第42話 流星、駆ける

 優香が森へと落ちてくる流星を目撃した時より少しだけ、時間をさかのぼってみる。

 そうすれば、上空では、自分の足元にある森をジーッと見つめながら、何度も首を傾げるライツの姿を見ることができる。


「む~」


 ライツは目を凝らして下界の様子を注視しながらも、頭の中ではぐるぐると思考を続けていた。さっきから、同じところを行ったり来たりで進展がない。ライツは、そんな自分自身に苛立ち始めていた。


 下ではリィルを引きつけて、足元の悪さを物ともせずに疾走しっそうする優香の姿が見える。そんな姿を見ていると、ライツの中では彼女を助けに行きたい想いが強くなってくるが、ここで何の準備をすることなくライツが近寄ってしまえば、問答無用でリィルとの戦闘状態に突入してしまう。


――あなたなら、できるでしょう? だから、任せるって言ったの。お願いね。


 ライツの体が思わず動いてしまう度に、彼女の記憶に焼き付いている優香の強い瞳が、その動きを制止してくる。ここで、無駄に動いてしまったら、優香の決意をそれこそ無駄にしてしまうことになる。

 それだけはしてはいけない。優香の自分に託してくれた想いを、ライツは無下にしたくない。もし、再びリィルと対峙するとしたら、それは対処法を見つけ出した後の話だ。

 だから、今は唇を噛んで、ライツは必死に考えている。


 ライツが待機しているのはリィルの射程範囲ぎりぎりのところだ。優香が逃げ遅れた時だけ内に入れるように、彼女らの動向だけには注目して、近寄っては離れていた。

 そのリィルの銃撃が届く範囲も、優香が引き出してくれた情報のおかげでライツはつかめている。ここであれば、ライツが狙われることはないし、リィルの意識からライツが外れることができる。


 さて、本題に戻ろう。


 ライツは己の力で起こせる奇跡で、何とかリィルの動きを止めることができないかと悩んでいた。そうしなければ、この状況を打破することはできないとライツは考えている。

 それはリィルを救い出すために組み立てた術に、制限が多いからだ。


 彼女がリィルに使おうと思っているのは、『雪解を喜びし豊穣の女神ヴァルゴ』。そこに込められた意思は、その名の通り「喜び」だ。

 全部元通りになったら、みんな嬉しいだろうな。そんなライツの、単純ではあるものの美しい想いが、愛する娘を探し求める女神の愛情の想像と結びついた。大地により生み出される命、その生命力を活性化させる効果を、『雪解を喜びし豊穣の女神ヴァルゴ』を発動させれば発揮することができる。


 それを使えば、リィルを抑え込んでいる、水の神の加護という、とんでもない力の大本を排除することは叶わなくとも、その力の流れを断って、彼が持っている本来の意識を表層に引っ張り出すことはできるはずだ。


 ライツはできることなら、すぐに実行したくて体がうずいている。しかし、素晴らしい解決法に見えて一つ問題があるので、ライツは動けない。


 その問題とは、リィルとの距離である。『雪解を喜びし豊穣の女神ヴァルゴ』が効果を発揮するのはライツとゼロ距離の相手だけなのだ。


 つまり、今、ライツが近付こうとするだけで撃ち落とそうとしてくるリィルに、術の発動中はずっと触れていなければいけない。それをしないと、彼の内面に働きかける術の性質上、ライツの集中力が持ってくれないのだ。

 それだけ、繊細な心の動きを、ライツに要求してくる技なのである。


(だから、リィルが動かないようにしなきゃいけないんだけど、それってどうしたらいいんだろ?)


