じゃんけんの勝ち負けで人生は決まらない
勝てないからと言って人生を否定してはいけないのだ。
「アダム、仕事は如何でした?」
死神の住まう、天上の歪城。
その中でも、相当上層に、アダムの居住地、小さな部屋はある。
そこへと続く、薄暗いというには暗すぎる廊下を、少ない灯の光を頼りに歩いていると、前方から女の声が聞こえてきた。そして、ゆらりと、影の中から美しい女性が姿を現す。死神のトレードマークとも言える灰色の布は、腰から下に巻いてある。上はといえば、胸を保護するビキニらしきものがあるだけ。神はピンクで、肩につくかつかないかくらいの長さ。額には、洒落たティアラをつけている。
彼女は、ララベル・オーガ。アダムと同じ、第三位の死神である。
「ララベルか。ははっ、散々だったよ、全く」
「あら、そうですの?」
ララベルは、優雅に口に手を当てて、くすくすと笑った。
「裏切り者のオルクスと会ったと聞きましたわ。そのせいかしら」
「まあねえ。しかも、十一位の死神は、一蹴されたときた。困りごとだよ、これは」
「死刑執行に当たるのは大抵、十位から十二位の死神たちですものね。彼らが出会うたびに蹴散らされるとあれば、こちらの執行も滞りますわ。なんと、嘆かわしいこと」
そう言ってから、ララベルは、声をひそめ、その大げさな口調を崩して、こう続けた。
「……でも、その割に刈りとってはこなかったのね」
「……私の忠義は、知っているだろう?」
「知ってるわよ。ああ、こんな死神を信じてしまって、主も悲劇に満ちているわね!」
「やめんか。そちらはどうかね……仕事の調子は」
誰かに聞かれたら困る。アダムは直ぐに話題を変えた。
このララベルという女は、アダムが第十二位の時からの、長い知り合いである。ゆえに、アダムのことは誰よりもよく知っている。全くもって性格は酷い女だが、お互いに良き理解者であり、協力者であった。
「こちらは、雑務の山に埋もれておりますわ。それと、魂の裁きでトラブルが何件かありますの。まあ、いつもの状態ですわね……」
ララベルは、口調を戻して、言う。
「それでも、もうすぐ楽しい楽しい、演劇のお時間ですの。ああ、今回はどんな悲劇が見られるのか……どんな風に私を泣かせてくださるのか、楽しみですわ……」
「お前の執行は、気が長いねえ?」
「うふふ。しっかりと準備をしてこそ、ですわ。第三位ともなると、執行の御依頼も、少ないですからね」
ララベルの言うとおりだ。上位になればなるほど、執行はせず、罪人の魂の処遇を決めたり、下の階級で起きたトラブルに対処したり……といった雑務が多くなる。執行が回ってくる時は、誰かが失敗したような大物の場合に限られ、出て行く機会も少ない。
悲劇を好むララベルの悪癖は、だから、位が上がるごとに顕著になった。
たっぷりと時間をかけて、悲劇の死を演出する。執行は彼女にとっては、映画鑑賞のようなものだ。
「あんまり、時間をかけすぎるんじゃないぞ、ララベル。創造主がお怒りになられるとも限らぬからな」
「ご心配、感謝いたしますわ。そちらこそ、あまり手抜きはなさらぬよう」
「与えられた仕事に関しちゃあ、手は抜いておらんよ。安心しておけ」
「それなら、いいですわ。では、また」
ララベルは優雅に手を振り、アダムとは反対へ歩いていった。
アダムはため息をつき、己の部屋へと、戻っていく。
そろそろ、創造主はオルクスの執行を誰かに依頼するだろうな。そう、思った。
***
死神を崇拝する組織『サイス』は、シャーリィ・ライトという女性をリーダーとする集団である。シャーリィは死神と交信することが出来ると言われる。そして組織に多額の寄進をすることで、死後の魂の安息を約束してくれる…と、噂されている。
また、ある人がシャーリィの助言を聞いたところ死神の魔の手から逃れることが出来たとか、かなり眉つばモノの噂が色々と飛び交っており、その実体はつかめない。とはいえ、死後の世界の安息と言うのは、何かを失って弱った人間にはうってつけの誘い文句となるようで、入信者はだんだんと増えつつあるのが現状である。
……という話を、オルクスとクランは図書館で調べていた。
一大勢力となりつつある死神崇拝に関しては、本にまとめたものも多く、その中には必ず『サイス』の記載があった。調べ終わるのに、時間はかからなかった。
