紅のオーク
高橋右手
プロローグ ~オークと姫~
あるところに一匹のオークがいました。
群れからはぐれたのか、戦いに敗れたのか、彼はたったひとり山の中で暮らしていました。
山の麓には小さな村がありました。村の人々はオークの事を恐れていました。
オークは危険なモンスターです。身体は人間より二、三回りも大きく見上げるほどです。苔生したような緑の肌は強靱な鎧で、ちょっとやそっとでは怪我をしそうもありません。下顎から突き出した牙は、人間の頭なんて簡単に噛み砕いてしまいそうです。
何より恐ろしいのがその怪力です。丸太のような腕はいともたやすく牛馬をねじ伏せ、筋肉の塊のような二本の脚で運び去っていくといいます。
そんなオークと戦えるのは戦士や騎士、魔法使いなど限られた人間です。
剣を手にとったこともないただの村人が、敵う相手ではありません。そこにオークがいるというだけで恐ろしいのです。
貧しい村にはオークを倒すために、傭兵を雇うお金はありません。そこで村長は領主に手紙を書きました。しかし、小さな村の、たった一匹のオークのために兵士を動かしてはくれませんでした。どうしても兵士を派遣して欲しかったら、その金を払えと言われました。
村人たちにできるのは、ただ安全を祈ることだけでした。
その祈りが効いたのか、オークは山を降りてきませんでした。時折、山に入った猟師がオークを見ることもありましたが、襲われることはありませんでした。
そうして月日が流れ、いつしか村人たちはオークの存在を気にしなくなっていきました。
ある寒さ厳しい冬のことです。村の家畜が次々に襲われる事件が起きました。夜のうちに馬や牛、豚が殺され連れさられたのです。
誰かが言いました。
「血の跡が山に続いていたぞ」
別の誰かが言いました。
「オークを村の近くで見かけたぞ」
さらに誰かが言いました。
「きっとこの寒さで山の食料がなくなったんだ」
このまま家畜が殺され続けたら村は冬を越せません。その前に人間に被害が出るかもしれません。
そんな時です、遠征に出かけていた王国の騎士団が、雪のせいで近くの街に足止めされているという話を行商がしていたのです。
村一番の馬と若者が選ばれ、騎士団に助けを求めに行きました。騎士団は快くオーク退治の願いを聞き入れました。
騎士団は山狩りを行い、血だらけで倒れているオークを見つけました。崖から落ちたのかひどい怪我でしたが、辛うじて生きていました。
部隊を率いていた貴族が、念のためオークにとどめを刺そうと近づいたその時です。
オークはうわ言で人の言葉を喋りました。
貴族や兵士たちは驚きました。人語を解すオークなど、見たことも聞いたことがありません。
貴族は剣を鞘に納めると、兵士にオークを捉えるように命令しました。この珍しいオークを王に献上しようと考えたのです。
捉えられたオークは、両手足に枷をはめられ、大きな檻に入れられました。
オークがいなくなったことで、安心した村人たちは冬の食料を求めて山に入りました。そして、オークが倒れていた崖の上でとんでもないものを見つけました。
それは馬車一台はあろうかという、巨大な猿の死体でした。猿の胸には丸太を削りだして作った太い杭が刺さっていました。そうです、誰かが命をかけてこの猿のモンスターを退治したのです。
村人たちは自分たちの過ちに気づきました。
しかし、オークの檻を載せた馬車はすでにお城に向かって出発した後でした。
お城に着いたオークは、怪我も治らないうちに王様の前に引き出されました。
「世にも珍しい人語を喋るオークにございます」
王様と二人の幼い姫、家臣を前に貴族は自信満々にオークを紹介しました。
「ほう、それは珍しい。何か喋らせてみよ」
王様に言われ、貴族はオークに喋るように命じました。
しかし、オークは口を開きませんでした。
「どういうことだ? こちらの言葉が分からないようでは、ただのオークではないか」
王様は騙されたと不機嫌そうでした。慌てた騎士はオークに剣を突きつけて言いました。
「おい、喋らなければお前の首を刎ねるぞ」
しかし、オークは喋りません。
恥をかかされた貴族は、悲鳴の一つでも上げさせようとオークを鞭で打ちました。
しかし、オークは喋るどころか呻き声一つ出しませんでした。
「この! この! どうして喋らないんだ!」
いくら頑丈なオークでも、何度も何度も鞭で叩かれれば緑の肌が裂けてしまいます。もともとの傷がさらに深くなっても、オークは喋りませんでした。
「えええい! 喋れブタ野郎!」
痺れを切らした貴族は鞭を投げ捨てると、腰の剣を抜きその切っ先を振り上げました。
「もうやめてあげて!」
その時です、虐められるオークを可哀想に思った幼い姫が剣の前に飛び出したのです。
突然のことに激高していた隊長の剣は止まりません。
赤い血が迸り、誰かの悲鳴が聞こえました。誰もが惨事を想像し、目をつぶりました。
しかし、流れたのは幼い姫の血ではありませんでした。
オークの丸太のような腕が盾となり、幼い姫を守ったのです。
白刃を腕の半ばまで食い込ませたオークは、人と変わらぬ苦悶の声を漏らしました。
王様はオークの行動に感謝し、その生命を助けることにしました。
しかし、問題がありました。
なんと幼い姫はオークを気に入り、家来にすると言い出したのです。
王様も家臣たちも止めましたが、王女はこの素敵な玩具を手放す気はありませんでした。
そこで、幼い姫の手で服従の首輪がオークに付けられました。首輪をはめられた者は、はめた者に逆らえないという魔法具です。
幼い姫が初めてオークに命じたのは、お城の裏の荒れ果てた庭園を直す事でした。
こうして、オークは庭園の管理人として小屋で暮らし始めました。
姫はそれからもよく庭園を訪れ、多くの時間をオークと一緒に過ごしました。
時に遊び、時に学び、時に喧嘩し、時に冒険したり。
嬉しいことも、楽しいことも、そして悲しいことも。色々なことがありました。
それはオークにとっても、生まれて初めて満ち足りていると感じられる日々でした。
あっという間に一〇年の月日が流れました。流れてしまいました。
幼かった姫は美しく、そして――
勇ましく成長しました。
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