③月島叶恵→清水夏蓮パート「……あ゛っそ!!」
◇キャスト◆
―――――――――――――――――――
次の日の金曜日。
叶恵は一人、少し遅めの登校をしていた。表情は雲で覆われているかの如く
『彩音ちゃんに、何て言われんのかな? まぁ怖い訳じゃないけど……』
早速怒られるに違いない。昇降口から下駄箱へ、俯いたまま靴を履き換えて教室へと向かう。
――「Wow! this is softball!!」
「は……?」
『き、金髪……もしかして、外国人……?』
長く自然な金髪をツインテールとして結ぶ幼女に、英語に自信がない叶恵は声など掛けられなかった。しかも英語での一人言が長々しく続いており、楽しそうに揺れている様子にはより近寄り
「Softball club……It's my dream!! Where is head coach!?」
金髪幼女はサファイアの瞳で辺りを見回すと、走り去ってすぐに消えてしまう。
『ふぅ~、何とかいなくなったみたいね……』
とりあえず会話を迫られなかったことにホッとし、小さな胸を撫で下ろす。あの金髪ツインテールは一体何を見てはしゃいでいたのだろうか。
「……っ! なんでよ?」
今度見えたのは、掲示板にある一枚のポスターだった。それは昨日破り外したはずの模造紙――笹浦二高女子ソフトボール部勧誘ポスターである。クシャクシャに丸めたせいで全体は
どうやら外国人幼女はこの勧誘ポスターを見て騒いでいたようだが、反って叶恵は静かなままポスターの前に立ちはだかる。
ただ、また外してやろうという気にはならず、つい茫然と眺めていた。
「なによ、これ……」
「女子ソフトボール部の勧誘だよ!」
「――ッ!! 出た……」
廊下の奥から大きな男声が響き、目を見開きながら振り向く。聞き覚えのある音だけに身を固めたが、やはり信次が距離を縮めていた。
『チッ、まずはコイツから怒鳴られるのか……』
ため息を落として待っていたが、
「やぁ!おはよ、月島!」
「……」
ついに目の前まで来られたが、黙ってそっぽを向く。いきなり怒鳴らない辺りめんどくさそうな男だと、
「月島のことは昨日、如月先生から
「だったら、なによ……?」
個人情報を知られ不機嫌を覚え、信次には一切目を向けなかった。偽善者なんかに言われても、何も嬉しさなど感じられなかったからだ。
「もう一度、やってみないか?」
「は、はぁ……?」
反射的に振り向くと、信次の微笑みが
「月島のような
最後にはにかんだ信次はふと、目線を叶恵の背後へと向ける。
つられて叶恵も後ろを覗いてみれば、廊下奥の端から顔をひょっこり出した夏蓮と柚月が確認できた。夏蓮からは心配そうに眉を
「チッ……」
舌打ちを鳴らすと、二人にも遠ざかるようにポスターから離れていく。夏蓮の表情は部への襲来の恐怖、柚月の顔は昨日のポスター事件の
「そうそう月島! 今日の三時間目、ヨロシクね!」
「はぁ?」
しかし、叶恵は再び止まり不審目を向ける。
「今日の三時間目は、確か彩音ちゃんの数学でしょ? なんでアンタが?」
「いや、急遽振り替えで現代文だ!」
「はぁ!? そんなのいきなり言われたって困るわよ!! 国語の教科書なんて持ってきてないし!」
金曜日の時間割には現代文は
「心配御無用! 今日はプリントを
何もかもペースを持っていかれ、腹立たしさは
「……あ゛っそ!!」
瞳が尖りきったまま背を向け、叶恵は二年六組の教室へ再出発した。背から信次の生暖かい視線を感じながら、余計に
『なんなのよ!? 訳わかんない!』
階段を上り始めたところでやっと、笹二ソフト部の視線から解放された。もちろん怒りは顕在で、特に信次から優しく扱われたことを挑発と捉えていた。彼の童顔を思い出すだけで、今にもスクールバッグを投げてしまいそうになる
――しかし何よりも不思議だったのは、信次が叱らなかったことだ。
怒られて当然のことをした。それは叶恵自身確かに理解できていたし、怒鳴られる覚悟だって抱いていた。が、予想とは裏腹に
一瞬だけ揺れかけた胸中まで感じてしまった。
『ホンッット、訳わかんない……』
歯軋りを鳴らし一歩一歩強めに階段を叩き、イライラを放出しながら教室に進んだ。
二年六組教室前。
ホームルームの時間まで残り僅かと迫った廊下は、人気がほとんどなく
階段を上って更に奥の教室が六組だが、落ち着いてきた叶恵にもやっと見えてきた。
「……? 希望未?」
徐々に教室へ近づく叶恵には、一人廊下で悩める様子の希望未が映った。窓の外を眺めながら、小さなため息を漏らしている。
「希望未、どうしたの?」
「あ、叶恵! お、おはよ」
不意を突かれたように返した友。小さな背は叶恵とほぼ同じで、セミロングの髪を右側頭部で結び垂らしている。よく見せる不安の表情だが、今日はいつにも増して眉が下がっていた。
「何か悩み事? 顔にそう書いてあるわよ?」