「死神と交信、か。オルクス、どう思う?」
「頭ごなしに、嘘とは否定できない話かなあ、とは思うよ。僕も、こうして人と喋ることが出来るし……死神の中には、結構人間好きなやつもいて、ちょくちょく仕事で下界に来るたびに行きつけのバーで酒飲んでるなんて話もあるくらいだし」
「じゃあ、魂の救済は?」
そちらについて聞くと、オルクスは不快そうにむすっとして。
「嘘だよ。そもそも、死んだ人は大体がただ転生するだけだ。罪を犯した者に罰を加えることはあっても、普通の人たちに特別な措置をすることはない」
「……。問題は、嘘をついているのがシャーリィなのか、それともシャーリィの背後の死神なのか、ってことだな」
「更に言えば、シャーリィの背後には本当に死神がいるのか、ってところに戻ってくるよね」
「直接会ってみたいな。……やはり、あの武装集団どもに聞いてみるか」
「そうだね」
組織に入る方法は、他者からの紹介によるのだという。
なんにせよ、ルーフェリア神殿で捕えられたサイスの過激派の青年に、話を聞かなくては始まらないだろう。二人は、そう結論付けて、留置所へ面会に向かった。
所定の手続きを踏み、案内されて辿りついたのは、小さな部屋だ。中央には透明な仕切り板があり、完全に中と外は隔離されている。そして、仕切りを挟んで向かい合うように椅子が置かれている。
奥には、あの男が座っている。クランとオルクスも、直ぐに手前側の椅子に腰掛けた。男は、どうも二人を怖がっているようだ。
「……あ、あんたら……俺に、何か用なのか?」
声が震えている。クランが話しかけるより先に、オルクスが、宥めるような声を出した。
「ユクト・ノーマンおにーさん、だね。改めて、僕はオルクス……こっちは、相棒のクラン。えっと、そのさっきはごめんなさい」
「……?」
「僕たちは、君らが襲ってきたから反撃しただけなんだ。死神崇拝をしている人たちだとは、知らなかったんだよ」
「……どういう意味だ」
「僕らも、死神崇拝をしているんだ。同志、ってやつ?」
嘘も方便。
もっとも、完全に嘘とも言い難い話ではある。オルクスは死神であり、また、この世に神などいないことを知っている以上、クランとオルクスは、神と死神のどちらかで言えば死神を信じていると言って差し支えはないのだから。
「お前たちも? ……だが、ルーフェリア神殿に参拝に来ていただろう。死神崇拝で、何故神の神殿にいた?」
ユクトが、猜疑の目を向けてくる。クランは頷いた。
「実は、ルーフェリアは元は死神だったという話があって、その真偽を確かめに、来ていたんだ」
「何? ……いや、確かに、その話は耳にしたことがあるけど……あれは単なる、根も葉もないうわさじゃないのか?」
ユクトは食いついた。
「恐らくは根も葉もない噂だろう。神殿内をくまなく見て回ったが、それらしい形跡はなかった。唯一、死神を元ネタにしたらしい絵画はあったが、ルーフェリア本人とは関係ない、という話だったしな」
「そうか……」
彼の瞳が、こちらをまじまじと見つめる。嘘ではないか、という疑い半分と、この人は気を許せる同志なのではないか、という期待半分の、純粋なまなこ。
――クランは、万に一つもばれるまいと思っていた。言ったことは全て本当だ。ルーフェリアが死神であるかどうかを確かめに、神殿に行ったことも、事実。そして、収穫がなかったことも。
唯一ついている嘘は、その目的が崇拝ではなく、死神を倒すための情報収集である、という点だ。
案の定、長い沈黙のあと、ユクトは一つ頷いて、こう言った。
「そうとは知らずに、悪かったな。だが、俺は、神なんて信じてないんでな。あの神殿も……壊す対象でしかなかったんだ」
「……どうして、神を信じない?」
「簡単さ。神は病に倒れた姉を救ってはくれなかった。俺は姉を失ったんだ。その日から、神なんて信じてない。せめて俺は……シャーリィ様に、そして死神様のために働いて、姉の魂に安息を与えてやるんだ」
“魂の安息”。横で、オルクスが、また不機嫌な顔をした……一瞬でひっこめたが。クランは、神妙にうなずく。事前に調べた通りだ。
「なあ、シャーリィ様は、本当に死神と交信できるのか?」
「勿論!」
