②東條菫パート「よしっ! 四人で急ごう!」

◇キャスト◆


東條とうじょうすみれ

菱川ひしかわりん

Mayメイ・C・Alphardアルファード

星川ほしかわ美鈴みすず

舞園まいぞのあずさ

―――――――――――――――――――

「よしっ! 四人で急ごう!」

「うん」

「I'm O.K!!」

「……」

 夕方の五時を回る頃、笹浦二高の正門から飛び出したのは、一年生の四人――東條とうじょうすみれ菱川ひしかわりんMayメイ・C・Alphardアルファード、そして星川ほしかわ美鈴みすずたちだ。本日の一年生たちには放課後の課外授業があったため、これから笹浦総合公園ソフトボール場に向かい、遅れて練習に臨むところだ。着替える間もなく学校指定ジャージをまとい、ポニーテールにショートラフ、長さが異なる二種のツインテールが夕風になびく。


「ハァハァ……先輩たち、どのくらいまで練習進んでるかな?」

「キャッチボールが終わって、バッティング練習ってとこじゃない? フィールディングは、みんなが集まってからやるって、清水しみず先輩言ってたし……」


 主に菫と凛の会話が四人を包み、先に練習に挑む二年生たちの元へ近づいていく。

 先日には笹二ソフト部のキャプテンが清水しみず夏蓮かれん決まったことで、部員の練習に対するボルテージも高まりつつある。もちろん一年生四人も同じで、一秒でも早く参加したいところだが……。


「Oh my god!! 赤信号デス……」


 先駆けるメイが急ブレーキを掛けたところで、四人は十字路の赤信号に足止めをくらってしまう。渡ろうとしている横断歩道は押しボタン式信号機で、歩行者の安全第一が意識された表れである。しかし待ち時間の長さが懸念材料でもあり、菫はボタンを押してからも落ち着かず、凛のそばで足踏みを繰り返していた。


『赤信号は、絶対に渡っちゃいけない。……でも、早く変わってほしいんだけどなぁ……』


 早くソフトボールを行いたい運動好きな気持ちと、すぐにでも先輩たちに会いたい信頼の心が入り交じっていた。落ち着きという概念を忘れるままに。

 菫は目の前を横切る車も視界に入れず、ひたすらに歩行者用信号機を見つめていた。


「う~ん……」

「どうしたの? 体調でも悪いの?」

「へ……凛?」


 凛の声に反応した元気有り余る菫は、首を傾げると共に焦点を変える。すると見えたのは、凛の小さな口先が、先ほどから何も話さない美鈴へ向かっている横姿だった。


「……」

「ねぇ、大丈夫なの?」

「……別に」


 どうやら細目をした凛が、ふてぶてしい美鈴に応答を求めているようだ。不可解な気まずさまで観察できたが、ふと菫はあることに気づき、身体を寡黙なツインテール同級生に放つ。



『そういえばあたし、星川さんとお話ししたことって、ほとんどないや……』



 思い返してみても、部活動開始終了の挨拶程度しか浮かばなかった。日課として鳴らされる、形だけのたった一言しか……。

 菫は決して、美鈴を嫌っている訳ではない。むしろ仲良くしたい想いを抱き、凛に対する気持ちと似た、親友と呼び合える未来さえ望んでいるほどだ。

 しかしお互い別クラスのせいか、菫は話す機会をなかなか手に入れることができなかった。いつどこでも、先輩の牛島うしじまゆい植本うえもときららの隣にいる、かわいらしい後輩だと見受けられる美鈴とは。


『きっと、今がチャンスなんだ。……よしっ! 話してみよう!』


「ねぇ星川さん?」

 必要のないはずの勇気を振り絞った、初めての問いかけ。いつにも増して高音領域で、上擦る緊張がおおやけさらされる。


「……?」


 すると菫には、美鈴が確かに目を送ってくれた。ただ、半開きのまぶたから露出された横目、また視線が直進してこないことから、多少の焦点のズレが否定できなかった。恐らくは口許を見ているのだろう。

