第31話 迷惑な置き土産

 在りし日の思い出、過ぎ去った日々を思い出す度に、現在の自分が遠ざかる。

 仲間達が絶滅した、それはリィルの知らない記録。彼等の無念さを思い浮かべると、リィルは怒りでどうにかなりそうになる。

 しかし、リィルの憤怒は今ここにはないものに対してだ。ただの想像であり、本当であったとしても、すでに終わった幻想ファンタジーである。しかし、リィルの目には、仲間の死という、確かに存在している真実リアルに形作られていく。


 その瞬間、カチャリと何かが外れる音が、リィルに聞こえた気がした。


(あ、マズイ)

 リィルが自身の変調を自覚した頃には、すでに手遅れだった。


 押し寄せる、自身では処理しきれない感情が炎をあげて身を焦がそうとしていく。それを護るために、リィルの無意識は、己の心を冷たく凍りつかせる。


 あの頃の夢を見ながら、ここにある意識は眠りについていく。その枕元で、何者かがリィルに話しかけている。


 今、おまえがするべきことは何か、と。


(そうだ、オレは仲間を護らないといけない)

 リィルはその大いなる意思に抗うことなく頷いた。


 その声の正体は、かつて、水の神が水妖精を生み出した時に、我が子にと託した機能である。あまり人を信頼せず、水と共に生きる生き物達に心を砕いた神が残した、知恵に勝る人間に対抗するための秘術。

 そして、時を超え、場所を超え、空間を超え。水妖精から氷妖精が派生し、種族に違いが生まれたとしても。その末代であるリィルにまで受け継がれてきた魔法。


 それが、持ち主であるリィルに許可をとることなく暴走し始める。


 リィルはすっと目を閉じる。暗闇の中で、冷静な意思や、これまで積み上げた記憶などが消えていき、強烈な意思だけが残る。


「あいつらを護らないと」

 リィルはうわ言のように、その言葉を繰り返していた。


 彼が一言、呟く度にリィルの周囲に氷の粒が浮かんでくる。ここまで必要がないと、リィルが使用を考えることなく、ずっと抑え込んでいた力。その制御装置リミッターが一つ一つ外れていく。

 リィル自身、把握していなかった。自分に、これほど攻撃的な力が眠っていることを。


 この事象は本来、神による思いやりの産物だ。気が優しい彼等がおくすることなく、身内に降り掛かった災厄に対処できるようにと、水の神が願って与えてくれた。


 しかし、リィルが護りたかった者も、倒さなければいけない者も、すでにこの世にないのだ。これほど意味のないことはないだろう。


さぁ、狩りを始めようビィリヤ・アズ・ヴェイザ


 リィルが発した合言葉。

 それに応えるように、空気中の水分が凝結し、氷結する。周囲に浮かんでいた氷の粒が、リィルの右手に集ってくる。それが、細長く連なったところで彼は右手を握りしめた。


 氷が弾ける。それは蛍光灯の光を乱反射して、周囲に輝きをばらまいた。


「……」

 リィルは口を閉ざして、強く握りしめたそれを振るい、輝きを弾き落とした。そのきらめきの中から、一ていの銃が現れる。


 リィルの右手に握られたそれは、狩猟のために使われるマスケット銃によく似ていた。身のたけほどある白銀の銃身に、金色の装飾が施されている。

 リィルは、自分と同じくらいの長さである、見るからに重厚なその銃を軽々と扱っていた。


 それも当然、生まれながらにリィルが相棒としている武装なのだ。本来であれば、自分の意思で呼び出すものである。しかし、リィルはその力を使うことを恐れて、ずっと心の内にしまい込んでいた。

 いつか、共に協力して戦おうと準備だけはしてきた、リィルと共に生きるもの。しかし、今は、ただ彼の激情に操られるがまま、リィルの手によって振り回されている。


 リィルは、その銃を左手で支えると、キッと目を見開いた。


 その瞳に光なく、黒く大きかったそれは白く反転している。目つきも鋭く、まるで獲物を狙う狩人のように目尻は吊り上がっていた。


「……なんか寒くね?」


 研究員の男が一人、自らの腕を抱きしめる。リィルから発せられる、強い冷気が部屋に満ちあふれていく。暖かい空気を追い出し、リィルは徐々に世界を作り変えていく。


「そうだな、急にどうしたんだろ。空調、壊れたかな」

「いいかげん、古いしな。でも、確か、今は動かしてすらいないはずなんだよ」


 冷たい視線に貫かれていることも気づかずに、男達はお互い顔を見合わせて、周囲の急激な温度変化への疑念に首を傾げている。そんな彼等の声も、今のリィルには意味のある言葉として届いていない。

 獲物がそこにいる、そうリィルに認識させるだけの物音になっていた。


――奪われる前に奪いなさい。


 相変わらず、リィルに話しかける声は物騒だ。ただただ、目の前の敵を排除しろとリィルを急かしている。


 少しでも、リィルに自意識が残っていれば、その声に抗うことは簡単だ。しかし、すでにリィル自身の意識は遠く、その声に促されるまま銃に力を込めていく。

 声が倒せと言っている存在は、仲間達を滅ぼした人間達だ。直接の標的は、すでにこの世にいない。そんな事実すら分からず、リィルは驚異を退けるための装置と化している。


 銃を構える。銃口は眼前の二人……ではなく、もっと多くの者へと向けられている。


 銃に込めた意思は、停止。


 自らのかてとする為ではない殺生を決して良しとはしない、リィルらしい術。しかし、今の彼にそういった分別はなく、全てを飲み込めるほどに大きな術にするために力を注ぐ方法を選んでいるだけだ。


 彼はこの場にいる者の中で、一人だけ、人間達に仲間達が殺された過去にいる。その目に映るのは、外敵である人間だけ。

 もうすでに、守るべきものはこの世にいない。人間達も代替わりしている。それでも、リィルの引き金をひく指は止まらない。


「『喰らえ、我が氷雪の城郭よシュノウ・キャスタラ』」


 撃鉄が落ちる。

 瞬間、銃口からおびただしい量の結晶が周囲に弾け飛んだ。


 その輝きはリィルを中心に広がり、全てを食らっていく。内にいる者達の、ほとんどの命を停めながら、やがて施設全体を飲み込んでいくのであった。



「え、これって」


 その違和感は、すぐに彼女も感じ取った。懐かしくも、暴力的な力の奔流ほんりゅう。それに飲み込まれた同じ部屋にいる人間が、瞬時にその動きを止めた。

 彼女は自身も、同じ術をかけられたことがある。しかし、明らかにこれは規模が違う。下手をすれば停まった時の城郭の中へ、対象者を永遠に閉じ込めてしまうほどに強い意思が込められている。


 その事実に彼女は震え上がる。


 動物への対処であったが、弱った自分を懸命に助けてくれようとしていた女医が微動だにしないのを見て、彼女は身動きのとれない状況なのに心だけ焦る。


「おにぃちゃん、どうして……」


 何とか兄に会わないといけない。

 ロォルは諦めていた脱出を再開するために、目の前の檻に体をぶつける。


 こんなことをしても、今の自分の体では無理なことは彼女が一番よく分かっている。それでも、ロォルができることはそれしかなかった。

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