クランのこの問いには、ユクトはぱっと顔を上げ、熱に浮かされたような調子で、続けた。
「俺は見たんだ。シャーリィ様は、死神と恋人同士なんだ」
「恋人……?」
「ああ。名は、死神ギデオン様。シャーリィ様を愛しておられて、お忍びでこちらに来られる。そして様々な神託や助言をくださるんだ。凄いだろ!?」
「……凄いな」
クランは、調子を合わせる。横のオルクスは自分の相棒にして死神である、なんて野暮な事実はこの際胸にしまっておこう。今は、どうにかしてこいつの信頼を得て、中枢への切符を手に入れなくてはならない。
ここからは、完全な演技である。気合いを入れないと。一つ息を吸い込む。
「なあ、ユクト。実は俺たちも、『サイス』に入りたいと思っていたんだ。俺達は、死神崇拝って言っても、ただ漫然と死神を信じ、崇めているだけで、何一つ不確かだ。……本当に死神に仕え、その恩恵を得られるというのなら、なんでもする。死んだ後、安らかな眠りにつきたいんだ。どうか、俺達を紹介してくれないか」
「……」
「ルーフェリア神殿であんたたちを捕まえてしまったことは、本当にすまない。あの時は美術品目当ての強盗だと勘違いしたんだ。少し見れば『サイス』の紋章に気がついたかもしれないのに……」
沈鬱なクランの声に、ユクトは遂に、頷いた。
「分かった。教えるよ。あんたらが、神の崇拝者でないことは、……なんとなくだけど、分かる。俺たちの同志であることも、な」
「……ありがとう」
クランは、内心で、少しこの男を見直した。彼は気付いているのだろう。クランの中にくすぶっている、神族というものへの、強い反抗心に。尤も、それが死神にも及んでいることまでは気付かなかったのだろうが。
「いいか。一度しか言わないぞ。
ここから、西に電車で二時間ほど。アルカニアという街の、酒場『ノーブル』。そこに、教団本部への入り口がある」
「酒場が入り口なのか……?」
「行けば分かる。そこのマスターに、ユクトの紹介だと言ってくれ」
「……了解した」
クランとオルクスは、お互いに頷き合った。
新たな、死神の手がかりだ。のがしてなるものか。
***
アルカニアは、中央に巨大な歌劇場がある、歌と享楽の街。神殿は殆どなく、あっても人が来ずに寂れているという。『サイス』の隠れ場所としては、うってつけなのかもしれない。ついたのは既に日も翳ろうかという頃だが、街は活気に満ち溢れ、往来には酒場の光が灯り、喧騒や笑い声があちこちから聞こえてくる。
電車から降りると、クランとオルクスは地図を何度も確認しながら、指定された酒場へと向かった。とにかくそういう店が多いので、見つけるのは一苦労だったが、やがて酒場『ノーブル』の薄汚れた看板を見つけることが出来た。
二人は死神には顔が割れている。何処まで情報が出回っているか、教団に肩入れする死神が何処までお尋ね者の詳細を知っているかは分からない(更に言えば、『サイス』の死神が本物かどうかも不明だ)が、一応、クランは髪を下ろして、二人で揃いのフード付きのコートにマフラーで、最低限の変装を行うと、中へ入った。
中は小さいが小奇麗で、オレンジ色の照明が何処か曖昧な雰囲気を醸し出す。
「こらこら。未成年は立ち入り禁止だよ」
二人を見ると、マスターと思われる初老の男が窘める。店内に客は数人。まだ夜も始まったばかりだからか、忙しくはなさそうだった。
「俺か?」
「あんたもだけど、特にそっちの、蒼い髪の方。まだ未成年でしょ」
「えーー!!! 僕!?」
心外だ、という反応をするオルクス。しかしその反応がことさらに子供っぽい。
「お前は喋れば喋るほどぼろが出る。黙ってろ、な?」
「クランまで!!! 僕、子供じゃないもんー」
「その反応がどう見てもお子様なんだよ」
「べー。クランだって大人っぽいくせに、19歳じゃない」
「うるせえ」
入口で言い争いを始める二人。マスターが何しに来たんだこいつら、という顔で見つめる。クランは、咳払い一つして、さっさと目的を話すことにした。
「あー、違うんだ。俺たち、ユクトの紹介で……教団に入るなら、ここって」
「ユクト? ……ああ、なるほど」
言葉を聞いたマスターの目の色が、変わった。
「それなら仕方ないね。こっちだ、来な」
歩きだした彼のあとをついていく。案内されたのは、小部屋だ。