 それでも菫はハニカミを浮かべ、沈黙した美鈴へ一歩近寄る。


「あたしの名前は、東條菫! こうやって自己紹介するのは、初めてだよね。よろしくね!」

「……」


 今さら何を言っているのかと、美鈴の暗い瞳はそう語っていた。

 光と影の相反した表情が向かい合う中、残された輝ける希望の欠片たちも振り向き、一人溶け込み切れていない少女に声が集まる。


「My name is May・C・Alphard! Nice to meet you!! ワタクシのことは、メイと呼んでクダサイネ、美鈴!!」

「わたしは、菱川凛……。よろしく」


 寡黙な凛の表情には少しばかりの冷たさを感じるだろうが、美鈴を遠ざけていないことなど、親友の菫には容易に御見通しだ。彼女の小さな内に秘められた温かさには、これまでに何度も触れてきたのだから。


「……うちは、星川美鈴……」


 走行車のエンジン音に負けてしまうほど、美鈴の第一声はか細く、とても聞き取りづらい小声だった。しまいにはうつむいてしまい、雰囲気がより排気ガスの暗雲に包まれかける。

 しかし菫は微笑みを絶やさず、また一歩美鈴へ歩み寄る。


「そのさ……星川さんって、頭良いんだよね。特進クラスにいるなんて、とてもスゴいよ! 今度是非、あたしにも勉強教えてほしいなぁ」

「……」


 赤信号の変わる気配が、いっこうに訪れない。騒音ばかりが耳にさわり、美鈴との間を通過していくようだった。同じ信号機の下で待つ者同士だというのに。


「そ、そっか……あっ! そういえば今日の数学の課外授業、九組の福山ふくやま先生だったんだ! 福山ふくやま先生って、星川さんの担任でしょ?」

「……そう、だけど……」


 菫は諦めずに貫き、会話の弾力を生ませようと美鈴へ直向ひたむき続ける。


「福山先生って、スゴく優しくてさぁ」

「……怒るときは、やっぱ怖いよ……」

「しかも、わかりやすい説明もしてくれてさ!」 

「……まぁ熟練者で学年主任だし……」

「そんな福山先生が担任だなんて、星川さんがうらやましいよ!」

「じゃあ勉強のことは、福山先生から直接教わればいいじゃん……」

「え……そ、そうだ、ね……」


 ところが会話のキャッチボールは長く続かず、菫の片言を最後に幕を下ろされてしまった。持ち上げていた頬も下がり、凛とメイにも眉を潜められ、もとの不穏ふおんの空気が再来する。


『星川さん……あたしたちといるの、やっぱり嫌なのかな……?』


 部活動中や登下校に昼休みなど、授業以外は必ずと言ってよいほど、美鈴は唯ときららとのグループを組んで過ごしている。普段から慣れ親しんだ先輩たちと比べれば、彼女にとって今の状況は苦痛なのかもしれない。



『でもあたしたちだって、同じ一年生なんだ……。仲良くしたいよ、美鈴と……四人いっしょに』



 受け付けられていない可能性もうかがえる。一方的に話し掛けられる烏滸おこがましさに、嫌気を覚えてることだっていなめない。が、菫は再び心的にも近づこうと、脳内で話題を考え始める。

 勉強ネタがダメだった挙げ句、彼女の担任――福山ふくやま知美ともみの話も不可となった今、美鈴が気兼きがねなく口開ける内容とは何なのだろうか?



『牛島先輩と、植本先輩のことだったら、盛り上がってくれるかな……?』



 二人のことはあまり知らないため、正直聞くだけに留まりそうだが、菫は眉を立てるほど気を取り戻し、よしっ! と自身に言い聞かせる。仲良くなりたい想いを改めて強め、美鈴へ放とうとしたときだった。


――「ねぇ、信号変わっちゃうよ……?」


「へ……あっ!」

 すると聞き覚えのない女声が刺さった後、菫は見上げた先の歩行者用信号機が点滅していたことに気づく。もちろん渡る間も与えてもらえず、踏み出そうしたときには赤に移り変わり、度重なる信号待ちに直面してしまった。

