第13話 ACT4 とおりゃんせ考1

 風小が綾子を見送り、二階に戻った時、姫緒はダイニングの、小さなテーブルに腰掛け、あらぬ方向を見ながら何事かを考えているようだった。

 風小が上がって来たことに気づかぬ様子で暫くそうしていたが、何かを考えついたように小狡くニヤついた丁度その時、近づいて来た風小を見とめた。

 姫緒は耳朶まで真っ赤になって彼女から目をそむけると、小さく『コホン』と空咳をして誤魔化す。

 そんな姫緒を、風小は意に介しないといったふうに、空のコーヒーカップの乗ったお盆を持ったまま、キッチンへと向かう。


「あなたのそんな態度は時として人の辛い気持ちにトドメを刺すわね」


 姫緒が彼女の後ろ姿にそう毒づいた。

 風小は、その声に振り向くことなく首を横に傾げ、戯けたようにお辞儀すると、無言のままキッチンへと消える。


「あなたも感じてるでしょ?」


 姫緒がキッチンの風小にたずねる。


「はい。綾子さんは、もの凄い『嫌なモノ』に取り込まれてますデスね」


 そう言いながら風小はキッチンの入り口に現われる。


「直接お会いしてお顔を見てしまうと、お仕事を断わるのは辛いデスけど。『あれ』はいけませんデス!スルーデスよ!スルー!。あんなの相手にしてたら身体が幾つあっても足りません!調査するまでもアリマセンデスよ、全力戦必至のあやかし反応でしたデスよ」


 チカラ一杯そう力説した風小は、姫緒が再び小狡い笑いを浮かべているのに気づいた。


「お断りに……、なるんデスよ……ね?」


 恐る恐るたずねる。


「ねぇ、風小。凄い事だとは思わない?」


 姫緒はそう言うとフフンと鼻を鳴らして続けた。


「偶然にねじまき屋のサイトを探し出して、いかな理由にせよ、ごくごく普通の娘さんが、あなたの張り巡らした『風の結界』をくぐり抜けてここに来た。わたしに直接合う事が叶わず、素直に電話で仕事の依頼をしてきていたら。風小、あなたはどうしてた?」


「きっぱり断わってましたデスよ」


 間髪入れない風小の返事を受けて、姫緒が微笑んだ。


「風小。私は『運命』を『さだめ』と読むのが嫌いよ。人の歩む世は、たとえそれが取るに足らない道となろうとも、定まったものなどあってはならないと思うの。運命は、必ず二択以上の分岐があり、人はそれを得るチャンスが公平に訪れなければならないと思わない?さて。そこであの依頼主、綾子の運命を定まったもので無いようにできるのは?」


 姫緒の話を静かに聞いていた風小は、大きく溜息をついて言葉をつないだ。


「はい。多分、姫さま以外に彼の娘の『さだめ』を変えることはできないでしょう」


「あの娘は自分の運と行動力、そして人々の善意と悪意でそのチャンスを掴んだ。どう?己の、閉じかけた世界を己のチカラで開こうとして足掻いている、か弱き娘さんを、見捨てるワケにはいかないんじゃない?」


 姫緒の言葉に風小は小さく頷いた。


「姫さまのお好きなように。私は姫さまの『忠実な片割れ』ですから。ただついていくだけデスよ」


 姫緒は、満足げな表情で強く頷いた。


「あらあらあら。偽善者が集会開いてる」


 ベージュ色のバスローブに身を包み、頭をタオルで固めた風呂上がり姿のレンレンが、下階から階段を上がってきた。


「あら、正義の味方と呼んでほしいわね?」


 姫緒はそう言うとテーブルから降り、彼女に椅子を勧める。レンレンがやつれたような顔で椅子に座り込むと、姫緒が傍らに立った。


「話せる?」


 レンレンの顔色を気遣いつつも姫緒が尋ねる。レンレンは目を閉じながら怠そうに頷いた。


「じゃ、話してちょうだい。いったい何が起こったのか」


「こっちが知りたいわよん」


 不機嫌そうにレンレンが言う。


「たまに、あるのよ。サイコダイバー用の『罠』。ブラウザー・クラッシャーって通称されてるんだけどぉ……」


「パソコンの?」


「そう。あんな感じの仕組み。ある情報へアクセスしようとすると、圧縮されたもの凄い画面がダイバーの精神内へなだれ込むの。イメージそのものが精神にダメージを与える事もあるし、情報量の多さで精神が崩壊してしまう事もあるわん。ダイバーは精神的外傷を負ってしまったり、悪ければ廃人になることも。でも……」


「でも?」


 姫緒に促されてもレンレンはすぐには話を続けなかった。


 やっとという体で口を開く。


「それとは違う、罠という概念ではないもの。意識が消えていく。説明しにくいけど……」


「心が溶ける?」


 姫緒は先ほどの騒動中のレンレンの言葉を思い出した。レンレンが重々しく頷く。


「そんな言い方しか思い付かないわねん。ヒトが人であることを止めようとする。溶けていく心に、私の精神も巻き込まれそうになった。それは言うなれば『死への墜落』」


 そう言うと、レンレンは気をとり直すように大きく深呼吸して続けた。


「人はね、『死』というものに対して、最大の抑止力が働くものなのよん。自殺者の心理でも、『死』は『死にたい』という『崩壊』の方向ではなくて、『幸せになりたい』イコール『生きたい』という、一見矛盾のような精神の『組み立て』によって起こるものなのよん。催眠術や、サイコダイブによる精神への干渉でも、その壁は取り外せるものではないの。なのに、綾子の精神は崩壊を始めた。あの状況において『生きている』綾子が自らそれを行うのは、それは絶対に無理。では、誰がやったのか?誰がやったにしろ……」


 レンレンが強い眼差しで姫緒を見つめた。


「それは、『死』をも操れるかも知れないということ。いかようかの手段によって、死ぬことを決定する術を持っているかも知れないという事よん」


「やばそうね」


 姫緒はそう言って微笑む。


「ヤバイワヨ」


 身を乗り出し、ドスの聞いた声でレンレン。


「だいじょおぶですよぉ。姫さまは強いデスから」


 と、風小が無責任に胸を張った。

 レンレンが嘆息をもらす。


「勝手にすればぁ。その代わり、敵の正体が何なのかわかるまで、私はもう絶対にサイコダイブはしませんからねぇ」


 レンレンがそう言うと姫緒は相変わらずニヤニヤしながら彼女に身体をすり寄せた。


「もちろんよ、レンレン。あなたには別の仕事を手伝って貰うわ」

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