何の変哲もない、小さな部屋の中に、びっしりと書き込まれているのは……魔法陣。
「わー凄い!!! 複雑だなあ……!!」
魔法の知識に関してはクランより豊富なオルクスが、感嘆の声を上げた。ということは、結構大変な術式なんだろう。そんな風に、クランも察する。クランは炎魔法以外は本当にさっぱりなのだ。
「これは?」
「空間移動の魔法陣だ。『サイス』本部への入り口は、こうして、各地に魔法陣として秘匿されている」
「その上、色々と工夫もしてあるね。魔法の軌跡を傍受されないようにしたり、魔力が外に漏れるのを防いだり……すごーい。手が込んでる!」
おとぎ話レベルに貴重な魔法に関する知識を、ここまで体系的な移動手段にしている凄さは、クランにも分かった。死神がいるかどうかはともかく、魔法に精通した誰かがサイスにいるのは確かなようだ。
「こうまでして行き先や入口を隠す理由って、なんなんだよ?」
「死神崇拝なんて、世間じゃつまはじきものだからね。こうして、細々やっていくしかないのさ。大々的に本部なんて構えられないよ」
「ふうん……」
本当にそれだけだろうか。
サイスは死神崇拝のなかでも、きわめて過激な組織だ。裏で何をしているかは、全く不明。ただ人目を忍ぶだけではあるまい、と邪推してしまうのも当然だろう。
そんなことを考えて立ちすくんでいると、マスターが、聞きにくそうに声を掛けてきた。
「…一つ、行く前に、聞かせてもらえないかな」
「なんだ?」
「その年齢から、死神崇拝だなんて……君は、どうして、そんなことを考えたんだい」
クランは虚を突かれた気分になった。てっきりこの男も、死神の狂信者だと思っていたが、今の声音は、寧ろ教団への参加を咎めるかのようだった。
「ユクトの紹介だと言ったね。だったら知っているだろうけど……ユクトは、姉が死んでしまって、それで、死神の救いを求めた。……嫌なことだったら話さなくていいが、君たちも、誰かの魂の安息を願っているのかい?」
「……そうかもな。沢山の人の、魂の安息を……望むよ」
本音だった。
クランが殺してきた、人たち。オルクスが執行した、人たち。
誰もの魂が安息になったら、どれだけいいだろう。クランとオルクスを恨まないくらいの、死後が待っていたら、どれだけ。しかし、この世界にそんなシステムは備わっていないのだ。あるのは、罰を与え、人を殺す機関だけだ。
マスターはそれ以上追及してこなかった。あまり聞いてはいけないことだと判断したのかもしれなかった。
「私も……一緒に、祈っておこう。それでは、転送するよ。入団希望者は、最初に、シャーリィ様との軽い面接がある。粗相のないようにな」
「分かった」
「はーい、気をつけまーす!」
元気よく答えるオルクスに、マスターはくすくすと笑った。
「君はまず、転ばないようにね」
「やだなー!!! 僕がそんな、こけるわけないじゃん!! 子供扱いは、めー、なの!!」
盛大にフラグを立てたオルクスは、陣に乗る前に盛大にこけた。
***
「はい、アルカニアの案内人から、事情はお伺いしております。一人ずつ、シャーリィ様との面接となります。ただいま手続きを行っていますので、しばしお待ちを」
転送先で、二人がそんな案内を聞いたのが、五十分前。
教団の本部は、窓のない無機質なコンクリートの建物だった。どれくらいの広さなのか、自分が今何処に居るのか……そう言った情報が徹底的に隠されており、案内板もなければ、外の様子もうかがえない。どのドアもしっかりと閉められ、受付のある、転送先のホール以外のことは、分からない。
そんなホールで、二人は、ずっと自分たちが呼ばれるのを待っていた。
正直、暇だった。
「最初はグー!」
「じゃんけん、ポン!!!」
「勝ったー!!! 201戦120勝81敗!!! へへへ、クランじゃんけん弱いね!!!」
「ぐあー!!! 201戦81勝120敗だとォ……!!! 俺の何が間違っていると言うんだ……人生か……? 人生なのか?」
……それはもう、暇だった。とても。
そして、じゃんけんが240戦を超えた頃、漸く受付の女性が、二人を呼んだ。
「申し訳ありません、お待たせいたしました」
こんなことは日常茶飯事なのだろうと思って、クランが女の様子を窺ったところ、意外にも、彼女は焦っているようだった。続いて、言い訳めいた言葉が漏れる。