 早期の練習参加のために走ってきた過去が、水の泡になった瞬間だが、凛やメイと、そして美鈴とも、菫は知らせてくれた声主を瞳に映す。振り向いた背後にはやはり記憶にない初対面の相手で、背が少し高いスレンダーな制服女子高校生だ。


『あ、笹二の制服だ。……青のリボンの色ってことは、確か二年生……』


 以前に夏蓮の学年を間違えた経験もあるため、菫は学年を示すリボンの色に対して敏感になっていた。緑が自分ら一年生で、二年生が青。また三年生は黄色だとまで覚えたが、今回の御相手も青リボンを下げた二年生のようだ。


「あ、あの……」

「変わっちゃったね……。ここの信号、とっても長いんだ……」

「え、あ、そうですよね……」


 女子の割りに低い小声だが、どこか穏やかさを含む、静かで落ち着いた音色だった。僅かに見せた苦笑いからは、あまり感情をおもてに出さない様子だと観察できる。

 すると今度は見知らぬ上級生が押しボタンをギュッと押し、菫たちは共に立ち並ぶ。


「あの、ゴメンなさい。あたしたち、邪魔でした、よね?」

「問題ない……。てか君たちは、ソフト部だよね?」

「えっ? どうしてわかったんですか?」

「Why!? Japanese people!?」


 本日はユニホームではなくジャージ姿なのにと、菫に続きメイも驚き声を挙げ、凛も不思議そうに小首を傾げていた。


「ハハ……。グランドで練習してるとこ、よく見てたからさ……」

「そ、そうですか……。も、もしかして、入部希望者なんですか?」


 ソフトボール場まであと少しというこの場いるならばと、菫は恐る恐る聞いてみた。が、冷静沈着な少女の長髪が横に振らされる。


「あくまで応援者だ……。入部はいるつもりは、全くない……」

「……」


 ソフトボールには興味ありな発言だったが、プレイヤーになるまでの熱は伝わってこなかった。少しだけ尖った、瞳の温度からも……。

 返す言葉が見つからない菫が黙ることで、信号待ち時間の長さが余計に感じる。彼女は一体誰なのかという不可解心理、また凛とメイも呼吸の音すら響かさず、エンジン音だらけの、矛盾した静けさを迎えようとしていた。



――「舞園まいぞのあずさ、先輩……」



「――っ! 星川さん……」

 五人の閑静ムードを破ったのは、紛れもなく美鈴だった。声量は先ほどと同じくかすかな声だが、菫を始め凛とメイも振り向き、発言者と受動者の対面を目の当たりにする。


「……君は確か、唯ときららとよくいっしょにいるだよね?」

「は、はいっす。星川美鈴っす! ……その、この前の唯先輩の件では、たいへん御世話になりましたっす!」

「ハハ……。ウチは何もしてないよ。それに唯ときららとは、中学からの付き合いだし……あのときと比べたら、どぉってことない……」

「あ、あのとき……?」

「おっと、ゴメン。この先は、唯に口止めされてるんだ……」

「は、はぁ……」



 ここまでずっと暗めだった美鈴が、いつしかハキハキと声音こわねを響かせていた。どうやら初対面ではない様子が垣間見える。

 その相手の名は美鈴が呟いた通りで、菫自身も何度か聞いたことがある、一人の遠い先輩だ。



『――この人が、舞園梓先輩……。夏蓮先輩が、篠原しのはら先輩と中島なかじま先輩と話してるときに、よく出てくる人だ……』



 夏蓮たち三人の話を横耳に入れる際、舞園まいぞのあずさという名前が、ここ最近になって増えた気がする。初めて目にしてみれば、上級生らしく大人びた面構え、物静かで落ち着いた雰囲気に穏便さが見受けられる。正直言えば、笹二ソフト部の二年生にはまだ存在しない個性だ。


