ワタクシのことは、メイと呼んでクダサイネ、美鈴!!」
「わたしは、菱川凛……。よろしく」
寡黙な凛の表情には少しばかりの冷たさを感じるだろうが、美鈴を遠ざけていないことなど、親友の菫には容易に御見通しだ。彼女の小さな内に秘められた温かさには、これまでに何度も触れてきたのだから。
「……うちは、星川美鈴……」
走行車のエンジン音に負けてしまうほど、美鈴の第一声はか細く、とても聞き取りづらい小声だった。
しかし菫は微笑みを絶やさず、また一歩美鈴へ歩み寄る。
「そのさ……星川さんって、頭良いんだよね。特進クラスにいるなんて、とてもスゴいよ! 今度是非、あたしにも勉強教えてほしいなぁ」
「……」
赤信号の変わる気配が、いっこうに訪れない。騒音ばかりが耳に
「そ、そっか……あっ! そういえば今日の数学の課外授業、九組の
「……そう、だけど……」
菫は諦めずに貫き、会話の弾力を生ませようと美鈴へ
「福山先生って、スゴく優しくてさぁ」
「……怒るときは、やっぱ怖いよ……」
「しかも、わかりやすい説明もしてくれてさ!」
「……まぁ熟練者で学年主任だし……」
「そんな福山先生が担任だなんて、星川さんが
「じゃあ勉強のことは、福山先生から直接教わればいいじゃん……」
「え……そ、そうだ、ね……」
ところが会話のキャッチボールは長く続かず、菫の片言を最後に幕を下ろされてしまった。持ち上げていた頬も下がり、凛とメイにも眉を潜められ、もとの
『星川さん……あたしたちといるの、やっぱり嫌なのかな……?』
部活動中や登下校に昼休みなど、授業以外は必ずと言ってよいほど、美鈴は唯ときららとのグループを組んで過ごしている。普段から慣れ親しんだ先輩たちと比べれば、彼女にとって今の状況は苦痛なのかもしれない。
『でもあたしたちだって、同じ一年生なんだ……。仲良くしたいよ、美鈴と……四人いっしょに』
受け付けられていない可能性も
勉強ネタがダメだった挙げ句、彼女の担任――
『牛島先輩と、植本先輩のことだったら、盛り上がってくれるかな……?』
二人のことはあまり知らないため、正直聞くだけに留まりそうだが、菫は眉を立てるほど気を取り戻し、よしっ! と自身に言い聞かせる。仲良くなりたい想いを改めて強め、美鈴へ放とうとしたときだった。
――「ねぇ、信号変わっちゃうよ……?」
「へ……あっ!」
すると聞き覚えのない女声が刺さった後、菫は見上げた先の歩行者用信号機が点滅していたことに気づく。もちろん渡る間も与えてもらえず、踏み出そうしたときには赤に移り変わり、度重なる信号待ちに直面してしまった。
早期の練習参加のために走ってきた過去が、水の泡になった瞬間だが、凛やメイと、そして美鈴とも、菫は知らせてくれた声主を瞳に映す。振り向いた背後にはやはり記憶にない初対面の相手で、背が少し高いスレンダーな制服女子高校生だ。
『あ、笹二の制服だ。……青のリボンの色ってことは、確か二年生……』
以前に夏蓮の学年を間違えた経験もあるため、菫は学年を示すリボンの色に対して敏感になっていた。緑が自分ら一年生で、二年生が青。また三年生は黄色だとまで覚えたが、今回の御相手も青リボンを下げた二年生のようだ。
「あ、あの……」
「変わっちゃったね……。ここの信号、とっても長いんだ……」
「え、あ、そうですよね……」
女子の割りに低い小声だが、どこか穏やかさを含む、静かで落ち着いた音色だった。僅かに見せた苦笑いからは、あまり感情を
すると今度は見知らぬ上級生が押しボタンをギュッと押し、菫たちは共に立ち並ぶ。
「あの、ゴメンなさい。あたしたち、邪魔でした、よね?」
「問題ない……。てか君たちは、ソフト部だよね?」
「えっ? どうしてわかったんですか?」
「Why!? Japanese people!?」
本日はユニホームではなくジャージ姿なのにと、菫に続きメイも驚き声を挙げ、凛も不思議そうに小首を傾げていた。
「ハハ……。グランドで練習してるとこ、よく見てたからさ……」
「そ、そうですか……。も、もしかして、入部希望者なんですか?」
ソフトボール場まであと少しというこの場いるならばと、菫は恐る恐る聞いてみた。が、冷静沈着な少女の長髪が横に振らされる。
「あくまで応援者だ……。
「……」
ソフトボールには興味あり