「普段は、こんなにお待たせすることはないのですが、あちらで何かトラブルがあったようでして。大変、失礼いたしました。シャーリィ様から連絡がありました。オル様から、お会いになるということです。それから、クラン様。貴方はその間、別の場所を控室として用意しましたので、そちらにご移動ください」
どうやらこれは、結構なイレギュラーらしい。
何かトラブルが起こっているなら、それが見たい。かの死神がらみかもしれない。そう思ったが、流石にそんな要求は通らないだろう。
死神界指名手配されているオルクスは、オルという偽名を名乗っていた……ただ縮めただけではあるが。その彼は、はーいと元気よく返事して。
「それじゃ、クラン! 行ってくるね!」
「おう。頑張ってな」
案内人に連れられて行くオルクスを見送りつつ、クランも、別の案内人に従い、別の扉をくぐった。
たまに人とすれ違うが、服装も雑多で、どういう役職の人なのかは分からない。相変わらず壁に窓なく、扉はきっちり閉められ、ここがどういう場所なのかはつかめなかった。更に驚いたことには、建物の中にすら転送陣がそこかしこにあるのだ。この本部の仕組みを把握している人間はいるのだろうか。クランは、頭が痛くなってきた。
そして、やはりと言うべきか。クランも、また、一つの転送陣へと案内された。
「この先でございます。どうぞ」
さっき焦っていた女とは違う、少し冷たい眼鏡の案内人は、有無を言わせぬ口調でクランを魔法陣へと促す。
控室に行くだけなのに、随分大がかりだなあ、なんて、クランは呑気に思った。
そして、その疑問をもう少しちゃんと考えておくべきだったかなあ、と後から……或いは一秒後に、思うのである。
――転送先は、控室ではなかった。
吹き抜けの巨大な円形の空間は、そしてその中央に転送されたクランを出迎えた周囲の銃口の山は、流石に、控室と呼ぶには無理があった。
「……」
その状況に直面したクランが直ぐに動かなかったのは、驚いたからでも、諦めたからでもない。その銃口に明確な殺意がなかったからだ。
彼は、非常に殺意に対して敏感である。こんな頭足らずの呑気な思考回路でも、罠に引っ掛かって致命傷を受けたりしてこなかったのは、その力によるものだと言って間違いない。
クランは代わりに、強い魔力を感じて、見上げた。
二階程度の高さに設置された、ぐるりと壁に沿う足場。そこから、一人の男が、クランを眺めている。
「……お前が死神ギデオンか。随分なご挨拶だな」
直ぐに分かった。死の気配と、強い魔力。死神が好んで着用する灰色の布は、腰巻として活用されている。上半身は裸だが、両手首に腕輪があり、行動を阻害しない程度にたっぷりと長さのある鎖で腕輪同士が繋がれている。
彼はクランを見て……思い通りの展開だからだろうか。気分が良さそうに、けたたましく笑う。
「ひゃはははっ!!! 何が随分なご挨拶だよ。テメェらが、のこのこ正面から来やがったから、もてなしてやろうと思っただけだろうが?」
「バレバレ、ってわけね」
「そりゃあなァ!!! テメェ、この間死神刈り損ねただろ? そん時の死神がちゃーんとテメェらの顔を覚えていてなァ。もう周知されてんだよ……その程度の変装で誤魔化せねえぜ?」
「なるほど。アダムって奴のせいだな……あいつと出会ってから、いいことがない」
適当に責任をアダムに投擲しながらも、コートとマフラーを脱ぎ捨て、髪を結び直す。やっぱりポニーテールにしていないと、落ちつかないのだ。
「おいおい、アダムのせいにすると、あいつ泣くぜ。ただでさえ人が良すぎて色んな雑用押しつけられて死にそうなんだぜ、あの野郎」
ギデオンがちょっと真顔で返してきた。
「……マジかよ。その情報は割と要らない……」
同時刻、死神の歪城で、アダムがくしゃみをした。
「それで? こいつはどういうこって。俺を殺そうってのか。――オルクスは? 無事なのか?」
「おいおいおいおい。この銃口の数を見て、殺されないと勘違いしたら相当めでたいぜ、お前!!! あの死神なら、仲良くシャーリィと面談している頃だろうよ。護衛のお前さえ排除してしまえば、あっちはどうにでもなるからなァ! 後でたっぷり、相手してやるさ!!!」