「そ、そんなことないよ……あ、そうそう! 昨日は片付け、手伝ってくれてありがと!」
無理矢理話題を換えた思惑が見え見えだったが、あえてこれ以上聞こうとしなかった。きっと言いたくない悩みなんだと推測し、希望未の小さな肩に左手を置く。
「まぁ何かあったら、
「叶恵……うん、ありがと……」
希望未の眉はハの字のままだったが微笑みを返され、叶恵も共に笑みを浮かべて言葉を
「
それは昨晩、希望未から送られた“SHINE”でのメッセージ内容だ。彩音のことを伝えてくれた、仲間への感謝に他ならない。
「おかげで、登校する気になれたんだ」
「叶恵……やっぱ休む気だったの?」
「フフ、いつも色々余裕ない彩音ちゃんを、怒らせたくないからさ。だったら
「叶恵……」
自分の悪い行いで、親近感抱く担任を困らせたに違いない。
怪しげな雲が立ち込めた表情の二人だが、いっしょに教室へと入って、それぞれの席で朝のホームルームの時間を待つことにした。
今日もつまらない高校生活が始まるという退屈さを念頭に、彩音には素直に謝りたい申し訳無さを秘めながら、重いスクールバッグを下ろして着席した。
◇もう一人の発起人◆
二年二組教室。
すでにチャイムが鳴った頃のこちらでは、信次得意の高速ホームルームがもう終わり、室内は学生らの会話で
「ねぇ柚月ちゃん? 月島さん、入部してほしい?」
「はぁ? 冗談じゃないわよ、まったく」
席に着く柚月から言葉を荒げられてしまう。
「人様の描いたポスターボロボロにしておいて……それで、よろしくお願いしま~す! とか言われてもムカつくだけよ」
「で、ですよね~……」
昨日の襲撃を未だに怒っている柚月に、困りながらも
「月島のことかい?」
「あ、先生……」
すると信次と現れ、眩しい笑顔を見せられた。
「う、うん……せ、先生はさ、もし月島さんが入部希望してきたら、認める?」
「そりゃあもちろんだよ!! 月島にはプロになりたいという、素晴らしい夢があるんだから!」
信次は叶恵を否定していないようで、強張っていた夏蓮の表情が次第に緩んでいった。しかし、柚月の眉はもちろん上がったままで、ふてぶてしく椅子の背に寄りかかる。
「入部すれば、それまでの罪はどうでもいい訳?」
「ゆ、柚月ちゃんそういう訳じゃ……」
「……じゃあなによ? 人手不足だから? それとも月島さんは経験者だから? それならたとえ罪人でもいいってこと?」
言葉尻を被せてきたドSマシンガンには、機嫌が果てしなく悪いと伝わる。勧誘ポスターをほぼ作った張本人からしたら、簡単な入部など認められないに決まってる。
「……でもさ、柚月ちゃん……」
「なによ?」
しかし夏蓮は僅かながらの勇気を振り絞り、鋭く尖った瞳の親友と目を合わせる。
「――
「夏蓮……どうしてそこまで……」
不審がる柚月の意見だって理解できる。が、夏蓮はそれ以上に叶恵の
「月島さん、相当ショックだったと思うんだ。自分が創った部が、崩壊する瞬間を見て……正直
「か、夏蓮……」
柚月を黙らせた、夏蓮が辛いながらも伝えた想い。同じ発起人として苦悩する気持ちだった。
仲間が離れていくこと。
顧問が遠ざかっていくこと。
何よりも、一人になることを恐れた心の有り様だ。
「だから
「ボクも同じだよ」
「先生、ありがと」
手助けするように会話に入った信次も囁き、夏蓮の表情が光を持って晴れていく。
同じ学年として、せっかく出会えた叶恵とはもっと仲良くなりたい。
同じソフトボーラーとして、経験者の彼女には是非部に入って活躍してほしい。
そして同じ発起人として、叶えられなかった創部を、今度は共に成し得たい。
「二対一か……二人がそこまで言うなら、別に止める気はないけどさ……」
唯一反対していた柚月も賛成派になりかけていた。しかし
「……果たして月島さんが、素直に入ってくるのかしらねぇ? 今ある笹二ソフト部のことは、少なくとも嫌ってるはずよ?」
「う、う~ん……」
腕組みをして考え込むも、テスト平均以下の頭脳に浮かばず苦悩していた。叶恵による昨日の悪行を考えれば、確かに柚月の発言は正しい。自分らへの
「きっと入ってくるさ!」
しかし信次だけが白の歯を放ちながら笑い、夏蓮の尊い心を起こす。
「先生……どうして?」
「月島はソフトボールをやりたがってるんだ。それは今でも変わっていないらしい。だから絶対入る!」
信次が何を理由にして発言したのか。
恐らく昨日彩音から聞いたことを元にしているのだろうが、その場にいなかった二人にはもちろんわからなかった。しかし今はどんな理屈よりも、ただ叶恵を信じて待ちたいという想いだけが胸を満たす。
『――月島さん、
少しだけ強気の目に変わり、叶恵の入部希望を心から待つことにした。
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