「……ところでさ、君たちはみんな、一年生かな?」


 ふと一人一人へ目配せをした梓に、菫が代表して、「はい……」と、緊張の返事を起こして目を交わす。


「今日は課外授業があったので、これから練習ってところです」

「そっか……。じゃあ、一年生は君たちで全員なの?」

「はい。あたしたちはこの通り、四人です」

「一年生……四人なんだね」


 “四人”というフレーズを繰り返した梓には、菫もまばたきを重ねた。恐らくは夏蓮と柚月と咲を意識しているのだろうが……。


「……四人ならこの先、今よりもっと良い関係になれるよ。本音を言い合えるぐらいの、親友にさ。同じチームの仲間なんだから」

「あ、ありがとうございます……。でも、どうしてそんなこと急に?」

ウチも、そうだったから……」

「え……」


 普通に耳を通せば、何も違和感を覚えない一言のはずだ。つい聞き流してしまうくらいの、ひょんな台詞せりふである。が、夏蓮たち三人との関係性一部を知っている菫には、梓の言葉に悲愴な想いを聞き取っていた。



『そうって、過去形なの……?』



 今は仲良しでないと言うのだろうか。梓の話を交わし合う先輩たちの会話からは、遠ざけるような内容など一切鳴らされなかったというのに。


「舞園、先輩……」

「ほら、もうすぐ青に変わるよ」


 夏蓮たちの気持ちを伝えようとしたのも束の間、梓が指した左指先の信号機に目を移行される。十字路で向かい合った車も停まり、ついに歩行者用信号機が青を灯す。


図々ずうずうしいかもしれないけど、君たち四人もガンバってね。お互いに高め合って、絆を強くしていくんだよ?」

「あの、あたしまだ、舞園先輩と話したいことが……」

「さぁ、早く行ってらっしゃい。ウチはアッチだから、また今度聞かせてもらうよ……」


 すると梓は交差点を渡らず、横路よこみちへと進む。なぜ共に信号待ちしていたのか理解できなかったが、右肩のスクールバッグと、春風に揺らされた長めのスカートを持ち併せ、菫たちのもとから去っていった。


「舞園先輩……」

「下にハーパン穿いてるんだ。……そっか」

「凛?」

「ウフフ。不器用な人なんだね、舞園梓先輩って」


 隣にいた凛はどうも、梓のスカート下のハーフパンツを覗けたらしい。ただ菫は、それが何を揶揄やゆし、なぜ不器用の根拠に繋がるのかまではわからず、呆れ笑いを浮かべる親友をじっと見つめた。


「……わたしたちも行こう。早く行って、先輩たちと合流しなきゃ」


 凛が横断歩道を渡ると、続けてメイも左右を確認してから、手を挙げて歩く。押しボタン式だというのに。

 もちろん菫も後に続こうと、すぐにつま先を梓から逸らすが……。


「……星川さん。あたしね……」

「ん?」


 菫は横断歩道ではなく、後方の美鈴にまで身を回転させた。梓に告げられた、親友の在り方を意識しつつ、面と向かって。



「星川さんとも、仲良くなりたい。牛島先輩や植本先輩と同じぐらい、星川さんともっと、お話ししたいんだ」



「と、東條……いィきなりなんだよ……?」

 心を満たしていた、素直な想いの言葉――本音を届けることに成功した。頬を赤らめた美鈴からは、戸惑う瞳をじかに放たれたが、決して後悔の念はない。


「だからよろしくね、星川さん!」

「……う……うん……」

「よしっ! あたしたちも、いっしょに渡ろう! みんなが待ってるから!」


 お互い初となる会話のキャッチボールを済また、菫と美鈴。一方的だったかもしれぬが、二人の上下離れた肩が並び、凛とメイが呼び待つ反対歩道へ駆け移った。

 正直に言えば、まだ四人全員が打ち解け合ったとは感じがたい。やっと話すことができたぐらいで、絆の結び付きは弱々しいに違いない。

 しかし、菫は美鈴を視界に含めながら、前を向いて進んだ。いつか四人が形だけでなく、各々で本音を言い合い、互いを親友だと言い切れる未来を望んで。



『――ありがとうございます、舞園先輩。形で入ってたあたしに、大切なことを教えてくれて……』



「よしっ! 四人で急ごう!」

「うん」

「I'm O.K!!」

「……うっす」

 風来坊の如く現れた初対面上級生に感謝を抱きながら、菫は一年生四人でソフトボール場を目指した。再び梓と出会うことも、密かに願いながら。


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