とりあえず、オルクスはまだ無事なようだ。これで仲間の死神がいたりしたら危なかったが、嘘ではなさそうで、ほっとする。
「無事なら、いい。……俺を殺したいのは分かるが、だったらなんで転送直後を狙わなかった?」
「はっ。いいねェ、その発想。――なに、一度話してみたかったのさ。死神に逆らう、馬鹿な人間とな。ひゃははははっ!」
「そいつはどーも。俺もあんたと話がしたかったんだ」
「お前のしたい話、ってのは、情報を聞き出す拷問だろうがよォ!!! ひゃはははは。オルクスが仲間とはいえ、第十二位の知っている情報なんて、ないも同然だもんなあ。だが、それは後にしてくれよ? なあに、俺から聞きたいことは、一つさ」
ギデオンは、にやりと笑う。軽薄な脳筋に見えるその振る舞いの中にも、何処か芯の通った部分がある。タダモノではない。そう思いながら、クランは続きを待った。
「お前、何故死神オルクスに加担する?」
「あいつが、仲間だからだ」
即答。それはクランにとって、一つの真実だ。
オルクスは、明るくて、優しくて、まだ子供だが、いい相棒だと思っている。失いたくない、とも。
しかしギデオンは、けっ、と小さく毒づいて、吠える。
「いいや、そんなことが聞きたいんじゃないね!!! そいつは結果論だろうが? 天上から堕ちてきた裏切り者の死神――それに、何故加担しようと思った? 最初の最初の話をしてほしいんだよォ!
何故、仲間になった? 奴はお前に、何をくれた?」
ちり、と、疼く。
答えは明白にして、とても単純。
クランは迷った。
ここで正直に、この死神に応えてやる義理は、ないはずだった。
しかし、迷っている間に、言葉は口をついて出た。クランにとってあまりにも自然で、基本的な感情は、すらすらと、饒舌に飛びだす。
「なあ、死神ギデオン。死の瀬戸際に立ったことがあるか」
「……ないわけじゃねえな。それが?」
「さいっっこうだと、思わなかったか?」
遂には本性をむき出しにして、両手を大袈裟に広げ――説く。
彼の“自然な感情”を。
「死の淵に立つと、己の生を実感できる!!!! ここに、今、生きている!!! 生きているからこそ、死にかけていられるんだ!!! 痛みが、血が、熱が、俺に俺を教えてくれる!!!
そして、俺の世界は色づくんだ!!!」
クラン・クラインは、――狂人である。
スリルに飢える、中毒者。
戦闘が目的と化した、バトルジャンキー。
「俺の前にオルクスが現れた時は、天のお導きって奴を信じたぜ。俺に、戦えと、死神全てを相手にしてくれと、あいつは言った!!!! 孤独で終わりの見えない戦場を、くれた!!!! 感謝してもしきれねえ。最高の仲間さ!!!!」
言葉を発し終わると、ギデオンは、唖然として。
「――おい、おいおいおい。じゃあ、何か。お前……オルクスの為に死神全部と戦うこと、それ自体が……至上の喜びで、最高の報酬だと、そう言ってんのか?」
「はっ。それ以外に何がある!」
「なるほど――思った以上に、狂ってやがる」
吐き捨てられた、その言葉。クランも、己のイレギュラー度合いは、自覚していることではあった。しかし、改めて面と向かって言われると、苦笑の一つくらいはする。
「そりゃあな? 俺はとことん狂ってる……てめえに言われずとも、わかってるとも。戦闘狂いの、依存症さ。どんな金品積まれても、条件出されても、オルクスを裏切る気はねえぞ。オルクスのくれた報酬は――俺にとって、至高だ」
「ひゃははっ。そうみてえだな。これ以上の会話は無駄ってか。しかし、良い話が聞けたぜ……人間ってのは、相変わらず、知らない間に気持ち悪ィ突然変異を生みだすもんだな!!!!」
そして、ギデオンは徐に腕を上げた。
開戦の合図――クランを取り囲むは、無数の殺気と銃口。
殺気を察知したクランは――飛んだ。
一瞬で赤い羽根をその背に生やしての、飛翔。銃弾が、クランの元いた場所を穿つ。
「上だ!!!」
誰かが叫んだ。ギデオンではない。
巨大な吹き抜けの空間は、クランにとって良い空だった。思い切り高く、狙いがつけにくくなるまで飛び上がると、羽ばたきと共に、無数の火球を雨のように降らせていく。熱と炎に苛まれた戦場から、悲鳴が次々に上がる――。
と、その時だった。