 その方法が、ライツにはなかなか思いつかない。

 とりあえず、思いついたのを羅列してみるが、どれもしっくりとこないのだ。


 『運命を拓きし聡明な射手サジタリウス』、論外。


 ライツの持ちうる力全てをぶつけ、どんな悪いことでもぶっ飛ばせる気がライツにはする、絶対的な切り札である。しかし、それを使いこなす自信がライツにはない。

 一度使用した時は、ライツ自身の負の感情に負けそうになった。あの時は、背中に洋介がいたからライツは精神をたもつことができたのだ。彼がいない状況で、同じことができるのかと問われたらライツは首を横に振るだろう。

 下手をしたら、リィルの騒ぎどころではなくなる惨事を引き起こしかねない。切り札ジョーカーは、使い所が難しい。とっておきの切り札は、そのまま手札に残しておくのが一番いい気がする。


 『獅子を屠りし蛮勇の剛者オリオン』、やってみてもいいが難度が高い。


 ライツの潜在能力を、身体能力にのみ全振りする。極端な術だ。機会を間違えれば、何もなしえず、疲れ果てる結果しか残せない。使用中は思考も攻撃的になるから、より直線的な行動しかとれなくなる。

 接近すればリィルを組み伏せることは可能だろうが、問題はその前だ。そもそも持続時間が短いし、前述の通り真っ直ぐに動くことに特化する。あれだけ範囲の広いリィルの散弾を回避しようとすると、必要以上に大きく動いてしまうことになる。

 その結果、リィルに辿り着く前に効果が切れて、泥沼の戦闘状態に突入する未来しかライツには見えない。


 『猛者を戒めし大蟹の鋏キャンサー』、悪くない。


 相手に命中すれば、動作を鈍らせることができる光弾を放つ。重ねて撃ち込めば、リィルの動きを止めることは可能だろう。問題なのは……。


「カニかぁ。イヤだなぁ」


 ライツは思わず呟いた。術を組み立てる際に、カニのハサミを想像しなければいけないのだが、ライツはそれがどうにも気持ち悪くて仕方ない。

 彼女はサソリの絵に嫌悪感を抱いて以降、ずっと節足動物の類は苦手なのだ。


 そして、問題はもう一つある。


 物は試しと、ライツはリィルに向けて杖を突き出した。『猛者を戒めし大蟹の鋏キャンサー』を撃つ準備をするためだ。この後、意識を集中させて実際に術を組み立てていく。


 しかし、彼女がその動作をするだけで彼は反応し、ライツの方へ向き直る。リィルは脅威となる存在を敏感に感じ取って、迎撃体制をとるのだ。

 リィルにかけられた、呪いと呼んでもいい祝福は、決して外敵の存在を許さない。


「だよね。分かってるよ」

 ライツは予想通りの動きをとったリィルに、短く嘆息した。


 いくらなんでも、これだけ警戒されていると光弾を放っても命中する気がしない。虚をつかないと、意味がない。もし、それをせずに強引に狙っていったら。

 その後は、最初の懸念通り、やるかやられるかの闘争になってしまう。


 そんな一か八かの賭けに出るしかない方法では、今、体を張ってくれている優香に申し訳がなくなってしまう。ライツは、一旦、杖を引っ込めた。


「ん?」


 その時、ライツの目に妙な光景が映った。


 あれだけ、無駄のない動きをしていたリィルが、そわそわと忙しなく周囲を見渡している。よく見れば、下界全体がざわざわと動いていた。森の木々が揺れているが、風は吹いていない。

(地面が揺れてる?)

 ライツは地震を経験したことがないので、状況がよく判断できなかった。しかし、これだけはわかる。


 動くとしたら、今しかない。


 ライツは翅を大きく動かすと、自身にかかる浮力を地面へと向かう推進力に変化させる。そうするとリィルの射程範囲に踏み込むことになるが、特に彼が変わった動きをとることはない。

 これなら、近くまで寄ることは可能である。


 しかし、もっと確実な方法がなければ結局は博打に変わりはない。


 何かないか。落ちながら、ライツは必死に頭を働かせる。


「あっ」


 思いついた。

 ライツは手にした杖を放り投げる。彼女の手を離れたそれは、力に戻って霧散した。


 思い描いた策を実行するために、ライツは自身の落下速度は変えず、落ちる地点を調整していく。

 狙うのは、リィルを中心に、優香を結んだ半径で作った円の円周である。リィルと優香、その距離と同じだけリィルと離れた位置に着地を狙う。


 そして、同時にライツは術を組み立てて、現実に具現化させるために叫んだ。


『常共に有りし双心の写身』よっジェミニ!」


 彼女のはねから、色とりどりの光球が飛び出してライツを包み込む。ライツはその光をまとったまま、流星となって森の中へと飛び込んでいった。

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