返す言葉が見つからない菫が黙ることで、信号待ち時間の長さが余計に感じる。彼女は一体誰なのかという不可解心理、また凛とメイも呼吸の音すら響かさず、エンジン音だらけの、矛盾した静けさを迎えようとしていた。
――「
「――っ! 星川さん……」
五人の閑静ムードを破ったのは、紛れもなく美鈴だった。声量は先ほどと同じく
「……君は確か、唯ときららとよくいっしょにいる
「は、はいっす。星川美鈴っす! ……その、この前の唯先輩の件では、たいへん御世話になりましたっす!」
「ハハ……。
「あ、あのとき……?」
「おっと、ゴメン。この先は、唯に口止めされてるんだ……」
「は、はぁ……」
ここまでずっと暗めだった美鈴が、いつしかハキハキと
その相手の名は美鈴が呟いた通りで、菫自身も何度か聞いたことがある、一人の遠い先輩だ。
『――この人が、舞園梓先輩……。夏蓮先輩が、
夏蓮たち三人の話を横耳に入れる際、
「……ところでさ、君たちはみんな、一年生かな?」
ふと一人一人へ目配せをした梓に、菫が代表して、「はい……」と、緊張の返事を起こして目を交わす。
「今日は課外授業があったので、これから練習ってところです」
「そっか……。じゃあ、一年生は君たちで全員なの?」
「はい。あたしたちはこの通り、四人です」
「一年生……四人なんだね」
“四人”というフレーズを繰り返した梓には、菫も
「……四人ならこの先、今よりもっと良い関係になれるよ。本音を言い合えるぐらいの、親友にさ。同じチームの仲間なんだから」
「あ、ありがとうございます……。でも、どうしてそんなこと急に?」
「
「え……」
普通に耳を通せば、何も違和感を覚えない一言のはずだ。つい聞き流してしまうくらいの、ひょんな
『そうだったって、過去形なの……?』
今は仲良しでないと言うのだろうか。梓の話を交わし合う先輩たちの会話からは、遠ざけるような内容など一切鳴らされなかったというのに。
「舞園、先輩……」
「ほら、もうすぐ青に変わるよ」
夏蓮たちの気持ちを伝えようとしたのも束の間、梓が指した左指先の信号機に目を移行される。十字路で向かい合った車も停まり、ついに歩行者用信号機が青を灯す。
「
「あの、あたしまだ、舞園先輩と話したいことが……」
「さぁ、早く行ってらっしゃい。
すると梓は交差点を渡らず、
「舞園先輩……」
「下にハーパン
「凛?」
「ウフフ。不器用な人なんだね、舞園梓先輩って」
隣にいた凛はどうも、梓のスカート下のハーフパンツを覗けたらしい。ただ菫は、それが何を
「……わたしたちも行こう。早く行って、先輩たちと合流しなきゃ」
凛が横断歩道を渡ると、続けてメイも左右を確認してから、手を挙げて歩く。押しボタン式だというのに。
もちろん菫も後に続こうと、すぐにつま先を梓から逸らすが……。
「……星川さん。あたしね……」
「ん?」
菫は横断歩道ではなく、後方の美鈴にまで身を回転させた。梓に告げられた、親友の在り方を意識しつつ、面と向かって。
「星川さんとも、仲良くなりたい。牛島先輩や植本先輩と同じぐらい、星川さんともっと、お話ししたいんだ」
「と、東條……いィきなりなんだよ……?」
心を満たしていた、素直な想いの言葉――本音を届けることに成功した。頬を赤らめた美鈴からは、戸惑う瞳を
「だからよろしくね、星川さん!」
「……う……うん……」
「よしっ! あたしたちも、いっしょに渡ろう! みんなが待ってるから!」
お互い初となる会話のキャッチボールを済また、菫と美鈴。一方的だったかもしれぬが、二人の上下離れた肩が並び、凛とメイが呼び待つ反対歩道へ駆け移った。
正直に言えば、まだ四人全員が打ち解け合ったとは感じがたい。やっと話すことができたぐらいで、絆の結び付きは弱々しいに違いない。
しかし、菫は美鈴を視界に含めながら、前を向いて進んだ。いつか四人が形だけでなく、各々で本音を言い合い、互いを親友だと言い切れる未来を望んで。
『――ありがとうございます、舞園先輩。形で入ってたあたしに、大切なことを教えてくれて……』
「よしっ! 四人で急ごう!」
「うん」
「I'm O.K!!」
「……うっす」
風来坊の如く現れた初対面上級生に感謝を抱きながら、菫は一年生四人でソフトボール場を目指した。再び梓と出会うことも、密かに願いながら。
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