殺気が殆ど潰えたころ、クランに向って、銃弾ではなく、拳が襲いかかってきた。
ギデオンだ。
「――!?」
ここは、ギデオンのいたところからも、更に上。なのにいきなり飛びかかってきたギデオンに驚きながらも、身かわすと、その理由は直ぐに分かった。
ギデオンは、周囲の壁に土の足場を作りだし、上って来たのだ。大地を操る魔法。
「ひゃっはァ!!!」
土の足場から、更に一歩、空中へとギデオンが踏みだす。すると、その場所に土の足場が拡張される。信じがたいまでの発動の早さ、そして自然さ。彼にとっては空中も、走り回れる足場なのだ。
「――!!!」
ぞわり、と全身の毛が逆立つ。ギデオンの敵意が肌を撃つ。今、ここにいる。何もかもが真っ白になる。
クランは更に飛んだ。
ギデオンが地面を駆けあがりながら、岩屑を次々に飛ばしてくる。それを踊るように、回転しながら蹴り砕き、羽から炎弾を生成しては相殺し。まるで、対話するかのように。天へと羽ばたきながら、二人の交錯は続く。
「やるねェ。口だけじゃねえな。だが、まだまだ!!!」
ギデオンは大きく飛び、建物の内壁に着地。手で触れると――魔術が一瞬で発動、巨大な石槍が猛然とクランへと迫る。……そして、クランは羽が貫かれた音を聞いた。がくりと、崩れるバランス。だが、何を気にするか。石槍を蹴り、その上を走る。当然ギデオンが妨害せんと足場を崩してくる、その瓦解より、更に早く。ただ、前へ。
「――まだまだなのは、そっちだろうが!!!」
至近距離。逃げ場は、残さない。クランは跳ねた。
必殺の一撃は、逃げられないがゆえに必殺である。
左腕から放たれる火球――その意図は、お互いを巻きこんだ大爆発だ。
「は…!!!」
呆れとも、諦めともつかない、乾いた笑い。そして二人は、爆発に飲み込まれた――。
***
「初めまして、オル様。私はシャーリィ・ライトと申しますわ」
「初めまして、シャーリィおねーさん。よ、宜しくお願いします!」
オルクスが立ち入った面接会場は、洒落た応接室であった。ふかふかのソファが対になっておかれており、間にガラステーブルが一つ。ソファの片方に座っているのが、どうやら、シャーリィらしい。
優雅な立ち振る舞いは、何処かの貴族を思わせる。流れるような白銀の髪。蒼いドレス。オルクスの目の前で、シャーリィは立ちあがり、一礼した。
「さ、おかけになって。面接といっても、もうユクトからの紹介であることは伺っています。彼の紹介なら信頼できますわ。ですので、簡単に、少し質問をして……それから、誓いを立てていただく。それだけで、晴れて『サイス』の一員になることが出来ますわ」
そうシャーリィは言った。オルクスは、その流れるような説明にちょっと動揺しつつ、ソファに座る。彼の重みで沈んだソファは、程よく心地よい。
「誓い、っていうのは…?」
「この教団の一員となり、魂の安息を得るかわりに、ギデオン様にお力を貸す、という誓約です。……というと、なんだか凄く大袈裟ですけれど、まあ、実際にやることは、署名していただくだけですわ」
「そ、そうなんだ。なら、問題ないよね!」
オルクスは、快活に一つ、頷いた。しかし、頭の中では別のことを考えていた。
――シャーリィに、不思議な魔力の影が見えるのだ。
いや、それだけではない。案内の女性はその気配が薄かったが、ここに来るまでにすれ違った人たちは、何らかの魔法の影響を受けていることが明らかだった。
オルクスは、創造主より『七色の魔力』を与えられし、魔法感知や応用のエキスパートである。誰よりも敏感に、彼はこの教団の深層を垣間見たのだ。
……ちなみにクランにそういう才能は皆無だ。
「では、質問に入らせていただきますわね。まず、貴方が『サイス』に入ろうと思ったきっかけについて、教えてもらえる?」
眼前のシャーリィの言葉で、ようやくオルクスは我に返った。
なにはともあれ、ここを無事に乗り切ることが先決だ。クランがいない今、暴れるのは得策ではない。
「えっと。僕は……沢山の人を、あやめてしまったから」
「あら……」
「僕は、もう神様に愛される資格は、ないの。でも、せめてもの罪滅ぼしに、死んでしまった人たちの、魂の救済を、死神様にお願いしたいんだ」
「見たところ、貴方は、人を殺めるような人には見えないけれど……どうして、そんなことを?」
「うん。僕には魔力があるんだけど、僕はどうしても上手く使えなくて……ある時、それを暴走させてしまって……」
「そう……辛かったわね……」
ここまで、台本通り。
かなり大きな魔力を持った人間二人の入団理由としては、割と理にかなっているはずだ、と二人で来る前に取り決めたものだ。流石に、死神崇拝の理由などは、聞かれるだろうと思っていた。
「世間では、魔力は珍しくて、おとぎ話ですものね。扱う方法を教えてくれる人も、いないでしょう」
「うん。僕は、皆をこの力で、凍らせてしまったの……クランは、炎の力を持っていて……僕と同じ境遇で、僕を助けてくれた、恩人なんだ」
「そう。大丈夫よ。二人とも、ここに来たなら……死神ギデオン様は、魔法にも精通されているわ。きっと、ちゃんとした使い方を教えてくださいます」
オルクスは、粛々と頷く。
今まさにクランが死神ギデオンと会っている、そして交戦しているとは知らないオルクスだが、彼なりに、シャーリィの言葉に思うところがあった。恐らく彼女は、本物の死神を知っている。
死神は、人間と違い、生まれつき魔力を持っている。そして、魔力のほかに、創造主の力の一部を与えられている。例えばオルクスならば、『七色の魔力』という、魔力を上手く操るための補助能力だ。魔力と創造主の力、この二つが、死神の特徴なのである。
人間で魔力を持って生まれるものは、本当に少ない。突然変異的に、死神たちが地上で使った魔力の残滓が長い時間を経て集積し、胎児に宿ることで発現すると言われているが、余りにも事例が少ないため、人間は殆どそれを認知していない。『奇跡』だとか、『おとぎ話』だとか、曖昧な認識をされている。
――すなわち、シャーリィが魔力の存在をすんなりと受け入れ、あまつさえ死神ギデオンの魔法への精通を仄めかすのは、実際の死神をよく知っているからだとしか思えなかったのだ。
「だとしたら……この魔力は……」
オルクスは、口の中で言葉を転がし、整理する。
シャーリィや他の信者に見える、魔力の影。それは、恐らく死神ギデオンがやっていることだ。もうギデオンの存在は明らかだとしてよいだろう。
では、何のために?
「……何かおっしゃいました?」
「あ、ううん。なんでもない」
「それならよいのですが。……私からの質問は、もうありませんわ。貴方からの質問は、ありますかしら」
「えーっと……」
迷ったが、迷っても仕方ないと結論付けて、オルクスは直接聞いてみることにした。
「シャーリィおねーさん。その魔力……なに?」
すると、シャーリィは困ったように首を傾げた。
「え……、なんのことかしら、オル。魔力……?」
口ぶりと表情から察するに、本当に何も知らないようだ。反応に困った様子で、オルクスを見つめている。やはりこの魔力、当人が自分の意思でつけた魔法の痕跡ではない。
「ううん、見間違いだったみたい。ありがとう。……シャーリィおねーさん。署名をすればいいんだったよね……お願いします」
「そう? ……分かりました。では、ここに。誓いを、立てなさい」
まだ困惑した様子のシャーリィだったが、一息で気持ちを切り替えたようで、そっと小さな用紙を差し出した。その形はオルクスの想像とは少し違った。本当に、署名をする欄しかないのだ。誓約書と言った雰囲気もない。
だが……その用紙から、悪質な魔力を感じたのは、驚くべきことではなかった。
これに署名をすることで、シャーリィや信者は何らかの魔法にかかっている。これはただの署名欄ではない。複雑な魔法を受け取る、受け入れてしまう、署名。
だが、そこまで読めても、この魔法が何を意味するのか、どんな作用をもたらすのかは、オルクスには読みとることが出来ない。――自分で受けてみない限りは。
「……」
リスクとリターンを、思考する。
この魔法は、死神ギデオンの『創造主の力の一部』の方、敵の情報としてこの上なく重要な能力の手がかりになるかもしれない。オルクスは魔力の扱いに自信がある……完全にこの魔法の支配下に置かれる危険は、小さいはずだ。
虎穴に入らずば虎児を得ず。
オルクスは、逡巡の末、その紙に署名した。
(第二話 了)
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